5-2(画策)
ロマラール国で秋といえば、謝肉祭である。国が一年でもっとも大切にしている日であり、各地で様々に開催される。大々的に催すのは、むろん王都である。だが他の町とて、負けず劣らず賑やかになる。
港町サプサも、ロマラール国の玄関口を誇るだけある派手さを、かもし出す。誰もが、こぞって出資して祭を盛り上げてくれる。貿易の町だけに、金の出し方は半端ではない。
華やかな祭の当日も、準備で騒然とする日々も、どちらも町の風物詩である。
「どいて、どいて!」
「危ないよ!」
ガラガラと荷馬車が走る、町の大通り。沢山の人がひしめきあい、テント下を出たり入ったりしている。交わされる言葉も、ほとんど全員が話していると自分の声が消されてしまうので、負けじと大きくなる。すると隣の男も声を大きくする。通りは全員がケンカをしているようになる。
朝市ともなると喧騒に加えて売買の声が混じり、さらにやかましい。
……本来なら。
日が高い秋の空は、空も高く青く澄みきっている。通りを歩くだけでも気持ちがいいし、さぞ買い物もはかどることだろう。だが今、通りに出ているのは売り物ではない。野菜も魚も並んでいない。
行きかう人々もほとんどがロマラール人で、いつもの国際色がない。しかも男ばかり。たまに女もいるが、子供はいない。皆一律に同じ服を着て闊歩している。
まるで朝市、祭の準備。
だが繰り広げられている準備は、祭ではないのだ。いや、ある意味では近いかも知れない。士気の高まっている男たちは、あくせくと働いて来るべき日に備えている。あまつさえ、笑顔まである。
「第3弓隊の矢は足りてるか?」
「おい、衛生兵どこだ? 薬が届いたぞ」
「どこの隊だ、投石機を持ってけ! 邪魔だっ」
男たちの怒号が、町中に響く。サプサに住む元々の民は、すでに避難している。民間人が巻き込まれることも少なくない戦争において、異例とも言える手際のよさである。
大通りの両脇に張り巡らせてあるテントの下には、布で覆われた大きな固まりが並んでいる。中身は武器や木材、レンガである。潮風にさらされないよう、気遣ってあるのだ。
「釘をくれ」
「板を押さえててくれないか」
「ニワの汁を。壁を塗るぞ」
そんな言葉と共に、建造物の補強工事まで進められている。石畳とレンガの町が、木材と樹脂と鉄に固められて、大規模な要塞へと生まれ変わっていく。
兵だけではない、商人の姿もある。町の調度品を運びだす作業が残っているためだ。個人の所有物も多いが、町の財産でもある。戦争後に町を建て直す際、重要になる。もちろん商人の護衛兼見張り役まで、サプサの兵は完璧である。
それもこれも、サプサを統べる領主の指示があってこそ、である。
「エヴェン様!」
「ルイサ様」
領主の来訪に気付いた兵たちが、名を口にしながら道を開けた。ザッと開いた通りの真ん中に、3人の兵を引き連れた金髪の女性が現われた。町の中では“ミ・ルイサ”でしかなかった彼女がエヴェンの名を冠して歩くのは、初めてのことである。領主になってからは。
なる前は、ミ・ルイサとなる前の彼女はいつも、エヴェンとしての矜持を持って生きてきた。今のように男装をして、剣を佩いて。
「敬礼!」
「不要だ。仕事を急げ。敵が来るぞ」
男たちが足を止めてルイサにかしこまろうとするのを制して、強い言葉で命を下す。金髪を編み上げて皮の鎧をまとい、マントをはためかせている姿。凛々しいながらも、うなじや、マントの下に見え隠れする脇の線などに色香がにじみでてしまう。昔は不要で不快だった、女の身体。
見惚れている男らの視線には気付いていたが、ルイサは、やっと気付いたような顔をして足を止めたのだった。たおやかに振り向いて、微笑む。日に照らされた髪と共に、笑みが輝いた。今は必要かつ有効利用している、女の容姿。
「町を守ろう。頼むぞ」
ルイサの艶に心躍った男たちが「はい!」と勇んだ。歩きだしたルイサの跡を埋めるように、また通りが雑踏に包まれる。一層の活気をもって動きだす。男らの会話には、女領主をたたえる声も混じった。
ルイサは声を後目に、マントをひるがえして通りを進み、港へ向かった。そこには今、巨大な壁が建設されている。港と海を隔てる、砦である。
壁というには低いし、見た目は積み木をぶちまけた山のような建造物だ。だが、それで完成形である。土台が堅固に組んであり、いたるところに兵が潜めて、しかも見えにくい、という利点を持つ。投石機の設置も進められている。
いつもは広々としており潮風が抜けていく港が、今は狭く、土煙で臭い。視界も煙っているようだ。
せわしなく兵が行き来し、雑多な音があふれかえっている砦の側で、何もせず立ち止まっている男らが5人ほど、固まっている。そこへ向かって、ルイサは進んだ。
男らの格好も軍人のものだが、一兵卒ではない。同じ皮の鎧をまとってはいるが、どこか小奇麗である。特に中央の一人だけは、ルイサと同じマントを羽織っている。
中央の中年男性を除く全員が、近寄ったルイサに敬礼した。ルイサ側も、彼女以外の部下3人が敬礼を返した。
ルイサが中年男性に、手を差し出した。
「お忙しい中、ご足労感謝します。ジュアン騎士団長殿」
「名で。セタクで結構」
「御意」
握手を交わす。ルイサは掴まれる直前、手を引っ込めかけた。差し出したのは、ルイサの方なのに。
小さく息をついてから顎をあげて、セタクに微笑んだ。
「いかがですか? ご視察にお越しくださった甲斐があったなら幸いですが」
「うむ」
セタク・ジュアンは、爬虫類を思わせる顔立ちを笑みで整え、ルイサを見る。まるで町の視察でなく、ルイサの観察が目的であるような目だと、ルイサには感じられる。砦に体を向けて、目をそらした。
「いい建築士がいたのだな。斬新な骨組みだ」
「志願兵にクラーヴァ人の大工がいたので、起用しました。お会いになりますか?」
「結構。砦を見れば充分だ」
セタクを盗み見ると、彼は心底から満足そうな表情をしている。
「光栄です。部下に伝えます。士気があがりますわ」
セタクが再度うむとか何とか口ごもり、ゆるりと歩きだした。同じ速さで全員がついて、砦に沿って歩を進める。周囲の喧騒を物ともしない、優雅な散歩である。ルイサは、いつ帰るのだろうと内心うんざりしながら、セタクに並んだ。念のため宿泊も酒宴も手配を整えてあるが、徒労に終わる方がありがたい。
木と石とレンガの化け物は、港を端から端まで完全に包み込んでいる。唯一の出入り口は自軍のためだけに開かれる。今、出入り口は大きく開け放されている。沖の諸島や海上にも、迎撃準備を施しているのである。むしろ沖で食い止める方が重要である。人は皆、続く飢饉で衰えているのだ。兵力を費やさずに勝ちたい。
「投石機か」
セタクが、港の出入り口から運び出されている装置を見て呟いた。木を組んだ四角い台は、5人乗っても潰れないほど丈夫である。台から跳ね上がる棒の先に乗せる石は、人ほどの大きさがある場合もある。集められる石の大きさに合わせて、投石機も大小揃えられている。ほとんど木製だが、鉄が使われている新しいものから縄を張りなおしたらしき汚れた台まで並んでいる。
見咎めたセタクの横顔が曇り、足が止まった。
「ずいぶん古いな。動くのか?」
「点検してあります。演習も」
「武器倉庫の隅まで、すべて掘り出してきたか」
「それは、もう」
曇り顔が呆れ顔に変わったので、うっかり笑ってしまった。
「貴族のオモチャで終わらせるなんて、馬鹿げてますわ」
「王都を脅したか? 怖い女だ」
「ご存知ありませんでしたか?」
「知っていたつもりだったが」
ルイサの軽口を制して手を挙げて、セタクが続けた。
「だが、町の厳戒態勢を目の当たりにすると、いかに君がサプサを愛しているかが、よく分かる」
そう言って見せたセタクの笑みには、今度は嫌味がなかった。目を合わせ、2人で破顔する。
ひとしきり話して、ようやく緊張がほぐれた。気を許してはいないが、国のため、仕事のため、民のために仲の良い振りをするぐらいは、苦にならなくなった。お互いに。
2人を見張り護衛している互いの兵らも、そっと安堵の息を洩らしていた。
「セタク殿とて、ラフタ山を後援の城にして下さったではありませんか」
「山はあくまで関所だ、町とは違う。それに元は君のものだ。王命なら、やらざるを得ん」
「ですが関所の村を潰して下さいました。そちらの駐留地、助かっています」
「……王命なら、やらざるを得ん」
言葉をくり返して、セタクはぶすくれた。皮肉には強いくせに、面と向かって誉められるのは苦手らしい。らしいとルイサが気付いたのは、いつのことだっただろうか。一生付きあわねばならない覚悟をした時か。
――ラフタ山とは、港町サプサの背後に位置し、王都への道を通している重要な関所である。
この山と海に囲まれて、サプサは栄えてきた。去年の大飢饉でも、この町だけはラフタ山のおかげで飢えずに済んだ。例年通りではなかったが、世論からは叩かれ、裕福という言葉が悪口となるほど蔑まれた。
蔑まれるよう世情を動かしてサプサから金や物資を絞りとってきたのが、ラフタ山を統べるセタクである。セタクの方も王都への関所として見張られている立場なので無茶はできないが、相当に稼いだことだろう。
かと言って吸い上げすぎてサプサを枯らしても問題なので、セタクはルイサと協議を重ねて余力を与えている次第である。とはいえルイサは王直属の密偵なので、もしセタクに不穏な動きがあれば、ただちに報告できる。セタクは処罰されるだろう。
ただ、そうなると今度はルイサが王都から面倒な勅命を受けかねないので、ラフタ山で関係を塞き止めてくれる第三者には、いてもらった方がいいのである。
ルイサとセタクと、ハイアナ5世。
港町サプサと関所ラフタと王都の3すくみが、こうして出来上がった。
3すくみ対策を提案して実現に持ち込んでくれた男は今、ルイサの右腕に治まっている。政策は今後も良好な関係を保つことだろう。
「もしもの時は、ラフタ山が戦場となるでしょう。頼りにしています、ジュアン騎士団長殿」
「なるでしょう、じゃなく、するのだろうが」
会話を打ち切るかのようなルイサの笑みを、しかめ面のままでセタクが睨んだ。
「昔から食えなかったが、もっと厄介になったな。いっそ殺しておけば良かったとさえ思うよ」
「賛同します。私も、あの時あなたを殺したかった」
言いあって、ほがらかに笑いあう。聞かされている部下たちは、たまったものではない。だが、これがいつもの会話であり、これで2人の連携が良いのだから、聞き流すしかないのである。
「エヴェン様」
別の兵が駆け寄り、ひざまづいた。
「来たか」
「ほう?」
ルイサが待ち構えていた素振りを見せたので、セタクが片眉を上げた。港がざわめいた。砦の向こうに、新しい船が到着したのである。出入り口に向かおうとするルイサを見て、
「お邪魔かな?」
セタクがおどけた。
「構いません。ぜひ立ちあって下さい」
立ち去る気なんて、ないくせに。と、影で毒づいてから笑みを作り直す。もちろん、セタクの反応を見越して、わざと兵の報告を受けたのだ。お見せして、彼の顔色が何色に変わるかを楽しみたいところである。
停泊した船は、銀色に輝いていた。
骨組みだけでなく、表層もほとんどを鉄で覆った軍船なのだ。ソラムレア国が開発した、丈夫で軽い鉄を。
ソラムレアから購入したわけではない。かつて密入したサンプルを研究、開発して独自に作り上げたのである。2年をかけて。
セタクは顔色を変えまいと務めていたが、ルイサには充分に満足のいく表情が見れた。
さらに、船から下ろされている大量の壺に、セタクが反応する。
「これは」
まじまじと見入っていたが、嗅いだら答が分かったようだ。臭いの元は壺からでなく、続けて運び出されている樽にある。
セタクは2年前にヤフリナ国でおこなわれた内乱の戦術を、知っている。
「油か」
感慨とも嫌悪ともつかない響きである。セタクの言葉が続かなかったので、ルイサが「ええ」と応じた。
「重油入りの壺を投げて、火矢を放ち、敵の船を焼きます」
「恐ろしい戦術だ」
「海に飛び込めば消えます」
「覚えておくよ」
手を振って、歩きだす。この兵器で満足したらしく、その場に終了の空気が流れた。ルイサはセタクの背に隠れて、安堵の息を洩らした。
ルイサの息を聞きつけたように、セタクが「さて」と振り向いた。
「はい?」
「視察は以上で結構。物資供給の遅れている分を打ち合わせよう。宿屋へ案内したまえ」
ルイサの思考が一瞬、停止した。
「宿。ですか」
「ん? まさか用意していないと、」
「とんでもない! こちらですわ」
多少の慌てた素振りは、ご愛嬌だ。あとは、あくまで優雅にふるまう。それがルイサの武器である。他には何の力もないのだから。と、彼女は思っているのだから。
下手すると踊れとも言われかねないわね……と思いながら、ルイサはセタクの前に出て歩きだした。この忙しい時にと思いながらも、うまくセタクを満足させられた手応えは、悪くない。
「あとは敵が来るのを待つだけ、か」
ルイサの背で、セタクが呟く。
「だが、うまくネロウェン軍がサプサに乗り込んでくるかね?」
「間違いなく」
ルイサは振り向いて力強く頷いた。傾いてきた日に、髪が輝く。笑みは、自信たっぷりだ。セタクが、ひるむほど。
「誘導していますから」
サプサが拠点なのだと、常日頃から吹聴してある。マシャがディナティにそう告げてしまったという報告を受けて、逆手に取って情報を流したのだ。
「かならず来ます」
そして、かならず勝つ。
決意の堅固さを現すかのように、サプサの要塞化は、まだ続いている。