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4-3(激突)

 三度目の正直を迎えて、クリフには気付いたことがあった。いや今まで気付かないふりをしていただけだ。ラウリーはきっと、ずっと昔からクリフが本気でないと知っていた。

 手合わせする時、彼女は口癖のように「手加減なしよ」と言ったものだった。

 ラウリーの剣は、言葉ほどに雄弁である。クリフを仕留めんとする鋭い太刀筋には、一片の容赦もない。速く、重い。

 本来ラウリーの武器は弓が主で、手合わせも短剣だった。ラウリーがイアナの剣を手にしていると知った時クリフには、わずかに余裕が生まれた。嘲りにも似た余裕を持ってしまった自分を、クリフは今になって恥じている。

 全滅させられたハーツ軍に、クリフは誓ったはずだったのに。


          ◇


「ダナの魔女が!」

 ソラムレア兵はたった一人、這々の体で走ってきた。クラーヴァ軍の姿を見るなり泣きついてきて、そのまま倒れ伏した。何日駆けてきたものかは想像に難い。キナの港町まで軍を進めていくのに、あと2週間はかかる、そういう時だった。クリフらが到着する頃には、間違いなく陥落しているだろう。となると戦いは、さらに厳しいものになる。

 ソラムレア兵が自力で逃げてきたのでなく見逃された者だと分かった時点で、予測は確定になった。彼はまっすぐに、クラーヴァ軍めがけて走ってきた者だった。

「伝言を、ことづかっています」

 ソラムレア兵は寝床の中から、クラーヴァ王に平伏した。彼の回復を待っていられない状況で、彼もまた、自分の回復で待たせてなどいられなかったのだ。

「イアナの英雄に伝えなさい、と」

 彼はクラーヴァ王の赤い髪を見すえながら、ダナの魔女が吐いた言葉を告げた。

「邪魔すれば、殺します」

 沈黙が漂った。

 おののいての無言ではなかった。

 クリフは落ちついて口を開き、「ネロウェン軍に見逃された位置と日時を教えてくれ」と応じた。王として平静を保ったのでなく、むしろクリフとして動じなかった。

 この期に及んで戦いを避けたがっているかに聞こえるが、どちらかと言えば意欲をあおっている。長い付き合いだ。ならば乗ってやるさと思ったまでだった。

 クリフが深呼吸したのは、はやる心を鎮めるためである。

 あのアムナ・ハーツが亡くなったという報告は、どうしてもクリフの気を荒げた。怒りなのか悲しみなのかも分からないほど、クリフの血は煮えた。今は味方となったが、あの男は、ハーツ軍とはいつか戦うかも知れないと感じていたのである。戦いたい男だったのである。

 ──ハーツ軍対ネロウェン軍のキナ戦は、まだナティの月だった。

 とはいえ日中は太陽が照りつけ、海の側ということもあって風がじっとりしている、戦に不向きな環境である。いくら革の鎧でも、汗をかけば重くなるし、体力も奪われる。

「うがあっ!」

 と、あの男が吼えた、という。

 狡猾かつ冷静沈着で、敵対した時も一緒に戦った時も、取り乱したりはしない男だった。ダナの魔女に相対し、魔軍の男に斬られて彼は無様に負けたのだそうだ。

 すべての条件が、悪く整ってしまった。

 ハーツ軍が船を出して戦ったこと。

 風が強かったこと。

 魔女を前にして、アムナが退かなかったこと。

 ハーツ軍はネロウェン軍が今回、大きな魔法を使用していないという情報を得ていた。前回を反省して魔法を封印してきたらしいと判断し、アムナは戦艦を出して防衛に臨んだのだ。

 一戦目は、上陸の阻止に成功した。深追いはしなかった。弾は貴重品である。

 2戦目が問題だった。

 ネロウェン軍は風の強い日を選んで、ふたたび沖からやって来た。なぜ、風が要るのか。彼らが、いくつもの小さな帆船に乗っていたためだった。

 それだけではない。風のせいで、矢も吹かれて効かなかった。しかも分散した敵には、弾を撃ち込むことができない。弾は当たらなければ爆発しない性質を持つのである。

 乗り移られてしまい、ハーツ軍は船を見捨てざるを得なくなった。ネロウェン軍の……魔軍の魔法が、あまりに巧妙だったのだ。

 アムナ・ハーツは以前に、自分の艦を燃やした娼婦がいたことを、忘れていなかった。あの時、どんなに小さくとも魔法とは魔のものなのだと、肝に銘じたはずだった。だが彼は、その娼婦が魔軍の頭であるとは知らなかった。知る術もない。同一人物になったのは、船に火が着いてからだった。

 小さな、小さな魔法で。

「……!!」

 アムナは艦のあちこちから上がる火の手に、呆然としたものだった。風が炎に味方して、一層激しく燃え上がる。持ちこまれた少量の重油と、魔力とも感知しない、わずかな火花。それだけで自慢の戦艦を落とされてしまった屈辱を、彼は2度も味わうはめになったのだ。

 腹の底から吼えた。

 憎しみが吹きだした。

 崩れ落ちる艦の中で、炎を背負って敵を斬った。

 それはネロウェン人も同じだった。ネロウェン軍に混ざるソラムレア人にとっても、ハーツ軍は悪の皇帝が残した汚点なのだ。払拭しなければ自由になれない。

 敵であれば斬る。ところ構わず刺す。炎の赤と血の紅で、視界は埋めつくされた。火事の熱と憎しみが、心を焼いて灰にする。急所だとか捕虜だとかの思慮はない。生きていれば、撃つ。

 陰惨な殺しあいが熾烈を極める中で、2人は出会った。

「魔女ぉ!」

 血に濡れたアムナ・ハーツが、紫髪の娘を捕らえる。炎上する甲板から皆が撤退していても、ダナの魔女も味方をかばいながら退いている時だったのに、アムナは執拗に追って行く手を阻んだ。

 ネロウェン軍の目的は船じゃなく、上陸だ。いくつもの帆船が浜へ向かっている。ハーツ軍の大将は船を見捨てて脱出し、キナ防衛の手段を講じなければならなかったのに。

 それでもアムナは、小娘に執着した。

 この女は2度も自分から船を奪ったのだ。居場所でもあり誇りだった戦艦を、こともなげに小さな火花一つで潰したのだ。アムナの受けた屈辱の大きさは、きっと誰にも分からない。本人でさえ分かっていなかった。

 いずれ船の戦力を使って祖国へ凱旋するのだ、と決意していた。2代目皇帝になりたかった。そのための王女を奪われて負けて、傭兵に身をやつし、それでもソラムレアの新政府と和解できなかったのは、一重にアムナの矜持が邪魔をしたからだ。

 アムナも貴族だった。低い地位が逆に彼の出世欲を刺激して、のし上がることができた。上がった末に掴んだ肩書きが、ソラムレア正規海軍艦長だった。船で出世しなければ、戦艦をソラムレアに連れて帰らなければ、アムナの半生はなかったも同然になるのだ。

 そして、なかったも同然になった今。

 アムナは、死に場所を探していたのかも知れない。

「……え?」

 炎と共に、炎のように暴れていた男が動きを止めたのは、魔女の一撃によってではなかった。

 しかもアムナは魔女と、まだ3度しか斬り結んでいなかった。一度は憎しみのままに、2度目で魔女が魔法だけではない、かなりの使い手だと悟り、3度目にして剣の美しさが目に止まった。赤い石を柄尻にはめこんだ長剣など、それだけで、ただの剣ではないと分かる。アムナにも魔石の知識ぐらいはある。

 魔女が持つにふさわしい剣じゃないか。と見惚れた一瞬が、アムナの一生を終わらせた。

 背中を砕かれたのだ。

 巨大な斧で。

 黒い男だった。

 よろめいて振りむいたアムナの腹に、それが食いこんだ。全身を酷使して感覚に乏しくなっていた彼には、最初ただの衝撃でしかなく、彼は腹の斧に首を傾げた。

 血が噴きだして痛みが襲ってきて身体が熱くなり、やっと自分は死ぬのだと理解した。

 たった2撃に、体が動かなくなった。

 黒い男が退いて、アムナに背中を向ける。魔女がちらりとアムナを見た。アムナは膝を折って体を曲げてしまい、2人を目で追うのがやっとだった。誰かが艦長と呼んだようだったが、声の方角すら分からない。地面を舐めないように顔を上げているのが、精一杯だった。

 不思議と、卑怯だとは思わなかった。男はごく自然にアムナを斬った。一対一の試合じゃない。ただ魔女が逃げていくことが、悔しかった。

 アムナはふいに彼女の名を思い出した。

「ラウリー……っ」

 血反吐と一緒に吐かれた言葉に、名前の主が固まった。ふり返るさまに満足して、アムナは彼女へ笑いかけた。笑いは、心中では高らかなものだった。

 反乱軍との戦いで、しきりに聞こえていた名前があった。切実な呼び声は、アムナの記憶に残っていた。

 見ろ、と叫びたかった。

 けれど叫ばずとも、紫髪の娘はアムナを見たままだ。無表情を努めているが、彼女の目に宿る色は畏怖である。アムナは喜びを感じながら最期の力をふり絞って、みずからの喉を剣に押しつけた。

 娘の、息を飲む音が聞こえた──気がした。

 剣先は喉から顎を通り、後頭部を突き抜ける手前で止まった。などという感覚も、他人事のようだ。痛みがなくなり、周囲も暗い。暗い視界の真ん中に、魔女だけがいた。

 魔女は無表情なまま、きびすを返した。死にゆくアムナには、彼女が見せた畏怖の目だけが誇りとして残った。


          ◇


 アムナ・ハーツがやけに清々しい死に顔をしていた、などとは誰も知らない。血にまみれて小さくうずくまって、彼は炎に巻かれて焼けた。直後、戦艦も沈んだ。

 ラウリーがクリフに向けた脅しをソラムレア兵に託したのは、上陸してからである。戦艦を逃れて待ちに入ったハーツ軍も、ほとんど全滅させられた、という。

 アムナの死に向きあったラウリーが、何を思いながら人を斬っているのかなど知るよしもない。だが、それでも攻め上がってきてクラーヴァ軍に仕掛けてくるのだから、あいかわらず覚悟は変わっていないということだ。

 生き残ったソラムレア兵がクラーヴァ軍に収容された2週間後に、その戦いは始まった。

 2週間後。

 キナの町の近くである。

 ネロウェン軍が進軍したところを襲った。魔軍が町に駐留するわけがない。効率よく主力をのみ叩くために、クラーヴァ軍は身を潜めて奇襲に打って出たのだった。

 とはいえ先方には、存在が露呈している。大した小細工もなく、ただ「ぶつかった」というだけの開戦だった。

 町を離れて2日の街道は、海に沿っていて、反対側に森を背負った道だった。軍が街道を離れて森に分け入って休みかかった、そこを攻めたのである。

 叫声と金属音が一気に森を起こし、朝露が赤く染まった。

 クラーヴァ軍は魔軍封じを第一としていたが、その区別はつけずに斬った。事前情報として魔法の発動していないことの他に、彼らが黒装束でなくなったと聞いていたからだ。

 だが、そんな中で魔軍の一人だろう男だけは、黒に身を固めていたそうである。クリフは巨大な斧を憶えている。参戦している黒い男は、おそらく魔道士クスマスだ。

 イアナの剣を持つ紫髪の女と、斧を振りまわす水色の髪をした男。いくら戦場が森の中で、一万人近くの人間が混雑しているからと言っても、彼らが敵の頭領な以上、会わないわけがない。生きていても、死んでいても。

 いっそ首だけになっていた方が諦めがついたのだろうか、とも、ふと思う。2人の対峙は、もはや必然であり、予定調和ですらあった。この対戦をなくして前進はない、とさえ思う。

 最初は彼女の望みだった。だが、いつしかクリフもまた、この時を待ち望んでいたのだ。

「ダナの……魔女」

 血を浴びた魔女は見るたび美しく、人を斬るにふさわしくなっていた。剣を持つために着こんだ鎧が、彼女を際だたせていた。凛とした目には、アムナの死も映ったはずである。なのに、いや、だからこそ、か。澄んだ、深い紫をしている。死をつかさどり人を見守る、神の色──。

 瞳が髪に隠れた。紫髪が風に踊っている。戦いの中で、ほどけたらしい。

 髪を払った彼女に、クリフは黙って自分の紐をほどいて差し出した。先端に幸運の魔石が編み込まれている、青い組み紐。

 ラウリーの組み紐である。

 近付いてくる魔女に向けて、クリフは紐を垂らした。

 2人の手は触れなかった。

 とても自然に、触れることがなかった。

 周囲の兵らが固唾を呑む、緊迫した静寂が森を包んでいた。生臭さの充満した森の中で、その一角は鮮烈ですらあった。

 髪をしばり終えたラウリーの一言は、響きわたった。

「殺したいわけないわ」

 風が吹いた。

 2人の間を、吹き抜けていく。

 組み紐が揺れて、クリフの髪もそよいだ。

 そよいだ髪が、凝視するクリフの目にちょっかいをかけた。赤い髪の間から、魔女の動きが見えた。斜めに構えて振りおろす剣の閃光が、幻のようにクリフの目前を通過した。

「ただ消したいだけ」

 剣を振りきった魔女は、それきり口をつぐんだ。

 クリフは右手で剣を構えたまま、左手で右頬を触った。手袋にべっとりと血がついた。ついた、どころではなかった。裂けて噴き出ているようなのである。わずかに目を落とすと実際、鎧が赤く染まって足下に血溜まりを作りつつあった。顎を砕かれなかったのが不思議なほどだったが、ひょっとすると砕けているのかも知れない。

 頬が熱すぎて、感覚が狂っている。

 お前と言おうとしたが言葉にならず、うなりが腹に響いただけだった。下手に動けば、頬の肉が剥がれ落ちるかも知れない、と思えた。斜めにぱっくりと切れているのを感じるのだ。

 魔女が剣を構えている。

 クリフが、イアナの剣を持つラウリーに対して抱いた余裕は、本当は余裕でなく嫉妬だったのかも知れない。自分が手にしたかったものを持ち、それが当然になっている者への劣等感。それはダナと化したオルセイを思い出させる感情だった。

 クリフは吼えた。

 一踏みで魔女の懐に入り、頭を目がけて剣を振りおろした。クリフの頬から、血が飛んだ。

「!」

 血が頬にかかった魔女が、ひるむ。しかしクリフの剣先は、素手で受けとめられた。魔力だ。

 構わずにクリフは押した。がむしゃらに押し、彼女の手に傷を負わせた。

「くっ」

 彼女はクリフの剣を蹴り上げて、身を伏せて転がった。苦悶の表情に、クリフの気が高ぶった。勝てるかも知れない兆しに、初めて喜びを覚えたのである。

 クリフは雑念を捨てて、赤い剣先をだけ睨んだ。

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