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2-7(不安)

 すっぽりと茂みに覆われている洞窟の出入り口は、見るからに「いかにも」だ。

 さすがに2人は身を隠して、遠目から様子をうかがった。男たちが運んでいる荷物の何かがグールの気に障るのか、2頭がうなってしまってどうしようもなかったので、とりあえず少し離れた木の枝に縄をくくって、グールが寒くないように上着をかけてやってある。

 船から荷物の積みおろしをしている男たちは、この洞窟の側に馬車を用意していて、そこから荷物を出したり入れたりしていた。洞窟の奥に例の船があるものと思われる、ここが隠れ港の入り口というわけだろう。

 今クリフたちの目の前にある馬車は、船の怪しさに比べてずいぶん地味な商人風の車だった。車の御者席に座ってゴーナの手綱を握っている男もおとなしい格好をしていて、船の男たちの汚い服とは相当違う。

 それらの様子にクリフは嫌な単語を思い浮かべ、否定してもらえると良いなぁと思いながら、オルセイにささやいた。

「海賊か?」

「嫌なこと言うね、お前」

 オルセイが顔をしかめた。どうやら、彼もそう思ったらしい。2人が見てそう思ったのだから、あながち気のせいではない。

 2人は“海賊”という言葉を、言葉だけ知っているものであって、どういった格好などとは見たことがない。日頃狩人で鍛えた勘が、彼らの雰囲気を「怪しい」と判断したのだ。冬服ではあれど、布の下に隆々たる筋肉が詰まっていることがうかがえる。そんな男たちが何人も寄り集まっていて、ただの商船と思う方がおかしい。

 クリフはオルセイの服の裾を引っ張り、後退した。

「退散」

 短く言う。言うまでもない、と思ったが。

 国へ行くかどうかどころの話ではない。こちらは護身用のナイフを買っただけで、他に武器を持っていないのだ。見つかればどうなるか分かったものではない。

 ところがオルセイは後方のクリフを掴み、

「待て!」

 と引き止めるではないか。

 まさか海賊相手に、船に乗せろと言い出すのではあるまいなとクリフが怪訝な顔をすると、オルセイは洞窟を指さした。

「見ろよ」

「?」

 もう一度同じ葉陰に顔を寄せて、目を凝らす。クリフは黙って驚いた。

 その後ゆっくりと、名を呟く。

「ルイサ」

「間違いない」

 オルセイが頷いた。

 荷物が一杯になった馬車と入れ違いに、新しいゴーナが車を引いてやってきた、その車から降りてきた人影がルイサだったのだ。腰までなびく金の髪と、あでやかな雰囲気。彼女が持つ独特の『華やかさ』は、洋服を地味にしても、なおにじみ出る。一度見た「踊り子」の姿は、脳裏から消そうとしても消せるものではない。彼女に対して男たちがへりくだっていた。

 この森に入るなと忠告した当人がここにいる。あの女も一味だったのだ。様子からすると頭領なのかも知れない。船の存在を知られないように、クリフたちに「来るな」と言ったのに違いない。クリフは険しい顔をした。

「行こうぜ」

 クリフが声を出した瞬間だった。

「?!」

 景色から目を離したクリフと違い、食い入るようにルイサを見ていたオルセイは、ぎょっとして茂みから顔を引いた。

「どうした?」

「ルイサがこっち見た」

「え?」

 クリフもぎょっとした。まさか、見つかるはずのない距離だった。クリフたちのように研ぎ澄まされた感覚を持っているなら、その気配を読むこともできるかも知れない。しかしクリフたちは動物を相手にする稼業のため、ある程度気配も消せる。それを分かるとは、到底思えない。

「気のせいさ」

「──あれでもか?」

 とオルセイが言うので、再度クリフが茂みから洞窟を見ると、何とルイサがこちらに向かって歩いて来るではないか。男たちの誰かがというのでなく、ルイサ自身が歩いてくる。しかも不審な物音を聞きつけて、という感じでなく、優雅に、微笑みを浮かべているのだ。

 どうやら、気のせいではないらしい。

 どうする? という顔でオルセイがクリフを見た。クリフも同じ顔をして、肩を竦めた。

 茂みをかき分けられて、しゃがんでいるところを発見されるのでは、格好が悪すぎる。2人は観念して立ち上がった。

 ルイサはまったく驚かず、2人に笑いかけた。

「来たわね」

 いつかの時と同じ言葉だ。自分たちの行動は彼女に筒抜けなのかと思うと、気分が悪かった。それはモロに顔に出たらしく、ルイサはクリフにウインクして見せたのだった。

「怒らないの。面倒な女に目をつけられたと思って、諦めなさい」

 自分のことを「面倒な女」と言ってしまう辺りが憎めない。クリフの不機嫌は持続せず、オルセイも苦笑したのだった。

「それで、どうすれば良いんだ?」

「交渉しましょ。洞窟の向こうにある船は見た?」

 クリフが頷いた。見なかったことにしても、それで退場できるとは思えない。それにどうせ、ポーカーフェイスは通用しないのだ。もっとも、そんな特技もないが。

「あの船が何か、想像していて?」

 ルイサが腕を組んだ。

 洞窟の入り口に立ったクリフとオルセイの2人を男たちが取り囲み、どうにも落ち着かない。腕一つ動かせない雰囲気なのだ。男たちは一様に面白くない顔をしていたが、その顔に怖じ気づくのも嫌なので、クリフはなるだけ平然とした。見るとオルセイもそう思っているのだろうか、表情は穏やかだ。

 いや、こいつはこの状況を楽しんでいるかも知れないな。

 クリフは内心そう思った。

 オルセイが言った。

「想像でしかないから、変なことを言ったら気を悪くするだろう?」

「こいつ!」

 周囲の男が気色ばんだ。彼らを鎮めて、ルイサが振り返った。

「まあ良いわ。あなたたちがこの船に乗る気なら、追々分かることだから」

「乗る気なら?」

 クリフが眉をひそめた。まさかとは思ったが、どうやらそのまさからしい。

「この船は、ヤフリナ国に行くの」

「ほう」

 オルセイの声は素っ気ないが、クリフには分かった。オルセイは喜んでいる。港をさんざん歩いて探して、なかった船だ。今これに乗れるなら、海賊になりかねない。

「それだけじゃないわ。その後、ネロウェン国に行く予定なのよ」

 決定的だった。

 クリフは観念した。

「どんな交渉だ?」

「それは秘密」

「おい!」

 思わずクリフは一歩足を踏み出した。その彼の肩に手がかけられる。気配は分かっていたので、クリフは振り向きもしなかった。自分の後ろに立っていた男だ。肩から感じる手の大きさや力加減などで、男の体格や実力は、ある程度想像がつく。クリフはその手を振り払った。

 明らかなケンカの売り方に、周囲も色めきだった。クリフは、ずっとルイサを睨んだままだ。オルセイも展開を予知しかねて顔をこわばらせた。

 するとクリフに手を払われた男が、

「やるか?」

 拳を握った。

 ルイサが「うふん」と笑って、顎を触った。けしかけたのだ。

「まず条件として、ギムに勝ったら船に乗せてあげるわよ」

 ルイサの横にひかえていた大柄な男が、ずいと前に出た。クリフたちの一回りは大きい体を持ち、濃い髭を生やし、いかにもという風体だ。ケンカ好きそうな顔をしている。

 そっちの展開かぁと思ったオルセイは肩を回して体を整えた。

 クリフは直感的に、オルセイにギムという男を譲った。

「どうぞ」

 どう考えても、自分の後ろにいる男の方が、このギムより小柄で楽そうだった。

「げ。怒ってたのはお前じゃん!」

「あ、汚ねぇ。オルセイが船に乗りたいんだろ?」

 周囲を男たちに囲まれて険悪なムードの中で、突然言い争いを始めた2人に、皆が呆気にとられた。

 ギムと呼ばれた男が、短く刈り込んだ灰色の髪の間に手を入れて、ぐしゃぐしゃと掻いた。

「どっちでも良いぞ。何なら2人いっぺんでもな」

 がははと下卑た笑いが飛び交った。

 クリフとオルセイはかばんを肩から下ろし、腰のナイフも下に置いた。

「でもこのケンカに勝つだけで、他に条件がないとは思えんのだがな」

「ええ、そうね」

 クリフの問いに、ルイサはしれっと答えた。

 しかしクリフの怒りを遮って、その後に続く台詞を言う時のルイサの顔は険しく厳しかった。今までに見たことのない、冷淡な顔だった。ただの脅しに聞こえなかった。

「けれど、ここに来た時点で、あなたたちに決定権はないのよ。あなたたちを見つけたのが私でなければ、殺されていたことを覚えておきなさい」

 クリフはあんたでなかったら見つからなかったよと思ったが、その言葉は呑み込んだ。ルイサは遠回しに、断れば殺すと言っている。選択権も何も、自分たちにはない。

「まずは勝ちなさい。そしたら命が延びるわよ」

 ルイサは、また先ほどの軽い調子に戻り、恐いことを言ってのけた。そんなルイサに、ギムが振り返る。

「ルイサ。こいつらが勝つと思ってんのか?」

「思ってるわよ」

 ルイサは大きく3歩さがり、他の皆にも退くように手で指図した。場の中央にクリフとオルセイ、ギムとクリフに手をかけた男の4人が残った。

 ギムが上着を脱ぎ捨て、拳を固める。後ろの男も剣を外す音が聞こえた。

 クリフがオルセイの背中に回り、2人は背中合わせになって前後の敵と向かい合った。

 かけ声はなかった。

 助走もないのに、ギムは速かった。見た目より機敏だ。

 オルセイはすかさず身を伏せ、クリフも、背中の感触でそれを理解し、同時にしゃがんだ。互いに自分の右側に、バッと飛ぶ。突然散った敵に、ギムが戸惑った。髪の黒い方、つまりオルセイを狙う。出遅れたが、もう一人の男もクリフに殴りかかった。クリフはそれを左腕で受けて、右拳を突き出した。

「ぐっ」

 クリフに殴られた男が、体をくの時にした。

「そういや、自己紹介がまだだったな!」

 言いながら、ギムが腕をぶんと振った。オルセイはそれを間一髪で避ける。汗が舞った。

 しまった俺も上着を脱いでおけば良かったなどと思いながら、反撃の拳を打ち出す。ギムは右手の平でこれを止めた。

「俺はギム・ヨル」

「オルセイ・コマーラだ」

 自己紹介が聞こえたので、クリフも起きあがってくる男に向かって名を名乗った。

「クリフ……おっと」

「トートだ!」

 起きあがりざま、名乗りながら男が足を狙って蹴りを入れてきた。クリフが飛び上がって避けている間に、体勢を直したトートが再びクリフと向き合う。

「手加減はなしよ」

 楽しそうにルイサが声をかける。

 そこまで買いかぶってくれるのは嬉しいが、朝からずっと歩き詰めで、走ったりもしていたのだ。手を抜くつもりはないが、本調子でもない。そんなことを考えていたら、クリフの左頬にトートの拳が入った。

「手加減なしな」

 ようやくパンチが当たったので、トートは嬉しそうだった。ルイサの言葉は、全員に言ったものらしい。クリフは苦汁を舐めながら、自分が図に乗っていたことを反省した。すぐに体勢を整え、気を引き締める。トートのパンチは重かった。決して、雑魚ではない。

 フットワークは軽く、踏み込みはしっかりと……そんなことを頭の隅で考えながら、トートの動きだけでなく、オルセイとギムの様子も目に入れる。やみくもに動けばぶつかるからだ。

 ルイサは、4人の打ち合いを少し離れた場所から満足そうに眺めている。その横にすっと立った人影に、ルイサが顔を動かした。影の主を認めて、破顔する。

「お久しぶり」

「お久しぶり。仕事は順調?」

「ルイサ、誰に向かって言ってんのさ。順調でなかったら、今頃ここにいないって」

 相変わらずの減らず口だ。ルイサよりさらに軽快で小気味良い娘の早口に、ルイサは顔をほころばせた。

 年の頃は、10代半ばか。その乱暴な口調が気にならない気さくさがある。

「あいつら? ルイサが言ってた奴らって。ギムから聞いたよ」

 娘の喋り方は少年のようだった。声も女性にしては少し低く、ハスキーである。日に焼けているのであまり気にならないが、顔にもそばかすがあり、あまり肌の手入れに気を遣っているとは思えないいでたちをしていた。茶色い髪が短く、手入れされていない風情なので、一見するとまるで少年だった。しかし大きく爛々と輝いている水色の瞳とふっくらした可愛らしい唇が、彼女を女性だと主張していた。

 ルイサとその娘が、戦うクリフたちを見た丁度その時、クリフとオルセイが同時に相手を殴ったところだった。トートはともかく、ギムは巨体なので、その彼が膝を折るさまは印象的だった。

 娘が軽く口笛を吹いた。

「やるねぇ」

「良い人材でしょう?」

「例の件に使うつもり?」

「そのつもりよ」

「悪党」

 娘が意地悪く言って、笑った。

「持ちつ持たれつ、よ。あの子たちがネロウェン国に行きたいって言うから、その代わりに私の仕事をお手伝いしてもらうだけの話よ」

 ルイサが腰に手を当てて威張る。娘は苦笑しながら肩を竦めた。

左様(さい)で」

 と言った言葉は、ギムの吼えた声にかき消された。周囲から歓声が上がった。興奮は最高潮といった感じだ。

「飛べ!」

 オルセイが叫ぶ。

 トートの拳をかわしたクリフがオルセイに向かって飛び蹴りをしかけ、オルセイも、クリフに向かって飛び、蹴りを繰り出した。

「嘘?!」

 女性たちの声が重なった。

 相打ちではない。

 空中で2人の足の裏がぴったりと合い、その反動で2人ともがさらに高く飛び上がったのだ。これにはさすがに全員がどよめいた。大道芸でもこうは行かない。

 クリフはトートの後ろに、オルセイはギムの後ろに降り立ち、その際に、背中を蹴りつけた。クリフらに向かって突進していたので、足が止まらず、ギムとトートは体を衝突させてしまった。

 ギムらは、顔を真っ赤にして怒った。痛いだとかいうことより、今のはあまりにも無様である。思ったよりパンチは当たらないし、思ったより強いし。こんなはずではなかったのに!

 ここでギムたちが、クリフたちの本当の強さに気付かなかったのは誤算だった。打ち合わせもなしに、戦っている最中に2人同時に飛び上がり、互いの足を踏み台にして飛ぶという芸当が、どれほど高度で力のいることかを考えなかったのだ。冷静であれば分かっただろうに、今のギムは頭に血が上っていた。

「うがあ!」

 闇雲に殴りかかれば、返り討ちに遭う。ケンカは冷静にするものだ。

 それをギムが思い出したのは、返り討ちに遭った後だった。同じく倒れるトートの姿も、目の端に映った。だらしのない顔をしている。自分もあんな顔になっているのだろうかと仰向けに倒れながら、ギムは思った。

 土埃が上がった。

 最後の一発は交差していて、クリフらは互いの相手を替えて殴りつけていた。ギムを最後に殴ったのは、クリフだ。容赦のない重いパンチに、ギムは爽快感すら味わった。

 自分たちの仲間が2人一緒に地に伏して立ち上がらないのを見て、周囲は動揺した。さすがによそ者に送る拍手はない。土埃がおさまるまで、奇妙な沈黙が続いた。皆、信じられないものを見ている顔をしていた。

 クリフたちは服の袖で汗を拭い、鞄を拾って肩にかけた。かけている時に、拍手が2つ聞こえた。

 一人はルイサだ。

 もう一人は、先ほどまではいなかった顔だった。クリフは眉を寄せた。少年にしろ少女にしろ、この場のこの状況にそぐわない年の子である。ラウリーよりも若く見えた。

 そんなことを考えている間に、倒れた2人がうめきながら体を起こした。

「大丈夫か?」

 親切にもオルセイが手を差し出す。それはかえって嫌味だと思ったクリフは、彼らから少し離れたまま、様子を見守った。

 案の定トートはオルセイの手をパンとはねのけ、

「まだだ!」

 と起きあがろうとする。

 しかしギムが、そんなトートの頭を叩いた。

「勝負はついた」

 そして引っ込めかけたオルセイの手を力強く握り、立ち上がったのだ。

「良いパンチだった。ルイサ。合格だ」

「2人とも?」

「たりめーよ」

 どうやらこの場でルイサの次に偉いのが、ギムらしい。おそらく皆の中でも一番強いのだろう、一目置かれている雰囲気がある。そのギムがオルセイたちに対して折れたので、皆も認めざるを得なくなった、という感じだった。

 周囲の男たちが散らばり、檻が解除された。息苦しさが消え、解放された気分を味わった。

 ルイサが一歩進み出て、晴れやかな顔で2人に手を差し出した。

「秘密海兵団“ピニッツ”へようこそ。歓迎するわ」


 3章「白銀の鏡」に続く

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