3-3(大河)
クーナの月は新年でもある。年の幕開けが戦争だとは、不吉もいや増すというものだ……と人々は噂したものだった。クラーヴァ人たちは占領地にてソラムレア軍の耳に入らないように噂したものだったが、先行きの不安さは日常に滲み出てしまう。
ソラムレア軍はクラーヴァの砦を手中に収めパークマン家の領土を奪い、屋敷を軍部に仕立て上げた。屋敷を拠点にして攻略が進められ、西側の新たな地が落ちると、徐々に軍を移動させて行ったのだった。周辺の村からは、援助と称した物資の徴収がおこなわれた。
この頃にはソラムレア軍でなく東軍と呼ばれるようになり、魔軍とあわせて東魔軍と言われたりもしていた。ソラムレア軍といっても、兵のほとんどはネロウェン人である。だから、まかり通った『東軍』の呼び名が正しい。ソラムレア国は軍備をネロウェンに提供した見返りに、人材を仕入れたのである。飢えるネロウェン人は進んで参加したし、ソラムレアの民を傷つけたくないユノライニ女王の願いともあいまって、覇気のあるネロウェン軍団となっていた。
むしろ、ありすぎた。
村に降りて物資や女を奪う兵や、進軍の際に失踪する者も耐えなかったのである。クラーヴァ人らの噂も、もっともな不安だったのだ。焼き払われかける村まで出ていた事態である。暴徒と化する東軍を何とか統括したのが、魔軍であった。
失踪者に関しては、魔軍は見逃した。だが前者は、翌朝には必ず罰せられた。罪を犯して逃亡しても同じことだった。罰の大きさは罪と比例し、殺した者は殺された。戦場以外の殺人は許されない。味方であろうと容赦がなく、その事実が、魔軍と魔女の名を一層広めることとなった。
東魔軍と呼ばれることがあっても、東軍の中で自らのことをそう呼ぶ者はいなかった。彼らの中でも魔軍は異質であり、怖れられていた。魔軍を怖れる気持ちを戦場で発散するためか、東軍は強かった。勢いを落とさずにじりじりと西の王都を目指し、クラーヴァ辺境一帯のザナハ地方を制覇しつつあった。
ザナハの最西端で森が切れて、本格的に町が広がる。街道も整備され、いよいよ王都が近くなる。民間の巻き添えも、人死にも増える。クラーヴァにとっては、ここが踏んばりどころだった。東魔軍もこの関門には慎重になっているようで、領主の元には連日、使者が足を運んでいた。
「手をこまねいているというよりは、無血での不戦勝を渇望しているようだな」
イアナザール王は報告を聞いて、低くうなった。王の横に立つ側近ノイエ・ロズも、報告を終えた男も苦い顔をしている。有効な打開策が思いつかないのだ、苦い顔にもなる。
報告した男はザナハの領主で、子爵ヒディビスという。彼らの間には地図とテーブルが広がっている。シャンデリアにローソクが何本も輝く広間は、子爵の屋敷内で一番広いから選定された部屋でしかない。本来は夜会を開く華やかな場所である。テーブルも華美で、室内は各所に文化の随が施されているのだ。だが今は、汗と土の臭いがむせかえる、戦場の一角でしかなかった。
テーブルの周囲に立つ男らはノイエと王のみならず、子爵の軍を率いる隊長に、王が連れてきた援軍をまとめる副将軍に中将と、そしてエノアまでもがいた。
魔法師としてである。
「魔軍を防ぐ手だてはあるか、エノア」
イアナザールは皮の胸当てとマントながらも、戦争にしてはやや華やかな格好で、エノアに顔を向ける。
王は象徴である。辺境の防衛に王が出向くのは、それだけこの戦いが重要であると示している。だからこそ彼は戦場に出てはならず、豪奢でなければならなかった。魔法師という名目のエノアにも、敬称をつけてはならない。エノアが魔道士であると知る者は、ごく一部だ。
エノアも黒ずくめだし甚大な魔力を持っている以上、敵の魔軍にいるシュテルと同類だと知れるのは時間の問題だろうが、確証はない。出生すら怪しい男だったが、彼の持つ『魔の気』は魔軍に張りあえるものだと示唆されている。皆、一抹の不安は憶えているだろうが、今は頼るしかない男だ。
本人は周囲の感情に気付かない素振りで、飄々とふるまう。
エノアは地図の一点を指して、必要最低限だけ声を出した。
「私が20人を全員、引きうける。その間にお前たちは普通の戦争をすればいい」
「エノア殿」
ノイエ・ロズが、エノアの物言いを咎めた。とはいえ形式的な非難だ。城内の者は皆、エノアの言動に慣れている。それに、慣れていないはずの子爵らとて、エノアの声音にはあらがえない。彼らは一瞬だけ不愉快を感じたようだったが、エノアに気押されたあげくノイエの助け船に乗って、黙らざるを得なかった。
釈然としない子爵らに、エノアは言った。
「普通に戦えば、クラーヴァが勝つ」
先の暴言を補足しただけだったが、絶大な励みとなったようである。引きうける、と、こともなげに言いきった男が放った太鼓判だ。会議は猛り立つ中、終了した。
イアナザールとしてはエノアに声をかけたかったのだが、とうとう言えずじまいになった。本当に魔軍と戦えるのか、などと。
魔軍の存在も、ダナの魔女なる名も。……知ったのは、つい先ほどだ。クラーヴァ王都に届いた報告は先の一件だけであり、軍を決起して辺境へ到着した時には、砦が落とされていた有様だったのである。子爵の屋敷に腰を落ちつけて軍事会議を設けてから、現地の将らが重い口を開いた次第だった。
戦いにいきり立つ広間が元の空気を取りもどす中、イアナザールは残務あるノイエを置いて、ようやくエノアと共に広間を後にした。深夜になっていた。だが廊下に誰もいなくとも、やはりエノアに声をかけることはできず、一人呟くのが精いっぱいだった。
「クリフォードに教えておくべき……で、あろうな」
エノアは反応しなかった。
クリフも、援軍に同行している。ただし彼には、会議に同席する権利がない。エノアは魔法師の称号を得たので合法的に王の隣りへ立てるのだが、クリフは剣士のままなのだ。王の警護にも就けない。
今までのクリフが城内に出入りできていたのは、外交使節だったからだ。影武者の一件も内密だし、ロマラールの賓客でなければクラーヴァ城内に住むことも不可能だった。軍に入ってしまえば、称号を持たない一兵卒でしかないのである。
騎馬隊に所属させられているが騎士ではない、微妙な立ち位置にあった。まともに戦場へ出れば、前線を斬りこむ隊になる。魔軍に会う確率も高い。ダナの、魔女に。
イアナザールはエノアへの質問を換えた。
「魔軍の中に、オルセイもいるか?」
思うか、とは訊かない。エノアなら分かると確信していた。
エノアの返答は早かった。
「いない」
若干エノアが動いた。フードの奥までは覗き込めなかったが、イアナザールの後ろに気を配ったようには感じられた。イアナザールがふり向く。ノイエが追いついてきたのではなかった。
イアナザールは肩を落とし、軍規を破る黒の剣士にため息をついた。
噂をすれば影、だ。
黒髪黒ヒゲのクリフは、王のため息が意味するところを察して先手を打った。
「外出許可は取りましたよ」
が、
「だから、どこに来ても構わないとでも?」
と頭を抱えられ、肩を竦めざるを得なかった。
「こうでもしないと、お偉い人たちには会えないみたいなんで」
「お前も偉くなれ」
「苦手です」
多少おどけて見せてから、クリフは「教えて下さい」と切り出した。苛立ってる風なのは、まだエノアのことを怒っているからかと思えたが、どうやらそうではないらしい。
エノアは、あろうことかダナの盾を探すことを止めて参戦したのだ。
エノアとクリフは2人とも元々、防衛戦に参加しなければならない理由などなかった。一番の使命はダナの盾を探すことだ。だが、シュテルナフの名がエノアを動かした。王都に寄せられた報告を聞いてエノアが動き、城が沸きたって防衛戦への準備が早まった。結果としては早まって良かったのだが、一連の動きはイアナザール王にとって、大河に飲まれるがごとく止められないものに感じられたものだった。
しかもエノアは、これ以上ダナの盾を探すのも無駄だと言いきったのである。だから、まずは戦争に参加するのだ、と。クリフが怒るのも無理はなかった。
『魔道士らが魔力を放出し、戦争の波動が人の気を乱し、魔の気が探れなくなった』
この先“遠見”をおこなっても、ダナの盾かも知れない微弱な気を捕らえはできないだろう、と言うのが、エノアの主張だった。言いたいことは分かる。納得もできる。今までずっと探してきて見つけられなかったものを、ラウリーも失った今、探せはしない。
クリフがクラーヴァに協力して剣を握るのは、やけに自然なことにも思えた。喪失感を抱えて郷里に帰るような男ではないのだ。誰のためでもないとクリフは言うが、長く世話になってきたクラーヴァ国の、イアナザールの危機を救いたい気持ちも持っているのだろう。
一度動きだせば、クリフは安穏としていない。できることから、すべてやる。すべてやり、彼は知ってしまったのだ。
ダナの魔女という名を。
「村の人たちや兵たちが、噂してたんだ」
イアナザールの顔色が変わりそうになった。
「噂の真偽を確かめに来たのか? ここへ」
クリフは頷く。
「ダナの魔女ってのは年齢不詳で冷徹で、味方どころか女子供も皆殺しなんだそうですよ」
「ひどいな」
真相の近くにいるイアナザールは、思わず呟いてしまった。クリフは若干、口の端を歪めた。
「人の生き血を吸って若返ってるんだとか、マントの下は醜悪な老婆だとか。全世界を滅亡させたいんだとかいう話もある。世直しなんだとさ。それじゃあ、まるで……」
クリフが躊躇した言葉の続きは、エノアが言った。
「まるでラハウだな」
イアナザールどころか、言おうとした本人まで身を固くした。
「じゃあ、やっぱり……?」
それは違う。
こわばりながらも目を輝かせるクリフに、真実を伝えるのは辛い。
機密事項を教えることはできない、と突っぱねることもできる。一兵卒が無断で侵入し、王に目通りをしているだけで懲罰ものだ。だが突っぱねれば、それが答えになってしまう。
イアナザールの思案は、ほんのわずかな間でしかなかった。
わずらわしい関係を何も考えない男が、クリフに即答していたのだ。
「あれはラウリーだ」
驚く隙も与えず、間髪入れずにエノアは続ける。
「ラハウは間違いなく死んだ。クラーヴァ兵が見た“ダナの魔女”は若い女であり、紫髪を揺らし、肩に醜悪な鳥を乗せていたと言う。ケディだ」
「エノア殿」
イアナザールは慌てたが、クリフに動揺は見られなかった。いや、うろたえていないだけで、彼の胸には激しい感情が渦巻いたらしく、顔つきは変わった。感情は──怒りだ。
「あいつ、何を」
諦めたイアナザールは、エノアの続きを引きうけた。
「先ほどお前が言ったようなことは、ダナの魔女も、魔軍もおこなっていない。魔軍は戦場でだけ相手を殺し、逃げる者は追わず、投降した者も格安で返してくれる。支配した村々にも最低限しか手を出さず、狼藉を働いた者は味方ですら死刑にするそうだ。その厳しさが噂に尾ひれを付けたのだろう」
クリフは、黙ってイアナザールの説明に耳を傾けていた。じっくりと飲みくだすように聞き入るさまをイアナザールは安堵と勘違いして、つい余計な一言を加えてしまった。
「彼らは非道ではない」
「でも敵だ」
吐くように返されたセリフは、熱かった。
「ソラムレアの軍が押しよせてる事実に変わりはない。どんな殺し方だろうと、殺してるんだ。魔軍も。魔女も!」
泣きそうな声だ、とイアナザールは聞きながら思った。クリフが故郷でグール狩人だったことは知っている。命のやり取りを知る身で、今さら敵をかばいはできないのだろう。クリフのそれは、自分に言い聞かせているようでもあった。自分たちはグールで、東軍は狩人なのだ。
「俺は……」
言いよどんで、クリフは顔を上げた。別の兵が、廊下の角を曲がってきている。気付いてイアナザールもふり返り、クリフを隠すかのように足をずらした。クリフは元来た道に駆けだした。イアナザールはつい気になり、「俺は? 何だ?」とクリフに訊いて、捨て台詞を残させてしまった。
黒の剣士は走り去りながら「いえ」と苦笑した。
「俺は間違ったんだと思っただけです」
早口で。
クリフは返答も聞かずに消えた。
男にとって女を守れないことが、どんなに情けないか。おそらくラウリーなら「守ってくれなくていい」と怒るだろうし、周囲がどう見るか、どう言われるかも個々に違うだろう。自身の問題なのだ。リュセスを王妃にして嫡男を授かった今のイアナザールには、クリフの呟きが痛かった。
彼は宙ぶらりんのまま、すべてを手からこぼして、無の状態にある。きっと戦場に来たのも、こうしなければ気が収まらなかったからだ。だが、そこで彼はまた一つ失うはめに陥った……。
◇
「優しい男だ」
「何か?」
イアナザールの独り言を、ノイエが聞き返す。イアナザールは軽く手を振って、ノイエを後方へ下がらせた。イアナザールの動きに合わせて、ゴーナがブルルを鼻息を荒くした。志気は上々だ。
朝の光がイアナザールのマントを浮かせる。丘の上でゴーナに乗って西軍を見おろす若い王は、その立ち姿だけで皆に勇気を与えた。活気づいたクラーヴァ兵は、出撃を心待ちにしていた。
前列の騎馬隊には、クリフらしき姿も見える。誰にも見つからずに屋敷を出られたらしいことと、別行動のエノアを追いはしなかったという二重の意味で、イアナザールは安心した。クリフが、エノアが魔軍を相手取ると知っていれば、後を追って隊を乱しただろう。そしてまっ先に、魔女に会う。
クラーヴァとしても、育ててきた宮廷魔法師が敵に寝返ったという事実は驚愕だったし、激高あまりある。魔軍にラウリーがいると王都にまで知れ渡れば、ラウリーの死を願う運動も起こるだろうし、クリフの立場も危うい。ロマラールへの反感とて出るだろう。そういう意味ではクリフがクラーヴァの軍に入って東軍と戦うのは、ちょうど良かったことなのかも知れない。
それをして「だからお前は正しい」などとは、言ってやりたくないが。
イアナザールはひとしきり考えてから、東の草原を駆けてくるクラーヴァの旗に気付いて、腕を振りあげた。
「エノアの合図だ。エノアが魔軍とぶつかった。この隙だ、攻め入って東軍を落とせ!」
王の呼号を受けて、ノイエも手を高く掲げて叫んだ。
「全軍、突撃!」