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1-8(奮起)

 秋の快晴は憎らしいほどに青く、みじんも雨の気配を感じさせない。

 人々は、いい天気ですねなどという会話をしなくなった。それどころではないのだ。水の豊富な港町ですらも、恐慌と飢えにおびやかされる日々を送っている。川は干上がりかけており、魚も数を減らした。

 まったく水がなくなったわけではないし、山も近いので、山の幸でも食いつなげる。普通の海岸や王都などより、このサプサの町は豊かだろう。

 そこに住むロマラール人も元来から陽気で「何とかなるさ」もしくは「死んだら死んだだ」と覚悟しているためかも知れない。

 加えて、それを裏付けるかのように、今日は港に騒がしい者がいる。疲れを見せず走り回り、大の男たちに腕を振りあげて作業を急かせる勇ましい様子は、見る者を微笑ませる。

「今日中に積み荷を全部降ろして処理するんだよ。もたもたしやがったら、酒どころか水一滴だって飲ませてやらないからねっ」

 声は甲高く、港中に響きわたるがごときである。声に気付いて、ふり向かない者はいないだろう。可愛らしい娘と分かる声である。

 まさに“何とかなるさ”という言葉が似合う、大きく爛々と輝く水色の瞳。髪は伸びて首筋を隠している。日に焼けて肌が色付き、髪は色あせてバサバサになった。が、今や彼女のことを少年と間違える者はいないだろう。本人が気合いを入れて変装すれば、分からないかも知れないが。

「マシャぁ」

 と、彼女に背中を引っぱたかれた男が、情けない声を出した。

 荷物を担いだまま彼女にふり返り、見おろす。マシャの背はいくぶん伸びたが、男らと肩を並べるにはいたらない。同い年の娘らと比べても低い方だろう。彼女は見おろされて、むっとした。男の顔面を正面からベチンと叩く。

「ってぇっ!」

 凶暴性は変わっていないらしい。

 しかも新入りの男は、この副船長の荒さに慣れておらず要領が悪く、彼女のいいカモになっていた。年下のせいもある。男というよりは少年だが、彼は一人前を目指して無精髭を生やしていたので、パッと見ただけだと少年と分からない。産毛のような髭ではあるが。

「水一滴もはないだろう。ナザリ船長は優しいのに、お前は厳しすぎだ。女のくせに」

 それを耳にした他の仲間が、

『だから手前はいいカモなんだよ』

 と、ため息をついたかどうかは分からない。しかし、そう思うに値する光景がくり広げられていて誰も驚かない辺り、誰もが理解しきっている。

 ドシャアッと荷袋を転がして地に落ちた少年を後目に、拳をおさめたマシャは、

「本当に飲ませないよ」

 と吐き捨てて、甲板に上がって行った。付き合いの長い者ならマシャがそうしないのを知っているし、部下にお前呼ばわりされることや女のくせにと言われるのを嫌っていることも知っている。ついでに、ナザリが優しくないことも知っている。

 マシャに叩きのめされた少年を見おろして、古参の“ピニッツ”船員は苦笑するのだった。

「手前も懲りないヤツだな。いい加減うちの副長との付き合い方を覚えろや」

 顎にあざを作った少年は、そこを手で押さえながら体を起こして、あぐらを掻いた。尻にも青あざができたのか、彼は顔をしかめた。

「俺、“ピニッツ”に拾われたのには感謝してるけど、あいつとは仲良くなれないや」

 少年は服の土埃を払いながら、うなった。払ってみたところで落ちそうにない汚れが染みついていたが、布地は悪くないシャツだ。ほつれや破れ目もほとんどない。その服の胸ぐらをぐいと掴んで、先輩船員は少年を立たせた。

「ソンバ。長の字を信じられねぇヤツは、今すぐ船から降りろ」

「そんな」

 名を呼ばれて、ソンバなる少年は固くなった。

「だってさ、マシャってナザリの妹だってだけじゃないか。そりゃ昔のことは聞いたけどさ、だからってマシャだけ、たらふく飲み食いできて体も洗えて綺麗な寝床なんて、不公平すぎらぁ」

 すねるようなソンバの声は段々と大きくなる。聞きつけた別の男が、彼らの間に割って入った。

「いつまで無駄話してんだ。働け」

 周りの男らをも一喝しているかに聞こえる怒号は、しかし静かで、言い争っていた2人を縮こまらせたのだった。

 ギムである。

「元はといえば、こいつが、」

 と船員がソンバを指さしたのに対し、ギムは彼の指先を掴んで投げすて、言葉を奪った。

「言わせとけ。こいつには、そう見えてるんだ。口で言っても納得せんさ」

 ギムは低く脅すように言って、船員を下がらせた。彼は舌打ちしたが、ギムには逆らえないので退散した。

「じゃあ俺も」

 ソンバも歩きかけた。が、ギムが彼の肩に手を置いて止めた。背中から、同じく脅すように言った。

「言うのは勝手だ。そして勝手な言葉をほざいた分だけ、手前は軽くなる。言葉の意味を考えろ」

 謎かけのような言い方だ。思わずソンバはふり向いた。だがギムの方が先に立ち去っていた。

 若いソンバには、まだ『マシャの悪口は言うなってことか?』ぐらいにしか、ギムの言葉が理解できない。だがギムはそこまで親切じゃない。不器用な男でもある。この不器用さが効をなす場合もあるが、今はあまり効果的でなかったようだ。

 迂闊なことを言うなとだけ言っておくべきだったかと思いつつも、出した言葉は戻せない。ギムは木箱を一つ運んでから、甲板に上がった。

 近くにマシャがいたことは知っていた。荷物の隙間に隠れるようにして立っているマシャに近づき、ギムは木箱をノックした。コンコンと可愛らしい音が上がる。

 マシャは腕組みして、気まずそうな照れたような、ふて腐れた顔で大男を睨んだ。

「お節介」

「性分でな」

「ケンカさせときゃいいんだよ、あんなの。息抜きだろ」

「副船長が舐められるのは良くない」

「舐められる器量しかないのさ」

 17歳になった少女は、色あせた茶の前髪を上目遣いに睨んだ。

「マシャらしくねぇな」

「怖がられるようになりたいよ」

 子供から脱却しつつある“ピニッツ”副船長は、そろそろ子供ならではの我が侭っぷりと、はつらつさを使えなくなってきている。「女」になってしまったら、はつらつさは男を誘う油断にしか見られなくなるし、我が侭は醜くなる。女の強気というのも上手く使わないと嫌味になる。

 マシャはマシャで、自分の立場に悩んでいた。

 が、やめる気はない。選んだ道だ。覚悟もある。

 2年前に直面して選んだ分かれ道は、大きな分岐点だったと今でも思う。少年王の名を聞くたび、その実感が膨れあがる。

 まして、ネロウェンと戦争になるかも知れないと聞いた日には。

『嘘だろ』

 ――ロマラールに戻った“ピニッツ”に伝えられた報を受けて、マシャはそう呟き、呆然としたものだった。

「ディナティが……敵?」

「まだ、そうと決まったわけじゃないわ。回避策を練っているところよ」

 ルイサがマシャに応える。凶報は、ルイサ自身が持ってきた。

 ルイサは“ピニッツ”が出航するすべての航海に同乗するわけではない。侯爵としてサプサの町を統治しているし、騎士団長として城に出向きもする。王の直属であり密偵も兼ねている分かなり自由が効くとはいえ、一昨年の秋から昨年の夏まで一年近くも町をほったらかして戦争にあけくれた分のツケは回ってきている。

“ピニッツ”帰還を手ずから出むかえて、こうして話ができているだけでも奇跡に近かった。

 奇跡を起こしてでも、直接自分で伝えたかったのだ。

 ロマラールがネロウェンの伸ばしてきた手を払いのけたこと。

 それによって戦争となるかも知れないこと。

 だがマシャは、手を払ったロマラールという国を心底からは怒れなかった。だから力なく呆然とするしかなかったのだ。差しのべた手を引っぱられて共倒れするだろうほど、ロマラールも危うい。

 貴族連中の屋敷に押し入って金銀財宝をかっぱらって、人々にばらまいたことだってあった。だが焼け石に水である。問題の根底はそんな場所じゃない。

 その葛藤と苛々もあったので、今日のマシャは一層、荒れていたのだ。早く出航したかった。ヤフリナと取引を終えたばかりだったが、地面に尻を落ちつける気分にはなれなかった。

 自分は、せわしなく働くために食事を与えられていると言っても過言ではない。マシャが充分に満たされるのは、弱音を吐けない立場にあるから。食事量は変わらないのだが、他の恩恵は受けている。歪曲されていても否定できない。

 優遇されるに値する働きができていないなどと嘆く余地はない。できると信じて取り組むしかない。今日できなければ明日はできると自分に言い聞かせて、食べて寝る。落ちこむ時間と涙が勿体ない。

 ネロウェンへ行くという決定に、少なからず心が躍っていることも否めなかった。

 マシャの苛立ちは、そんな自分の浮き足だった気持ちへの叱咤も含んでいた。

 話しあった際、ルイサが言った。

「友達を訪ねるんじゃないことは確かよ」

 伸ばされた手を掴まなかったのだから。それがマシャ自身でなくとも、同じ意味だ。言われずとも分かっている。頭では。

 それにディナティ王が変わってしまっている可能性もあるし、そもそも会えるかどうかも分からない。以前のようには行かない。王都に張り巡らせてきた情報網とて、気配りはしてあるものの未だ“ピニッツ”に協力的かどうかは保障がないのだ。

 ──という話を、すでにギムも知っている。皆の尻を叩く役目はマシャだけじゃないし、それに、情報は皆に等しく与えられる。それが“ピニッツ”だ。

 マシャは回想をやめて、ギムに「すまないね」と言った。

「出航前に生まれたばかりだった3人目、もう大きくなってたろ。女の子だっけ?」

「よく憶えてたな。可愛かったよ。かかぁはレース編みなんかより、チーズのひとつも持ってこいって怒ってたけどな」

 マシャは苦笑し、ギムはからっと笑った。雑談であっても言葉の端々に“食”が入ってしまうことには、もう慣れなければならない。

「一日でも帰れて良かったし、もっと長居してこいって言われたら逆に不安だ。そんな顔するな、お前らしくない」

 齢50を過ぎようかというギムは、そんな年齢を感じさせない強い目でマシャを射る。目の強さに負けまいとするように、マシャはギムを睨みなおした。

「いちいち“らしくない”って言うの、やめてくれない? あたしらしさは他人が決めるもんじゃないだろ」

 ギムは突っかかられても動じずに受け流す。ギムにとってマシャは娘のようなものだ。生まれた娘は3人目でなく、気分としては4人目である。

「なら自分がなりたい自分になればいい。ネロウェンに行くことは決まっちまってるんだ。どうするよ?」

 笑いをかみ殺しているような中年男の顔に、マシャは苦い表情を浮かべた……が、言った。

「ディードム・エブーダに忍び込んでやるさ」

 即答だった。

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