3-6(先制)
戦争には、金も時間も人手も使う。
一兵卒として、家族だけを守って戦えるなら正義だろう。食うか食われるかだけの単純な関係だったなら、殺した相手を食うことだって、してみせたに違いない。
だが実際には、殺したって食わない。半殺しにして捕虜にして、身代金を奪いとる。どこを何人でどうやって、となると、頭も使う。
物資の手配に寝所の確保、武器の配給や食事の分配。防寒も必須だ。普通はクーナの月になど戦わないが、相手は普通じゃない。進軍するだけで大仕事である。
軍など連れずに一人で旅していられたら、どんなに楽だったか。
「陛下?」
呼ばれたのが自分だとは、一回では気付けない。
「大丈夫ですか、陛下?」
クリフは肩を叩かれたことに驚いて、勢いよくふり返ってしまった。赤い髪がバサリと揺れる。背後には、クラーヴァ王の側近であるノイエ・ロズが意地悪そうな笑みを浮かべて、クリフを見ていた。
波までもが彼をあざ笑うかのように高くはねあがり、船首の手すりにもたれるクリフの背中を濡らした。甲板が揺れた。
「おっと」
ノイエと2人して、手すりを掴む。ノイエはそれでも背筋をピンと伸ばしたまま、クリフに再び笑いかけた。
風を見る者に帆の向きを変える者、舵を取る者。甲板を磨く者は常にいる。見あげればマストの見張り台から水平線を睨んでいる者もいるし、破れた帆を修理する者、縄を整頓する者などなど、舳先にいると皆の様子がよく見える。マストを3本も持つ帆船の眺めは、壮観だ。
視界にいる誰もが、この男がクラーヴァ王でないと知っている。
なのにイアナザールと呼ばれるのは、茶番もはなはだしい。
「その呼び名」
クリフは暗に“やめろ”と含みを持って、ノイエを睨め付けた。
「何か?」
ノイエはそ知らぬ振りで受け答えるだけだ。効果はない。ないと分かっていて睨んでいるので、クリフも本気で不愉快になっているわけではない。いや、完全に観念したつもりじゃなく、今は従うのが賢明だと、クリフなりに打算したのだ。と自分では思っている。
「いつまで王なんだ? 俺は」
「陛下は“俺”などとおっしゃられません。お慎みを」
軽くたしなめられてから、ノイエは「再びクラーヴァに戻るまで」とクリフの問いに応えた。再びどころかヤフリナ国に着いてもおらず、まだ陸は遠い。クリフは苦い顔になった。
だが文句は言えない。
半ばクリフのために出された船なのだ。
ヤフリナに行きたいクリフの望みを、イアナザールが叶えたのである。ただし、王が援軍を引きつれる、という形で。
“交戦中のヤフリナ国をクラーヴァ国王が自ら見舞い、ことによっては参戦しよう”という名目である。名目は真実になるだろう。ヤフリナからは、かねてから援助の嘆願が入っていた。自国自衛のため支援できなかった失点を、一刻も早く王みずからが駆けつけるという演出で補おう、という画策である。
「無理がないか?」
あまりと言えばあまりな気がする作戦にしり込みしたのは、クリフの方だった。
何しろ王様役だ。一昨年あれほど嫌がったあげくに一日だけ演じさせられたのだって、もう金輪際するもんかと思ったものだった。なのに、いともたやすく「またやれ」と言われて、「はい、そうですか」と行くわけがない。
もちろん名目としても強引すぎる、と思える。普通このような援軍の指揮を、王みずからが取るだろうか?
船が走っている現状で今さら言っても仕方がないだろうが、言わずにはいられない。いくらクラーヴァ軍に周知だからとはいえ、クリフにはヤフリナにバレない自信などない。
すると、政務大臣も担っているノイエは、面白そうに受け答えたのだった。
「無理がありますね」
「あのな」
クリフの着眼点に対して「よくできました」と言わんばかりである。
「最初に言いませんでしたっけ? いいんですよ、発覚しても」
心なしかノイエの態度が砕けた。少し、クリフの肩からも力が抜けた。けれど忠臣の立ち方は、あいかわらず真っ直ぐだ。冷静さと同時に彼の誠実さを現しているように見えて、クリフも背筋を伸ばした。
「クラーヴァが援軍を出していることに、変わりはありません。勇敢な騎士が王の代理を務めているだけのことです。万が一あなたが亡くなっても、その時はこちらから王ではないと伝え、不手際あまりあるヤフリナの戦略を糾弾いたします」
王が亡くなるような戦略を採るとは何ごとか……というところだろうか。
滔々と述べるノイエに、二の句も出ない。この男もナザリと同類かよと思いながら呆けたクリフは、しばらく言葉を探し、やっと一言だけ言い返したのだった。
「勝手に殺すな」
ノイエが微笑んだ。
「では矢の一本も飛んでこないような幕の中に押し込めましょうか? あなたを」
嫌味な強調だ。
クリフを指したのか、イアナザールのことを言ったのか。どちらにしても、ここはクリフも苦笑するところだった。
あの王様だって本当なら、この船に乗りたかったのに違いない。それこそイアナザールは幕の中になど、引っこんではいないだろう。だが後片付けや王都のお家事情などがあっては、悠長に遠征などしていられない。
身代わりは窮屈だが、ヤフリナに行けるし、堂々と魔軍を追える。クラーヴァ国は魔法研究の進んだ国だ。この船にも魔法使いと魔法師が数人、乗っている。ミネカナとエノアは辺境に残ったが。
エノアが全快していたなら、もっと話は簡単だった。2人で、単独で行動できた。イアナザールの書状があれば傭兵として雇われもできただろうし、魔法師は対魔軍戦にうってつけだったはずだ。戦場のラウリーを捕まえるのは、たやすかっただろう。
そう思ってからクリフは、自分の狡さに目を見開いた。
「陛下?」
クリフの驚愕をいぶかしんで、ノイエが首を傾げる。自分が思った浅ましい言葉は、しばらく脳裏で木霊した。
魔法は、便利だ。
「ああ、いや」
ノイエに手を振って、クリフは「違うんだ」と息をついた。
「“転移”できていれば、こんな厄介もなかったのにと思ってしまっただけだったんだ。魔法の便利さに頼っている自分に気づいて、自戒した」
「ついでに、この遠征を厄介と称するのも改めて頂けますか? 皆の志気に関わります」
「……すまん」
素直な若者にノイエは微笑み、丁寧に敬礼した。
「不本意でしょうが、頼りにしています」
「買いかぶりだ」
「応えて頂く必要はありません」
ずるいな、と言いかけてクリフは言葉を飲みこんだ。志気に関わる。
乗員は60名だと聞いている。半数はイアナザール直属の海軍だ。王は辺境の戦場へ、陸路でなく海路を使ったのである。最速を要するため、遠洋航海可能な大型船を用意した。クラーヴァ国の最新鋭だ。
今クリフが立っている船が、それである。クラーヴァ辺境から、直に出立したのだ。辺境軍を使役したい思惑もあったし、宗旨替えしたソラムレア人やネロウェン人も乗りこんでいる。
船は5隻あったし、陸軍もいた。クリフに与えられた一隻以外は、半数が辺境に滞在し、残りは王を乗せて戻った。陸軍は船と共に常駐だ。ヤフリナ国への派兵に備えている。クリフの軍は第一弾、激励を兼ねた様子見でしかない。
「あなたは先頭を走るだけでいい。言われずとも、そのおつもりでしょう」
見透かすようなノイエの口調が、勘に障る。クリフは顎を引いて、口の端を上げた。
「矢面に立って、暴れさせてもらうさ」
皆の志気を落とさないため。
ノイエは「大樹を守った方だからですよ」とつけ加えると、もう一度敬礼をして、きびすを返した。中央の甲板に降りる階段が急なので、彼の姿はすぐ見えなくなった。
荒野を緑に染めた終結を目の当たりにした直後に、更に戦えと命じても、おろした腰はなかなか上がらない。ならば戦争を止めに行くのだという目的にした方が崇高だし、足も軽い。綺麗事だけで終わらないことは皆が熟知しているだろう、そこを奮起させるのにクリフの存在が英雄として有効だったのだ。中には戦い足りず血をたぎらせている者もいるだろうが、そういう連中とて大義名分のある方が気兼ねなく暴れられる。
といったことをノイエはクリフに説明しないが、クリフは、漠然とそう感じている。でなければ、もっと逆らっていただろう。
知らない方がいいことは多い。
裸になった顎に当たる潮風は、針のように冷たい。
“黒の剣士”として過ごした一年半が無駄だったとは言わないが、無駄なことも沢山あった。魔法への偏見が取り払われたことも、ある意味では不要だった。いや今でも魔法を胡散臭く思っている自分はいる。いるから、魔法に頼ることに自戒の念を覚えたのだ。
魔法の便利さに罪悪感を覚えるのは、自分の努力で実らせたものではないからだ。まして“転移”はエノアの技である。自分はエノアを『道具』にしていたのだ。お前にも魔力があるから長距離の“転移”が成功するのだとエノアは言うが、どうも自分の実力だとは思えない。
「魔力か」
一人ごちてから、クリフは前を向いて水平線を眺めた。船首の斜檣がピンと伸びている向こうに広がる海は、どこまでも青くて深い。薄く雲がかかりながらも振りそうにない空模様には憎らしさを覚えるが、嵐なぞが来るよりは、よほどいい。
クリフは深呼吸をしてから、水平線を見据えた。
見据えた、そこに。
人が、降りてきた。
「……え?」
斜檣に立つことなど、普通はできない。丸太だからという物理的な理由もあるが、先頭に立つクリフの側を通らずに頭上から降りてくるなどという曲芸自体が無理である。マストからロープで飛んで来たって実現しない登場だ。
なのに、そこに立っている。
ノイエではない。乗組員の誰でもない。この船に女は乗せていない。様々な理由によるが、女性が航海するのは大変なのだ。かつて世話になった黒船“ピニッツ”は、実に至れり尽くせりな船だったが、あれはルイサが首領だしマシャが副船長だったからだ。だからラウリーの待遇も良かった。
ラウリー。
今この船に乗るには、何かと不備がありすぎる。
クリフはあり得ない女性を目前にして、混乱してしまった。外見は落ちついたものだが、何のことはない、動けないほど動揺しているだけだ。彼女も微動だにしないが、うろたえているのではあるまい。落ちついており、敵意を感じない。
似合わないな、とクリフは思った。
ラウリーには黒装束なんて、似合っていない。
黒いマントは魔道士どもの専売特許、黒い長衣はあの野郎だけで充分だ。いつか見慣れるのかも知れないが、クリフは見慣れたくなかった。白だろうが黒だろうが、とにかくローブは辛気くさくて、ラウリーに似合わない。
彼女の肩に収まる醜い鳥が、彼女の魔女ぶりを演出している。
「手前ぇ」
鳥を見て、声が出せた。だがケディだろう鳥は、まったく口を開かない。出現すれば、目が合った瞬間から間髪入れない罵詈雑言の嵐を巻きおこすというのに。クリフは一瞬、彼はケディじゃないのかと思った。だが目やくちばしの形、毛並みや羽根の色は、クリフが憶えている限りではケディを示している。あいつのくちばしには、左隅に染みがある。なんてことを意外に覚えている自分に、何だか腹が立つ。
「あいつに負けず劣らずな登場だな」
冗談でも「お帰り」とは言えなかった。潮風にたなびいている彼女の黒マントは、クリフに対する拒絶だ。ラウリーはクリフの声を聞いても、びくともしなかった。
彼女もクリフの名を呼ばなかった。
「これ以上進むなら、ネロウェン軍の敵と見なします」
礼を尽くした口調は堅く、本当のクラーヴァ王を相手にしているかのものである。だが彼女がイアナザールとクリフとを見間違えるだろうか。クリフが彼女を見間違えていないのと同様に。
髪が伸びても化粧をしていても、黒い服を着ていても。笑みのない冷たい表情は別人のようだが、輝いている強い瞳が、彼女の不変を現している。同時にこれが彼女の意志であると物語っている。殺意を感じない代わりに、愛情も感じられない。
もっとも自分は、それを見極められるほど繊細な眼力など、持っていないが。
クリフがかすかに苦笑した時、ラウリーが手を揚げた。手の甲を見せられた中指に、指輪があった。
水色の石が光っている。
「ご存じですか?」
ずいぶん端的な質問だが、理解できる。クリフは顎を引いた。
「やっぱり、そっちに行ったか」
自分で驚くほど残念そうな口振りになってしまったが、慌てはしなかった。素直に、改めて残念だったと思った。戦闘の後に人知れず消えてしまった魔道士2人が、このまま戦線を離脱することを願っていた。
色んな意味で、相対したくない。
ラウリーとだって、このような形では会いたくなかった。
だが戦場へまで追う気でいたのだから、本当なら予測範囲内だったのだろう。魔軍としての彼女が逆にこっちを攻めてくることぐらい、予想できたはずだった。
いや。やはり考えられない。
「へさきに人が!」
「クリ、いや、陛下! あれは誰ですか?」
「そこのお前、ここへ来い!」
「女だぞ!」
クリフの背後に、人がわらわらと集まった。
ざわめきが次第にどよめきへと変わり、怒りを帯びてくる。斜檣に立っているように見える女だが、実際には立っていない。船は動いているのだ。
黒い女が実は少し浮いている、魔法を使っているのだと分かるまでに、長い時間はかからない。
そして肩のケーディが声を上げれば、死に神の到来を意味して、皆を戦慄させるのだ。一触即発の空気が辺りを包む。
「魔女だ」
「ダナの魔女!」
「敵だ!」
「ネロウェンの魔軍がいるぞっ」
クリフが何も言わないうちから、集団はどんどんと声を上げていく。場が高揚し、殺気立った。誰かが弓を構えたので、クリフは男の腕を押さえて「よせ!」と叫んでから、ラウリーに向きなおった。
「戦いたくない。話し合いがしたい」
「無駄だ」
応えたのは、ラウリーではなかった。
クリフのよく通る声によって多少静かになったのに加えて、人間の言葉を発したケーディに、クラーヴァ人たちが凍りついた。しゃがれた異質な声は、皆の背筋をぞわりと撫でた。
「お前はネロウェン王の嘆願を退けた。ヤフリナ国も同様だ。パン一つ、麦一粒をも与えない非道な国に振りおろされるべき正義の鉄槌は、もはや高く掲げられたまま降ろされる時を待つばかりなのだ。クラーヴァ王に与えうる恩赦は、ここで船を反転させるより他にはない。なさぬなら、然るべき措置をとるだけである」
ケディらしくない口上だ。雑音じみた声音の上、波の音や船のきしみが邪魔をして、よく聞き取れなかった。だが言わんとするところは、確信できる。
返答を迫るように、鳥が口を閉じた。周囲のクラーヴァ兵らも、クリフを見てきた。ラウリーは口を開かない。
彼女の目に映っているだろうクリフがクリフだと分かっていて、この難題を突きつけているのか……むしろクリフだからこそ、引き返させたいのかも知れない。
知れない。
が。
「できぬ」
クリフは、おろしている左手の中に、ぐっとマントを握った。行軍中とはいえ、王たる格好は華やかだ。衣装に負けないよう胸をそらせて、クリフは“ダナの魔女”を睨んだ。
王の理屈としてもクリフの感情としても、答えは一つだ。それが察せられないラウリーではあるまい。
返答を吟味しているかのような沈黙が一瞬、船首を包んだ。
すぐに「帰れ!」とか「先制攻撃だ」などといった物騒なざわめきがクリフの背後で沸き、ラウリーはそれらを嘲笑するかのように──飛んだ。
「!」
次いで、呼応するように波が上がった。体勢が崩れて船上がどよめき、皆が慌てふためきながら攻撃に備えた。
「どこだ?!」
ノイエがクリフの側で叫んだ。跳びあがったラウリーの姿が、へさきから消えている。ケディもいない。“転移”したのか、それとも……と、クリフも皆と共に四方を見回した。
「上だ!」
ざっと全員が天を見た。
「メインマストだ!」
「鳥も一緒だ」
「畜生、撃ち落としてやる」
「やめろっ」
弓を構える男を、別の者が殴る。剣を片手にマストを登ろうとする者やロープを引っぱる者など、甲板が混乱した。それでもマストの頂点に立つ“ダナの魔女”は、顔色を変えていないように見えた。
彼女は上空に吹く強い潮風に紫髪をなびかせながら、静かに言った。
「ならば沈めます」
とても静かだった。
マストは高い。彼女の声量などクリフらには届かないはずなのに、その一言は全員の耳にはっきりと聞こえたのだった。耳にでなく、頭に直接ねじ込まれたような声だった。五感のすべてが魔女に乗っ取られたかのように、周りの音がかき消えた。
彼女の一言だけが、全身を支配した。
直後。
魔女が立つマストに、雷が落ちた。