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1-9(平穏)

 ネロウェン国の選択にオルセイが満足したのは、言うまでもない。人々のあがき、憎む感情がダナを強くする。ダナが世を滅亡させるのでなく、人がダナを育てて自滅するのだ。

 争いと荒廃がダナを生む。

 だがオルセイとしての心には平穏を望む面もある。ラハウと神の媒体から得る『力』でダナの暴走を抑えて、オルセイの自我が保たれている。オルセイがネロウェン国を焚きつけて憎悪を増幅させるのは、その力をしてダナを御するためでもある。

 あるいは『力』の強い者が多くオルセイに同調してくれてもいい。

 ラハウのような者が。

「あたしも、まだまだ死ねないね」

 戻ってきたオルセイに対して、ラハウが発した第一声だった。

 いや、声ではない。彼女は動けず、話すこともできない。見ることも聞くことも。魔力のみで、動かなくなった体を維持しているのだ。自身の気力がなくなっただけで、すぐに死んでしまうだろう。

 だが今は誰よりも魔力が充実している。飢饉の結果を見るまでは死ねない。世界は生きのびようとする激しい意志で、魔力を活性化させるだろう。魔法を復活させるだろう。想像するだけでラハウが石化した頬をゆるませ、笑みを作るような錯覚を覚える。

 オルセイは低く呟いた。

「死なれちゃ困る」

“転移”を終えたオルセイは、室内の中央に描かれた魔法陣の中に、ぐったり座りこんだままでいる。立てなくなるほどではなかったが、動くのが億劫なほどには疲れた。

「お前が俺を呼んだんだ」

「あたしでなくとも誰かがやったさ。自然に生まれたかも知れない。だがダナが自然に生まれるほど待っていたら、本当に世界は立ちなおれなくなる。あたしは滅亡を望んでるんじゃないんだ」

 オルセイの頭に直接たたき込まれるラハウの思念は、ずいぶんと雄弁で、まるでオルセイを励ましているようである。励ましているのだろう。世界を導くのはダナだが、ダナを導くのはラハウだ。手綱を握っているのである。

 大衆をしてダナを御する方法とて、いつダナに飲まれて暴走しないとも限らない。理性の楔が切れた『力』の奔流は、たやすく人格を崩壊させる。

 オルセイは苦笑しかけた口元を冷笑に変えて、動かぬ老婆を見た。

 果たして肉自体が残っているのかどうか。

 痩せたどころではない。きっとマントの下に隠れる肢体は、骨という骨がすべて浮きでている。子供ですら彼女をつつけば折れるだろう。普通の者は家には入れないし、ラハウが触らせるとも思えないが。

 オルセイは青年の顔に戻り、からっと伸びをした。

 立ちあがって体をほぐし、隣の部屋に移る。いくつかの部屋がある、きちんとした一戸建てである。さほど広くない殺風景な部屋の羅列だったが、必要最低限の生活用品は揃っており、着替えも入っている。

 柔らかな長袖のシャツと使いこんで薄汚れたズボンに換えれば、死の神ダナはただのオルセイになる。台所も使ってあって、玄関の隅には箒も立てかけてあったりなどする。ラハウがいる一番奥の間だけを、何もないようにしてあるだけだ。

 着替え終わって肩を回したオルセイは息をつき、

「出てくる」

 とラハウに思念を残して、家を出た。

 とたんに目の奥を刺すような光が、オルセイを襲った。攻撃とさえ感じられるほど、この島の光は強い。ヤフリナ国の南側で、ネロウェン国と同じぐらいの緯度にある。だがネロウェンとは違って、緑に溢れていて水も豊富だ。

 豊穣が人の心を柔らかくするのか、島の民は皆が素朴で疑いを知らない。突然あらわれたオルセイを、皆、昔ながらの住民がごとく扱ってくれる者ばかりである。ヤフリナ国の領地なので役人や商人の出入りもあるが、これといった特産物もない島なので人の動きは少なく、呑気なものだ。

 それでも最近の飢饉がここにも影を落とし、人々の生活は徐々に厳しくなっている。本土からの徴収税率が上がったとかいう話も聞く。別世界に見えるほど穏やかな島だが、世界は確かにつながっているらしい。

 額に手をかざしていたオルセイは目が慣れてから、白い家を離れた。

 先ほどまで重かった体は、少し軽くなっていた。いくら問題は心の距離だと言っても、やはりラハウの近くに戻ったことで『力』が安定したのだろう。オルセイはふと冗談ぽく「これも愛かね」と笑った。

 腕組みして湾岸を見ると、潮の中に濡れた岩が見え隠れしている。岩の表面が乾く頃また荒々しく立つ潮が、それらを濡らして沈める。

 人の心も潮と似ている。生と死と白と黒。すべては対称であり、中庸たりうるのだろう。

「オルセイ!」

 可愛らしい声に、オルセイは立ち止まって視線を下げた。彼の腰ほどにしか背のない少年が、オルセイを見あげて満面の笑みを浮かべている。

「よう元気、か、うわ」

 彼はオルセイの手を握り、先導して走りだした。引っぱって、彼の歩みを落とさせる。10にも満たない、はつらつとしていて、よく日に焼けている少年だった。町はすぐ目前である。

「つまんなかったよ! もう、市は終わったよ」

「終わっちゃったか。シュパドさんのパンが欲しかったんだが」

「とっくに売り切れだよ。でも、くれるかも」

「家で食べる分を?」

「オルセイだもん」

 話している間に道は石畳になり、景色が家並みになった。町というよりは村や集落と呼べそうな規模だったが、白い壁が整然と並ぶさまは洗練されていて美しい。

 ほどなくオルセイの周囲に2人3人と子供が増えて、先の少年は優先権を主張するように、大きな手にしがみついたのだった。

「明日の漁には出るの?」

 と、少女が声をかける。

「出るつもりだ。ジニアのお父さんは?」

 答えている間に別の声が「どこに行ってたの?」と上がる。そちらに顔を向けて「海の向こうさ」と話していると、ジニアが「そうよ、明日は沖に出てサイアンを3匹は捕まえるって言ってたわ!」と、はしゃぐ。

「そりゃすごい」

「あら、オルセイ」

 道端で出会った中年女性がにこやかに挨拶し、オルセイもこんにちはと返す。すれ違う者たち皆と、会釈と一言をかわしながら、そうしてしばらく子供たちの相手を務めた後、オルセイは少年以外の子供たちと別れた。少年は道具屋に入っても、まだオルセイの後を追ってくる。

「どこまでついてくる気だ?」

「もっと遊んでよ」

「おや、久しぶりだねぇ」

 オルセイは、ここでも挨拶を受ける。狭い町だ、顔を知らない者はいない。オルセイは少年の頭をくしゃりと撫でながら、店の主人に笑いかける。

 人の近さが故郷に似ていて、胸を締めつけられるものの落ちつきもする。静かな島なので『力』も御しやすい。魔力のかけらも出さずに皆を暗示にかけることができるからだ。だからオルセイの住みか──ラハウの存在は、誰にも知られていない。誰もオルセイを疑わない。

 時々ふらりと来ては働いたり、買い物をして帰る男。オルセイはそのように見られている。それを疑われないのは暗示のせいもあろうが、オルセイの人柄でもあるだろう。昔の、故郷にいた頃のオルセイを知っている者なら、今の彼に違和感を感じないに違いない。

 完全に誰しもから好かれているわけではないのだが。

「おい、オルセイ」

 道具屋で得たスコップとシュパド家から分けてもらったパンを片手に、帰路へ着こうとした時だった。

 その声は低く、敵意を含んでいた。オルセイが足を止めるより早く、かたわらの少年がふり返って悲鳴を上げ、オルセイにしがみついていた。

「しばらく顔を見なかったから死んだのかと思ってたぜ。今日こそ相手しろ」

 まだ10代だろう青年は、若い顔に不敵な笑みを浮かべて、オルセイを睨む。彼の腰には長剣が備えられている。だがグール狩人ではない。この島にグールはいない。剣を技としてたしなむ若者なのだ。

 とはいえ手合わせしたことはなく、ふっかけられた因縁を棒きれ一本でしのいだ日から、不等に狙われているだけである。剣できちんと、本気で勝負したいと思っているらしい。だが力量が違いすぎた。グール狩人の自分が持つ力は自覚していたつもりだったが、戦いのない島に住む者らとの落差は激しかった。

 剣の力は“ダナ”を得てのものではない。自分が元々から持っている力だ。

 だからこそ、たやすく披露したくなかった。

 棒とはいえ戦ってしまったのは、その場にこの少年もいたためだった。懐かれ、町の皆に親しまれる結果にはなったが、代わりに厄介な関係が生まれてしまった。

「オルセイ」

 少年がオルセイの服を引っぱった。町の外れまで来たので人はほとんどおらず、いても、この青年の気性を知っている者ばかりなので近寄ってこない。日が傾き始めていて、気のせいか辺りに漂う空気も気だるくなった。

 戦う気分は起こらない。

「待てよ、仲間を呼んでない今のうちだぜ」

 歩こうとしたオルセイを、青年が呼びとめる。彼の言葉にふり向いてしまってから、オルセイはふっと笑みを浮かべた。

「お前は呼ばない」

 青年が「何を」といきり立ったところを制して、もう一言つけ加える。

「今日は体の具合が良くないんだ。またにしてくれ」

「良くないの? 大丈夫?」

 少年がオルセイの腕をさすり、青年に顔を向けた。つぶらな、懇願する瞳に凝視されて、青年が舌打ちした。舌打ちする青年を見てオルセイは暗い笑みを浮かべたが、それは2人には見えない。オルセイは「またな」軽く手を挙げて、町を離れた。

 青年は追って来ず、捨て台詞も吐かない。気性は荒いかも知れないが、正々堂々としていて曇りがない。

 嫌いではない。

 こういう青年はクリフを思い出させる。クリフではないだけだ。軽く相手してやることもできるが、うっかり殺してしまっては後が厄介なだけである。

 オルセイは足を止めて、ふり返った。丘を越えて道を曲がったので、もう町は見えなくなった。青年も帰ったらしい。見えるのは、道の端に丸い裾を引っかけて海に落ちていく、赤い太陽だけである。

 太陽は、自身が映る海辺を血で染めるかのような赤さで、炎のように輝いていた。

 赤く。

 オルセイは目を細めて、身を固くした。

 体に力を込めたのが、少年にも感じられた。オルセイに握られている手が痛くなり、少年は心ならずとも震えた。

「どうしたの?」

 少年が不安げに顔を見やったが、オルセイは動かない。まるで太陽に呪いをかけているかの厳しい表情に、少年の背がすっと冷えた。言葉を忘れて凝視してしまった。

 風さえ凍りついたように感じられた。

 オルセイが元の様子で少年を見おろしたのは、すぐだった。けれど少年にとっては一晩たったような長い時間だったのだろう。彼は、ひどく疲れきっていた。目を見開き、オルセイの言動を見守っている。

「ああ」

 オルセイは笑みを浮かべた。

「今、友達と話してたんだ」

「友達? 誰もいないよ」

 思いがけない言葉に、少年がきょとんとした。だがオルセイは言いなおしも説明もしない。

「懐かしくてね。一年以上たったから」

「何を話したの?」

 無邪気な少年は、一度は怯えたもののすぐに気を取りなおしたようで、明るい声を出した。少年の問いに対して、オルセイは柔らかな笑みをたたえた後、

「会いたいね、って」

 と、彼の頭を撫でた。

 一瞬だけ少年の目から光が消えて、足がぴくりと動いた。

「会えるといいね」

 応えてから、少年は何ごともなかったように「じゃあね」と元来た道を駆けだした。彼の記憶からは、今日こそオルセイの家まで遊びに行くのだという決意が、すっかり消えている。オルセイも少年に「またな」と手を振った。

 少年が去った後の浜辺にはオルセイしか立っておらず、聞こえるのは波の音ばかりの静かな夕暮れである。林はおとなしく、波も、砂浜を撫でる引き潮なので、さほど泡立っていない。町の方から、かすかに日の入りを告げる鐘が聞こえてくる。空がゆっくりと暗くなっていく。

 オルセイは沈む太陽から目を離し、家路に足を向けた。そろそろ寒くなってきたからシチューも作るかなどと思いながら、手に収まっているパンを眺める。

 壊れる直前とは、何もかもが美しく見えるものだな──と思った。

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