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5章・豊穣のライニ-1(感情)

 ラウリーは出所を許されていない。

 イアナの剣を破損したあげく敵に奪われ、しかも敵方を取り逃がし戦場まで放棄したとして、服役中である。もちろん罪状が建前のものだとは、関係者なら誰もが知っていることだったが、関係者だけに、誰も何も言えないでいた。

 牢獄は、薄暗い。

 平和な時でも陰鬱な場所なのに、世が乱れて手入れする者がろくにおらず罪人ばかり増えていっては、殺伐とするばかりである。最低限の食事は与えられているが、寝床や風呂の面倒までは看きれないのが現状だ。ネロウェンでは今も、そこかしこに怪我人や病人が溢れている。

 彼ら病人を介護して回るのが、ラウリーの仕事になっている。もちろんダナへの魔力の供給も、おこない続けている。魔力は減る一方で、牢には、日が落ちる頃にようやく戻る。

 衛兵に警護されて牢に帰り、死んだように倒れこむ。ベッドの堅さも臭さも、気にせず眠る。

 平らな石に敷かれた毛布は、治した怪我人の家族が差し入れてくれた物である。彼らの心遣いに包まれて深い安らぎを得るのでしょうか……と衛兵は肩を竦める。毛布を得て、近頃の彼女は落ち着いたのですよと彼は言う。

 差し入れが来た日とエノアがネロウェン国に来た日が同じだったことに、衛兵は気付いていない。

 彼はエノアを連れて石造りの通路を進みながら、

「最初の頃は、男たちに襲われもしたものです」

 と語った。

「ですが彼女にかかったら、大の男が赤子同然ですよ。みぃんな、のされちまったし、しかも魔女殿についてる鳥が汚らしくて、やかましい。今じゃ皆、敬遠してます」

 なるほど戦場で出会った魔女の迫力が健在なら、並の男は近づけまい。それに加えてケーディの見た目だ。しかも魔女の迫力だけでなく、昨今の“治癒”を施す彼女には高潔さも漂っているようで、衛兵は「一目も置かれていますよ」と言葉を足す。

「綺麗な花にゃあ毒があるって例えが、ありましたっけ?」

 衛兵が調子に乗って、振り返っておどけたが、すぐ真顔に戻って前を向いた。相手が顔の見えない黒マントでは、おどけ甲斐がなかったらしい。通路の暗さも、冗談に適していない。

 ネロウェン王宮内クーナ宮。牢獄が並ぶ建屋の一番奥に、ラウリーがいる。

 格子の中のラウリーはベッドに座って、辿り着いた2人を見もせずに、かたわらのテーブルに手をかざし、何やら呟いている。テーブルにはコップが置いてあり、彼女の握りこぶしから落ちてくる雫を受け止めている。

 ベッドとサイドテーブル。不浄場所。牢は意外に広い。ご丁寧に、止まり木まで設置してある。だが本来いるはずの相方、ケディの姿がない。牢の窓は、ケディ用に開け放してある。ラウリーに対して、脱出防止措置など意味がない。だから牢の扉も開いている。

 ラウリーの行動に衛兵がつくのは、彼女が逃げないようにでなく、守るためだ。本当を言えば、それも不要である。だから、ただの形式である。その気になれば脱出も殺戮も容易い“ダナの魔女”を見張るなど、命を捨てると同義語である。

 夕刻の赤い影がせまる中、たった一本のロウソクに衛兵が火を入れると、ラウリーの手で雫がちらりと光った。

「お久しぶりです」

 ダナの魔女は、硬く言葉を紡いだ。

 彼女が着ている黒い長衣(ローブ)は汚れていて、よく見るとボロ屑同様である。そう見えないのは暗いせいと、着方のせいだろう。裾も襟も腰紐も、どこも乱れていない。足首を隠す几帳面さも、昔のままだ。

 エノアがネロウェン国に来たことを、彼女は『魔の気』で察していた。なのに会おうとせず、念話もよこさなかった。鎖につながれていても、オルセイに監視されていても、彼女ならエノアと連絡が取れるのに。力でなく手続きとしても、こうしてエノアが訪れられるぐらいなのだから。

 なぜラウリーがエノアと距離を置くのか、もう読めない。心を閉ざした彼女に魔力で押し入るのは無理だ。だからエノアも、今まで来なかった。

 季節は、ライニの月になった。これがロマラールなら少しは過ごしやすくなっただろうが、砂漠の国には熱気がこもっていて、秋を感じさせない。だが収穫は始まっており、雨も降ったことで、人々の心に豊かさが戻った。戦争が終わって、徐々に平和が戻るのだという期待も感じられる。

「どうぞ」

 衛兵が、ラウリーの向かいに絨毯を敷いた。あぐらを掻いて座ると、目前にコップが置かれた。半量ほどの水が揺れる。魔力で練りだされた水は、牢内と思えない清涼さでキラキラと輝いている。ラウリーはベッドに座りなおして、膝の上に両手を重ね置いた。

「無駄に魔力を使うな」

「今の私がエノアに水をふるまう行為は、私のために必要なのです」

「……」

 エノアは一口、水を含んだ。

 いい味だ。ライニの慈愛に満ちている。この水を民に作っているのなら、民にとってラウリーは魔女でなく、女神のごとく見られていることだろう。

 実際ネロウェンに来てから聞く“ダナの魔女”の噂は、「恐ろしいそうだ」とか「王の慰み者なのだろう」といった、根拠のない中傷ばかりである。実物を知る者は「優しい」、「大人しく服役中だ」と教えてくれる。真実は明白だ。

 ならば、なぜ今になってから、やっとエノアの方から会うことにしたのか。

 待てるぎりぎりまで待っていただけのことである。かたくなな彼女の心は、もはや時間だけでは溶けない。だが体の方は、時間に蝕まれているのだ。夏中かけて見守り、これ以上は手遅れになると踏んだ。

 エノアがネロウェン国に来た本当の理由は、ラウリーにある。オルセイへの助力も間違いではないが、ラウリーへの助力も同等に必要なのだ。壊れてしまっては、肝心の浄化もなせなくなる。クスマスとシュテルナフの目的は違うのでラウリーを助けないし、もっと言えば、ラウリーを壊してオルセイへダナの力を戻せないかと思っている節がある。

 こちらに来てから、彼らにも会った。

『ラウリーへは、魔法を施さないのだな』

 その時に会ったのはクスマスで、エノアは一度だけ、彼に訊いたのだった。

 クスマスは言った。

『魔道士になるかも知れんのなら、放っておくのが流れだ』

 なるほど、そんなことを言った記憶はある。魔道士の言葉として聞けば、合点が行く。だが俗世から見ると嫉妬かと思える。クスマスの真意も、もはや読めない。

 その点からすると、シュテルナフの方が答が明確だった。彼はオルセイに仕えているからと断言したのだ。ディナティに、ではない。あの少年王が好きだからと言って笑ったクスマスとの差は大きい。

 我を律するが生業の魔道士でさえ、これだ。

 ましてダナ神に囚われた娘の心中など、わかるべくもない。

「いい水だ」

 エノアは丁寧に飲み干して、テーブルにコップを返した。それから、背後に立つ衛兵に「外してくれ」と声をかける。ラウリーの気配が、彼の退場を望んでいたからである。

「かしこまりました」

 衛兵は素直に遠ざかっていった。従うようにとでも命じられていたのだろう。

 彼の足音がなくなると、人の気配もなくなった。この階には、誰も入れられていないらしい。離れた場所には囚人たちの恨みつらみや悲しみ、うめきなどがひしめいている。こんな感情を毎日あびせられていては健常者でもおかしくなるだろうし、感受性が強ければ確実に衰える。

「元気そうだ」

 エノアばかりが喋っているという、限りなく胡散臭い事態だが、言葉は本音だ。もっとひどい姿を想定していた。憔悴しているものの、『気』の強さに見合うだけの力が、瞳にある。やもすれば神々しいほど充実している。毎日、張り詰めているせいだ。

「ケディは不在か」

 ラウリーの顎がわずかに動いた。

「外してもらいました」

 背を正したまま、硬く応える。

 勝手に不在なのでなく、ラウリーが頼んだ。ということは、それなりの会話をかわす覚悟がラウリーにあるのだ。水をふるまった言動にしても、エノアを避ける理由が負の感情からではないと分かるので、おそらくは、彼女なりの心構えと察せられる。

 ローブの隙間に見える肌には、色とりどりの痣がある。“治癒”で消えるだろうに残してある理由は、自戒か見せつけるためか。いや理由など、ないのかも知れない。自身に魔力を使うのが惜しいだけかも知れない。

 エノアの喉を潤す魔力は、惜しくなくても。

「強くなった」

 これもエノアの本音だった。

 例えダナ神を取り込んだためであっても、自分の一部となった『力』を自制し操ることは、ラウリー自身の力だ。でなければ、とうに暴走して国を破滅させていたかも知れない。オルセイでなく、ラウリーが。

 今後も破滅の危険を抱え続けているわけだが、自覚は痛感しているようで、彼女は、自嘲的な口調になったのだった。

「こんな強さ」

 要らなかった、と言いたげな顔である。

「力を欲していた」

「兄を救う力を」

「救っている」

 ラウリーが止まった。

 望んだ『力』では、なかっただろう。不本意な助力だろう。だが彼女は今まさに『力』を得て、兄を補佐している。自害せず逃げもせず、オルセイに尽くしている。

 (はた)から見ればラウリーは、充分オルセイを救っている。

 ふいに彼女の顔が歪み、すぐ元に戻った。

 ロウソクが揺らいだ。

 葛藤か。

 エノアはラウリーから目をそらさず、フードを外した。あぐらを掻いているが背筋を伸ばしているので、低いベッドに座るラウリーとは、ほとんど目線が変わらない。

 ラウリーの方が、目をそらしてしまうほどに。

 顔を赤らめて目を伏せて、唇をきゅっと引き結ぶ彼女の表情を見逃さないまま、エノアは続ける。

「去年クラーヴァ城から去ったお前を、“皆をダナの魔の手から救うため人身御供になった”と解釈した者もいた。その後ダナの魔女と呼ばれ戦場に出たお前を“無駄な犠牲を抑えるため戦ったのだ”と賛美する者もいた。ネロウェン国に戻り服役しながら人助けに従事するお前を、“身を挺して皆に尽くしている”と称える声もある」

「そんな、」

「だが」

 エノアは強い否定で、ラウリーの謙遜をさえぎった。

「クラーヴァ城から去ったのはオルセイを選んだからであり、戦場に出たのはディナティを勝たせオルセイに力を吹き込むため。服役も、逆らうより従う方が丸く治まるからだ」

「……っ」

 ラウリーは目を合わせないまま、声を詰めた。

「すべて自分が選択した。が、お前は仕方がなかったと言い訳をして、楽をした」

 声を詰めたまま、ぎゅっと唇を噛む。血が出るほどに。口の端から流れた赤い一筋は、語るより雄弁にラウリーの反発を示している。

 それでもエノアは黙らない。

「本来の道は分かっていよう?」

 そして、それでも、ラウリーも答えない。問いには、答えられるはずだ。でなければ分かりませんと言う。まっすぐな娘だ。

 まっすぐだからこそ、避ける術を知らなかった。避けず、真っ向から取り組んだ結果、彼女は体を虐めて罰を背負うことでしか、罪を払拭できなかった。だが罪は拭いきれず、ラウリーをさいなむ。

 さながら最後通告のように、エノアの声が響いた。

「向きあえ」

「してます!」

 弾かれたように上げられた顔は、だが、すぐに下がった。

「いえ……逃げてたかも」

 ポツリと吐かれた後に続く言葉は、ない。

 どこかで落ちた雫の音が、ひそやかに響いた。

 怒りの矛先はエノアではない。ましてオルセイでもなく、世間などという漠然とした相手でもない。

「戦うべき敵は、自分の中に在る。過去にしがみつくな。助けを乞うな」

 エノアは淡々と詰め寄る。硬くなっていくラウリーに気付かないかのように。

「誰もいない」

 お前の代わりなど。

 いつか誰かが現状を打破してくれると期待していなかった、と……言い切れるだろうか?

 誰かが。

「エノア」

 ラウリーが肩を落として呟いた小さな声には、観念が見える。責められて憤って騒がしかった『気』が、静寂をとり戻す。拒んで硬直していた気が、ふわりと緩む。萎れるのでなく、あくまで緩んだだけの強い気性は変わらないままに、魔女が微笑む。

「魔道士ですね」

 柔らかい表情の中に、エノアの知るラウリーがいた。今は、これで充分だ。

 だが、さっそく魔法を使おうと座りなおしたエノアを、ラウリーが唐突な告白で遮った。

「近親相姦は異常だわ」

 何の感慨もなかった。

 事実の報告に過ぎない。

 誰のことだと、いぶかしみたくなる淡白さを、エノアが「そうか」と、これまた何の感情も見えない冷静さで返す。

 切り出したのは意外だったが、予期はしていた。

 エノアの穏やかさに安堵したのか、ラウリーが息をついた。

「気付いたのは最近です。自問自答してみて行きつきました」

 どれほどの自責と苦慮を繰り返したのかは、想像に難い。それでも行きつき、こうしてエノアに告白できるほど意思が固まってしまったのだ。容易には、くつがえらないだろう。

「2人ともを同じ重さで、違う色で」

 愛している。

 声にならない声で唇を動かしたラウリーは、出会った頃と変わらない瞳でエノアを見つめる。苦笑して弱々しく肩を竦める仕草は、昔の彼女に備わっていなかった。愁いを帯びた女性になったが、目の輝きが衰えないうちは、印象が変わらない。

 大丈夫だ、あなたは狂っていると太鼓判を押すこともできない。

 事実関係がなくても、ないことの方が辛かったりもする。誰よりも自分自身に嘘がつけない、心の問題だからこそ。

 人は誰しも最初から不完全で、不完全なまま死んでゆく。

 エノアが黙したので、ラウリーは仕方がなく苦笑する。笑みを歪めて、彼女は吐き捨てた。

「自分の感情なのに、思い通りにできない」

「だから神の域なのだ」

 憎しみのダナ。

 怒りのイアナ。

 悲しみのニユ。

 愛の、マラナ。

 ラウリーはさらに眉をしかめて皮肉げに、くっと息を漏らした。

 初めは緊張感と違和感に包まれていた牢の空気が、意見を違えたにも関わらず調和した2人の『気』によって、丸く爽やかに流れだす。満足したかのように日が落ちて、ひときわロウソクが浮かび上がる。いつの間にか赤かった夕暮れが紫色へと変わっていた。どこからか羽ばたく音も聞こえてきた。もうすぐケディが窓から戻る。

「嫌いだわ」

 首を傾げて『気』を緩める娘に、エノアが手をかざして詠唱を始めた。

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