4-4(符合)
ラウリーの魔力を封じようとしたエノアをクスマスが攻めて、必然的にクスマスの動きはエノアが止めることとなり、クリフとラウリーの戦いに邪魔は入らなくなった。入ろうとしても、2人の激しいせめぎあいには他を寄せつけない迫力がある。無謀に攻めた兵もあったが、すぐに合間でいなされただけだった。
周囲の者たちは、互いの主君を守るように、互いの敵を討ってまわった。まるでクリフらを中心にした渦が大きく巻いて揺れているような光景だった。見おろすならば。
木に飛び乗ったエノアはすぐに光景から目を離して、クスマスへの一撃を試みる。落下の速さを利用したが、腕力でしのがれてしまった。どうしても決定打が繰り出せない。魔力を封じれば勝てるかというエノアの読みは、甘かった。ラハウとは、わけが違う。
「まったく」
苦笑するのは、水色の魔道士クスマスである。
「あいかわらず、くそ真面目なヤツだ」
エノアは取りあわない。
「魔力さえ出さなければ出てこないと思ったんだがな。お前は」
「お前が参戦しなければ私も退く」
クスマスは投げられたナイフを避けて、肩を竦めた。彼の背後で、誰かが悲鳴を上げた。見なくとも分かる、きっとネロウェン兵だ。
「エノアともあろう男が、一国に加担するとは」
言いながら、クスマスは巨大な斧を一閃させた。魔力を封じられてもなお腕力を駆使するクスマスの底力は、計り知れない。完全にエノアの読み違えである。魔道士の村にいても、個々の交流はないに等しいのだ。干渉せず心を配りもしない、ただ存在しているだけの魔道士。
エノアの黒マントがひるがえる。その端がわずかに裂けただけで、斧はエノアの体に届かなかった。だが、マントの端が裂けたのだ。完全には避けきれなかった。
「必然だからだ」
「分かるよ」
クスマスは素直に認めて頷く。元来、ナティを守護に持つ男だ。カラリとした性格である。
「勝ちたいんじゃない。お前がクラーヴァに入って、やっと均衡が取れるからだ」
エノアの表情は、ナイフを構えたまま変わらない。
「と思ってるんだろう?」
語尾が荒くなり、再び閃光が走る。2筋の光が交差して、水色の髪がひとふさ宙に舞った。目尻には血が垂れた。
「退かぬか」
エノアのそれは問いかけでなく、落胆に似た響きを持っていた。血を拭いもしないまま、クスマスは顔をほころばせた。
「あいにく私は、あの少年王が好きでね」
おもむろに斧を振りまわす。エノアは木々を縫うようにして避けた。斧は、斧らしく木を打って倒し、森に轟音をとどろかせた。舞いあがる木の葉や土煙に隠れながら牽制しあい互いの隙を探って攻撃するものの、どれも急所には至らない。
木の枝に飛び移って、木の葉が舞い飛ぶ。地面を蹴って草が舞いあがる。木の皮を削り、土を蹴り上げ、汗が飛んでも、勝負は平行線だった。わざと平行に均しているのかと思えるほどに、一進一退である。
手が止まった時、クスマスが呟いた。
「これが俺の平等だ」
エノアも少しだけ、手を止めた。
「少年王は幸運に好かれる男のようだ」
その言葉に、幸運の魔道士が破顔する。
手に馴染ませるように斧を一振りしてから、クスマスは再び声を上げた。
「では安息に好かれる男には、安息が訪れるかもな!」
からかうような口調に、エノアが顔色を変えることはなかった。だが、さっと緑の目が走ったのを、クスマスは見逃さなかった。エノアは「しまった」などと言わないが、視線からして失態を感じているのは明らかだ。
彼らは戦いながら、戦場から遠ざかっていたのである。戦いの余波に見せかけて木を切り倒して、感覚を鈍らせていたのだ。封じたつもりの魔力も、完全ではなかったようである。
惑わされた。
「魔女が英雄を屠るまでの間さ」
クスマスは斧を横になぎ払った。エノアはふわりと飛ぶ。空気を含んで丸く広がったマントの中から、ナイフが飛んだ。斧を振りきって体勢を戻せないクスマスは、それを手で叩き落とした。
「っ!」
切っ先が、彼の指を傷つける。あり得ないほどの熱さが、傷口からほとばしる。刃が肉を切った痛みだけではなかった。毒が塗ってあったのだ。
だがクスマスは笑顔を崩さない。笑顔の維持が、優位の証であるかのように。
「私の足を止めても、大きな流れは変わらぬぞ」
「変える気などない」
淡々と吐き捨てて、エノアが動きを変えた。クスマスは息を飲んで腕を振りあげた。飛び道具のエノアが懐に飛びこんでくると思わなかったのだ。手にした斧の柄が、エノアの手に握られている短剣と絡みあった。
ナイフ以外の武器がマントの下にあると注視していなかったので、クスマスの表情が歪んだ。しかも秀麗な翠の瞳が、至近距離で自分を睨み上げているのだ。違う意味でも、うろたえてしまう。
エノアの美貌は、魔道士の中でも特別だった。人ならざる荘厳な空気は、魔道士たる特有のものである。好む好まないに関わらず、そうなる。
それを言えばエノアの造作も本人の好みではないのだろうが、彼の作りだけは精巧で完璧で、どこか人形じみてすら見えるものであった。人形だなどと見えない理由は彼の毒舌と、鋭い瞳が持つ存在感に他ならない。気配を消そうと思えば、いないかのようにまで消せる。だが主張をすれば、やもすれば世界を包みこんでしまいそうな大きさを、かもし出せることだろう。
実際には、そこまでの力を放出する彼など知らない。だが、やろうと思えばできるのではないだろうか。
むろん、やってもらっては迷惑なのだが。
退いたエノアが言葉を続けていた。
「3歩が2歩になればいい」
変えはしない。歩みが遅くなれば、それで構わない。そう言いきるエノアの真意は読みとれない。
要するに時間稼ぎか? と揶揄しかけたクスマスの無駄口は、叩けないまま引っこんだ。エノアの剣が立て続けに迫ったのだ。
鋭い打ちあいが響く。
エノアの速さもさることながら、それをすべて防ぐクスマスの体力も異常である。巨大な斧を自分の腕のように自在に振りまわす動きに、まだ衰えはない。
エノアはわずかに、クスマスの手元を見た。
指輪が光っている。
視線に気付いたクスマスが、指輪をかざして見せた。
「返してもらった」
水色の石がはめこまれている。今のラウリーにはイアナの剣があるので、不要になったのだ。
「自分の守護石が一番、力が出るからな」
魔道士同士の力比べなら、元来の力が同等なら、後は魔石を持つしかない。それが神石で、しかも数が多ければ強い、という寸法だ。さらに自分の守護月の石なら、なおのことなのである。
数を持っているのはエノアの方だ。クーナの鏡と、ライニの水瓶から取った水の小瓶が懐に入っている。だが諸刃の剣である。神石を持つのは、例え魔道士でも力の要る恐ろしい行為であり、それが2個ともなれば、抑制力を失った途端に自分が食われて死にかねない。本来ならば。
軽々とこなしている者が多くなり、つい自分の分を忘れてしまいそうになる。
魔道士ですら。
「さあ」
おもむろに息をついたクスマスは、斧を下げて右手をかざした。来る、と思った瞬間には、もう吹き飛んでいた。避けられず、腕で防御するのが精一杯だった。魔法の発動が早い。
エノアのぶつかった木が、みしみしと音を立てて倒れた。それでもエノアは即座に身を起こして、横に飛んだ。エノアの落ちた位置に、第2波がくり出されていた。
魔石の影響から、2人の周囲には動物の影どころか虫すら見あたらない。
微笑むクスマスの目には、一種異様な光が宿っている。
「魔道士らしく、我々は魔法戦と行こうじゃないか」
そう言った彼の胸には、マラナ神の青いブローチがあった。
◇
「魔力が動いた」
小さく呟かれた声は、甲高いダミ声である。
「クスマスか」
ダミ声はあまつさえ、舌打ちまでしている。
魔道士らが戦う森から遠くない場所で、その者は魔力を感知していた。眼下には、様々な人種が入り乱れて斬りあう惨劇が広がっている。彼の呟きを聞く者はいない。いや、ひょっとすると紫髪の娘が聞いたかも知れないが、今は返事をする余裕もなさそうだ。
このまま俺が離れて行っても、あいつ気が付かないかも知れないな。
……などと思っても、実行しないところがケディの性分である。魔力ある鳥は戦いを避けて、木の上に避難している。ラウリーの肩になぞいた日には、瞬殺される。頭上でも危険だし、旋回などという疲れることもしたくない。
じっくり戦況を見守って、分が悪くなったら逃亡するさ……と、この鳥は表面上では強がっている。
本音を言えば、手助けしたくとも入りこむ隙がないのだ。クリフとの戦いは五分五分である。根比べを見ているような打ち合いになっている。少しでも気力が途切れたら負ける、というような緊迫した空気をまとっていて、どちらの剣にも無駄な動きがない。
芸術的ですらあった。
絶妙の、ここしかないという一点で交わる剣と剣の鳴りひびく、つばぜり合い。やもすれば音楽に聞こえた。激しくかき鳴らされて高まり、甲高い音を立てて離れる2人の間に、余韻が残る。イインと響く木霊が消えないうちに、また2人がぶつかり、重低音を巻きおこす。
右に、左に。斜め上から振りおろされた剣は、勢いづいたまま一閃して、またクリフを襲う。力で受けとめると剣が欠けるので、クリフは剣を斜めに滑らせて、これを流す。流しきらないうちに剣を返して魔女の腕を狙ったが、これは読まれていて避けられた。
だがクリフも次が読めた。ラウリーはひねった身体を、肘を振って元へ戻す癖がある。脇が甘くなるのだ。クリフは蹴りを入れようとした。
「!」
慌てて踏みとどまる。イアナの剣が、クリフの足を切ろうと待ち構えていた。予想以上に速かった。
速さには追いつけていると思ったが、まだ昔のラウリーを体が覚えているようで、ついクリフのリズムが遅れてしまうのだ。もっと速く剣をさばかなければ、イアナの剣を持つ彼女の鋭さに負けてしまう。もっと速く動くことは可能だ。ラウリーの剣は、先読みできている。
動きやすい。
クリフは、ふと気付いた。
じっくり考えている余裕はなかったが、戦いに集中すればするほど、体が楽になるようなのだ。多くの兵らを斬り捨てて駆ける感覚とは違う。一人だけを相手に剣先を見つめて、自分の持てる技をすべて駆使する。鍛錬のためオルセイとした昔の真剣勝負に、これは似ている。
憎しみでなく。
まして、殺意などなく。
勝ちたいと思っているのかどうかも今では、自分で分からない。
一切の感情が消えていた。
楽しいわけではない。明らかに勝負は、一歩間違えたら即死するだろう段階まで来ている。たった一つ欲があるとすれば、この試合によって見られるかも知れない“境地”に辿りついてみたい、それだけだ。
クリフという個が消えて、まるでラウリーになったかのような一体感があった。鋭い閃光と共に走り、踊り、自分の剣と絡みあう。追うのでなく防ぐでもなく、自分の一部を操っているように、イアナの剣を読んでいた。
ただ受け流せば良かった。それだけで次が読めて、剣が研ぎ澄まされていくのである。
突いてくる剣を横に払うと、剣は生き物のようにうねって引き返してくる。絡めとって下に押しやり、限界まで押さえ込んでから一気に引きあげて体勢を崩させる。だがラウリーは崩れずにステップを踏んで、剣を中段に構える。クリフの剣は吸いこまれるようにイアナの剣と重なったが、それは吸いこまれたのでなく、ラウリーが先読みして構えていたからだ。
言葉をかわす以上に、多くの会話があった。
重なる剣の音。土を踏む音。風を切る音。すべてから、ラウリーの声が聞こえる気がした。すべてに、自分も言葉を乗せている気になった。2人がどんどんと重なっていく。
そこへ。
一瞬の隙ができた。
ラウリーの気が、乱れた。
隙の中に見えた感情は、戸惑いだったのかも知れない。彼女もまた気付いてしまったのだ。一切の雑念を捨てて剣の高みを目指しているかのような、際だった戦いだったことに。
イアナの剣が揺れた。
力の抜けた剣先が、若干、下がった。
ラウリーの手元がゆるんだのだ。右から左へ水平に振ろうとした剣に、ブレが生じた。
クリフは、ブレを見逃さなかった。ちょうど上段に構えていたクリフの剣は、恐ろしいほどタイミングが合っていた。重さも充分に乗っている。振りおろして起こるだろう現象は、予想できていた。
それでも現実は、非現実的なほどの衝撃を、持っていた。
「!!」
その瞬間、翠の目が見開かれた。
瞑想に漂うことが一番ふさわしいだろう切れ長の瞳が丸く開かれることなど、彼の一生にそう何度もない現象だろう。珍しい表情が見れた場面を、しかし唯一見ることができた男は、見ていなかった。
彼も水色の瞳を見開いていたからだ。
魔道士2人の戦いは、水を打ったように止まっていた。
瞬時に、2人は走っていた。走りながら、思い出したように戦いが再開した。エノアはクスマスより速くクリフの元へ、クスマスはエノアより先にラウリーの元へ到着しなければならない。
戦いながら遠ざかった道のりは、戻る方も戦いながらなので、なかなか近づけない。しかも行きより激しく本気で相手を近づけさせたくないのだから、近付かなくて当然だ。
あるいは無意識に、近付きたくないのかも知れなかった。魔道士はすべての現象をありのまま受けとめることを生業とする。見れば、受け入れるしかなくなる。それにより世界がどうなるかまで知ったことではない。
知ったことではないという覚悟が要るほどの現象が、待ち受けている。
魔道士たちは感じたのだ。
イアナの剣が折れた、と。




