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2-8(砂塵)

 ニユの月は、おだやかな季節である。しげっていた木々は枯れて冬に備え、風は北向きに変わるが激しくはなく、動物たちは緩慢になる。7つの守護月は、静かに終焉を告げる。

 だが、ひそやかな寒気も南の地に行くと様子が変わる。砂の国は、日が出ている間は夏のように暑いのだ。なのに夜になると一気に冷えこむ。雨のない砂漠は極限まで乾ききっており、闇と共に生き物を力尽きさせて殺す。

 こうした落差に体が慣れず、さしもの女王も内心では辟易していた。

 昼夜問わず寒い方が、体が楽だ。

 とは思いながらも疲れを顔に出さないようにして、ソラムレア国女王ユノライニは、ピンと背を伸ばして回廊を歩く。彼女が身につけているドレスはこの国の様式だったが、彼女がディードム・エブーダの100年回廊を闊歩するさまは、ひどく不似合いだった。

 違和感は、彼女と服装の間にあった。日中のため軽いドレスだったが、下品ではなく身もすべておおってはいる。だが白に黒をあしらった大人びているデザインで、歩くと足が見える艶めかしさまで、おまけされている。

 顔にも華美な化粧が施されている。乾いた砂漠の中に映える濡れた唇は、ほんのりと上品な薄紅色を乗せてあり、彼女の年を忘れてしまいそうになる。触れる者は、その毒に当てられてしまうだろうが。

 15になった少女の、それが標準装備だった。誰かがどこかで眉をひそめているかも知れないが、彼女はやめるつもりがない。

 10年老いて見えるわけでもなかったが、もはや解けない魔法のようになっている。そのうち、こちらが普通になるだろう。ネロウェン国のドレスも体に馴染むことだろう。戦いはまだまだ続く。

 まだまだ続ける。

「入るわよ」

 北の女王は、少年王の自室をノックした。扉がないので、入り口付近の壁を軽くこづくに過ぎない。ユノライニは、是非が聞こえないうちに構わず入室し、ディナティの驚いた顔と対面して肩を竦めた。ユノライニには許可を得てからでないと入れないような部屋などなかったし、ディナティは逆に、ずけずけと入って来る者になど会ったことがなかっただろう。

「ご機嫌うるわしゅう」

 ユノライニはうさんくさいほどの微笑みを浮かべて、膝を折った。ソラムレアの貴族が見せる礼だ。ネロウェンでの王に対する平伏は、ユノライニにはできない。

 ディナティは何も言わず、片手で彼女に籐の椅子を勧めた。もう片方の手で、黒グールを下がらせる。王の側でくつろいでいた丸い動物は、女王を一瞥してから退室した。隣の部屋が寝室である。ユノライニは内心で、この獣がと毒づいた。

 ユノライニが腰を落ちつける間に、ディナティはテーブル上に広げていた地図を片づけた。

「片づけなくていいのに」

「今はまだ必要のない地図だ」

「じきよ」

 言っている間に今度は入室を許された侍女がユノライニのそばへ忍びより、果実水を置いて行った。その者が消えてから、ユノライニは一言「勝ったわ」と告げた。

「すぐに、その地図が必要になるわ」

「見事」

「勝てるから勝っただけ」

 はっと息をついてから、ユノライニは果実水を口にした。酸味が利きすぎていて、彼女は顔をしかめた。この国の習慣にも味にも、まだ慣れない。

「魔道士シュテルナフは役だったようだな。さすがオルセイが連れてきた者か」

 ディナティの声音には、感嘆の意がこもっているように聞こえる。ネロウェンの臣下もソラムレアの評議会もが難色を示した魔道士を、ユノライニが強行に起用したのだ。

 シュテルは自主的にユノライニへ加担した者ではない。オルセイが働きかけて、ディナティを介してユノライニの部下となった者である。ユノライニとしては彼の起用に抵抗などなかったのだが、魔道士の名を知らぬ者らの反対は大きかった。

 とはいえ、ユノライニだって魔道士という名称は知らなかった。

 ただ、ラハウと同じ匂いを感じただけだった。

 だけだったが、それで充分だったのだ。

 皆が怪しい者と陰口を叩いても、ユノライニにとって彼はむしろ、もっとも信頼できる者だった。

「要望を忠実に叶えてくれるなら、魔道士だろうが王様だろうが関係ないわ」

 少女は、ディナティ王が持つ密かな偏見を皮肉って、笑った。

「今までなんて知らないわ。要るのは、これからだもの」

「御意」

 ディナティが軽く手を挙げて苦笑した。敗北宣言である。ユノライニも少し頭を下げて見せた。

 この王なら、そのうち騙すか殺すかして、この東大陸全土を頂戴できるかなと思うことがある。幼さが残る少年の笑顔には邪気がなく、可愛い。褐色の肌を持つ、じき20歳になろうかという青年に対して失礼な形容だろうが、そう思えるのだから仕方がない。

 だが、それが曲者なのである。

 ジェナルム国で開催された、三国協議。ダナの月の終わりだった。ジェナルムはネロウェンの属国だし、そこに即位した新しい王クーナティスは、ディナティと懇意にしている者だ。前王ダナザが先妻との間に設けた子だったので、すでに40歳を過ぎている。だが彼はディナティを弟のように思っているのか、それとも、かの大国をこの小国が支えているのだという自負があるのか、2国の結束は固かった。

 そんな協議内に一人放りこまれて、あらがえるものではない。同盟条約にサインしたのは、利害計算の結果じゃない。させられたものだ。

 それだけではなかった。ネロウェンは、ソラムレアが独自開発した鉄を入手していた。

『どうして、それを』

『量産はまだだ、貴国の返答次第で扱いが変わるのでな。だがヤフリナ国に逃げた正規軍を追いたいなら、手を組む価値があると思うが?』

 ディナティは製法を知っていることも暗に示し、内乱の行く末まで指摘してきた。筒抜けだ。扱いが変わるとは、攻める準備もあるということである。たった一言で勧告を終えてしまった少年王の笑みは、勝ち誇ったものだった。

 いや、勧告じゃない。脅迫だ。

 負けたと思いたくなかったユノライニは、自分からネロウェン行きを決めた。外交的には、人質である。ディナティに信用してもらうためと、ネロウェンの実情を探るためだ。そして、かつての皇帝タットワに汚された王宮を後にするためだった。

 一年は長いようで短い。うかうかしていれば風のように過ぎてしまう。ユノライニは自国内で女王の権限を向上させる根回しには余念がなかったが、外交政治を掌握する前にディナティにしてやられた。

 生まれが2年早ければ、それこそタットワにだって、いいようにさせなかったのに……とユノライニは歯を食いしばったものだったが、実際には2年早く生まれていても情勢は同じだっただろう。

 タットワに家族を殺されるまで、ユノライニは女王になる気など、まったくなかったのだから。自分は父王が決めた素晴らしい後継者の横に立って、微笑んで国民に手を振るのが仕事なのだと思っていた。

 評議会の連中も、皆がそう思っていた。だからユノライニは、政治云々に関しては評議会の老人たちに任せて、お飾りのように人形のように王宮に収まって、自由気ままをつらぬいた。

 ネロウェン国からの接触があり、同盟を持ちかけられて交渉が増えた頃、ユノライニが政治の中核に立っていたのは、自然な流れに見せた彼女の謀略だった。誰も10代半ばの少女が、手練れをいいように翻弄したとは思わない。思いたくない。大人のプライドにつけこんだ子供のいたずらだった。

 ままごとのように。

 ユノライニは今でも、自分が女王になっていることを、ままごとのようだと思う。遠い国に戦争をしかけて大国と同盟を結び、ソラムレアに富をもたらそうとする壮大な人生ゲームだ。相手国のディナティも10代と来ては、なおのこと遊戯のようだ。

 けれど、これが現実だし、父も母も戻らない。

 それを忘れないために、王宮の葬室にはタットワの首が飾ってある。彼女は王宮にいる間、瞳に鬼を宿して、死した皇帝を睨みつけてきた。

 ユノライニは、ソラムレア国に戻る時は凱旋の時であり、タットワの首を捨てる時だと決めている。何をもって凱旋となすのかは、少女にもよく分かっていないのだが。

『タットワはどこ?』

 ユノライニが祖国に戻って、最初に吐いた言葉だった。

 ユノライニは埋葬されていたタットワを、地上へ引きずりだした。首はさらしたが、体の存在は許さず、焼き払った。

 火葬ではない。

 火あぶりの刑である。

 やりすぎだと諫言した者もいたが、ユノライニは耳を貸さずに言いきったものだった。

『本当なら生きたまま焼いてやりたかったのよ』

 この一件は、新女王が我が侭の限りを尽くす放蕩な少女として印象づけられるのに、充分な事件だった。

 ユノライニの復讐は終わらない。

「ユノ?」

 呼ばれて、はっと顔を上げる。上げてみてから、自分の眉間にしわが寄っていたことに気付いた。無理もない、と自分を慰める。タットワのことを思い出しながら、気分のいいわけがない。

「考え事をしていたの」

 自分の愛称を呼ぶ王に対して、ユノライニは屈託のない笑みを見せた。だが互いに腹を割っていないのは明白である。ディナティが親しげな素振りを見せるのは、自分が人質であるためと少女だからだ。死の神ダナと共にいるような青年である、油断はできない。

 ディナティが色香に負ける男であり、自分に色気があったなら、もっと楽だったろうに。と思うものの、ないものは仕方がない。ユノライニは離れの一室で眠っているはずの娘を思いだし、いつの間にやら色気づいたものだと思いながらディナティに応じた。

「そろそろラウリーたちの様子を見に行ってみようかと思って」

 ディナティはわずかに眉を上げた。

 ユノライニが居るべき理由はここにもあったのだ。

 魔法使いとしてのユノライニを欲したのは、オルセイだった。オルセイはラハウから聞いて、ユノライニの存在を知っていた。ラハウに傾倒していたユノライニがオルセイを補佐するのは、当たり前と言えた。

 ただし仕えるのではなく、ユノライニはダナを使役するのだと思っている。ラハウ様が降ろしてきた死の神を有効に利用して、この世を立て直す。ラハウ様が亡くなったなら、それは自分の役目なのだ、と。

「一週間になるか?」

「だと思うわ」

 ユノライニはダナを3日間“治癒”した。ラウリーと共に。それから4日はたっているだろう、とユノライニはぼんやりと計算した。

「胸のナイフは抜けたのか?」

「ラウリーが抜いたと思うけど。一緒に見に行く?」

 ディナティが少し目をそらす。

「いや」

 からかいすぎたかと思い、ユノライニも自重した。ディナティは自分と違って、あの2人を同等に扱っている。ユノライニには、まだ彼らにそこまで肩入れする気持ちがない。というより王族でもないくせに見事な紫髪を持っていることで、心中には親近感より対抗意識の方が強く渦巻いている。

 ましてラウリーは、かつてクリフォード・ノーマがユノライニの申し出をさしおいて助けに走った娘だ。自分やソラムレア国に勝る価値は見出せない。

 ユノライニはディナティに2~3の報告をしてから、

「じゃあ行くわ」

 と、ディナティの私室を後にしようとした。

「ユノ」

「?」

 ドレスの裾を、シャラリと鳴らした時だった。退室する直前のユノライニに、ディナティは言った。

「今までも要るぞ。これからのために」

 先ほどのユノライニに対する、王の返答らしい。鼻白んだが表情には出さず、少女は砂漠の王に礼もせず部屋を出た。ディナティもそれ以上は何も言わなかった。

 ユノライニは解放された小鳥のように、ドレスの裾をつまんで広げて、誰もいない回廊を楽しんだ。

 最初の頃は侍女に付きまとわれたが、やがてユノライニが行動力おう盛で我が侭なことが知れると、身辺が静かになった。追われるのは苦手だ。自分から向かっていく方がいい。

 ユノライニは離れの一室へと足を進める。回廊から降りて庭の中を通り、細道を抜けて時間を短縮させた。絹の裾が小枝に引っかかって小さく悲鳴を上げたが、なぁに侍女に繕わせればいいし、何なら、くれてやってもいい。ネロウェンの服だ。

 ユノライニは辿りついた離宮に足を踏みいれかけて、少しだけ躊躇した。見張りの兵が深い礼をしてきたが、彼女は見もしない。すぐ、何もなかったように屋敷へ入り、目的の部屋に手をかけた。部屋が数個しかない小さな屋敷だが、異国人を住まわせるには豪勢だ。彼女は無言で扉を開けた。

 一週間前にここを開けた時には、瀕死のオルセイと気絶した女が倒れていた。夫婦かと錯覚したほどだった。身を寄せあっていた2人は、互いが互いをかばっているように見えた。

 近付いて、娘の顔に見覚えがあることに気付いた。

 記憶の底をかき回されて出てきた名前を、ユノライニは複雑な思いで呟いた。

『ラウリー』

 呟いたとたん、複雑だった心が一色に染まった。

 その時にラウリーが目覚めなければ、ユノライニは間違いなく彼女を蹴りつけていただろう。刃物を持っていたなら、刺していたかも知れない。

 ダナとして残忍な笑みを浮かべていたオルセイが、彼女の横で安らかな寝息を立てているのも気に入らなかった。死人のような顔色なのに、このまま死しても後悔がなさそうに見えた。

 クリフォードだけでなく、オルセイすらもが執着する娘。

 ユノライニには分からなかった。

「調子はどう?」

 2度目に会うラウリーに向けて、ユノライニはドレスの裾を直し、柔らかく微笑んだ。

 が、彼女の顔は魔法陣の様子を認識した瞬間、凍りついた。

「何やってるの!」

 少女は悲鳴を上げた。

 紫髪の娘がダナの胸からナイフを抜いたかも知れないことは、予想していた。だが今度はそのナイフを、娘が自分に突き立てようとしていたのだ。彼女は奇妙な呪文を口にしていた。“治癒”ではなかった。4日前、ユノライニがいた時には、確かに2人で“治癒”を唱えていたのに。

 だいぶと顔色が良くなった頃、ラウリーが私一人で大丈夫だから、と、ユノライニを追いだしたのである。いや、ラウリーはユノライニを解放したのだと言うだろうが。魔法は疲れる。それにユノライニには毎日、色々な報告が舞いこんでいた。ラウリーの側に転がっていた鳥も目をさまして、うるさかった。魔法に集中できる環境ではなかったのだ。

 だからユノライニはお言葉に甘えて退室した。それから何日かたったので様子を見に来た、というわけである。それが、このような事態になっているとは、つゆ知らず。

「やめろ、ラウリー!」

 醜悪な鳥が泣きそうな声で鳴いた。

 一瞬のできごとだったのだろう。

 だが、やけにゆっくりと感じられた。

 もう少し早く来ていれば事態を回避したろうし、もう少し遅かったなら、完全に手遅れだっただろう。

 ユノライニは奇妙な憤りを感じながら、ラウリーが自分の胸へナイフを埋める光景を見物してしまった。何のために彼女が死のうとしているのかが分からなくて、混乱した。

 4日前ユノライニは、退室する前ラウリーに『お前、クリフォードといい仲なの?』と単刀直入に訊いた。勘だったが、ラウリーはとぼけもせずに頷いてきたものだった。彼女は顔を引き締めていたが、頬は幸せそうに紅潮した。つい、眉が寄った。

『あの男のどこがいいの?』

 そう訊いたユノライニに応じたラウリーの言葉は、生涯忘れられそうにない。

『どこが悪いと思われますか?』

 ユノライニが言葉をなくしてしまったのは、クリフォードの悪いところが挙げられなかったからではなく、ラウリーの答え方に呆れたためだった。呆れて、会話を打ちきり、彼女を置き去りにした。

 そんな彼女が、まさか自殺しようとしているなどとは思えなかったのだ。ユノライニは呆然と眺めてしまった後、慌てて走った。

「馬鹿野郎、畜生、このアマ!」

 ケディが、かすれた声で毒づいている。

 外の兵も何ごとかと飛びこんできた。

 場が騒然とする中で、ナイフを突き立てたラウリーは満足げに悲しげに、微笑んだ。

 ユノライニの姿を認めて、彼女は言った。

「兄さんを許してね」

 ごめんなさい、と。

 姿は認めているものの、自分が誰に話しかけているのか分かっていないようである。そんなに広い部屋じゃないのに、やけに彼女が遠く感じられる。いきり立って、ユノライニは走りながら叫んでいた。

「馬鹿言ってんじゃないわよ、許さないわよ、死なせないわよ!」

 叫びながら、紫髪の娘がたおやかに倒れていくのを支え、ナイフを引き抜き、返り血を浴びながらナイフを抜いたことに後悔しつつ、ユノライニは渾身の力で“治癒”の魔法を唱えかけ、ケディに気付いてふり向いた。

「鳥! お前も手伝いなさい!」

 上から見おろされてケディはビクリと首を縮めたが、すぐユノライニに同調を始めた。

 オルセイはまだ目覚めていない。

 ナイフのなくなった胸元はすっきりと治っていて、顔色も良くなっていた。痩せた頬が痛ましかったが、峠は越えたようである。ラウリーがずっと魔法を使っていたのは間違いない。

 だがユノライニが知っている魔法ではなかった。

 言葉の意味は、聞きとれた。

『あなたを救います』

 とても単純でひたむきな心が、魔力と共に室内を満たしていた。

 ユノライニは手をかざして“治癒”の魔法を唱えながら、ラウリーの中にダナがいる気がして背中に力を入れた。恐れを感じないように。

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