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5-5(混戦)

 サプサの第3戦より前に、国境が襲われた。これほど戦闘意欲をそぐ報告はない。

 国境に上陸されたこと自体は奇抜な襲撃ではない。ロマラールとクラーヴァの境は大きな河が横たわるばかりの深い森で、ここ十何年かはクラーヴァ国とも争いがないため、兵を振り分けての警備など考えられる場所ではないのだ。

 一番の敗因は、事前に国境上陸の兆しを掴めなかったことである。情報戦を制して勝ってきたサプサには、大打撃だった。戦況としても、精神的にも。頼りにしていた情報網を一新しなければならない。

 北から侵攻されるのを食い止めるために、援軍も出さざるを得なくなった。北は北で兵を募っているが、女子供以外を全員集合させても何千人かという地域なので、状況はかんばしくない。

 体勢も戦意も半減した中での開戦である。

 前回の戦いで船を失った“ピニッツ”の騎士が、戦艦に乗り込んだ。ナザリ・キャロウである。だから、どうにか凌いでいるような有り様である。下手に追えば返り討ちに遭うが、守備に徹するのも限界な、際どい日々が続いている。

 ヤフリナのように降伏すれば生かされる、という甘美な誘惑が頭をもたげる、疲弊した兵も少なくない。だがネロウェンが上陸後にロマラールを殺すのか食い尽くすのか、実際は不明だ。で、ある以上は、このサプサでネロウェンの艦隊を全滅させる必要がある。

 ヤフリナ国は、生かされる代償として土地や労働力や――自尊心を、売った。ネロウェン人の移住が進んでおり、ネロウェン語の教育が始まっていると聞けば、いやでも反発心が起こる。勝って慈悲の手を差し伸べるならともかく、負けて虐げられるとすれば、敗北を受け入れる上官になど、なりたくない。

 戦い続ける選択が、国一つ殺すことになろうとも……?

「サプサ陥落は、目前らしいわよ」

 まるで世間話のように何気ない、軽やかな口調である。

 少女の発したソラムレア語は、世間話にふさわしい部屋の絨毯に吸い込まれて消える。戦争と縁遠い、別世界のように静かで美しい土色をした室内は、ネロウェン王宮の一角だ。

「せっかく助けられたのに、恩を忘れて攻め込むネロウェンと、助けちゃったばっかりに攻め込まれてるロマラールは、どっちがバカなのかしらね?」

 豪奢な絨毯に腰を落ち着けて紅茶に寄せる唇は愛らしく、「陥落」などという言葉が似合わない。

 問われた相手も、彼女の口調に眉をひそめた。ただし眉をひそめた理由は彼女を咎めたからでなく、言葉に登場した者達を想ったからであった。必死に抗うロマラール人と、攻め続けるネロウェン人。

 少年王ディナティは、好んで戦争を続けている訳ではない……と、信じたい。

「あら、戦争に加担しておいて、今さら同情なの? “可哀想”って顔してるわよ」

 からかわれてもラウリーは黙って目を細め、水に口をつけただけだった。

 一年が巡り、ようやく田畑が実った。ラウリーが望んだ、戦わなくてもいい時代がやってきた。

 だが戦争はいや増す一方である。

「今さらの同情は、おかしいですか? 先は読めません」

 “ダナの魔女”が動じないので、少女は毒気を抜かれた。醜態を眺めて溜飲を降ろすつもりで呼んだのだ。彼女のソラムレア語がたどたどしいことも、不動を助けているのかも知れない。言葉がすぐ出せなければ、考える間が心を落ち着かせる。

「あんたが参戦したのは、本当に対ヤフリナ戦だけで決着が着くと思ってたからなの?」

 少女は歯に絹を着せない。だが、それゆえにラウリーも素直に頷けた。

 少女がユノライニだから、かも知れない。

 進んでネロウェン国の人質となってソラムレア国を守った、最後の王族。

「早くヤフリナを落とす。ネロウェンに富をもたらす。飢饉を逃れる。なるだけ少ない死者にしたかったから、戦おうと決めました」

「甘いわね」

「甘かったです」

 紫の瞳は揺れない。ありのままの現実をだけ、受け止めている。ユノライニと同じくダナに魔力を吸われている身なのに、そうした苦痛や疲労を感じさせない。伸びた背中が凛々しい。

 魔力の補佐に、魔法使いが来たせいだ。だが、あれはシュテルナフやクスマスと同じ、魔道士に違いないとユノライニは確信している。同じ黒マントで、しかもクスマスらよりも気を遣って顔を見せないようにしているのが理由のひとつ。それに、彼が来てからのラウリーが格段に落ち着いたのは、ユノライニにも感じられていた。

 紫色というだけで他に何の肩書きもない平民なのに、王宮の中枢に座して魔女だの聖女だのと呼ばれる存在になり、仲間までいる。

 かたや一国の女王が、人質となり役割もなく側に誰もいない、独りの存在である。

 少女の内心を知ってか知らずか、魔女は聖女の顔をして「ありがとうございます」と、うやうやしく頭を下げる。

「こうなっても、まだ気にかけて召集までして下さったおかげで、久しぶりに身奇麗になりました」

 王宮へ入るのに、ボロの黒衣では謁見できない。豪華な衣装は断ったが、ラウリーは清潔な黒色以外の長衣(ローブ)に着替えることができた。優しい色が表情をも優しくしているのかも知れないと思ったが、前がどんなにひどいボロだったかを知らないので、ユノライニはむっと眉を寄せた。

「嫌味?」

「いいえ。なぜです?」

「王宮だけは裕福だから」

「そう思いません。王は苦しんでおられます」

「会ったの?」

 最近のユノライニは、ディナティの顔を見ていない。ロマラールへの進軍を始めてから、彼の足が遠のいた。自分から謁見を願い出るのが悔しいので、ユノライニは王宮の隅でずっと待っているのだ。

 彼が帰ってくるのを。

「お会いしていません。感じるだけです」

「魔女は便利だこと」

「ユノライニ様にもできます」

 ラウリーの慣れないソラムレア語が、ユノライニの名前を別人のように聞こえさせた。ユノライニは「無理よ」と打ち切って、話を元に戻した。少し足を崩して、ラウリーを見据える。

「ロマラール国、消えるかもよ」

 やっと魔女のまぶたが震えたので、ユノライニは満足した。

「ディナティは止まらないわ。彼の意志じゃなく、戦争が一人歩きしてるもの」

「兄、ですか?」

「オルセイでもないわ。ネロウェン国そのものが、戦争を歓迎してる」

「どういうことでしょうか?」

 姿勢は崩さないながらも、ラウリーの首が傾いた。

 ソラムレア女王にあてがわれた部屋は王宮の一番奥にあり、中庭に面していて静かである。戦争の声はもちろん、病人たちのうめきも役人たちの小言も聞こえない場所にある。飢饉が原因で慢性化している疫病も、国の混乱による怪我人死人も、ここからは見えない。そんな彼らが戦争を奨励しているとは、ラウリーには考えられない。

 ユノライニは、見えないからこそ外部の目で、物事を把握している。

「この菓子」

 ユノライニは盆上の焼き菓子をつまみ上げた。

「ヤフリナから輸入した粉で作ったのよ。去年の収穫物だわ」

「去年の秋に実った穀物ですね」

「食材を王宮に届けてくれた貿易商のことを知ってる?」

「……いいえ?」

「去年フセクシェル家の資本で独立した会社だそうよ。食べ物だけでなく生活雑貨から兵器まで卸してるわ。兵器工場で主任してたのを見込まれて、貿易商の船長になったんですって」

「兵器工場」

 ラウリーの目が泳いだ。

「その貿易商、自分が抜ける穴として工場に10人、雇わせたそうよ。儲けを工場に出資して、ね。彼が立ち上げた会社にも、人員が必要。そこでも雇ってもらえるわ。お金が動いて、市場が活発になって……」

 日々に時間のあるユノライニは、どうやら面白い来訪者があると謁見室に招いて、話を聞いているらしい。怪我人ばかりを相手に忙殺されているラウリーに比べて、情勢に明るいのは間違いない。

「造船所も本格的に稼動してるわ、にわか仕込みじゃなくて。ソラムレアからも技術者を招いたし、東からも人が流れてきてる。知ってる? ロマラール国の投石機は、あれソラムレアが作ったのよ」

 まさか今もなお交易があるのかまでは知り得ないが……あるのかも知れない。考えるだに空しく重い現実を、少女は軽く口にする。冗談のように。

「戦争が終わったら、100万人が失業するわよ」

 ラウリーは押し黙った。

 誇張だ何だと言い争えるかと期待したユノライニは、当てが外れて息をついた。菓子を口に放り込む。言わんとするところを理解してくれるのは嬉しいが、手応えがなくてつまらない。菓子の甘みが強かったので、少女は紅茶を飲んだ。

 ふと思い出して、ユノライニは紅茶からラウリーに目を移した。

「あんたに初めて会ったのって、ヤフリナの港だった。ソラムレア戦艦から私を奪還するとかって。アムナ・ハーツが艦長だった。覚えてる?」

「え? あ、はい」

 戸惑う魔女が快感だったので、ユノライニは早口で続けた。

「私あの戦艦も艦長も大嫌いだったから、ヤフリナに寝返った彼らを、あんたが殺したって聞いて、複雑だったわ。だって私、あんたも嫌いだもん」

「大嫌い、ではないのですね」

 助詞の違いを聞きつけて微笑ましく相槌を打たれたので、ユノライニは顔をそむけた。

「でも私、戦艦の中で一つだけ気に入ったものがあったの」

 と、ふてくされて。

「紅茶よ」

 2人の目が、同時にユノライニが持つ茶器へ注がれた。揺れる液体の中に若者の面影が見えるのは、ユノライニだけである。

「私に紅茶を入れる役目だった若い兵も、あんたに殺されたのよね」

「そうでしたか……」

「言うつもりじゃなかったんだけど、つい告白したくなったわ」

「今日お呼び下さったのは、これを言うためではなかった、と?」

「ええ」

 多分、からかって泣きでもしてくれれば胸がすくのに、そうならないラウリーに苛立ったせいだ。

 急に居住まいを正したラウリーに、ユノライニの方がうろたえた。真っすぐな目と合い、恥ずかしくなった。魔女を責めて溜飲を降ろして、自分の何が改善されるわけもない。

 ラウリーのお辞儀は、少女を浮き足立たせた。

 紫髪の魔女は正座して手をつき、額が絨毯につきそうなほど深く、頭を垂れたのである。

「すみません」

「……戦争だもの、仕方がないでしょ」

「今まで、よく耐えておられましたね」

「やめてよ!」

 手を振って少女は声を荒げ――目前の者に振り下ろす前に止まった。自力で止まったのもあるし、音が聞こえたせいでもあった。カーテン越しに何かが窓の縁を、コツコツとつついている。物陰は小さい。人ではない。

「ケディ」

 気配に気付いたラウリーが、頭を上げずに首をひねって、窓を見た。ユノライニは手を下ろし、中腰になった身体を鎮めて、自嘲的に顔を歪めた。

「時間ってわけね」

 ケーディと長く離れていられないラウリーは、時間が限られている。エノアが来たから足りている、という風にはならないのだ。ユノライニ自身の魔力も緩和されているのだから、エノアやケディ、ラウリーの恩恵を反故にできない。ユノライニがケーディを部屋に入れたくないのだから、約束は守らざるを得ないのだ。

 ラウリーは未練を残す素振りなく「では」と出口へ向かう。

「ありがとうございました。お元気で」

 再会を願いもしなければ予感も漂わせない挨拶は、(しゃく)に障るが的確だ。また会いたいとは思っていない。今は。

 立ち上がった彼女のかかとが硬くひび割れているのを見ながら、ユノライニは「ロマラールへ……」と呟いた。

「はい?」

 ラウリーは、きちんと女王に向き直って、背を正す。

「ロマラールへ行かないの?」

 助けにか、潰しにか。故郷を見たいだろうに、ラウリーはとどまったまま、オルセイに尽力している。

「今は、行きません」

 押し殺した表情からは感情が読み取れないが、だからこその悲痛さが感じられる気がした。

 ――サプサの攻防は、まだ続いている。沖での長期戦は、十分な補充を積んだ船を持っているネロウェンの方が有利だ。港を拠点にしているロマラールは、港に帰らざるを得なくなる。上陸されては一巻の終わりになる。ロマラールも補充船を作って耐えているが、急場しのぎの船には不安がつきまとう。持久戦だ。備蓄の切れた方が負ける。

 3国を配下に従えた大国に、半島の小国が勝てる見込みは、ないに等しい。

 サプサで男たちが血を流している頃、ネロウェンの王宮でも、少女が流れる涙と戦っていた。

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