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3-2(厭戦)

“転移”したラウリーが戻った場所は、離れの屋敷内にある魔法陣の上である。ただし先日に使ったものではなく、新たに描いたものだ。あてがわれた自室の真ん中に、本を見ながら描いた。陣への『力』は、オルセイが吹き込めた。

 部屋には、一羽の鳥が待っているだけだった。

 必要最低限のもの以外は何もない、それすらも何の装飾も施されてない、女性の部屋とは思えないほど質素で寂しい部屋を、この鳥が一羽で盛りあげてくれる。

 彼はラウリーが戻ると同時にわめき散らした。

「俺を置いて、なに勝手なことやってんだ!」と。

 力尽きて魔法陣に座りこむラウリーの顔には冷や汗がふき出ており、色も真っ青だ。ラウリーはごめんと呟きながらも「せっぱ詰まってたけど、ケディ、いなかったから」と言い訳した。

「クソぐらい行かせろ」

「待ってられなかったんだってば」

 問答しながらケディがバサリとラウリーの肩に収まると、彼女は次第に元の顔色を取りもどした。だが動くことはできず、ラウリーはその場に横たわる。ケディはベッドの側に作りつけてある止まり木へ飛び移っている。

 ケディはくいと首をひねり、喉の奥を鳴らした。

「あまり無茶すんなよ。先は長いぜ」

「心得てるつもりよ」

「さっさと死んでくれりゃ、俺も解放されてスッキリするけどな」

「だから、どこへでも行っていいよって言ってるじゃない?」

「行くわけないだろうが」

 毒を吐くケディに受け答えるラウリーの方が、勝ってしまった。鳥は自分の言葉を後悔したようにククッと鳴いて、顔をそむけた。

「……まさか俺がお前の支えになるとは思わなかった」

 ケディは語尾を小さくしながら、言葉を切った。横たわったラウリーは微笑んだものの身を起こせず、手を差しのべて名を呼んでやるのがやっとだった。

「ケディ」

 鳥は聞こえないふりをしながら、耳をそばだてた。

「今までだって、ずっとケディは私を支えてくれてたわ。これからもお願いしたいわよ」

「俺は高いぜ」

 どこがどう高いのだろう。ラウリーは再び笑ってしまった。

 ケディが与えてくれる笑いに、いつも救われている。でなくば、とうに潰れていただろう。兄に連れて来られた時からでなく、クラーヴァ城での生活が始まった時すでに潰れていたかも知れない。

 ケディの存在がラウリーの魔力を安定させているのだと気付くのに、そう長い時間はかからなかった。

 彼がいつもの調子で外出するたび、ラウリーは魔力の暴走と戦わざるを得なかったのである。そのたびオルセイやユノライニの手を借りて、魔法陣の中に座り、自分の中にある“ダナ”と対峙してきた。

 膨大な『魔力』を得た代償は、やはりあったのだ。

 それでもケディの力で安定できるのだから、ラウリーは軽い方である。ラハウを失ったオルセイの魔力は、ラウリーを手に入れてユノライニを使って、あげくシュテルナフという魔道士を得て、ようやく満たされるのである。

 心の距離が問題だとオルセイ自身が言った、そこにこそ現状への回答が示されているわけだが、ラウリーはオルセイの側にいるのだと決めたのだし、ユノライニとて暴言を吐きながらもオルセイを補佐できているのだから、まんざらでもないということだろう。

 それで言えばユノライニは、ラウリーをも支えている。死にかけた時を助けてもくれたのだし、これもまた「まんざらでもない」のかと思うと、少し可笑しい。

「なに笑ってんだ」

 ケディが、一人で微笑むラウリーの様子に居心地の悪さを感じたのか、身じろぎした。

「悠長にしてたら、また兄貴が小言を言いに来るぞ。さっき内緒でガキ助けに行ったんだろ。気配が近付いてきてるぞ」

「あら、本当だ」

 悠長なままラウリーが相づちを打つと、ケディは気落ちしながら部屋の隅へと移動した。部屋からは出ないが、なるだけオルセイに近付きたくないらしい。

 ラウリーはケディが隅の止まり木へ落ちついたのを確かめてから、入り口に目をやった。意識を向けたのとノックの音は、同時だった。開いてるわと応答するのは、滑稽だ。この部屋はネロウェン式である。

「どうぞ。とは言っても起きられないけど」

 入室したオルセイは、平然と寝そべっている妹に苦笑した。

「開きなおった女は怖いものだな」

「知らなかった? 18年も一緒に住んでて」

 普段のラウリーに戻っただけだ。いや、戻そうとしている強いラウリーがいるだけだ。

 側にいると決めたら、恐怖が消えた。“ダナ”が覚醒したためかも知れない。

 兄は凄む。

「勝手をするな」

「知人に会ったの」

「侵入者だ」

「何もしてないわ」

「したさ」

 オルセイは魔法陣の側に座りこみ、ため息をついた。魔法陣は絨毯の上に描いた。夏用のすり切れた絨毯がこすれて、カサリと音を立てた。

「ディナティの心を乱した」

「乱れる理由があるからよ」

 間髪を入れず言いかえしたラウリーに、オルセイは同意を示した。

「人の心は移ろう。だからこそ乱してはいけない。強い信念で皆を率いなければ、結局すべて死に絶える」

「だったら、なぜマシャを通したの?」

 仰向けに寝そべるラウリーは天井を眺めてから目を腕で隠し、兄を見ないようにした。だが見ていないのに、まぶたの裏には薄く微笑むオルセイがいる。ラウリーは諦めて腕を外し、兄を見た。

「兄さんだって、マシャの気配を察していたんでしょう? 私は2人を会わせたかったし、衛兵を眠らせるのに術を練っていたから時間がかかったけど……会わせたくなかったのなら、どうにかできたはずよ」

 口にしてから、ラウリーはやっと自分が言ったことの意味に気付いた。オルセイは微笑んでラウリーを眺めたきり返答して来ない。どうにかできたはずのものを、どうにもしなかったのは、どうにもする気がなかったからだ。

 部屋の隅でケディがくくっと声を殺した。ラウリーの心を感じて、息を詰まらせたらしい。

 ラウリーは顎を引いて兄を睨んだ。

「衛兵がマシャを罰しなかったら……兄さんが殺してた?」

「どうかな」

 オルセイは断言をしない。だが、それを狙っていたのは確実だ。ディナティの決意を確固たるものにするため、マシャの死を使おうとしたのだ。

 無言でオルセイを非難するラウリーに、オルセイは「言っただろう」と苦笑した。

「俺は死の神だ」

 またケディが、くっと鳴いた。

 オルセイはラウリーの言葉を待たず立ちあがると、ゆるりと部屋を見渡してから退室した。言おうかどうしようかと迷ったらしい言葉は、言わないまま消えた。

 ラウリーを諫めて行動を止めることよりは、好きにさせてくれた。小言を言いに来たのも、そんな自分の心境を知らしめたかったからじゃないかとすら思える。見逃してくれるほどには、オルセイもマシャに心を砕いていたのかも知れない。というのは都合のいい解釈だろうが、そう考えた方が安らかでいられる。

 先の一言が、すべてを凝縮している。

 死の神として皆を生かす者。

 死の神として、皆を殺しもする。

 罪悪感もなく義務でもなく、息をするように取りのぞくのだ。

 そんな兄が見せた一片の優しさだと思う方が、この先にも希望を持てる。

 オルセイが去って、ケディがまた近い方の止まり木に移った。精神的なものだろうが、ラウリーの呼吸が楽になった。ラウリーはため息まじりの深呼吸をしてから、目を閉じる。

“ダナ”を見ていると、「戦争」とは自然淘汰なのではないかと思えてくる。生きるため、守るための殺しあいが生きのびた者に生きる権利を与えて次世代を作らせる。難しい関係を取りのぞくと、人減らしが戦争の本質じゃないかと思えてくるのだ。

 だから、減らしなどさせない。

 皆で生きてやるのだ。

 全滅などはさせない。

 ただ。

 必要最低限の犠牲は、つきまとう。

 彼女の目が開き、紫の瞳が輝く。

 瞳には戦場が映っていた。

 背負う覚悟ができたのかと問われれば、その自信はなかった。

 一度だけ、と願っている。神よ、一度だけ理不尽な戦いをします。

 血塗られた草原と倒れ伏す兵士たちと、黒いマントを着けた自分の姿が青い空の下にあった。

 クラーヴァの草原。

 ニユの月が終わる頃、クラーヴァ国に攻め入ったソラムレアの陸軍は、最初20人しかいなかった──と歴史書に記されている。少ない。だが彼らが魔法使いだったとなると信憑性が上がる。

 ソラムレアの旗を掲げてゴーナに乗ってやってきた20人の敵は、全員が黒い皮当てと黒いマントを着けていた。カブトはない。頭をむき出しにして武器を手に持たない、奇妙な集団だった。

 先頭に立つ者は、クラーヴァの男爵を殺した男だ。忘れられる顔ではなかった。この男が来たというだけで黒い集団の不気味性は現実味を帯び、待ち受けていたクラーヴァ軍を震撼させたものだった。

 クラーヴァ砦は、先の戦いを考慮して5000の兵を用意した。大将には亡くなったトアミヤ男爵の叔父が立った。彼は弔い合戦だと息巻いていたし、魔道士シュテルナフを見ていなかったので、20人という集団をいぶかしみ恐怖しながらも、拍子抜けしたくちだった。

 しかし気を抜いている暇などなかった。

 戦闘は始まっていたのである。

 クラーヴァ軍は、ほとんど声を上げなかった。見張り兵は警鐘を鳴らす前に気絶し、歩兵は歩きだす前に倒れた。騎馬隊は隊列を整える前からゴーナが暴れて、進めなかった。弓兵の矢は、すべて外れた。

 武器を手にしていない黒い集団に、ことごとく兵が負けていく。気絶していく。人間業ではない。クラーヴァ兵の中で魔法をかじっている者が、大将に上告した。

「あれは魔法です!」

 おののいてから、その者はつけ加える。

「それも、強力な」

「む」

 トアミヤの叔父、アハムヤ・パークマンは齢60を超えていたが、魔法に明るくない。

 彼は不明瞭なものを怖れる人格ではなかった。魔法は練り上がるまでに時間がかかると聞き、兵を何手にも散らして、多方向から畳みかける作戦に切りかえたのである。

「突っ込め! 敵を休ませるな、たかが20人だ!」

 その合図は同時に、ソラムレア軍に追加兵を出させることにもなった。約1000人が、丘の向こうから攻め寄ってきた。アハムヤは言葉を変えざるを得なかった。

「たかが1000人だ!」

 最初から志気に落差があった。

 戦が魔法戦から肉弾戦に移ったが、クラーヴァ軍に勝ち目はなかった。接近戦になったら、兵には気絶でなく死が与えられたのである。それも安らかな死でなく、見るもおぞましいほど凄惨なものだった。

 アハムヤの脳裏に、甥の死がよみがえる。腹の真ん中に穴が開いた死体だった。けれど目前でくり広げられている戦いは、トアミヤのそれより無惨なものだった。人としての形が残っていないのだ。

 一度に10人が破裂し、一度に3人の首が飛ぶ。立ちむかった者は吹き飛ばされ、踏んばった兵は足を無くした。

 だが逃げた者は追われなかった。

 アハムヤは兵らに向けて、逃げるな戦えと檄を飛ばすことができず、砦の屋根から呆然と戦況を眺めるしかできなかった。彼が知るどんな戦いにも、このケースは当てはまっていなかった。

 そんな中、誰かが言った。

「魔女だ……」

 兵は黒い集団を指さしていた。先頭を駆ける長髪のネロウェン人も印象深いものだったが、クラーヴァ兵らの間では、彼の後ろで戦う同種の女がひときわ目を惹く存在だったのである。同じクラーヴァ人のくせにと誰かが毒づいたが、他の誰かが違うあれはロマラール人だと訂正していた。

 肩にケーディを率いて、黒いマントと紫髪をなびかせるロマラール人。

 ラウリーは紫の髪を、わざと束ねなかった。目立つように。子供の頃から狩人として鍛えた技と体は、ここでいかんなく発揮された。世でもっとも醜悪な鳥が弔いの声を上げて、魔女の肩に止まる。静まった戦場にたたずむラウリーはいつの間にか“ダナの魔女”と呼ばれ、20人の魔法使いたちには“魔軍”という名がついた。

 息をつく暇もなかった戦闘は、わずか半日で終了した。

 丘の上に立った20人の足下には、肉片と化した死体が敷きつめられていた。逃げれば助かるが立ちむかえば確実に殺される恐怖の軍団に挑戦する者は、それ以上いなかった。クラーヴァ兵の足並みが乱れて遁走するさまを、黒い集団はただ見守っていたという。

 歴史書は一連の戦いを、簡素な一行で締めくくっている。

 魔軍はこの一週間後に、クラーヴァの砦を落とした、と。

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