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1-10(不安)

 ラウリーは声もあげられずに目を見開いて、歯をくいしばった。強烈な衝撃だった。身体が押しつぶされるような、ねじられるような苦しみと痛みに締めあげられた。

 自分の両肩を抱きしめ、あぐらを掻いている自分の膝の中へ逃げようとでもするように、小さくうずくまる。どんなに丸くなっても腕をさすっても、送りつけられた黒い思念がラウリーの胸を凍らせる。体中がきしんだ。

 誰から送りつけられた思念かなどと、訊くべくもない。

 物理的な攻撃をともなった強い『力』だった。

 だが。

「大丈夫ですか? ラウリー様」

「……ええ」

 ラウリーは頭を持ちあげて、愕然とした。

 誰も、ラウリーのようには苦しんでいなかったのだ。皆、心配そうな顔をラウリーに向けているだけだった。クラーヴァ城広間の魔法陣に座る、魔法師たち。

 皆の顔色は悪い。“遠見”の法は、“転移”の補佐より高度で、力を要する。ここには魔法師しかいない。魔法使いにできる法ではない。“遠見”は探った映像が、術を使った者すべてに襲いかかる。

 けれどラウリーより力が弱いはずの彼らが、ラウリーほどの衝撃を受けていないのだ。心臓をわしづかみにされたような痛みは、まだひかない。

 元々、魔道士が8人がかりでおこなうような技である。今この中で魔道士たるはエノアだけだ。ということを他の者たちは知らないが、力のほどは明確である。映像が叩きつけられるといっても不明瞭だし、像をなさない。イメージを解読できるのはエノアだけだ。それが、媒体探しがはかどらない原因の一つでもある。

 ラウリーにも分からなかった。

「エ……」

 ラウリーは声をかけかけて、やめた。

 エノアなら自分と同じ苦しみを味わっただろうかと訊くのは、愚問に思えた。感じたとしても感じなかったとしても、それがどうしたと言われそうで。

“遠見”が終わった直後で、エノアは集中している。座りこむ黒マントに変化は見られない。苦しんでいるのかも知れないが、そこはエノアだ、完全に隠しおおせる。けれど今は周囲に注意を払うのではなく、内に籠もって自己の『力』を探っているようである。今、邪魔をしてはいけない──と分かるほどには、自分にも力がついたようである。

 潜在能力の覚醒と違って、魔力の制御は訓練のものである。上達度が見えにくい。昨日まで無理だった技が今日はできたとか、今でもまだ自分自身が“転移”することはできないといった、地道な繰り返しでしか実感できないのだ。だが努力は、いつ暴発するやも知れず大きさをも測定できない無制御の力より役に立つことで、報われる。

 ダナたるオルセイや、潜在能力だけが高いクリフの『魔力』が怖いのは、無制御だからだ。

 けれどオルセイは独自で鍛錬していたようだったし、側にラハウもいる。クリフの側には、エノアがいる。それで安全なのかは保障しかねるが、今のところは安定している。

 無制御の鳥もいるが、彼にもラウリーがいるし、魔法陣による縛りも与えられているので平然としていられる。いや、彼でなく彼女かも知れないが、口調からすると“彼”だろう。

「何ビビってんだよ、何か見えたのか?」

 歯に衣を着せない物言いは分かりやすい。この鳥にも、ラウリーの感じたものがなかったのだ。リニエスも飄々とした態度の中にラウリーをいたわるような表情を見せてくれており、ダメージを受けたのが自分だけらしいと分かる。もしくは、後はエノアだけか。

 ラウリーは目を閉じて、浅く長い呼吸を繰り返した。

 やがて深くゆっくりと息を吸い、吐く。

「ええ、少し何かが……あれ?」

 羽ばたくケディに応えながら、ふとラウリーはおかしな現象に気付いた。痛みが退いていくと同時に、先ほど見えた気がした何かも薄れていたのだ。すっかり忘れている。

“遠見”による情報は瞬間的なものだ。それを自己内にとどめて映像として記憶しておくにも『力』と修行を要する。力をつけてきたと思っていただけに、薄れている記憶に焦りと失望を憶えた。重要な……とても重要なことだった気がするのに。

 その間にもケディは、ラウリーの肩にとまろうとして「顔を上げろよ、座りにくいぞ」と毒づいてくる。ラウリーが動いたので跳びあがらざるを得なかったのだ。ケディは体勢を整えた娘の肩へ舞いおりると、ため息のような呼吸をした。

「ケディ?」

 ため息ではなかった。疲れて息が荒くなっただけだった。

 ラウリーがポケットから小麦の団子を取り出してケディにかざすと、彼は体を曲げて団子をついばんだ。魔力を使った後は体力がなくなるので眠くなるし、腹も減る。

 人心地ついたらしいケディは広間の扉が開けられたのを見て、「じゃあな」と翼を広げて去ってしまった。本格的なエサ狩りに出かけたのである。ケーディは雑食だ。人間が食べる小麦で、彼の腹を膨らせてやることはできない。あるていど体力が戻れば、彼は自分の面倒を自分でみる。ラウリーが提供しているのは主に寝床だけだ。

 醜悪な迷彩色の鳥が呑気に飛ぶ様子は、皆の緊張を削いだのだろう。魔法師たちの表情に、どこか安らかな光がともった。

 ミネカナなる男が口を開いた。

「ケディにも、何も見えなかったのですな」

 柔らかな口調に応えて、皆も次々に「私も」と声を上げた。私も見えなかった、と。大抵いつも何も見えないので、場の空気には「今回も」という慣れが含まれている。見えなかったことに対する悔しさはない。悔しがる力量差じゃない。

 ミネカナは、かつて国一番だった魔法師リュセスの覚えが良かった男である。魔力は大したことがなくても、人には色々と別の力がある。城内での発言力は、ラウリーやリニエスよりもミネカナが一番大きい。けれど、それを鼻にかけることなくラウリーを慕ってくれている、いい男性だった。かつてリュセスと共にラハウの障壁に挑んだ者なら、皆ラウリーに優しい。

“あんな『力』に目をつけられるとは、この娘も大変だな”という哀れみの気持ちがあるのかも知れない。

 自分だったら逃げだすか大人しく捕らえられるよ、とボヤく者の声を聞いたことがある。ラウリーだって、これがオルセイでなかったら、とうにそうしていただろう。逃げるのは無理そうなので、人生を諦めていただろうと思う。

 神は天になどいなのだと言って、床をコツコツと叩いた兄。

 彼が心ならずとも抱えてしまった知識のほどが、どれほどに及んでいるのかへの興味もあった。相手が兄だという事実が、良くも悪くもラウリーに余力を与えているのだ。

 近頃、今すぐにも兄が来るのではという危機感が薄れている。

「東南」

 突然の短い言葉に、肩が竦んだ。全員の目がエノアに釘付けになった。思考が終わっていたのだ。黒衣の中にたたずむ男の『気』が外に向いていた。

 皆の望む回答を発したエノアは、皆の反応も見ずに「席を外す」と立ちあがった。皆はまだ立てない。問いたくとも、追えなかった。唯一立てるだろうリニエスには、問う意志がない。

 与えられた一言だけを皆が噛みしめていると、エノアがラウリーにだけ気配を向けてきた。

「共に」

 言われて、ラウリーは慌てて立とうとして転んだ。

「すみません、ちょっとお待ちを……」

 我ながら情けない。

 ラウリーの力は“クラーヴァ国一”という肩書きになったが、実際には違う。魔法協会に登録していないエノアやウーザの方が数倍強いのは言うまでもないし、リニエスだって実力を隠しているのだろう。ロマラール出身のラウリーなら、リニエスが魔の山に登って無事に帰ってきたということが、どれほどの意味を持つのかが分かる。

 力を隠して潜んでいる者。潜在能力だけが高い者。世の中に溢れる魔力には、まだまだ果てがない。

 ラウリーは太股を叩いて足踏みすると、「よし」と顔を上げてエノアに続いた。ミネカナが「ラウリー様」と声をかけてくれたので振り返り、力強く頷いてから退室した。後でちゃんと報告するという合図である。むろん全部とは行かないだろうが。

 東南。

 クラーヴァ国王都から東南には、かつてラウリーがエノアと共に北上の旅をした村々がある。初めて“転移”を体験した大河もその位置だ。だが国内ではないだろう。

 そこを越えた「東南」にはヤフリナの島国が。その先にはネロウェン南部がある。あるいは、もっと先なのか……。

 ラウリーはエノアの背を見ながら、彼の気配に注意を払った。廊下を歩いているうちは発言しないだろうが、いつどんな言葉が出るとも限らない。聞こえるとは限らない。

 エノアとは気を抜いて付き合えない。慣れてきたものの、親しくなることと気を遣うことは別だ。聞きそびれることも、こちらが愚かな発言をすることも許されない。

 とはいえ幸か不幸か、まだ本当に許されないのかどうかを検証したことはないのだが。今のところ、エノアに叱咤されたことがないのだ。

 などと思っていたために部屋へ着いてからエノアに訊かれたことが意外で、ラウリーはすぐに言葉を返せなかった。まさか、このエノアがラウリーごときに起こったことを分からなかったとは、と思えてしまったのである。

「何が見えた?」

 エノアの部屋へ入って扉を閉めるなり、そう訊かれたのである。立ったまま切り出された様子からすると、実は焦っていたのだろうかとも思える。

 エノアですら何も見えなかったのだろうか。しかしラウリーにだけ特別な何かがあったとは、認識されているらしい。そして、それが何だったのかは彼にとって不明なのだ。

 ラウリーは返答に窮した。

 あの痛みすら幻だったのではないかと思えるほど、すっかり感覚が薄れてしまっていたのだ。脳裏の残像を言葉にしようとあがくほど、するりとこぼれて霧散する。いや“像”など、もう残っていない。

 魔力の充満した大広間を、出てしまったせいもあるかも知れない。出ると、とたんに日常が身を包む。色調は控えめだが、廊下は広く絢爛で、侍女や兵士に貴族と様々な者が行きかう。雑多な気配と雑音に気が散り、せっかく捕まえた感覚が消え去る。違う。そもそも最初から捕まえてなどいなかった。残っていないのも当然だ。

「忘れました……」

 ラウリーは半ば呆然としながら、正直に言った。

「強い力を受けたと思ったのですが……何かが見えた気もしたのに、消えてしまいました。体中に痛みが走ったのも、気のせいだったのかも知れません。こんなこと初めてだったのに、私、何も覚えていられなくて、」

「ラウリー」

 声に引き戻されて、ラウリーは我に返った。顎が震えていた。体に力が入っていた。緊張していた。エノアの問いに答えられないことに、怯えていたのだ。

 ラウリーはエノアの目を確かめてから、肩から力を抜いた。エノアが動き、テーブルに着く。うながされてラウリーもエノアの正面に座った。

 テーブルとベッドしかない質素な部屋は、ラウリーに与えられている場所の半分もない。光源も窓からのものと、テーブル上のローソクしかなく、少々暗い。読書には向かないが、落ちつく空間だ。

「とり乱す必要はない。ありのままを伝えてくれたら、それでいい」

「はい」

 ラウリーは髪を整えて、一度だけ両手でこめかみと目頭を押さえた。眠い。“遠見”の後だからだ。そのせいもあって、うろたえてしまった。どんなに修行して『力』を自分のものにしたつもりでも、ふとした拍子にいつまでも愚かで情けない本当の自分が露呈する。

「こんなに感覚をとどめておけないものだと思いませんでした。力になれなくて、すみません」

「謝る必要もない。消えたという一つの情報になる」

 早々に感覚が消えてしまった、という事実。それほどラウリーは使えないという結論になるのだろうか。謝らせてもくれないエノアに、ラウリーは苦笑した。

「私の『力』は、まだまだなんですね」

「そうだな」

 つくづく容赦がない。

「だが、お前が苦しんだ姿は、幻ではない。私に痛みはなかった。お前だけが受けとったものだ」

 だからラウリーの力は特別なものがあって、単に修行不足なだけだと言いたいのだろうか。そう解釈して、ラウリーは微笑んだ。ちょっと苦笑が混ざってしまったが、エノアの気遣いには感謝している。2年前に家を飛びだすまでは、ただ魔法に甘い幻想を抱くだけの小娘だったのだ。今は、少しは痛みも覚えられたように思う。

「お気を付けて」

 エノアは東南に行く。クリフと共に。

 慣れた手順だ。“遠見”で得た位置へ、2人が“転移”する。半年戻ってこなくても平気で待っていたのに、この時だけは背中に震えが走った。今までにおこなった“遠見”と勝手が違うせいだ。不安が心を濁らせていく。

 もしかして……という思考まで生まれてしまう。

 エノアはもしかして、私が何を見たのでも忘れたのでも、構わなかったのではないだろうか? 私だけが特別な何かを感じたという事実さえ確認できれば。だけど覚えていたなら、聞ければ良かった。だから個室に通された。

 そんな気がした。

 自分は、皆の前では発言できないほどの何かを見たのだろうか。そう思うと急に、心臓が強く鳴った。胸を押さえる。

「お気を、付けて」

 ラウリーはもう一度、しっかりと言葉を噛みしめた。

 その言葉を飲みくだしてから、ゆっくりと立ちあがる。エノアは“遠見”が終わると、すぐに眠るのだ。一刻も早く体力を元に戻して、“転移”の準備にかかるのである。

 エノアが言った。

「今回は2週間ほどかかる。そのように、クリフに伝えてくれ」

 普段なら3日だ。エノアなりに、ラウリーの得た“痛み”に対して気を払っているのだろう。ラウリーは2週間という猶予を、複雑に感じた。

 東南で何かが起こっているのなら、すぐに行くべきのような気がする。

 だが2人に何かが起こるのなら、もう少しクラーヴァ城にいて欲しい気持ちもある。これまでとて、離れることに不安がなかったわけではない。まったく平気だったわけじゃない。

 けれど今感じている暗雲は、これまでの比ではない。

 急にラウリーはクリフに会いたくなり、扉に手をかけた。エノアは立たない。テーブルに着いたまま見送るだけである。彼の真意まで読めたことはない。

「エノアには、何が見えたのですか?」

「何も」

 即答だった。

「感じただけだった」

 生身のものと思えない響きを持つエノアの声は、平坦で情感がなく、本心かどうかが分からない。だが嘘を聞いたことはない。少なくとも今までラウリーが受けとった言葉は、すべて真実だった。ラウリーはクラーヴァ流に腰を折って挨拶すると、するりと退室した。

 だがラウリーの魔道士信仰に落ちたかげりは、もはやぬぐえず、そして戦火と共にやがて消え去るのだった。


 ──ほどなくして、ネロウェン国がヤフリナ国を攻めたという報が、クラーヴァ王都を賑わせたのである。

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