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6-5(愛獣)

 港では、3人の魔道士が戻って来るまでは優勢だったのだ。水色と黒、茶色に荒らされるまでは。

 街道に現われた彼らに対して、ロマラール側にも3人が応援に来てくれた。互角となった隙を利用してロマラール軍が進み、港を攻めることができた。降り立った金の女神が皆に士気を与え、先陣をきる赤い英雄が吼えて皆を引っぱった。戦いの火蓋は、上々だった。

 連携もうまく機能した。先陣を行く隊と、街道を塞ぐ隊。徐々に輪をつめて行き、敵を港に固めて追いつめる。船まで辿り着けたら船を潰して拠点を奪う。投降させれば、ロマラールの勝ちだ。

 しかも拠点には、ネロウェン国王が来ている可能性が高い。

 ダナたるオルセイも。

 ――まだオルセイが街道へ出現する前、クリフやマシャは先陣に立ち、船を目指していた。

「死にたくなきゃあ、逃げやがれ!」

 叫んでも、相手とて頭に血が上っているので、退いてくれない。しかもロマラール語だ。大半のネロウェン人は罵倒されているとしか受け取っていないだろう。マシャの方は、ネロウェン語で呼びかけている。

「国王はどこだ!」

 だが誰も応えない。

 マシャがネロウェン王の小姓だったと知る者は少ない。見たことがあるとしても、ほんのわずかな間しかいなかった彼女が女性として成長し戦う様を、あの小姓だと思い出す者はいない。いないことが救いでもあった。

 どこだとは聞いたものの、見当はついている。

 中央に停泊している船だ。甲板からマシャらを見下ろして号令を発した、あの顔のまま戦況を見ているのに違いないと踏んでいる。いつでも出航できるように修繕し整えてある船が、それに違いない。何度か偵察したが、港を離れた船は一隻もない。

 だからディナティは船に乗っている。

 と、思いたい。

「マシャっ」

 気を抜いていたわけではないのだが、呼ばれて我に返った。目前の敵は見えていたので、マシャは槍を突き出した。半月剣と槍の刃先が交差する。絡め取るように槍の先を動かして剣に当て、剣筋を狂わせる。相手の体制も崩れたのを見ると、マシャは相手の横を駆け抜ける。とどめは、マシャを守る“ピニッツ”に任せてあるのだ。今しがたの叫び声も、クリフではなくカヴァクである。

 受け流した時、木の鈍い振動が腕に響いた。腕力の弱さを補うためにも、まともに戦わない術をあみだした。教えてくれたクリフが、言ったものだった。

『お前は敵をしとめることより、進むことを最優先にしろ』

 暗に、無理するなと言われている気がして憤慨したら、赤毛の男は頭を掻いて笑った。

『先頭を行かせようというのに、優しくなんかねぇだろ。俺はマシャに、皆を引っぱっていく目印になって欲しいんだ』

『そんなの、クリフがなればいいじゃないか』

『そうも行かない』

 戦略会議の際、クリフは落ち着いていた。助勢軍大将としての経験もあろうが、多くの戦いがクリフを変えたらしいのは見て取れる。もはや怒りだけで戦えるほど単純ではなく、怒りがなくとも戦えるほど様々なものが積み上がった。だがクリフの根底にある感情がオルセイへの怒りであることは、マシャも承知している。

『俺はオルセイを探して離脱すると思う。軍を動かす器じゃないしな』

 あたしだって器じゃないよと言いかけたが、マシャは口をつぐんだ。全軍を引っぱれと言われているわけではない。道しるべとして、光としてロマラール軍を元気にするのが役目だ。そのために一兵卒にかまけず進めと言っているのだ。

 一介の女性でしかないからこそ、できることもある。

 ――長い混戦の中で揺れてしまう自分に課してもらった役割を胸に、マシャは余所見せずに突き進む。

 いや。

 進もうと、した。

「え?」

 振り返ってしまった。

 先ほど受け流し、カヴァクか誰かが斬ってくれた、ネロウェン兵。兵の出した声が、女性のものだったのだ。カブトをかぶっていたので、誰だとまで分からない。ソラムレア製のカブトか、などと思っただけだった。

 聞き覚えのある声だった。

 名前も覚えている。

 ネロウェン国では、ずいぶん世話になった。ディナティの親衛隊長として唯一の女性だったし、同じ戦う女としての指南も多く受けたので、忘れられない存在となっている。ディナティへの別れを告げに忍び込んだ時も、この女性に手伝ってもらったのだ。忘れられるわけがない。

「キャナ……レイ?」

 マシャの呟きを打ち消すように、カブトの兵は「殺せ」と叫ぶ。肩から腕にかけてを斬られ、剣を落として尻もちをついている。胸当ての膨らみが間違いなく女性である。服に隠れている手足は男性と変わりなく鍛えてあり、袖の先から見えている指も無骨だが、どことなく優しさを帯びている。

 兵が自らカブトを脱いでくれるなら、会いたかった。マシャたちから彼女の面をはがすような、無粋な真似はしない。自らを殺せと叫ぶ敵を殺しもしない。話したいこと、聞きたいことは沢山あったが、おそらく無理だろうとは分かっていた。彼女の真面目ささえ熟知する仲になれたのだから。

 剣を拾おうとするカブト兵の手元を、槍で叩く。マシャは押し寄せてくる別の兵を相手するため、彼女に背を向けかけた。

「逃げるな」

 怒りなのか矜持なのか。マシャはカブトの中の、赤く燃える瞳と相対した。

「情けは無用。でなくば斬る」

「斬りに来たらいい」

 頑なな決別が、微笑ましくすらもある。あからさまな拒絶を聞きながら、やはりキャナレイは強いな、などと感慨にみまわれた。知り合いの素振りなど微塵も出さず、名も呼ばない。

「マシャ」

 名を口にしたのは、別の者だった。

 振り向いていた体を前に戻す。キャナレイに振り返っていた時間は、それほど長くない。なのに、前方から声の主が来ていることには、気付いていなかった。相手もマシャ同様、多くの部下に守られている。兵らに紛れて見えなかった。つまり、同じ目線に身を置いているのだ。

 彼を守る部下が、マシャを守るカヴァクと衝突する。マシャは肩越しに起こった剣の交差に目を細めつつ、その向こうに立つ影に目をやった。影の主も、黒装束に身を包んでいた。真実の黒か、闇の黒か。前者の意味合いだろうが、マシャには後者にしか見えない。

 マントは赤だ。ずいぶん派手な登場だなと嫌味を言いたくなる。束ねられた黒髪。精悍さを増した褐色の肌に、長旅の跡はない。髭が綺麗に剃られているのが、逆に彼の若々しさを誇示している。

 部下たちの剣を挟んで、2人の目が合った。

 同じ色を有している、道を違えた瞳が。

 マシャは槍を構えた。

「ネロウェン国王! お命、頂く!」

 踏み込み、カヴァクの背を盾にして回り込み、槍を突き出す。届かず、別の兵に遮られるのも予期していた。遮られた槍を叩かれ、跳ね飛ばされる。跳ねた槍の柄に沿って滑るように走ったマシャは、相手の懐に飛び込み、左手で出した短剣で浅黒い喉笛を掻ききる。小柄なマシャだからこそ通用する手でもある。相手の胸が広く、堂々と構えていれば、なおさら入り込みやすい。

 一閃で仕留められるはずだった。

 思いのほか、敵の背が高かったためもある。

 だが相手が坊主頭の、よく知っている顔だったためが大きい。ネロウェン滞在中は、よく場を盛り上げてくれた、豪快な男だ。がははと屈託なく笑う顔に、元気をもらったものだった。ケンカ交じりの冗談も、しょっちゅう言い合った。

 喉を斬られつつも、それが致命傷ではないと知るや、ビスチェムは半月刀を振って、マシャの首を落としにかかる。“ピニッツ”の者が遮ってくれたが、飛び込んできた者は剣でなく腕で刀を受けてしまった。

「キフセ!」

 弧を描く刀に腕を落とされ、顔まで斬られつつキフセはマシャに抱きついて倒れ、地面を転がる。キフセを守りつつ別の“ピニッツ”が立ち、ビスチェムの広い胸を斬る。斬りながらも、その者も半月の刃に襲われた。刀の動きに無駄がない。大きな体だが、速い。辺り一面に血が舞った。

「ティスダ」

 船員の名を呼び、マシャは歯がみした。自分の躊躇が大事な者たち2人を犠牲にしてしまったのだ。ナザリから譲られた“ピニッツ”船長の名を汚した自分に、腹が立つ。核心に近づけば、ディナティの周りには親衛隊がいて当然だったのに!

「このおぉっ!」

 起き上がり、槍を掴んで突進する。ネロウェン王もまた血に濡れた剣を振るっていた。マシャは彼の手元を狙った。大上段から槍を振りかざせば、頭をかばうのに腕を振り上げるはずだ。

 仮にも国王である。ビスチェムらを“ピニッツ”が抑えてくれている、この瞬間しか幸運はない。偶然出会ったのでなく彼の意思かも知れないが、だとしたら余計に2度目はないはずだ。よもや国王が船から降りて戦っているなどとは想像していなかった。

 いなかったが、実際に目の当たりにすると納得できる光景だった。ディナティが奥の陣で、部下だけを戦わせて座ったままだったことが、あったかどうか。共に戦場へ立ち、同じ空気を吸う王だからこそ、皆が彼を支持してきたのだ。この戦況においても、なお彼がそういう王であることが悲しい。

 いっそダナの傀儡であったなら、どんなに心が楽だったか。

 ネロウェン国に乗り込み、戦争をやめるよう説得に行った、あの日。

『サプサが要か』

 王の笑顔を見た時に、とっくに覚悟したつもりだった。

 心を鬼にした一撃を、ディナティの頭めがけて振り下ろす。腕に遮られても負けないほど、渾身の力を込めた。命が尽きても構わないとさえ思った。

 まさか、槍を折られるとまでは想像していなかった。

 頭に届かなくとも、腕一本は確実に獲るつもりだったのだ。

 届かないどころか、危うくマシャの腕が食いちぎられるところだった。

「!?」

 目前を駆け抜けた、黒い塊。その光景には記憶があった。あの時はマシャが刺されそうになったところへ、塊が横切ってくれたのだ。今より、もっと小柄だった。飛び込み、一本の矢が呆気なく彼の命を奪った。着地した彼は倒れこみ、あえなく死体になった。赤いグール。

 “クリフ”。

 今の彼は育ちきって、よもやそんな跳躍力があったなんてと驚かされるほどになっている。ディナティの姿が隠れるほど大きな体になっている。ガオと吼えた声だけで竦みあがれる、恐ろしい動物になっている。ロマラール国の、森の王。

 グール“オルセイ”が吼えて、マシャに飛びかかる。

 マシャは、ある種の絶望を覚えながら頭をかばった。右手には、わずかな木の柄しか握られていない。左手の短剣はグールの皮一枚すら切れるかどうか、怪しいものだ。少しだけ“オルセイ”になら仕方がないかなという諦めも感じていた。

 肩を突かれて背中から落ち、したたかに打った。仰向けになったところへのしかかられ、腕を踏まれて身動きできない。まともに乗られていたら、腕が折れていただろう。が、グール“オルセイ”は前足の先を少し引っかけているだけで、マシャに体重をかけていない。真っ先に食いちぎられるだろうと思った首は、まだつながっている。もしくは腹から食うつもりかなどと頭をよぎったが、グールはマシャを見ながら唸っているだけである。

 何か思案しているようにも見える。

「……“オルセイ”……?」

 呼んだ名への反応に、ピクリと耳が動く。森の王と化した巨体が身じろぎして何か戸惑っているのを、マシャは確かに感じ取った。感じたと同時に、ディナティに対して怒りが沸いた。

「この子を、戦場に出すなんて」

 ネロウェン王は獣に組み敷かれているロマラール人のかたわらに立ち、冷ややかな目を落とす。

「名のなきグールなら、戦闘に用いて良いと?」

 ぐっと詰まる。

 クリフが北で、第一親衛隊とサキエドを殺した話を、ディナティも知っていたのだ。

 さらにディナティは言葉を重ねる。

「お前が誰ぞの敵を叫ぶなら、私もシハムの仇討ちをする」

 剣が振り上げられる。

 グール“オルセイ”は戸惑いながらも、マシャの腕を放さない。

 今度こそ斬られるかと思ったが、まだマシャは生き延びた。先ほどグールが横切ったように、赤い影が目前に飛び込んでいたのだ。

「“クリフ”」

 思わず呟いてしまった。小さな肉塊と化した動物と違い、こちらの生き物は健在だ。身を呈して助けてくれる姿がグール“クリフ”を思い出させたのは、ここに“オルセイ”がいるからに他ならない。

 クリフが横切った後、マシャの体からはグールが離れていた。クリフに衝撃をくらわされ、倒れたのだ。目前で起こった曲芸に、マシャは目をぱちくりさせてしまった。

 よもや、クリフがディナティの刀を弾き飛ばしながらグールに蹴りを繰り出すなどとは、想像もしていなかった。しかも、ただ蹴ったのではない。グールは悲鳴を上げて、マシャから飛びのいた。急所を突いたらしい。

 さらにクリフがグールの首元を蹴飛ばして「シッ!」と威嚇すると、グール“オルセイ”は、あらぬ方向へと駆け出すのではないか。

「あっ、え!?」

 マシャが驚いたのは、グールが走り出したためだけではない。ディナティがグールを呼び止めないためだ。思わずマシャの方が、名を呼びたくなった。グールが、グール狩人の小技に乗せられて理性を失っただけである。おかげで助かったのだが、どことなく悔しい感情を覚えた。

 しょせん野性だった動物は、人に懐かないらしい、と。

 しかも森の王、猛獣である。今ここに来て血の臭いに我をなくし、野性に戻っただけとも考えられる。

 マシャの耳に、小さな呟きが入ってきた。

「ロマラールの獣だからな」

「何?」

 どういう意味で呟かれたものかが引っかかった。起き上がり、折れた槍を捨てる。が、持ちかえる暇もなくマシャはクリフに腕を掴まれ、後退させられた。

「ちょっと!」

 叫ぶマシャをかばって、“ピニッツ”が囲む。腕を切られたキフセですらもが、果敢に盾となっている。ディナティ王には、すでに多くの兵が取り巻いていたのだ。かたわらに立つ彼だけを見て突進していたら、四方から突き出される半月刀に切り刻まれていただろう。

「危険だ、退却しろ。皆を守れ」

 腕を放しながら、クリフが言う。何のことだと問う間もなく、いきなりクリフはマントをひるがえして「来る!」と叫び、町へと戻りだす。グールは人を跳ね飛ばしながら郊外に向かっている。敵味方のべつ幕なしだ。先の戦いで、クリフがグールに何をしてネロウェン軍を蹴散らしたのかが理解できた。

 マシャはクリフをもグールも、ネロウェン王のことも追えずに、一瞬、立ち尽くしてしまった。クリフが何をもって危険だと言ったのかが読めない。

 が。

 クリフの言った意味が戦略的なものでなく本能だったのかというのは、ほどなく知れた。

 皆を束ねて再度ネロウェン王への攻撃を試みた“ピニッツ”の近くで、異常な悲鳴が沸き起こったのだ。同時にマシャの背筋に悪寒が走った。何度も経験した悪寒の正体をマシャは知っている。戦いどころではないような、天変地異にも似た恐怖である。

 戦いの音がなく、ただ断末魔の悲鳴だけが3箇所、人混みの中から響き渡っているのだ。何をして殺しているのだろうとか、想像などしきれない。ネロウェン国王を追っている場合ではなくなってしまった。マシャは右手に、付近に転がるネロウェンの死体から半月刀を奪って構えた。

 刀を振ってみる。意外に軽い。

「お前たちは撤退だ、町に入れ!」

 最初からマシャには、自分が逃げるという選択肢はない。必ず一番前にいると決めているのだ。キフセが阿呆と叫ぶのを他の者が押さえている。腕からの失血が限界らしい。

 だが半数はマシャの後を追って来ていた。当然のようにカヴァクは隣を一緒に走っている。無言でいつも共にいてくれている存在の、何と心強いことか。

“ピニッツ”がマシャに追いつき、囲んでくれる。予想通りの彼らにマシャは自責の念を覚えたが、同時に船長としての誇りと勇気も感じていた。まだ、ナザリの妹として庇われているのかも知れないが、引き戻されるのでなく付いて来てくれることの違いは大きい。

 しかも“ピニッツ”だけでなく、ロマラール兵までもが退かず、共に駆けているのだ。人の波がうねり、列をなして戦場を駆ける。マシャは泣きそうな喜びを胸に、吼えた。

「魔道士ぃ!」

 見えてきた黒い物体に向けて、刀を振る。それが何色でも構わなかった。辺り一面に広がるロマラール兵の死体が証拠である。振り向いた黒マントから見えた茶色い髪が、マシャの戦意を一層掻き立てる。

 ぶわりと逆風がマシャを取り巻く。頬の切れる感触があった。体まで切り刻まれているようだが、退く術などない。身を犠牲にしてマシャやカヴァクが、魔道士ヌクスを突いた。

 確かに突いたと思ったのに、見た目に反して手には何の感触も伝わってこない。

「!?」

 驚く2人の前で、ヌクスの姿が揺らぐ。幻影なのか何の魔法なのか、実体がないようなのだ。だが姿は確かに、ここにある。

「よくよく縁があるわね」

「あたしが男で、あんたが若けりゃ嬉しかったけどね。おばさん」

 マシャの嫌味には、もう慣れたらしい。魔道士ヌクスは笑みを崩さないまま2人の刃先から体を抜いた。抜いたという感触もない。姿が揺らいで、彼女の顔がひきつったのが見えなかっただけかも知れないが。

 ひゅん、と魔道士が動いた。

 来ると思った瞬間には、もう来ていた。動きは見えていた。ただ、速すぎた。

 自分ではかばいきれなかった。囲んでくれている“ピニッツ”がいなければ、一撃で死んでいただろう。やはり見えなかっただけで、ヌクスはマシャの一言に引きつっていたと見える。

 軽口の代償は、あまりに大きかった。

「トート!」

 マシャに抱きつくように倒れるトートの体を、マシャは慌てて抱きとめる。そんな2人を串刺しにとばかりに、ヌクスが手を突き出している。生の腕で体を打ちぬかれるのか、何かの魔法が襲ってくるのかは不明だ。

「避けなさい!」

 まったく別の声が上がる。

 マシャは反射的に、トートを抱きしめたまま地面に伏した。頭上で、光と音が交錯する。見たこともない光と、聞いたこともない音。耳鳴りをひどくしたような余韻が残る中、顔を歪めつつ頭上を見やると、同じような黒マントが立っている。

 声の主だ。

 白髪交じりの淡い紫色の髪をした、老人。老婦人と形容する方が馴染む。次々に登場した味方に、場の空気が変わった。やられっぱなしだったロマラール兵に、士気が戻っている。マシャも、トートを寝かせて立ち上がった。

「マシャ」

 覇気のないトートの声を、

「寝てろ」

 と一蹴する。

「死んだら許さないからね」

 老婦人の口から何がしかの詠唱が流れる。それと同時に、“ピニッツ”がヌクスを囲んで剣を突き出す。ヌクスは、またもや空に飛んで剣を避けた。

「っ!」

 だが、カヴァクの剣だけが彼女の足を捉えていた。跳躍が足りていなかったのだ。どこかを斬られたらしく、黒マントの下から血が降ってきた。わずかではあったが、魔道士の血はマシャらに勝機を感じさせた。

 斬れる。

 魔道士とて、斬ることができるのだ。

 ディナティは逃したし一方的な殺戮にも見舞われたが、まだ命運は尽きていないのだ。走り去ったクリフの行方を祈りつつ、マシャは再び魔道士へ突進した。

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