2-7(戦火)
攻撃が始まった。
クラーヴァ東の国境に、破裂音が響きわたった。誰も聞いたことがない、例えるなら山が噴火したかのような音だった。本当の噴火のように、その場所は四方に破裂した。
ついで阿鼻叫喚が辺りを埋めた。すべて男性の声だった。
ガラガラという崩壊の音は、堅固な壁がガレキと化した音だ。男たちの悲鳴は、直前までは雄々しい叫声だった。
ソラムレア国の新兵器は、それほどに強烈だった。
クラーヴァの東、ソラムレアの西。この土地は、大半が切り立つ氷の山と深い森でおおわれている。半分以上の森は前人未踏であり、以後も開ける気配がない。
砕かれたのは、海近くの狭い草原を守るために設置されていた砦だった。ソラムレア側にも砦が立っているが、クラーヴァの砦はソラムレアと違って丸太などでなく、大きな岩を重ねあわせた頑丈なものである。
油断がなかったとは言い切れない。噂は知っていたし迎撃準備もしていたが、まさかソラムレア女王が、と、皆おののいたものだった。皇帝タットワ・バジャルの時には攻め入ってこなかったというのに。
長く辺境を治めていてソラムレアの世事にも明るいつもりだった男爵トアミヤ・パークマンは、自分の甘さに、ほぞを噛むしかなかった。
「ひるむな! 敵はわずかだっ」
土煙がただよう戦場を、怒号で奮いたたせる。凛とした響きが兵らの浮き足を落ちつかせる。岩壁が砂のように崩れたさまと同志が死者に転じるさまに震えあがっていた男たちの口元が、きゅっと引き締まった。
トアミヤは怒号を発しながら、砦の屋上からソラムレア軍を見おろした。ソラムレアの投石機が砕いた場所は下の方である。トアミヤの位置までは届かない。
いや。届かなくても足下が崩れれば死んでしまう。トアミヤの自信は、自分は死なないという強い意志から来ているものである。壮年の男爵は、屈強な騎士である。5代に渡り国境を守っているのだ、今回はソラムレアに出し抜かれたが、かの国のことを一番知っているのが自分だという自負は崩れていない。
「かならず優勢になる」
トアミヤは地上を見おろして、力強く言いきる。
ソラムレアが使った爆発する弾を、トアミヤは知っていた。皇帝タットワの時代に開発中止になった兵器があるという情報を持っている。負荷が高く、量産も実戦も不可能だったと聞いていた。実戦には登場した次第だったが、数はまだ充分ではないだろう……というのがトアミヤの予想だった。
現にクラーヴァの砦は、まだ持ちこたえている。一気に大量の弾が撃ち込まれていたなら、惨敗だったはずだ。
「弾が尽きた時を狙え」
トアミヤはかたわらに控える中隊長にソラムレア兵器の説明をして、戦場に戻らせた。手早く順番に伝達が行き渡る様子が見えて、トアミヤは幾分か落ちついた。
「逃げてはならんが、戦意も失ってはならん。陣形を整えて待つのだ」
無茶な命令だったが、皆トアミヤに従った。辺境の騎士は百戦錬磨である。間違いのあろうはずがなかった。
弾の軌跡を避けて、爆発の煙に紛れて襲ってくるソラムレア兵を返り討ちにする。門を守って踏んばる歩兵を、弓兵が援護する。土煙の中には、血飛沫と怒号が飛びかった。そこまで攻められていてもクラーヴァが落ちないのは、上空から戦況を判断して指示を出す、壮年の騎士がいるからこそだった。
「まだだ……こらえろ」
傷ついて倒れる仲間を見ながらも、トアミヤは仁王立ちのまま揺るがない。彼の小さな呟きは戦渦に紛れた。すでにソラムレア兵の何人かは門を抜けて、斬りこんできていた。トアミヤに向けて矢も飛んできた。彼は剣の一振りで、目前に迫った矢を叩き落とした。
敵味方が入り乱れる。だがクラーヴァ兵のヨロイは全員の肩当てが赤く塗られていて、一目で判別できる。この辺境には、ソラムレアの血を持つクラーヴァ人が少なくない。ヨロイの形も似たものが多いので、そうした区別がしてあるのだ。
出陣のたびに判別方法も変えられるので、ソラムレアに真似されることもない。上から眺めていると、よく分かる。
トアミヤは、入り乱れている戦場に向けて、
「今だ!」
飛びおりた。
爆発がやんでいた。ソラムレアの戦術が投石機中心から肉弾戦に移ったことを、トアミヤは冷静に見極めたのである。砦の屋上から地上へはかなりの高さがあったが、彼はソラムレア兵をクッションにして無傷で着地したのだった。
ぐしゃりと音がした。トアミヤの足が赤く染まった。ソラムレア兵は反撃の余地もなく蹴飛ばされて首を折り、無惨に倒れ伏した。彼は崩れた敵兵の上に、敢然と立った。
「行くぞ!」
戦渦のただ中に降りたった大将の勇姿に、皆が一斉に沸きたった。防戦一方だった戦場に追い風が吹き、クラーヴァ軍はトアミヤを先頭に門を飛びだした。足踏みの乱れてしまったソラムレア兵が、次々に斬られた。トアミヤは部下が用意したゴーナに飛びのり、雄叫びを上げた。応える男たちの声も戦場を埋めた。
解放されたクラーヴァ兵の、特に先頭を走る騎士トアミヤの姿は、肩当てと返り血の赤色が映えて、軍神がごとくだった。彼の守護神はマラナだったが、今は深く青い瞳をカブトに隠し、猛々しい様子だけが浮き彫りになっている。
生きかえったクラーヴァ軍は無敵だった。
辺境の騎士トアミヤ・パークマンの力は絶大だった。
「進め、このまま奴らの投石機と砦を潰す!」
トアミヤが叫び、再び皆が応える。爆発する弾は切れたようだったが、それでも岩は飛んでくる。皆は避けるどころか投石機に突っこんで懐に入って戦った。それどころかクラーヴァ兵は幾つかの投石機を奪って、ソラムレア砦への攻撃を始めていた。
カブトの下に、笑みが浮かぶ。トアミヤは勝ちを確信した。新兵器がなくなってしまえば、ソラムレアは烏合の衆だ。本調子になれれば、強いのはクラーヴァの方だった。辺境警備で場慣れしているし、兵たちの結束力も固い。
クラーヴァの新王、イアナザールの治世を守ってみせる──トアミヤには、そんな思いもあった。わざわざこの辺境にまで足を運んだ王など、そうそういない。若いが落ちついた、優しい王だった。彼を悲しませぬという思いが強くなったものだった。
クラーヴァ軍は深追いした。
ソラムレア国の砦に向かって火矢も打ちかけられた。完膚無きまでに潰す、と、トアミヤ自身が思っているのだ、攻撃の手がゆるむはずはない。クラーヴァ兵はどんどん国境を越えて、白い蛮族に斬りかかっていった。
突然、地面が爆発した。
クラーヴァ兵がさしかかった一定の部分が一列に、いきなり噴火したのである。
最初に奇襲を受けた時と同じ大音響が、青い空にこだました。北に広がる森までもを震わせたようで、地鳴りが起こり、森からは鳥の群れが奇声を上げてバサバサと飛び立った。
大音響に合わせて、断末魔の悲鳴が上がる。トアミヤは慌てて振り返った。付いてきていたのはゴーナに乗っている者だけだった。弾幕にさえぎられて、トアミヤたちが孤立していた。
投石機で打ちこまれていたと同じ弾が地面に埋められていたのだとは理解できたが、今さら分かったところで後のまつりである。
まだ埋まっているかも知れないと思ったらしい歩兵は一気にひるんだ。噴火後には点々と穴が開き、その穴を埋めるように、死骸が散らばった。
「何をしている、敵は目の前だぞ!」
檄を飛ばすが、トアミヤの声にも戸惑いが浮かんでしまった。ここは撤退した方がいいと思えた。だが、敵の懐にいる現状を無駄にしたくもなかった。申し訳ていどのくせに悠々と建っている目障りな砦だけは、壊しておきたかった。
トアミヤが預かる騎士の一行は健在である。弓兵からの矢も元気に飛んでくるし、槍兵も果敢に爆発の跡を越えてきているのが見えた。歩兵もまだいる。剣もある。まだ、これからだ。
「行くぞ」
自分を叱咤するように低くうなって、トアミヤが前を向いた時だった。
「?!」
ゴーナが暴れて手元が狂い、地面に投げだされてしまったのである。
「トアミヤ様!」
「う、うわっ?!」
「こら!」
背後にいた騎士たちにも、同じ現象が降りかかった。揃ってゴーナが暴れて叫び、騎手をふり落として背走したのだ。騎士にとってゴーナは自分の足、自分の命だ。妻にも匹敵しよう相方が、急にわけもなく恐れをなして逃げたのだ。
いや、わけはあった。
トアミヤは立ちあがって剣を構え、目前に立つ男を睨みつけた。本能的に「こいつだ」と思った。どう見ても戦場には似つかわしくない格好の者が、いつの間にやら自分の前に現れていたのである。
顔が分からなかった。性別も。その者は黒いマントに身を包み、すっぽりとフードをかぶっていた。だが得体の知れない威圧感がフードの奥から漂っており、それがゴーナらを騒がせたのだとトアミヤには分かった。
自分が、おののいているからだ。
恐怖を振りきるために、トアミヤは叫んだ。
「貴様、邪魔するか! 顔を見せろ」
するとマントの者はそれに応えて、何の躊躇もなくフードを取るではないか。流れるように自然な動きで、トアミヤの方が戸惑ったほどだった。
中から現れた顔にも戸惑った。
トアミヤの知識からすると、彼はネロウェン人に見えた。
褐色の肌と漆黒の髪。瞳も深い黒で、男性であると分かるのに見惚れてしまいそうな輝きを含んでいた。一つに束ねられている彼の髪が腰に届くほどゾロリと長いため、不思議な雰囲気をかもし出しているのかも知れない。
人を殺す者の目ではなかった。
「な……何者だ」
トアミヤは顎を引いて、精いっぱい男を睨んだ。男は無骨な輪郭を持っていたが、男臭さを感じさせなかった。貴族とは違うが、平民ではない空気をまとっている。そもそも彼がソラムレア軍の者なのかも不明である。戦場に迷いこんできただけなのか……そんなわけがない。
男が言った。
「私は魔道士シュテルナフという者。シュテルで結構」
略名を使うところは、ネロウェン人くさい。だが魔道士とは何だろう? トアミヤはいぶかしがりながら、
「訊いたのは名ではない」
と応えた。
「去れ。でなくば斬りすてる」
トアミヤはわざと、ガチャリと音を立てて剣を構えた。
血気盛んなとでも言いたかったのだろうか、シュテルの顔に、わずかに苦笑が浮かんだ。
「ここで命を落とすか再び相まみえるかしか、選択はないだろう。貴君が逃げ帰って二度と出撃せぬような、そんな男には見えぬ。だが今は退かれよ。命を惜しめ」
黒マントを血風になびかせて、シュテルは歌うように言う。やはりソラムレア軍の者なのだ。だが白い蛮族とは何かが違う。ネロウェン人だからだけではない。どこか浮世離れしている。
言葉の内容だけでなく、声音そのものが変わった響きを持っているためだろう、とトアミヤは思った。どこがどう、とは説明しきれなかったが、存在感がないような、それでいて耳に残るような、奇妙な余韻が彼の声には含まれていた。
トアミヤの背後で騎士が動いたようだったので、トアミヤが先に飛びだした。黒い男に斬りかかる。
「惜しむ命などなく、退けばそれを悔やむっ」
語尾を荒くしながら、トアミヤは剣を振りおろした。迷わず男を袈裟懸けにして、砦へ前進するつもりだった。彼一人に構っている暇はない。戦いは続いている。
だが斬れなかった。
トアミヤの剣は止まっていた。
シュテルが手を振りあげていた。
しかし彼は素手だった。トアミヤの剣は中空で止まっていた。見えない盾でも存在しているかの光景だった。
「悔やむかは、後になってみなければ分からぬというのに」
手を挙げたまま、シュテルが目を細めた。悲しげな顔に見えた。だがトアミヤは彼の表情を憐れみと感じて、激昂した。剣を下げ、再び斬りつけようとした。だが、やはり斬ることは叶わなかった。
今度は剣を止められたのではなかった。避けられたのである。シュテルは、トアミヤの懐に入ってきていた。
トアミヤは目を剥きだした。
彼の背に、手が生えていた。
シュテルの手だった。
素手で腹を突かれたのだ。
生えている手には、赤黒いものが握られていた。
トアミヤの内臓だった。
「惜しまなかったことを悔やんでもらうしかない」
魔道士と名乗った男シュテルは淡々と言い、ぐいと腕をひねった。手がねじられ、まだ体とつながったままだった腸が、トアミヤに激痛を与え、今度こそ、ちぎれた。
彼の腹でブチブチッと嫌な音がこだました。同時にトアミヤは絶叫した。魔道士シュテルは耳元で叫ばれても動じずに、静かに彼の体内をかき乱す。倒れることを許さず、トアミヤを左手で抱きかかえ、右手でむしばむのだ。
その光景はクラーヴァの騎士たちだけでなく、ソラムレア兵の戦意をも喪失させた。
声も枯れて口をパクパクとさせながら、トアミヤの目が虚ろになった。ぐるんと白目をむいた時には、誰もが遁走した。荒々しかった戦場に、とたんに及び腰が伝染していった。
「そうだ。逃げろ。停戦だ」
シュテルが小さく呟く。トアミヤの腹から手を引き抜くと、壮年の騎士は糸が切れた人形のように崩れた。地面にまで倒れず、シュテルが支えたままだが、その体のどこにも力が入っていないのは明確だった。漆黒のマントが、トアミヤの血によってさらに黒く輝いた。
目から光が消える直前に口から漏れた息は、言葉をなしていなかった。シュテルだから読みとれた声だった。
おう、と。
イアナザール王である。
声なき声を聞くことができる魔道士シュテルには、騎士の思念が痛いほど伝わってくる。無念に彩られた激しい闘争心は、その命が尽きるまで消えなかった。
たたずむシュテルの前に、クラーヴァの騎士が3人、立っていた。剣は下げている。訴えるように睨んでくる彼らの意図に気づき、シュテルは男爵の屍を差し出した。ヨロイを着けていて体躯もいいトアミヤの体を片腕で支えるシュテルの異常な腕力に気づいたのか、騎士たちはひるんだようだった。ひるみながらも近寄ってくる。
シュテルは彼らにトアミヤを引き渡しながら告げた。
「勇猛なる指導者の喪に服される間、停戦としよう。クーナの月が終わる頃、攻撃を再開する。降伏し、クラーヴァ国の東ザナハ地方までをソラムレア国にお譲り願いたい。村々の住人を苦しめはせず、対等な立場から扱うことを約束しよう。賠償金も不要。望みは移住と税だけだ」
とは言うものの、無茶な要求には違いない。対等と口では言っても、先住民と移民との間には摩擦が起こるだろうし、ソラムレア統治による税率もこちらが干渉できない話である。
土地と、そこに住むクラーヴァ人たちを奴隷に差し出せと言われているに等しい。
彼らは一様に唇を噛んだ。だが言葉に出さないだけ、賢明だった。抑えた言葉で「伝えよう」とだけ言い残し、戦場を去ったのである。シュテルはソラムレア兵に、彼らを追わないよう命じた。
シュテルは背中を見せるクラーヴァ軍に目を細めながら、つい先ほど殺した騎士に哀悼の念を唱えた。とても安らかには眠れそうにない殺し方をしておいて言うセリフではないのだが、安らかに眠って欲しいと願った。
木造の砦は無事である。結局クラーヴァ軍はソラムレアの砦を崩せなかった。おそらく、クラーヴァ軍は次の攻撃で砦攻略に重点を置くだろう。シュテル自身も名指しで襲われるに違いない。もっとも、そのためにこんな登場の仕方をしたのである。
ソラムレア国女王ユノライニは、こんなことでクラーヴァ国は降伏しないと読んでいる。
ザナハ地方まで明け渡せなどという要求を聞くはずがないと、彼女は言うのである。降伏など求めていないのだ。総力を挙げて応戦しないと負けるだろう恐怖をクラーヴァ人に植えつけることが、今回の目的だったのだ。
クラーヴァに自国を守らせて、ヤフリナ国に援軍を出させないためだった。
ネロウェン国がヤフリナを落としやすいように、なるだけ戦力を削ぎたかったのだ。
ゆくゆくは、西大陸が我ら東の手中に収まればいいわね、とユノライニは言ってのけたものだった。シュテルとしては、そこまでの欲望に対しては心中複雑だった。だが強い欲望と圧倒的な力は、戦争を速く終わらせる。そのために自分の力を東に貸すことが正しかろうと判断して、シュテルは山を降りたのだ。
自分の存在を語った時、北の女王は微笑んだものだった。
「傲慢ね。そういうの好きよ」
シュテルはユノライニに味方することを決めた。その決断が、ひいてはダナを支持することになるのだとは、分かっていて決めた。
誰かを殺さねば誰も助からぬ時代が来たのだ。
ラハウを継いでクーナの魔道士となったシュテルは、自嘲の笑みを浮かべながら砦に戻った。砦の一室にも、魔法陣を描いてある。彼はそこに籠もり、気を練る。思念を飛ばすためである。
“念話”の送り先はネロウェン国だった。
そこに北の女王がいる。