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2-4(血路)

 エノアはクラーヴァ城での“遠見”の時、ラウリーの見たものがダナだったと悟ったわけではなかった。だが予感はあった。言葉通り、エノアは何も見えなかった。感じただけだった。

 ダナが意図してラウリーにだけ思念を飛ばしたのだと、今ようやく確信が持てたのだ。しかも記憶が残らないように。エノアだけが感じるていどに力を調節したと見える。

 エノアとクリフをおびき出すためなのは分かったが、エノアには、オルセイがラウリーにだけ痛みを与えたことの意味が分からなかった。

 戦えば分かるのだろうかと思ったものの、戦っても分からないかも知れない。

 人の心など。

 オルセイが声を上げて笑った。どこか狂ったように聞こえるほど、爽快な笑い声だった。

 エノアの機転を天晴れと思ってのものなのか、クリフだけ殺す時が延びたのを喜んだものなのか、それは誰にも分からない。やもすればオルセイ自身すら分からないかも知れない。

 自分の心など。

「確かにな」

 と、オルセイは吐き捨てるように、エノアに応えた。

うつわは人間だ」

 エノアは言葉を返さず、ただ呪文だけを口にする。オルセイもわずかに肩を竦めただけで、すぐに表情を変えた。

 ダナの石を体内に入れて意志を継いだとはいえ、オルセイ自身が人であることに代わりはない。身に余る強大な魔力をねじこまれたら、ひずみが出るのは当然だ。加えてオルセイは、リニエスのように常日頃から魔法の鍛錬をしていたわけではない。

 それでもダナの魔力がリニエスでなくオルセイを選んで落ちたのは、相性の問題と、感情の強さだろう……とエノアは思っている。制御するのは理性だが、魔力を放つ力は感情だ。

「クリフを殺せば、お前も死ぬぞ」

 呪文が途切れたところで言い、直後、魔法を放つ。凍りつきそうに鋭い風が、オルセイらに突き刺さる……寸前で弾き返された。弾いたオルセイが、瞳を暗く歪ませた。

 エノアは目を細めた。

「あれはお前の希望だ」

 エノアの言葉に、オルセイが嘲笑を上げる。

「可愛らしいことを言ってくれるじゃないか、魔道士様。だったら死ぬかどうか、試してみるまでだ」

 言いながら、オルセイは腕を振った。振った先に炎が生まれ出た。

 オルセイの手に甘えるように絡みついた炎が、ぶわりと膨れて赤く光る塊になり、エノアの腕に噛みついた。激しく燃える音がさながら咆吼であり、怪物のようだった。

 炎はさらに大きく燃え上がり、エノアの腕全体を包む。赤い怪物はオルセイの嘲笑を形にしたように揺らぎ、うねる。エノアの腕を舐めながら、炎は端整な顔を食らおうと燃え上がる。

 しかしそれは、悲鳴を上げて消えた。

 煙と湯気が室内を白くした。

 ライニの水だった。

 エノアが懐から小さな瓶を取りだし、中身を腕にかけたのだ。『力』を乗せたライニの水は、オルセイの炎を退けただけでなく、空気中に広がって霧になった。さらにエノアの起こした風に流れて、オルセイらに覆いかぶさっていく。

 エノアは焼かれた腕をダランと下げたままだったが、やがて腕を持ちあげて左手に添えた。『力』が足らない。押されている。

 イアナの剣を持ったクリフが一緒にいた頃でも敵わなかった相手なのだ。ましてニユのランプもない。勝とうなどとは思えない。

 勝つために戦っているのではない。

 エノアの懐では、お前が正しいと言わんばかりにクーナの鏡も光り輝いていた。しかしやはり、力は及ばない。エノアは力の押し合いをしながら、慎重に別の術を練った。

 オルセイに話しかけることは、もうしない。今の彼にエノアの言葉は届かない。いや誰の声も浸透しないだろう。

 少女はそんな中で、目を覚ました。

 まだ覚めきらないリニエスは何の夢を見ていたのか、彼女にしては緩慢な動作で身を起こした。ぼんやりと周りを見る。この世の終わりであるかのような光景は、どこか遠くのものに見えた。リニエス自身が傷ついていないせいだ。彼女の周囲は風もおだやかだった。

『力』を発している、黒い塊が目に映る。

「ラハウ様……?」

 それが、きっかけになった。

 リニエスの小さな呟きが力の均衡を崩し、場を動かした。声なき老婆は思念も出さない。だが明らかに、何かが揺れた。

 それとも老婆には、もはや言葉をつむぐ能力そのものがないのかも知れない。骨と皮だけになっても生き続けるラハウの『力』は、魔力への敬虔な思いと世界への憂いだけで維持されている。そこに言葉は不要だ。

 ラハウが発する言葉は、古代の、力持つ呪文だけである。

 ひずんだ霧の切れ目から、ラハウの発した風の刃が飛んできた。エノアは避けきれないと察して腕を上げた。身を切られても詠唱をやめるわけには行かない。

 刃が、エノアのマントや服、髪などに襲いかかって、吹き去った。思ったより攻撃の量は多くなかった。さえぎってくれた者がいるからだ。エノアはリニエスに言葉をかけず、呪文に集中した。

 リニエスがエノアの前に立ちはだかっていたのである。かつてラハウをかばった時よりも、もっとはっきり彼女は両手を広げてエノアを守った。バッと腕を広げた動きに合わせて揺れたおさげが、風の刃に立ちきられていた。

 次いで頬やこめかみ、腕や足などあらゆる箇所が無惨に切り裂かれた。呪文を唱える暇も持たずに走った少女は、防ぐすべなど何も持っていなかったのである。

「!」

 それでも声を上げない少女は吐息だけを出し、それも暴風にかき消されたのだった。辺りには彼女の鮮血が舞った。風に負けて、リニエスの体が崩れた。

 エノアにとって、唯一の好機だった。

 一瞬ではあった。

 だが一瞬で充分だった。

 ラハウが動きを止めたのだ。崩れるリニエスと同時だった。ラハウは見えても聞こえてもいない。けれど同時だった。

 その一瞬をかいくぐって。

 ──エノアのナイフが飛んだ。

「ぐっ?!」

 くぐもったうめき声が響いた。直後、さっと霧が晴れた。オルセイが右腕を大きく振っていた。彼が霧を退けたのだ。

 そして、彼の左腕は胸を押さえていた。白く光る先端が、正確にオルセイの心臓へめりこんでいた。めりこんでいることを確認したエノアの方が、驚愕したほどだった。エノアのそれは気のせいかと思われるほど、わずかな表情だった。

 けれどオルセイはしっかりとそれを見ており、そして笑った。

 不敵に。

 残像だけで。

「!」

 しまったと舌打ちする暇さえなかった。エノアは直後に術をくり出していたのに、術はオルセイの残像に絡みつくように空転してしまったのだ。

 いや空転ではない。ラハウは座ったままである。オルセイだけが消えたのだ。ナイフを身に受けるリスクを取って“転移”の法を発動してオルセイは、エノアが放った渾身の魔法から……まんまと逃れてしまったのだ。

 思わず、ため息が出た。

 これが最後と覚悟して『力』のすべてをこの魔法に込めていたエノアは力尽き、ずるずると崩れ落ちてしまった。魔法陣のまんなかで大の字になったエノアは、倒れている少女と座したままの老婆を見やり、静かに瞑目した。

 次に会う時は必ずと、もう何度思ったことか。

 今はただ、ナイフに込めた『力』が死の神から力を削いでくれることを祈るのみである。

 歴然たる力量差が瞬時の勝敗を決めてしまった。けん制だったナイフに当たりに来るとは思わなかった。何の魔法を練っていたのかまで、見破られていたに違いない。

“沈黙”の法を。

 エノアの放った技は、魔力の発動を封じるものだった。浄化にこだわらず、どこにも行かせない、魔法を使わせないことだけに集中したのだ。

 今のオルセイは『魔力』に頼って生きている。クリフとの戦いを見て、エノアにはよく分かった。オルセイは窮地になると魔法を使う。無自覚に。

 無自覚に魔法を使ってクリフに恐怖を植えつけている行為は、オルセイの心底に眠っている願望がさせるものだろうか、とエノアは思う。クリフの強さに焦がれるほど、羨望は憎悪に姿を変えてダナになる。人格なく、ただ憎悪の塊であった頃の方が、オルセイとしては幸せだったのではないかとすら思える。

 そうなれば今頃は世界が焦土と化していただろうが。

『それも流れ』

 エノアは魔道士たちの言葉を思い出し、自嘲の笑みを浮かべた。

 流れに逆らうことがファザの石を守るのだという判断をした点で言えば、エノアとラハウはまったく同類だった。まさしくコインの裏表だった。だからこそせめぎあい、戦うはめになったのだろう。初対面だったラハウが、お前だけは死んでおけと言った、その気持ちはよく分かる。

 エノアとてラハウだけはと思っていた。

「ラハウ……様」

 少女の声が響く。身を起こしたらしい音が聞こえた。薄く目を開けると、ざんばら髪になったリニエスが老婆に顔を向けている後ろ姿が見えた。エノアはリニエスに言葉をかけず、また目を閉じた。

 黒い塊に向かう彼女の手は、2回、体を引きずったところで止まった。塊に向かって手を差しのべかけて、途中で止まった。リニエスにも分かるのだ。

 ラハウの命は、魔力によって維持されていた。

 エノアの術は、魔力の放出を止めるものだった。

 もしかするとリニエスの行動によって魔法を止めてしまった、そこが寿命だったのかも知れない。

 リニエスがもう一度「ラハウ様」と呟いた。だが応えはない。

 ラハウは死んでいた。

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