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2-3(対峙)

“転移”の瞬間は、いつもドキドキした。どんな景色が現れるのか、誰に会うのか何が起こるのか。その高揚は不安でもあり希望にも似ていた。

 今もまだ、体中の血が沸きたって心臓を壊しそうなまでに叩いている興奮の正体が、恐怖なのか驚喜なのかも分からない。それが目前に立つ男を見たために起こっている感情だということだけは、分かるけれど。

「よう。黒髪に髭面とは、化けたもんだな」

 言われてクリフは、顎を引いた。

 オルセイは白い壁に背を預けて足と腕を組み、出現したクリフらに向けて、にこやかに手を挙げた。

 薄汚れた、飾り気のない格好と、邪気のない笑顔。憑き物が落ちたかのようである。白くて狭い、一般家庭の一室と思える場所に似合いの姿で、オルセイは立っている。自分たちの足下に描かれている魔法陣が不似合いすぎて、滑稽ですらある。

 彼の隣りに黒い老婆がいなければ、すべて夢だったのではないかと思えそうだった。

 だが夢ではない。

 壁ぎわに鎮座する黒い塊が老婆ラハウだと分かるのは、隠しきれない『魔の気』が吹きこぼれているからである。彼女の気配はすでに何度も味わっている。手合わせせずとも分かる力量を、ラハウはまったく抑えていなかった。去年よりはるかに強い気が、2人に叩きつけられていた。

 体が締めつけられ、肌がピリピリと痛い。

 去年の時には抑えられていたのか。いや今にしても、どこまで抑えられているのか。全力で開放している量とは思えなかった。

 底がない『力』。

 化け物じみているが、そう考える方がしっくりと来る。

 いつまで戦っても、どこまで強くなっても絶対に勝てない。

 なのに戦わないわけには行かないのだ。

 その、老婆の気が。

 ふと動いた。

「!!」

 あっという間だった。

 風が塊となり、クリフらに襲いかかったのである。

 空気がきしみ、ドォンと重いものが壁にぶち当たる音が響いた。とっさに顔をおおったクリフは、自分が無事だったことに気づいてから、そっと目を開けた。思わず目を閉じていたのだ。

 光景に変化はなかった。風の流れが魔法陣を境に、ねじ曲がっているらしいのが感じられた。エノアが片手を突き出しているせいで、そう見えるのかも知れない。だがエノアがラハウの攻撃を回避したのは間違いない。

 リニエスを除いて。

「?!」

 クリフが慌てて周囲を見やると、リニエスが背後で横たわっているではないか。ぐったりと動かない彼女は、気絶してしまっているようである。先ほど聞こえた強烈な衝撃音は、リニエスが壁に叩きつけられたものだったのだ。

「おいっ」

 駆けよったクリフに、風が吹いた。魔法陣から出たとたんだった。やはりエノアが魔法陣を使って、ラハウの攻撃をしのいだのだ。リニエスは魔法陣から足を踏みだしていたために、部屋の隅にまで吹き飛んでしまったらしい。

 本人にも意識がなかっただろう。

 ラハウに近寄ろうとしていたなど。

 小さな少女は一言も発しないまま、表情も変わらないまま気絶させられてしまった。

 かすかに老婆の気配が揺れたようだったが、いきり立ったクリフにはそこまで読みとれなかった。

「手前っ」

 クリフは立ちあがり、腰の剣に手をかけた。

 室内がキンと張りつめた。

 オルセイとラハウは最初から臨戦態勢にある。2人は元々からクリフらの来訪を待ち受けていた。そのためにオルセイが、“遠見”中のエノアらに向けて『力』を飛ばしたのだ。

 オルセイの気配はまだ殺気を帯びていなかったが、口の端にのぼった笑みには、すでに戦意が見てとれる。

「訊いていいか、オルセイ」

 クリフは睨んだまま、注意深く呟いた。オルセイは苦笑で応じた。首を傾げて続きをうながす外見は悠々たるもので、クリフの緊張をものともしていない。

「何だ?」

 乞われて、クリフの方が言いよどんでしまった。

 白い壁に囲まれていて出入り口が一つしかない、小さな部屋である。何もなく、魔法陣も小さい。クリフらとオルセイらとの間には多少の開きがあるものの、剣を抜いて一歩を踏みだせば、すぐ間合いに入れる距離である。

 エノアとて表情こそ変わらないが、心を波立たせたはずだ。クリフたちの装備は前に対立した時よりも、お粗末である。クーナの鏡とライニの水しかない。水瓶は持ち歩けないので、瓶に満たした水をわずかに持っているだけなのだ。

 イアナの剣を握っていた頃より、はるかに頼りない。

 できれば戦わないでおきたい。

 オルセイを戻す道が得られるまで。

「どうしてラウリーを諦めたんだ?」

「諦めたわけじゃないさ」

 かすかにオルセイの笑みが色を変えた。

 クリフの心が退きかけた。が、気力で前に押しだした。体はまだ動かさない。自分が動けば、オルセイも動く。変貌してしまう。そんな気がする。

 オルセイは、やや髪が伸びた上に色を変えたが、目の優しさが麓村にいた頃と変わっていない。クリフが欲するオルセイである。むしろクリフの方が変わってしまっている。オルセイに揶揄された、黒の剣士。目つきも変わってしまったように思う。

 元に戻れと言われそうなほど。

「剣とランプをもらったので、ちょっとの間ラウリーの助けがいらなかっただけだ」

 口調はあくまでおだやかで、オルセイが自分の意志でダナたる『力』と共存しているのだと認めざるを得ないほど、そこにいるのはオルセイである。

 けれどクリフは彼を睨む目に力を込めたまま、ゆるめない。

「助け?」

 にわかに気温が下がった気がして、クリフは体を硬くした。じりじりと何かが迫ってくるのを感じる。ラハウは死体のように動かず、オルセイは親友の顔をしたままだ。

 だが、リニエスの気絶した姿が告げている。

 もう始まっている。

「そう」

 オルセイが笑みを深くした。

「俺は、ダナが俺を食いつくさないように、他者の魔力を必要とする」

 語尾に付随して、『力』が飛んできた。瞬時に腕を上げて動いたクリフの頬や腕、太股を、風の刃が切りさいた。耳元で風が鋭い音を立てた。前方で衝突音も響いた。エノアの障壁だ。雲間の光が言葉となったかのような呟きが、小さく耳に入ってくる。彼の声も熱を帯びている。

 やんだ。

 正面を見ると、親友たるオルセイは消えていた。

「お前は……」

 呟いてみたが、続きは思いつかなかった。

 ダナたるオルセイの方が自然に見えた。冷笑を浮かべて、暗い感情をたたえている。

 2面を同時に見せられて、クリフは嫌でも分からざるを得なかった。今は、これがオルセイなのだ。ラハウの手による“ダナ”の降臨は強制的なものだったが、それによって引きずりだされた感情はすべて、元々からオルセイの中にあったものであって……そうした感情を開放しているだけなのだ。

 イアナの“怒り”のように。

 クリフはふと「昔から控えめだったもんな」と苦い笑みを洩らした。それが肥大した“憎しみ”の根源なのかは知らないが、きっかけはそんなものでないかと思う。皆、些細なことでも鬱屈すると手に負えなくなる厄介な心を胸に抱いていて、それは蓋を開ければ案外と単純で、理性と感情が互いの利害を天秤にかけているのだ。

 そうして何かを排除する。

「っ!」

 クリフは剣が抜けなかった。

「クリフ!」

 天の怒りとおぼしき声が、クリフを殴った。我に返った時には、エノアがオルセイらの攻撃を両手で押さえていた。ダナの『力』が、エノアの手に集結している。いや、エノアが捕まえたのだ。黒マントが揺れて、光が四散した。

 一瞬、室内が漆黒に包まれた気がした。

 はためいたマントが静まる。

 いつしかラハウの気配も揺らぎ、実体と化した『力』の塊は感情のみから生まれたのではない、混沌としたものに変わっていた。魔力は不気味で敵意ある、ただの“武器”になっていた。

 急激に血の臭いが辺りに充満した。先ほど傷つけられたものだ。気が付くと、いたるところから血が出ていた。自分の前に立ちはだかったエノアのフードにも切れ目が見える。何カ所か切られたらしい。鋭利に勢いよく切られ、血が壁にまで飛んでいた。

 白い壁面に、赤い雫がトロリと落ちた。リニエスの頬にも赤い点が着いていたが、彼女の血ではない。無傷らしく、まだ目覚めない。喧噪の中で気絶したままの彼女は、どこか幸せそうですらあった。

 クリフは頬の血を袖でぬぐい、剣を抜いた。

「逃げろ」

 エノアに言いながら、オルセイに向かう。

 エノアを死なせるわけには行かない。オルセイを救えるのは、おそらくエノアだけなのだ。

 ダナの盾を探せる者、『力』をオルセイから盾へ移動させられる者は、エノアしかいない。他の魔道士は動かない。エノアの単独行動なのだ。

「少しは腕を上げたか?」

「お前こそ!」

 オルセイが剣を抜き、クリフの剣を受けとめた。金属音が狭い室内に木霊した。

 合わせた剣を見て、クリフが一瞬だけ動きを止めた。そこをオルセイは見逃さない。だがクリフは、これを予期していた。オルセイの太刀筋は見なくても分かるほど、体に染みついている。

 再度ギィンと剣が鳴る中、クリフはうなった。

「イアナの剣を出さないのか?」

 オルセイが握る剣はイアナではなかった。ヤフリナ国が量産する、粗雑な長剣だったのだ。長さもクリフのものより短い。

 オルセイは微笑んだ。

「これで充分」

「このっ」

 退いて体勢を崩させ、隙ができたところに剣を振り入れる。それをオルセイが、また止める。剣が鳴る。太刀筋を憶えているのは、オルセイも同じなのだ。

 クリフは怯えていなかった。オルセイの『力』に慣れたのかも知れないし、魔法陣によって自分の『力』も上がっているためかも知れない。常に黒く染めている髪だが、実際はもう燃えるように赤い。イアナの剣が欲しかったが、それはオルセイを殺すためじゃない。

 殺せないのでなく。

 殺さないのだ。

 そう決意したからクリフは恐怖を消し去って、純粋な心でオルセイを見ることができた。剣に迷いがなかった。まだ甘い考えであると気づかないほどに。

 バン! と衝撃音が起こった。剣ではない。クリフが足を使ったのだ。

 剣技の流れを断ちきる派手な蹴りに打ちのめされ、オルセイが壁に叩きつけられた。さすがに無茶な動きだったらしく、クリフは肩で息をした。多少は効いてくれたようである。が、すぐに剣を構えなおした。即座に反撃が来るだろうと思ったからだ。

 そこに別の声が上がった。

「クリフ、どけ!」

 背後から怒鳴られて、とっさに避けた。エノアが攻撃を出すのかと思ったら、違った。オルセイの周辺が急激に熱くなり、大気中に炎を生んでクリフらに投げつけてきたのである。確かに即座な反撃だった。

 老婆からも『気』が立ちのぼっているのが感じられた。

「!!」

 と同時に、オルセイからの『気』も膨張した。憎悪と共に。

 消し去ったはずの恐怖がよみがえるほど。

 しまったと思っても、もう遅い。オルセイは自分の『気』を抑えていたのだ。ラハウ同様に底知れぬ『力』をオルセイだって持っているのだ。むしろ潜在能力だけで言えばオルセイの方が大きい。ダナなのだから。

 クリフとて大きいのだろうが、今はイアナの剣がない。

 クリフは“イアナ”ではない。

 やはり、あれが要るのだ。

「くっ」

 クリフは震えを振りきって突進した。

「馬鹿の一つ覚えかよ」

 せせら笑いを受け流して、剣をぶんと後ろに振る。少しでも遠心力をつけて、一撃でいい、こいつの顔を俺の剣で歪ませてやる──そう思った。

 だが、

「うわ?!」

 ぐんと背後に引っぱられて、クリフは勢いよく転がってしまった。勢いで剣を取り落とした。

 クリフを掴んだエノアの力もさることながら、止められると思わなかったクリフは慌てた。

「エノア?!」

 がむしゃらに、立とうとする。だが手を突いたクリフは、その円陣内に大きな魔力が発生していることに気づいて動きを止めた。魔力の高まりに合わせて、嫌でも体が高揚する。怒りが湧きあがる。エノアの気に、イアナの『力』が呼応する。

「おい!」

「あいかわらず食えん男だ」

 オルセイは、エノアに残虐な笑みを向けた。オルセイにはエノアの思惑が読めるらしい。

 その間にもオルセイとラハウからは、容赦なく『力』が飛んでくる。差し出されたオルセイの手に『気』が集中している。しかしオルセイらの攻撃は当たらなかった。

 食えない男は言った。

「思い通りにはさせん」

 語尾が消えた。

 いや語尾だけではない。

 2人共が、消えていた。

 オルセイの起こした風は、虚しく空を舞った。

 しかし2人である。リニエスだけは円陣の外だったので、隅に残っていた。気絶したまま何も知らず、安らかに横たわっている。

 エノアは、“転移”先が危険なことを見越して、予防線を張っていたのだ。ここへ来るのに通常より長く術を練っていたのは、もう一度すかさず飛ぶためだったのである。

 しかし空虚な光景も一瞬だった。

「?!」

 オルセイが体勢を崩した。

 エノアが円陣内に立っていた。瞬時に戻ったのである。戻ると同時にくり広げられた魔法が避けきれず、オルセイが崩れたのだ。クリフは消えたままだった。どこかに飛ばされたきりらしい。

 胸を押さえて、オルセイが立ちあがった。

「逃げたと思ったが」

 オルセイの不敵な笑みにも表情を変えず、エノアは手をかざすのみである。

 逃げたところで逃げきれるものではない。

 動きだしたダナから逃げきることなど──死から逃れることなど、不可能なのだ。

 だから立ちむかうしかない。

「お前はダナだ」

 呟きを消すように、風が吹き荒れた。マントがはためきフードが取れて、新緑の合間から見える鋭い瞳が、輝きを増した。

「だが神ではない」

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