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6-2(慨嘆)

 マシャたち“ピニッツ”隊は、ルートを決めてある。一日一箇所、何度も移動しながら、補給所を潰して回るのである。ネロウェン軍を港に閉じ込めておくのが目的の、煮え切らない辛い作業だ。

 サプサに見切りをつけて、別の土地から上陸されそうなものだ。が、そうはならない。ここを攻略して、ラフタ山通過の権利を得られなければ王都への道はない。

 だが今、“ピニッツ”隊の地道な戦いが、何者かによって崩されていた。

「……ない」

 補給所の隠し箱に、中身がなかったのである。しかも完全に空なわけではなく、武器はなくなっているが食糧だけ残してあるのだ。“ピニッツ”隊の一つ、マシャ率いる10人は、呆然と木箱を眺めたものだった。

「どういうこった、こりゃ」

 言いながらも箱から食糧を取り出し、一つかじる。

「あ、トート」

 咎められたが、男は干した果物を咀嚼(そしゃく)した。マシャに振り返り、

「毒は入ってないようだぜ」

 と軽口を叩く。

「無味無臭かも知れないだろ」

「じゃあ皆は明日、俺が生きてたら食ってくれ」

「そうするよ」

 別の者が受け応えて軽く笑いが起こったが、もちろん、そういう問題ではない。トートは殴られ、ゆすられて吐き出させられた。水も危険で飲めない以上、本当にトートは苦しむことになるかも知れない。

「ソンバがいなくて良かった。あいつも真っ先に食うだろうからな」

「違ぇねぇ」

 分散している他の船員を揶揄して、気を紛らわせる。4つに分割した“ピニッツ”隊は、一日一度は落ち合って、情報と面子の交換をしているのだ。手に入れた物資も、状況に応じて入れ替える。人数と、作戦進行の確認にもなる。

 が、この状況は順調ではない。

「他のやつら、大丈夫かな」

「だが決めたルートは動かせん。緊急事態用の花火を打ち上げるには、まだちょっと様子を見た方がいいだろう」

 マシャの不安に対して、船員が適切に意見する。隊長たるマシャが一番に判断しなければならない部分だが、離れている隊を心配する心には理由がある。

 ギムが亡くなって以来ずっと側についていたカヴァクを、面子の入れ替えによって自分から放したのだ。何気なく決まりとして入れ替えただけだったが、いなくなってみて実感した。自分が、あのネロウェン人にずいぶん助けられていたのだ、と。

 もちろん皆には、そんな素振りなど見せないが。

「なら、明日の補給地へ向かおう。皆には夜、落ち合った時に報告する」

「賛成」

 トートがけろっと、手を挙げた。

 木箱に残っていた食糧を回収し、アジトを潰して、通路も使えなくする。敵に見つかっては元も子もない。幸いなことに通路には、何者の形跡もなかった。マシャらは移動に通路を使っていない。町を駆け、罠を仕掛け、敵に出くわせば斬る。

 剣やナイフ、槍など、武器はすべて血で汚れ、刃こぼれしている。刃は、3人も斬れば使い物にならない。剣なら叩く戦い方ができるが、短剣やナイフは、そうは行かない。手入れの時間も充分に取れない今、武器はすぐに悪くなる。下手をすれば一回の戦闘で潰れる。

 使えない武器を持っての移動である。

 いやがおうにも緊張させられる。

「ネロウェン軍の仕業じゃないな、あれ」

 道中、隠れながら“ピニッツ”の一人がマシャに言った。

「え?」

「敵なら、もっとアジトが荒れてたんじゃないか? 通路も、いくら秘密だとはいえ見つからなかったとは信じがたい」

「でも実際、見つかってなかったみたいだし。毒の食べ物を食べさせたかったなら、バレないように侵入するだろうし」

 すでにトートが苦しむこと前提だ。とはいえマシャも、半信半疑である。秘密通路とはいえ、凝った隠し方はしていない。扉や窓をぶち抜いて、隣とつなげてあるだけだ。家捜しすれば見つかる。表を歩かずに移動できるというだけなのだが、その「だけ」が戦況に大きく影響する。ほとんどの建物は、潜伏できぬよう出入り口を潰してある。破損していれば調査するが、大抵の家に罠が仕掛けてあるので、ネロウェン軍も痛い目を見ないよう、慎重になっている。

 そんな町の中を移動して、一日に2箇所もの補給所を巡るのは、奇蹟に近い。

 “ピニッツ”隊の隠れ方が上手かったのもあるだろうが、まったく敵と遭遇しなかったのである。だが戦いの長いマシャたちには、この幸運が不審に思えてならなかった。次の補給地にも、やはり武器が残っていないのでは、と懸念させられてしまうのだ。

 果たして、懸念通りだったわけだが。

「やっぱりね」

 腹を立てるより、呆れたという方が感情として近い。

 補給地は町の真ん中、広場前である。美味しさ町一番だと言われるパン屋が、補給地にしてあった。そこに備蓄を置くのは危険という声もあったが、かえって目くらましになるのではという理由で採用された。パン屋の店主も協力的で、備蓄には乾パンが詰められた。井戸も今は枯れているが、その水が木箱に蓄えられている。

 町の真ん中まで戻ってきた、と感慨深くなる。港からの一軒一軒を、地道に潰して来たのだ。あと半分については後方の部隊が実践し、終えている。ゴール寸前だ。なるだけ町を壊さないように気をつけて、ネロウェン軍を閉じ込めてきた。ルイサの町だから。自分の町でもある。壊されたくない気持ちと同じぐらい、ここから出すものかという思いが強い。

 だからだろうか。補給地を荒らさず壊さず、しかも食糧だけを残してくれている盗人の手腕に、つい和んでしまうのだ。

「2つ目に来て気付いたんだけどさ」

 マシャは木箱の中に綺麗に鎮座している布の包みを手にした。中からは、乾パンと思えないほど柔らかそうで甘そうな、小麦色の塊が現れた。これを食べずに毒を仕掛けておくような手間をするだろうかと気付いたのだ。

「普通、食うよね」

 “ピニッツ”の皆にパンを見せる。喉の鳴る音が聞こえた。マシャの腹も鳴りそうである。明日死んでも構わないから食べたいという気になってくる、この焦燥感がやつらの狙いなのかとも考えられる。

 などと思考が鈍っていたせいで、広場の気配を読み損ねた。

 だしぬけに、外から声が聞こえたのだ。

「出てきてくれる? 私が入ってもいいけど」

 声をかけられて驚くなど、今まではあり得なかった。常に誰かが見張っていたし、人が見えるほどの位置なら気配を察知できていたのだ。マシャは見張り役の頭をこづきながら窓に張り付き、隙間から外を覗いた。

「殴って悪かった」

 外を見た途端、理解した。見張り役の頭を撫でる。すぐ撥ね退けられたが、マシャの目は外に釘付けのままだ。すでに充分すぎるほど気配を感じる。背中が凍りつくほどに。初めて目にした女性に。

 次から次へと、手駒が尽きないもんだね。

 毒づこうとしたが、舌が動かなかった。

 広場の敵は、たった一人だ。

 井戸の縁に腰かける様子は、戦場に似つかわしくない。多少ふっくらしていて、ほがらかで。着ているのが町人の平服なら、このパン屋のおかみかな、などと見間違えるところだ。ロマラール人か、そうでなくとも、少なくともソラムレアやネロウェンの者ではない。

 黒いマント。

 この一枚だけで、それと分かる存在。いや魔軍の魔法使いとも考えられる。ダナが来たぐらいなのだ、魔軍が再結成されてもおかしくない。だが、そうではない。そうでないと断言できる理由は、体に突き刺さるほど感じられる、大きな『魔の気』のせいだった。通常の魔法使いでは持ち得ないだろうほどの、気。

 年の頃は、中年。子供はむろん、孫もいそうな雰囲気だ。

 髪は、茶色。

 フードをかぶりもせず、むしろ見せつけるかのように髪を風になびかせている。今日もいい天気ね、などと呟いて笑うのが聞こえた。天を仰いで微笑むさまは、魔道士だと思えない。

 多分、魔道士だ。

 長年の勘と知識が、マシャに警告を与えている。出てはならない。が、出なければ殺される。どの道、死ぬ。優雅に見せかけているが、彼女からの殺気は魔力以上に伝わってくる。顔を合わせても瞬殺はせずに、まず名乗る――という余裕を見せてくるのが彼らの常套だと感じているのだが、今回もそうだとは限らない。

 マシャは素早く皆に指示すると、「行くよ」と言って扉を開けた。すかさず飛びのいたが、何かがマシャの頬をかすめた。家の奥で破壊音が響いた。目を向ける余裕がないが、棚や壁が破壊されたものと思われる。

 開けた扉から押し込んできた客人は、風だ。風の刃。いや、塊というべき大きさだったかも知れない。マシャの頬に擦り傷ができたようで、鈍い痛みが感じられる。

 見た目と違い、ずいぶん荒っぽい。

 などと考えている暇もない。

 風が過ぎた扉から半身だけを出し、弓を持つ者が矢を射る。その隙に、皆が出口から飛び出て四方に散った。使える武器は少ない。が、一人に対して自分たちは10人いる。

 相手は、一人で50人分ぐらいありそうだが。

 いや下手をすれば何百人分もを内包していそうである。我に帰ってしまうと、恐ろしい『気』に身も心も潰されかねない。何度もオルセイと対峙していてさえ、慣れない感覚だ。

 オルセイの場合にはまだ、殺さないという大前提があった。殺し合いは、お前たちでやればいい、と。ところがどうだ。今いる女性は、最初から殺す気満々ではないか。

「あんた、オルセイの手下だろ。あたしらのこと傍観するんじゃなかったのかよ」

 遠巻きに彼女を囲んで、武器を構える。ないよりマシという程度の短剣だが、切れ味が悪いというだけで、殺傷能力が消えたわけではない。今までの魔法を考えると、散開できた今は少し自分たちに分がある。いくら魔道士とはいえ、散った10人を一度には殺せまい。

「手下ってのは嫌な響きね。彼に私の魔法を分けてはいるけど、ここへは私の意志で来たの。いつまでもサプサを攻め落とせないんじゃ、お互い疲れちゃうじゃない」

 意外にも長文の返答だったので、目を瞬かせてしまった。頼んでもいないのに、彼女は続いてしゃべりだした。

「名前を知ってるなんて、あの器君のこと、ご存知なのね。ダナ本来の性質と、器君の個人的な感情がせめぎあってるから、なかなか出てきてくれないのよ」

 息子に困る母のような口調である。

「え、待って。それじゃオルセイは、本当は誰も殺したくないって、」

「じゃ、なくて」

 マシャの質問を遮った女性が、両手を左右に広げた。バサリと浮き上がったマントが、やけに不似合いだ。彼女の動きを見守ってしまったのだが、はっと気付いてマシャは飛びのいた。

「やばい、離れろ!」

 10人が瞬時に走った。が、彼女の『魔力』は10人の心臓を的確に掴んでいた。咄嗟に走ったのが、せめてもの救いだった。『手』が体内からずれる感覚がした。だが追ってきて、体を中から潰そうとしている。息までが詰まり、足が止まりかける。胸が痛い。きしむ音まで聞こえる気がする。

 女性のおしゃべりが時間稼ぎだと気付かなかった自分に、歯噛みした。

 女性は10人の心臓を握りつぶそうとしながら、ころころと笑う。

「あの子が殺してやりたいのは、たった一人よ」

 誰だと問うまでもない。

「俺だろ」

 空から声が降ってきた。いや正確には、空ではない。声の主はゴーナから飛び降りざま、女性に向かって剣を振り下ろしたのだ。ゴーナはどこからともなく広場へ駆け込んできたものだ。

 いや、どこからともなく、てはない。隠れて見ていたのだろう。

 続いてゴーナに乗る兵が数人、広場に飛び込んでくるのではないか。見知った顔なのは、先日追い返した助勢軍だからだった。

「大将っ」

「下がってろ」

 主が飛び降りた後のゴーナを、別の青年が操っている。2人乗っていたのだ。やはり見た顔である。港へ助勢軍を連れてきた案内役のロマラール兵だ。どうやら、あれから助勢軍に入ったようだとうかがい知れる。道理で盗人が地理に明るいわけだ。

 少なくともマシャは、2つ目の備蓄を見た時に感づいていた。一日に2箇所を回っても、ネロウェン兵に出会わない。となれば犯人が隠れ家の場所を把握の上、ネロウェン軍をも一掃しながら奪っているのではと仮定できる。

 “ピニッツ”の誰かが裏切ったのでなければ、場所を知る者が犯人を手引きしていることになる。場所を知る者は“ピニッツ”の他にも、後方に控える軍の中にいる。

 マシャたちに頼まれたと言って、すぐに教えてもらったことだろう。自分の名を出せばいいと話を通してあったのだから、疑う余地もなかったはずだ。

 救世主は黒マントに対して、容赦なく剣を振るっている。女性はひらひらと逃げてはいるが、余裕をなくしたらしい。マシャらの体が軽くなった。まさぐられるような『手』の感覚もない。とはいえ感謝の気持ちもない。

「クリフ、どけ!」

 マシャは目を吊り上げて赤と黒の戦いに割って入り、短剣を振り回した。どこを狙ったわけでもない一閃は、どこにも触れずに空振りした。

「乱暴な子ねぇ」

 マシャが邪魔したことで返って助かった女性は、体制を建て直し、口元を押さえて微笑む。朗らかで、どこにでもいそうな町の主婦という感じの、それでいてどこか妖艶でもあり恐ろしくもある、強大な『気』を抱える――ライニの魔道士。

「あんたも荒っぽいだろうかよ、おばさん」

 特に最後の4文字を強調して、マシャは再び短剣を構える。左手でナイフも取り出した。横からクリフが彼女をかばう形で立ったので、マシャは激昂してクリフに体当たりをかました。

「助けはいらないって言っただろ! っていうか足ひっぱんな、馬鹿男が」

「ああ、馬鹿だ。俺もだが、お前もな」

 落ち着いた口調だった。クリフは高ぶっていない。強敵を前にして、まったく動じていないのだ。マシャの体当たりを受けても、よろけもせず、マシャの肩をがっしり掴んでしまった。左に引き寄せてかばい、右手の剣を構える。見せつけるように。

 柄尻の赤い石が、日の光を受けてきらめいた。

 女性の周囲を“ピニッツ”と助勢軍が、取り囲んでいる。

 だが女性もまた、動じていなかった。井戸の縁に立つと、彼女はトンと跳ねて井戸の中へ消えてしまったのである。

「しまった!」

「憶えておいてね。おばさんじゃなくて、ヌクスよ」

 クリフの叫びにも消えない不思議な声が、井戸の底に木霊する。井戸にかじり付いて覗き込もうとしたが、穴から強い風が吹き上がってクリフの頬をかすめたので、顔が出せなくなった。ほどなくして風がやみ、周りに静寂が訪れた。

「マシャ。井戸の底ってのも、秘密通路になってんのか?」

「ううん。横穴ってなかったはず」

 他の者が、あーあと腰に手を当てた。他にも剣を収める音やらが響き、周りを包んでいた『魔の気』が薄れた。

「無理っつっても逃げたんだから、逃げられる道になってんだろうな」

「降りてみるか?」

「いや、俺たちじゃ無理だろうな。……おっと」

 皆の会話を遮ったクリフがよろけたのは、マシャに殴られかけたためだった。次は左手。右拳。盛大に空振りするマシャの右手が平手に変わった時、クリフは甘んじて衝撃を受けた。破裂音が鳴り渡り、再び場が沈黙した。

「なんで来たんだよ! この馬鹿」

「馬鹿だから」

「!」

 もう一度平手を打とうとした手を、今度は止められた。

「備蓄を盗んだのも、お前だろ! 食糧だけ残すなんて、何の嫌味だよ」

「腹が減らないように。違和感が持てるように。後方へ帰らざるを得ないように。……いい案だと思ったんだが、あんなのが出ちゃあな」

 クリフは井戸を見ながら息をつく。あんなの呼ばわりした魔道士ヌクスのくしゃみが響いた気がするのは、気のせいだろう。

 マシャはクリフらの計画に鼻白み、憤慨した。体から力が抜けそうなのを堪えるためもあった。

 本当は、怖かったのだ。ギムもナザリも逝ってしまいカヴァクも不在な中で、あんなのに出会ってしまった。武器が一新できていなかった不備など、言い訳である。本能が、恐怖を感じていたのだ。そこに登場されてしまっては、あとは怒るしかない。

「今頃のこのこ来やがって」

 毒づいたマシャの肩を、クリフがそっと触れる。もう逃げる気も跳ね返す力も失せたので、せめてもの反撃に、マシャはクリフの胸に頭突きをした。その背に暖かい感触が広がった。胸に顔をうずめる。頭をポンと撫でられて、マシャの糸が切れた。崩れずに済んだのは、強く抱きしめられているからだ。

「ごめん」

 クリフの謝罪とマシャの泣き声が重なる。一層、強く抱きしめられる。マシャの声も強くなる。

「間に合わなくて、悪かった」

「クリフの馬鹿! ……馬鹿!! ――ナザリぃ!」

「ごめんな」

 クリフの背をぎゅっと掴んで、マシャは大声で泣きじゃくった。

クライマックスとなって参りました。この章が10話までと、あと7章「安息のニユ」10話で完結となります。一話あたりの量も半端ではない中、長々とした物語をご笑読くださっている方には、心から感謝を申し上げます。多少なりともお楽しみ頂けておりますなら、幸いです。

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