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6-4(暗雲)

 援軍の要請に、王都へ行くと告げていたルイサ。セタクはそう聞いていたが、マシャら現場の人間は、ルイサがどこへ向かったのかを知っていた。

 魔の山へ。

 ダナの出現とナザリの死を聞いたルイサは、ただの兵力でなく魔力を欲した。魔法に出てこられては、いくら兵を投入しても無意味だと、先の戦争で思い知らされている。根本的に、戦い方も力のほども違うのだ。彼らが魔法の詠唱に手間取ったり、体が弱かったりする輩なら、まだ可愛げもある。程度の低い魔法使いばかりならば、何とかなるかも知れない。

 だが相手は神だ。

 ならば神にふさわしい戦力を調達するしかない。

「ルイサ様、大丈夫ですか!? 少し休みましょう」

「駄目だ、歩かないと凍え死ぬぞ」

 互いを励ましあって、ルイサらは猛吹雪の斜面を登る。魔の山の麓までは早く着いたが、いざ足を踏み入れると急に風が冷たくなり、雪が降ってきて道も消えて、どちらが上だかも分からない有様になってしまった。

 魔の山には、魔道士が棲む。何人いるのか実在かも分からない伝承を頼りに旅立ったルイサを笑う部下は、誰もいなかった。皆、藁にもすがる思いなのだ。確信に近いが、根拠はない。数多の戦いを経て、自分の見聞きを総括して出した結論が、ルイサの足を向かわせているに過ぎない。

 山に登ったことがあるという男が、志願兵の中にいたのも良くなかった。生還したという男を見て、何とかなると期待したのだ。度重なる異常な戦いに遭い、感覚が麻痺している。自分が平凡な、力なき人間であると、改めて突きつけられているようである。

 身体からは熱も力も、すべてが消えようとしている。帽子の中でさえ髪が凍り、手袋の中で指が膨れ上がっている。

 ルイサの連れた3人の供は、ルイサの荷物を持ち、ルイサをかばって歩いている。彼らは、もっと疲弊しているはずである。だが泣き言一つ言わずにルイサを引っぱってくれるのである。

 暗いが、まだ日は暮れていない。雲が厚い。夜になっても雪は止まず、翌朝には全員が死体だろう。勢いが少しも衰えず、身を隠す岩陰もないというのは、おかしすぎる。

「前もそうでした。この吹雪はおそらく、我らが死ぬまで止まないのです」

「目指している限り、か」

「魔の山は侵入者を許さない」

 案内人に抜擢した志願兵と話し、顔をしかめて空を見る。薄っすらと光が落ちてはいるが、それより激しく落ちてくる雪の攻撃に顔をやられるので、見上げていられない。布で頬を守ってはいるが、それでも刺してくる。風も、帰れ帰れと耳を壊しそうなほどに叫んでいる。

 前もそうでしたと話す男は、「これを」とルイサの手を取り、何かを握らせる。ルイサは動かない指を必死に動かして、硬い何かを掴んだ。ルイサが男を見上げると、彼は布の隙間から見える目を細くした。

「娘が作った、お守り……のようなものです」

 手袋を覗くと、平らな緑の石が乗っていた。紐が通してある。不器用な者が掘ったのかなと推測できる花の模様も、どこか心を和ませる。気のせいか温もりを感じるので、ルイサは魔石なのだなと察した。相手を想う、柔らくてつたない『魔の気』が宿っている。

 こわばっていた部分が、ふっとほぐれるのを感じた。

「ありがとう」

 魔石を首にかけて懐に入れて歩き出そうとしたが、その前に、別の者が膝を折った。立ち止まったので力尽きたらしい。雪が太もも辺りにまで積もっているので倒れはしなかったが、彼は雪のベッドに寝そべってしまった。

「しっかりしろ!」

「ルイサ様、私はもう歩けません。だから、これを、」

「何をする、止めろっ」

 ルイサは供の手を掴む。彼は、自分の服を脱ごうとしたのだ。

「私の代わりに着込み、お連れ願います」

「馬鹿を言うな、お前が死んでしまうでは、」

「元より」

 ルイサの叱咤を遮って、彼ははっきりと声を出した。

「私は、あなたをお守りするためにいるのですから」

「……っ」

 強く抱きしめて、うずくまる。立ち止まってしまうと、どんどんと雪が降り積もってくる。背中に重みがのしかかってくる。歩かなければならない。が、彼を置いては行けない。

「私のためになんて言わないで。私は、無力だわ」

「エヴェン様」

 もう一人の供が、ルイサの背や頭に積もる雪を払う。ポンポンと優しく払っていく手は、まるで子供をあやしているようでもあった。

「エヴェン様には、魅力という力があります。でなくば我ら、お守り致しません」

「魅力なんて」

 ないと笑い飛ばそうとしたのか、いらないと嘆こうとしたのか。どちらにしろ否定的に、ルイサは吐き捨てた。欲しい力が備わっていないことに違いはない。

 岩をも動かす魔力。誰もに勝てる筋力。この吹雪に打ち勝つ体力を。そもそも国を動かすほどの権力があれば、戦争をせずに済んだのではとさえ思う。

「ない力を欲して駄々をこねず、今ある力を使って進んで下さい。あなたは、そういう方のはずでしょう?」

 背中から供に諭され、言葉に詰まる。

 今までとてルイサは――人は、誰かの、何かの屍を得て命をつなげているのではないか。供の死を得て、ルイサは進まなければならない。

「さあ」

 腕の中で、供が即す。ルイサは、そっと腕を外した。だが安堵するように崩れる彼の背を、今度は、ルイサは彼が背に負う鞄を引っぱって引き上げた。

「!?」

 驚く男の背から、荷物を取り上げる。身軽になった供が「ルイサ様っ?」と跳ね起きる。ルイサは中身を厳選して半分ほどを雪に向かって放り投げると、自身で担いだ。

「ル、ルイサ様」

「歩け」

 短く言って、荷物を取られる前に歩きだす。供が起き上がる気配が感じられた。それだけで充分、力がみなぎる。諦めるのは、できることを全部やってからだ。そんなルイサの前に案内人が立ち、雪からかばってくれた。

 まだ歩けると決意を新たにしたら、心なしか前方に何かが見える気さえしてくる。

 木の陰か、岩肌か。何でもいい、この雪を凌げるのなら、明日も歩けるということだ。進めるということだ。

「ルイサ様」

 供が言う。彼の視線も影へ向いている。見間違いではないらしい。白い景色の中で見え隠れする物影に向かって、4人は一歩ずつを踏みしめた。腰まで積もる雪をかき分けて進む困難に気を取られ、前方の供に視界を隠されていたこともあり、一行は物陰が意外に近かったことに驚かされた。

 どよめいて立ち止まったルイサらを遮った物陰は、ルイサより少し低い人影だった。相手も、こちらへ近づいていたのだ。

 簡素な格好をしているため影が細く、分かり辛かったのである。

 少女は、あまりにも雪山に不釣合いだった。

「……あなたは……」

 赤紫の髪をお下げに結った少女に、見覚えはない。だが話には聞いていたし、自分も一度はどこかで会った気がする。仕事柄、人の顔と名前は頭に入る方だが、こんな場所で出会う人間に記憶があるのも妙な話である。もしくは、こんな場所だからこそ、出会える人間など特定されるのかも知れないが。

 雪の只中に立っているとは思えない少女の身なりは、夢を見ている気分に陥る。帽子も手袋もしておらず、それどころか雪が少女に降りかかっていないのだ。体のどこも濡れておらず、雪の一片も積もっていない。実在しているのかすら疑わしくなる。

「なりません」

 少女が声を上げて、ルイサの手を止めさせた。無意識のうちに、触れようと手を伸ばしていたのである。

「私の周りにだけ、風を起こしているのです。触れれば、手が跳ね飛ばされます」

 静かに、何でもないことのように言われたが、尋常ならざる魔力である。少女の力が、何気ない一言に凝縮されている。4人が半ば呆気に取られて赤紫の少女を見ていると、彼女は何がしかを唱えた。

 途端、4人の体が軽く、温かくなる。濡れた服が重いが、どうということはない。吹雪が止んだわけではない。少女がルイサらの周りにも、その“風”とやらを起こしてくれたのらしいと、うかがい知れる。

 少女はルイサらが元来た方向に歩きだした。少女は、いぶかしむルイサらに振り向いて、ついて来るよう促がしている。どうやらルイサらは吹雪で混乱し、魔道士の村を通り過ぎていたらしい。だが少女に会わなければ一生見つからなかった。

「私も魔道士の村へ行くところです。あなたの懐から、ラウリーさんの気配を感じましたので……」

 だから、助けた、と。

 ルイサに告げる少女の声は無機質ながらも、どこか柔らかさを感じさせる。胸を押さえて案内人の男を見ると、男は顔を抑えて今にもうずくまりそうになっている。ルイサは彼の背をポンと叩いてやりながら、胸の熱に感謝した。

 彼がペンダントを渡してくれなければ、少女が『魔の気』に気付かなかったかも知れないのだ。ルイサの僅かしかない魔力が、役に立ったのだ。

 北の地理に明るく、魔の山にも登ったことがある男、ジザリー・コマーラ。その、娘。

「そうか……。ラウリー・コマーラか」

 つながった符合に感慨を覚えつつ、ルイサは少女の後を追ったのだった。


          ◇


 ――かくしてルイサは魔道士の助力を得て、今に至る。

 魔の山から発生した一連の事件が、魔の山の者によって終結しようとしている。結局は最初から最後まで、人間は魔力なる神の気まぐれに踊らされていただけかと、打ちのめされる。だが踊り足掻かなければ、それこそ神はあっさりと人間を見捨てるのだ。

 いや。そもそも最初から神は助けも見捨てもしていない。ただ見ているだけではないか。飢饉も日照りも戦争も。ならばネロウェン人を救おうとするダナ神には、よほど人間味と慈愛がある。

「違うな」

 ルイサは魔道士たちの戦いぶりを横目に見ながら、呟いた。

 大きすぎる力は、何もかもを狂わせる。感覚が麻痺する。征服欲が心を蝕む。欲を御して魔法の鍛錬にのみ生を費やす方針の、何と過酷なことか。だからこそ動いてしまった今、袂を分けてしまったのだろうが。

 3対3になった魔道士の力比べは地味である。ネロウェン側3人が攻撃しようとするのを、ロマラール側の3人が抑えているのである。魔法攻撃もさることながら、直接攻撃も、魔法で無効化している。クスマスの大鎌は腕力だけで振り回されていたものでなく、魔法で増強されていたのだ。でなくば、身の丈もある鎌を易々と操れるわけがない。

 魔力を感じられる者なら、6人が淡い霧に覆われているのが見える。薄く緑がかった雲が6人だけを丸く取り囲んでおり、ロマラール側3人が、そこから魔力を出すまいとしているのだ。雲の中に凝縮されている6人の魔力が均衡を崩したら、町が吹っ飛ぶのではとさえ危惧される。

「今のうちに」

 赤い魔道士に声をかけられて、ルイサらロマラール軍が動き、魔道士らを避けて港へと急ぐ。港は既に混戦しており、そこかしこから叫声と爆音が上がっている。すでにイアナの英雄も戦乱の真っ只中だ。

「美人に見とれるんじゃないわよ」

 よそ見した赤に、茶色の女が飛びかかる。赤のノーヴァは短剣を避けて、身をひるがえした。黒いマントがぶわりと広がる。その裾が、切られた。

「いい切れ味だ」

 肩を竦める。

「あんたが研いでくれたからね」

 ライニのヌクスも笑った。が、気は抜かない。左手では魔法を練っている。完成した術は、すぐにノーヴァへ突きつけられた。短く古代の言葉を叫ぶ。

「!」

 驚いたのは、ヌクスだった。魔法が発動しない。魔力が消えている。

「ちっ」

 ヌクスは空を仰いだ。自分たちを覆っている、霧の空間。ノーヴァら3人が紡ぎ上げている代物で、この中にいる限り魔力が抑えられてしまう。出なければ。もしくは、これを潰さなければ。

 戦闘能力も高い3人は、老体に目を向ける。ダナの老女と、マラナの老人。

「レウザっ」

 老人レウザが、魔道士の最年長である。同時に襲ってきた3人を、レウザは避けなかった。

 一人は、ノーヴァが走りこんで受けた。シュテルナフの鉄拳を止めると腕を抱え、体を背負って、むんと投げ飛ばしたのだ。シュテルが地面に背を打つ音が、派手に鳴り響いた。

 クスマスは鎌を小脇に抱えて固定し、ヌクスは短剣を振りかざす。だが2人の刃は、青の魔道士に届かない。手前で、見えない壁に弾かれたのである。

 魔法を無効化させつつ、防御の壁まで作っているのだ。

 2つ同時に魔法を操っているという脅威と強大さを、2人は味わわずにいられなかった。ならば、と、もう一人の老体に突進しても、こちらも同じく弾かれる。青い力で。老婦人の力ではない。

「退きなさい」

 老婦人ケイヤが語りかける。結い上げた髪も乱れておらず、紫の瞳も穏やかだ。

「人の世から退き、魔力を磨くことが私たちの務めでしょう。世の乱れは、世に住む者が解決すべきです」

 ケイヤは切なげに、3人を見渡した。すぐ近くでは戦いの音が続いている。呑気に6人を見守っている者はいない。皆、少しでも勝とうと必死だ。

「でなくば、同じことを繰り返します」

 奪いあい、憎み、蔑み、羨みもする世に終わりは来ない。人という種が絶えるまで。

「だからこそ」

 ケイヤの頭上から、まったく別の声が降ってきた。

 急激に魔力が渦を起こし、やんわりと覆っていた雲を吹き飛ばした。3人分の魔力を一気に消し去る男など、後にも先にも一人しかいない。

 ケイヤと同じ髪の色を持っていながらも、魔道士らの『気』とは明らかに質が違う。暗く、黒く、深く、見る者の心猿を闇で蝕むかの男。薄く微笑む様はいっそ清々しく、一片の迷いも見られない。ある種、教祖であり、ある種、狂信者であり。

「時には大掃除が必要となる」

「!」

 ケイヤが頭をかばいつつ飛びのいたが、遅かった。バチバチと弾ける音に襲われ、彼女の身体が痙攣を起こす。老婦人がボロ雑巾のように地に伏す。黒マントに包まれている小さな体が、一層小さく見えた。かすかに焦げた臭いが漂っている。

「ケイヤ」

「平気よ」

 ノーヴァがボロ雑巾を抱き上げる。レウザが2人をかばって立ち、風を起こして防御した。ダナの笑みが深まり、かざされていた手が緩んだ。レウザの波打つ白髪が、自らの起こす風にあおられている。碧色の瞳は悲しげにダナを見上げている。

「哀れみか?」

「いかにも」

 間髪入れない返答に、ダナの口元が歪む。手をかざしなおして、3人をどころか味方まで巻き込んで、ダナは魔道士らを吹き飛ばした。辺りの建物にまで影響が及び、破壊音が響き渡る。空に散った煉瓦から、戦う皆まで逃げまどう。

 レウザらは風に守られて、あまり飛ばずに済んだ。が、黒、茶、水色の3人は遠く港にまで煉瓦と共に飛んでしまい、人混みに消えてしまったのだ。

「何!?」

 驚いて振り返るレウザの背後で、ダナが「行け」と号令を発する。一方的な殺戮の開始が告げられ、3ヶ所から、異常なほどの阿鼻叫喚が巻き起こった。廃墟となった港が、さらなる激戦に耐えかねて、ガラガラと崩れだす。ロマラール兵が退き、町へ逃げ込もうとして重なり合う。

「ノーヴァ、ケイヤ」

 レウザが目配せして、2人に行かせる隙を作った。濃い霧でダナを覆い、霧を魔力で引っぱって、ダナを押さえ込もうとする。2人を放させるには至ったが、ダナは霧の中でビクともしなかった。

「こざかしい」

 宙に浮いたまま、レウザの魔法を受けても動じず、新たな魔法を繰り出してくる。底の知れない魔力である。遠見で確認してきた最初の頃とは、格段に魔力が増幅している。代わりに肉体には、限界すら来ているようだ。隆々と波打っていた筋肉は、おそらく無に等しい。長衣に隠れていても分かるほどであり、顔も変わっている。

 憑かれたのか、頼って堕落したのか。

 こけた頬の上で輝く目には、欲望が溢れている。

 哀れみを禁じえないほどに。

「またその目か」

 繰り出された衝撃を、レウザが魔法で受け止める。風が綿のように柔らかく、ダナの『力』を包んで消したのだ。決して激しくも大きくもない『力』だが、冷静に操られている分、的確にダナを押さえ込んでいる。

 ダナは落下を始めた。レウザは手ぶらである。抜かれた剣に対しても、魔力でしか対抗できない。勢いのついた剣先が、レウザの風を裂いた。そのまま衰えず白髪の脳天に迫ってくる。防ぎきれない。レウザが目を見開く。

「オルセイ!」

 叫びは、金属音と共に上がった。

 レウザの前に立つクリフを、オルセイも予期していたらしい。驚きはなく、喜びとも取れる笑みが浮かんでいる。ふわりと降り立ったオルセイの手元を押し、若干の間合いが生まれた。

「待たせたな」

「まったくだっ」

 語気を荒くして、クリフはオルセイを蹴りつけようとした。ヒラリと避けられ、改めて剣を握りなおす。レウザを背にかばいつつ、クリフは「もう迷わん」とオルセイを睨んだ。吹いた風がクリフのマントをあおる。威風堂々と立つ赤い男は、まさしくイアナ神と化していた。ロマラール軍が士気を持ちなおすほどに。

「俺はお前を殺す」

 殺す、という言葉に歓声が上がるほどに。

 港ではケイヤがヌクスを、ノーヴァがクスマスを、リニエスら魔法使いが総出でシュテルナフを押さえにかかり、再び攻撃の狼煙を上げている。徐々に舞台は町の路地へと移っているが、ロマラール軍の作戦でもあった。敵を引き込んで分散させて、個別に倒していくのだ。発案は前線を経験した“ピニッツ”に他ならない。

「面白い」

 応えたオルセイに、クリフが斬りかかる。2人の剣が鳴り、うなった。イアナの怒り。ダナの鳴らす音は、マラナの悲しみだ。オルセイの胸で、青いブローチが光っている。

「!」

 魔法の波動を感じて、クリフが退く。オルセイが左手でクリフの肩を突いてきたからだ。だが恐れた事態は起きなかった。クリフを包む霧がある。レウザの助力である。

「ならば」

 オルセイが手を挙げた。何かの合図らしい。挙げられた手から感じる魔力は、クリフらに向けられたものではなかった。

 理由は、即座に分かった。オルセイの手に応えた動きが起きたからだ。

「ぐっ」

 クリフの背後で、老人がうめいた。だが振り向きはできない。オルセイの剣を受けなければならなかったから。魔力で歪められている、重い剣を。

「!?」

 イアナの剣が呼応して、わずかに輝いた。悲鳴を聞いたかに思えた。剣の悲鳴か、マラナの声か。クリフは手に力を入れて、オルセイの剣を横に振った。体ごとで振って、背後を見やってレウザを気遣うと、クリフは、老人を襲った第3者に目を奪われた。

 言葉を失くすほどに。

 よく見知った者だ。

 フードが取れてるぞと軽口を叩きたくなるほどに。

 だがクリフの口からは、別の言葉が突いて出た。

「何でだよ」

 呆然と。

 レウザと対峙している男の、後姿だけで充分だった。

 黒いマント。翠の髪。ずいぶん伸びて、汚れているかと思いきや、存外清潔そうである。マントの影に見え隠れする肢体も、変わらず華奢だが衰えてはいなさそうだ。

 問うても、答えてはもらえまい。

 翠の男が持つ静謐な空気は変わらない。

 無言なところも。

 ダナが剣を構える。

「師弟対決など初めてだろう?」

 白髪の老人に向けられてのものだ。翠の魔道士を防御しつつ、老人はふんと鼻息を荒くした。

「わしの弟子は師匠を切りつけたりせぬわ」

 エノアの手には、4本のナイフが握られていた。レウザが風を起こし、エノアを押しやる。飛びのくエノアの横顔には表情がない。ないのは相変わらずだとも言える。違和感も感じるが、ゆっくり確認している暇は持てない。

 オルセイの剣が鋭く、重い。

「俺の台詞だよ、クリフ」

 苦笑するオルセイの顎を殴りつけようとしたが、やはり軽やかに避けられた。オルセイが剣を振ると、わずかに血が飛んだ。血を見て初めて、クリフは自分の左腕が傷ついたことに気付いた。深くはない。だが皮一枚を斬った浅い筋が、しくしくとクリフの感情をつつく。

「殺す。じわじわとな」

 獲物を追いつめた肉食獣の目をして、オルセイは笑う。

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