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2-5(距離)

 クリフは、クラーヴァ城の魔法陣に舞い戻っていた。

 景色が変わったことに戸惑ってしまい、すぐには場所が把握できなかった。傷ついた体に襲いかかった“転移”の法が、すべての力を奪っている。尻餅をついた状態で飛んできたクリフは、そのまま身を起こせずにいた。目がかすむ。頭を振って目を押さえていると、すぐ近くから聞きなれた声がした。

「クリフ!?」

 応じて「ラウリー」と声を出す。瞬きしながらの視界に、紫色が飛びこんできた。

 ラウリーの顔色も悪かった。真っ白になっている。先の“転移”を終えたばかりで立つこともできないらしく、ラウリーはクリフの側へ倒れこむように座ったのだった。

「どうしたの、何があったの?」

 ラウリーの肩に乗ってきた鳥もギャーギャーと騒がしいが、驚きすぎたのか言葉をなしていない。周囲もざわついている。

 クリフは気力で首を動かし、エノアの姿を探した。だが、ない。ここがクラーヴァ城広間だと認識すると、クリフは自分だけが戻されたのだと悟った。

 魔法陣のどまんなかであり、まだ皆が周囲に座ったままである。気絶している者もいるが、このまま引き下がるわけには行かない。辺りに血の臭いが漂い、いやがおうにもクリフの緊張が高まる。

「もう一度」

 とクリフが呟き、ラウリーに耳をそばだてさせた。クリフは膝を立てて歩みより、ラウリーの両肩を掴んだ。ラウリーは驚いた顔で身を竦めた。クリフの様子から“転移”先の異変を読みとったのだろう。

「ラウリー、もう一度“転移”を。俺をオルセイのところへ飛ばしてくれっ」

 ラウリーの顔色が変わった。周りの魔法師らも一層、騒然となった。

「ノーマ殿」

 中の一人に声をかけられ、顔を上げる。ミネカナだった。現時点では、もっとも発言権を持っている。

「オルセイということは、死の神がいたということは……エノア様はお亡くなりになったのか?」

 言葉を選びながらも単刀直入に言いきったミネカナに、ラウリーが目を見開いた。クリフが彼女の肩を持つ手に感情を込めた。込めながら、声を鎮めて応じる。

「まだだ」

 クリフはラウリーが傷の手当てを始めたのに合わせて、手を下げた。なされるがままになりながら、

「だから、すぐに行かなきゃならないんだ」

 と全員を見渡す。ラウリーはローブの裾を裂いて包帯として、クリフの腕と足に巻きつけていた。侍女らが慌てて退室したのは見えていたが、それを待っていられない心境なのだろう。彼女は包帯の端をぎゅっと結びながら「駄目よ」と声を荒げた。

「あたっ」

 思いの外、痛かった。だがラウリーは少し申し訳なさそうな顔をしただけで、すぐに息を呑みこみ、クリフの足に手を置いた。

「私たちだけじゃ“転移”はできないわ。できても、どこに飛んじゃうか分からないもの」

 そんなことを言っている場合ではない。クリフの声も荒れた。

「俺も唱える。俺の魔力は大きいんだろ」

 ラウリーは「それこそ駄目よ」と血相を変えた。

「クリフは全然、魔法を学んでないじゃない」

「お前だって勉強してなかったのに、魔法を使ったことがあっただろうがっ」

「あの時は必死だったもの!」

「今だって必死だよっ」

「ラウリーには素質があるんだよ、お前にゃねぇんだよっ」

「うるせぇ、このクソ鳥!」

 さりげなく応戦したケディを怒鳴りつけてから、クリフは呆気に取られる周囲を一瞥して、ラウリーに向きなおった。

「早くしないとエノアが、」

 と、言いかけた時だった。

 全員の顔がクリフの上空に向いた。

 同時に震撼が起こった。

 それに合わせて、頭上から声が降ってきた。

「自分の心配が先だ。クリフ」

 言われて、バッと顔を上げる。

 上げたクリフの顎に、衝撃が走った。

 蹴られたのだ。叫びもできなかった。クリフの吹っ飛んだ後に、青年が降りたった。

 クリフが声を上げたのは、壁にぶつかった時だった。

「うわっ!?」

 部屋を揺るがすかの衝撃音が響いた。

 蹴飛ばされた瞬間に歯を食いしばっただけでも上出来だっただろう。先ほどの小さな部屋と違って、広間の壁までは距離がある。そこまで飛ばされたことも、ぶつかった衝撃が強烈だったことも驚異だった。全身が砕けたかと錯覚できるほどの痛みで身体が動かせない。

 男がクリフを追って、さらに踏みつけた。

 うわぁと騒いだのは周囲の方だったが、誰も動けなかった。男から立ちのぼる異常なほどの殺意が『力』を発揮して皆の動きを封じているのだ。クリフからも動きを奪っていた。そもそも“転移”直後に壁へ打ち付けられては、ただでさえ動けないが。

 円陣の中央からラウリーが悲鳴を上げたが、彼女も動けずにいた。

 広間がドォンと暗く、重くなったように感じられた。

 一見、死の神とは思えない男である。服装には、どこにでもいる一平民が王城に紛れ込んだような違和感がある。彼がダナであると分かるのは、見間違えようのない紫髪と、輝く瞳のせいである。

 そして、死の神にふさわしい服装となりつつあることか。

 血の染みが胸から流れて、黒く広がっているのである。

 鮮血が後から後から流れ出しているようで、クリフの怪我とあいまって、広間には一層、血の臭いが充満した。皆が顔を歪めたのは、甘いような苦いような、むっとした臭気になのか、その様子になのか。外見とかけ離れている苛烈な姿に、皆がおののいた。

 勢いよくクリフを蹴飛ばした青年は、胸を押さえ、青い顔をしていた。汗が玉になって、額から鼻筋を流れていく。紫髪の青年は顔をしかめる。

 ラウリーは両手で口を押さえて、硬直していた。

 待ち望んでいたような、会いたくなかったような奇妙な感情が胸にあふれた。いや、会ってはいけなかったのだ。感情は“失意”に近かった。今はまだ出会うべきではなかった。

 だが会ってしまった。

「ラウリー」

 逡巡するラウリーの心中を知ってか知らずか、オルセイは構わずに優しく呼びかける。壁ぎわに横たわるクリフを後目に近寄ってくるオルセイに、ラウリーは駆け寄りたい気持ちと逃げたい衝動の両方と戦って、その場にうずくまったままでいた。

 ケディも縮こまったまま、今にも死にそうな顔になっている。先ほどまでの悪態など、つけるべくもなかった。

「そんな目をするな」

 オルセイはずいぶん離れたところで立ち止まり、兄の顔をして妹に苦笑した。ラウリーは彼の、いつ倒れてもおかしくないほどの青さに、複雑さを味わった。

「エ……エノアはどうなったの?」

「さて」

「オルセイっ」

 クリフが立ちあがり、オルセイに突進する。だが近づきもできないまま、また床に叩き伏せられた。周囲の魔法師らは動けるようだと知ってさえ、動けなかった。

 尋常でない恐ろしい魔力には、ラハウの障壁以上のものが感じられる。辺りに血が舞う。空気の色が変わる。

「だが、ラハウは死んだ」

「……え?」

 オルセイの口調には重みがあった。

 それでも何を言われたのかは、理解できなかった。

 オルセイはラウリーに近づかない。2人の間には距離があった。立ち止まったままである。オルセイの足下には魔法陣がない。魔力の恩恵を受けていない彼の顔は、さらに死人のように色をなくしていた。

 彼の胸で、ナイフが光っている。

 エノアのナイフ。

「先ほど『気』が途切れた。俺の魔力は彼女に支えられていたんだ、じきに俺も死ぬだろう」

 どこか淡々としていたが、オルセイの顔色には信憑性があった。『魔の気』を感じられる者には、彼の言葉が真実だと理解できる。空気が揺れている。オルセイの『気』に引きずられて、地鳴りまでしそうな不安定さが生まれていた。

 扉の向こうが騒がしくなった。何があったと叫ぶ声が聞こえたが、今は応じられる者がいない。扉が開かないらしい様子を聞いて、ようやくミネカナたちも閉じこめられていると気づいた。

 死の神から、さらなる魔力があふれた。

 ゆらりと動いた『力』が、すくみあがるミネカナたちに向けられた。それを悟っても魔法師らは、防御もできないまま顔を歪めるしかなかった。

「やめて!」

 鋭い叫び声と共に、ラウリーが動いた。立とうとして崩れたラウリーの肩からケディが落ちて、ころころと転がった。トンと床を蹴って身を起こしてから、やっと少しだけ羽根を動かす。それでもケディの全身はまだ、ずっと小刻みに震えている。彼はラウリーにすり寄った。

 一歩踏みだして倒れたラウリーに対して、オルセイは足をずらして一歩下がっていた。同時に、魔法師らに向けられていた殺気が去った。オルセイの目がラウリーを捕らえる。

 ……5イークの距離を挟んで。

 ラウリーは兄との開きを凝視した。

 オルセイがラウリーに近寄らない、ラウリーが一歩進めば一歩離れる、この距離。5イークはあった。いや間違いなく、ある。オルセイはかつてラウリーが拒絶して指定した距離を、忠実に守っているのだ。

 魔法陣から体が出ても、オルセイには5イークの方が大切なのだ、と。守って見せている。

「お前の力があれば、まだ俺は生きられる。ラウリー。側にいてくれるだけでいいんだ」

 はっきりと望みを口にされ、ラウリーが揺れた。

「駄目だ……行くな」

 クリフが這いつくばってオルセイに近づき、彼の足首を掴みかけた。オルセイは忍びよった親友の手を踏みつけ、その胸ぐらを掴んで引きずり立たせた。ラウリーが「やめて」と悲鳴を上げる。2人の血が足下にぼとぼとと落ちる。青い顔が、クリフに凄絶な笑みを向けた。

「本性が出たな」

 言葉と同時に、オルセイはクリフを投げ飛ばした。神の媒体は一切出していない。イアナの剣は使わない。オルセイは素手で、クリフを傷つけ続けた。ラウリーの声はもはや声になっていなかった。

 別の隅に叩きつけられたクリフが、咳と共に血を吐く。オルセイも血を吐いた。魔力を使ったためと、エノアのナイフのせいだった。オルセイは口をぬぐって、再びラウリーを見た。選択をせまる目である。

 だが選ぶ道には、今はまだ、クリフと離れて生きるのか、クリフと共に死ぬのかの2つしかない。

 長い時間はかけず、だが一つだけ大きく深呼吸をして。

 ラウリーは、はっきりと言った。

「兄さん」

 肩にケディを乗せて立ちあがり、兄に手を差しのべたのだ。

 魔法陣の中央に立つ妹へ向かって、オルセイはゆっくりと足を動かした。立っているのがやっとという風情なのに、それでも湧きあがる魔力が広間を満たし、ひしめきあっていた。すべての生けるものを死に追いやるかの、暗く冷たい気である。

 オルセイは『俺が死ぬ』と言った。

 体ごと朽ちてなくなるのか、“オルセイ”が死ぬという意味なのかは想像の域を出ない。どちらにしろ彼が死ねば、あらゆるすべてが無になりそうだった。ただ滅ぼすのでなく浄化という言葉を使い続けたエノアの言葉が、ラウリーの胸に響いた。

 まだダナの滅し方が分かっていない。今はまだ死なせるわけには行かない。誰も。

 一イーク、また一イークと兄妹の間が縮まっていく。

 ラウリーは顎を上げて目を細め、それでも兄から片時も目をそらさずに立っていた。兄の背後で伏しているクリフを、視界に入れながら。

 ケディはオルセイの歩みに、身を竦めたようだった。魔力があっても口が悪くても、やはり本能で“死”を嗅ぎとるのだろう。気配を察してラウリーは首を傾け、ケディに頬ずりしながら小さく問いかけた。

「ケディまで私に付き合ってくれること、ないのよ」

「手前、誰に向かって言ってんだ」

 鳥に向かってだが。

 ケディはぶるっと首を振ると、多少落ちついたようだった。

 見あげると、オルセイが目前まで迫っていた。胸にナイフを突き立てたままの青白い顔で微笑む兄の姿が、どこか異常であり、やけに切なくも感じられた。

 ラウリーはそっと、オルセイの胸に触れた。エノアのナイフが『力』を帯びているのが分かる。兄はエノアの魔法に犯されている。

 オルセイが手を差し出した。

 だが触れては来ない。

 ラウリーが手を上げる。

 重なる前に、小さな声が上がった。

「ラ、ラウリー様」

 おののくミネカナに、奇妙な感情が見えた。皆も同じ顔をしていた。同情か憤慨か。ラウリーはオルセイの手に自分の手を乗せながら、ミネカナたちに「ごめんなさい」と謝った。

「兄だから」

 何とか助けたくて。

 死なせるわけに行かなくて。

 それは兄に対してのみならず、皆のことも指す。だが、あえて兄を強調した。その方が非常に利己的で、言い訳がましくない。それに……その気持ちも、確かに心に持っているのだ。

 ラウリーが苦笑した時、視界がぶれた。魔法だ。どこかに“転移”するらしい。ぐっと手を握りしめられ、ラウリーは兄に寄りそった。

「ラウリー!」

 黒髪を血に濡らして、クリフが起きあがる。

「クリフ」

 思わず手を伸ばしてしまい、ラウリーはオルセイに引っぱられた。

 触れて、掴んでどうにかなるものではない。一緒になど来てしまったら、それこそクリフは殺される。

「お願い兄さん、少しだけ話を……」

 だが冷ややかさを帯びたオルセイの目は、それを許していなかった。ラウリーは傷ついたクリフを目に焼きつけようと、必死でクリフを見つめた。兄の手を放さないまま、伸ばす手にも力が入った。

 オルセイはもう、走ってくるクリフに攻撃しなかった。代わりに与えたのは、優越感に満ちた笑みだった。

「生きていて!」

 急いでラウリーは声を張りあげた。懸命に手を伸ばす。ほんの少し。少しだけ、あの熱い指に触れておきたい。クリフも手を伸ばして、よたよたと走る。血が舞う。

 おののいて誰も動けなかった状態が、寸前になって破裂した。クリフを支えるように呪文の声が上がり、封じられていた扉も開いた。大きな音がして兵らが流れこんでくる。

 だが、それらの光景を目に納めたのも、一瞬のことだった。

「会いに来るわ、いつか終わるわ! だから、」

 途切れた。

 彼女の指先も消えた。

 その先端に、クリフの指は触れられなかった。

 クリフは勢い余って彼らの残像に突っこみ、足をもつれさせて転んだ。床を滑る。急いで目を開けたものの、残像は消えていた。いや、残像なんてものもなかったのかも知れない。“転移”の瞬間は、あっけない。

 口々にどよめく連中を背景に、わななくクリフは叫ばずにいられなかった。

「……ラウリーっ!」

 捕まえそこねた指先が、急激に冷えていく気がした。

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