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1-7(奸計)

 ネロウェン国王宮ディードム・エブーダの斜形柱が並ぶ土色の回廊は、100年回廊とも呼ばれている。緑あふれる庭を配した、王都の宝と言っていい。週一度しか開放されない観光名所である。

 だが回廊には今や多くの人々が横たわっていた。ニユ宮もすべての部屋を医務室に換えて、国民を収容している。飢えに苦しんで倒れた者から、暴動で傷ついた者まで様々だ。

 庭に流れていた川のせせらぎはすでになく、日夜問わずにうめき続ける低い声と、汗や血、腐敗の臭いが王宮を埋めつくしている。100年の栄華は2年の飢餓に負けた。

 王宮が備えるべきは医療だけではない。

 暴動を抑えるための軍備に、救援物資。王城内の物資などでは追いつかなくなっている。周辺諸国や地方の諸侯にも土地と物資の提供を呼びかけている。

 しかし提供の見返りは現在、勲章と発言権ぐらいしか与えられないのが現状だ。未来の栄光など、何の腹の足しにもならない。すると当然、勅令に従わない輩も多く出る。それを軍力で抑止する。悪循環である。

 そうした徒労も、ディナティ王制を衰退に追いこんでいた。

 フセクシェル家もそんな諸侯の一角だった。巨大な財を抱えつつもディナティ王に従わない。しかもディナティはフセクシェルに対して、簡単に軍を投入できなかった。負けるからだ。ジェナルム国を抱え、ソラムレアとの交渉に臨みつつ周辺の助力をあおがなければならない今のディナティが、相手にしているべき一族ではなかった。

 どちらかと言えば、味方につけるべき状況だった。

「エブーダ……」

 それでも、その一室に足を踏みいれた者は、王宮にフセクシェルが座しているという光景に驚かずにはいられなかった。

 フセクシェル一門を取り仕切る、エブーダとも呼ばれる老人ナヤタフリィ・フセクシェルは謁見の間の中央で、ゆったりとあぐらを掻いていた。手にしていたのは酒だった。それだけで、この謁見がどれほど砕けたものであるかが判断できる。

 エブーダとは、長老という意味を指す。ナヤという略名は滅多に使われない。

「座するが良い、マラナエバ」

 王座から声が降ってきて、エブーダと呟いて立ちつくしていたマラナエバは、我に返った。青みがかった黒髪を揺らして、少年王を睨む。

 王座を狙う王弟としては、フセクシェル家がディナティ王と道をつなぐなど、あってはならないことだったのだ。そうなるかも知れない危惧を持ちながらも、2人が出会わぬよう画策していたつもりだった。だが出会っている。お前の奸計など赤子同然だと言われた気がして、マラナエバはすぐには動けなかった。

「マラナエバ様」

 と、エブーダの向かいに座している右大将までが声をかけてくる。王座のディナティと、上座窓側のエブーダ。その向かいで右大将と左大将が王を右に見ながら並んで、会食と酒を囲んでいるのだ。

 全部で4人。

 この謁見の間には扉がない。2つの入り口にカーテンがかかっているだけである。部屋も広い。相手に閉塞感を与えないためと、王の政治が開放的であると示す演出である。

 だが今はどう考えても、この組み合わせが健康的とは見えなかった。

 今まで犬猿の仲として戦ったことすらある面子だったのに、果実酒まで用意されているのだ。思わず毒でも盛られているのではないかと思ってしまう。

「では」

 マラナエバは気を取りなおし、わざと一番下座にあぐらを掻いた。右大将の隣でなく、王の真正面である。一度座ってしまえば、席を替われとは言われにくい。隅に控えていた下女が、マラナエバ用に並べてあった食器を王の横から降ろしてきた。

 ディナティの面目を潰す目的ではない。腹の見えないまま横に並びたくなかっただけで、その意思表示をしただけだった。毒を警戒したわけではない。

 席について酒を眺めるマラナエバの心中を察したのか、ディナティが少し笑った。彼の側で丸くなる黒グールも主の気配が柔らかいためか、ゆるりとくつろいでいる。他の者たちも。マラナエバの知らないところで話が進んだのだろうことは明らかだったが、あまりに邪気が感じられない。長年の確執を氷解させるだけの談議が、すでに重ねられている証拠だった。

「まず我らの間で決定した内容を、お伝えいたします」

 口火を切ったのは、左大将アナカダだった。むろんマラナエバに向かってである。

 いつも少年王の左にいて、マラナエバにとって目の上のタンコブだったアナカダが闇商人のフセクシェルと和解しているように見える現状が、不気味である。マラナエバは涼しく見える目元を疑念の色で濁らせた。

 そんなマラナエバの視線を受け流して、アナカダは書き記した皮紙を見ながら、とうとうと述べていく。

 フセクシェル一族が、全面的に王制を支援することになったこと。

 ディナティ王はフセクシェル家に対して、政治的優遇も辞さないこと。

 この2点が意味するところは『ディナティがフセクシェルから物資の様々を買う代わりに、フセクシェルは代金を無担保無期限で貸しつける』というものである。国民に物資を配給するためだ。

 だがマラナエバとて馬鹿ではない。フセクシェルばかりが損をするこんな約束を、政治の優先権ごときでエブーダが受けいれるわけがないと知っている。もっと他に美味いエサがあるはずなのだ。

 マラナエバは酒で喉を湿らせてから、壇上のディナティを睨めあげた。

「今のが国民への手向けですかな」

「左様」

 ディナティは眉一つ動かさず、マラナエバに返した。マラナエバは嫌な気持ちになった。今の少年王には余裕がある。この前まで民を励まし奔走していた空元気ではない。フセクシェル家を得たことで持てた自信なのか? と思った矢先に、その言葉が突き刺さってきた。

「主な買い物は武器になる」

 マラナエバの目に映るディナティの笑みが、別の意味を含んだように見えた。

「まだ公に発表はしないが、国内外に漏れても構わぬ所懐だ。徴兵は増やしている。交渉相手はヤフリナを予定している。戦わずに和平が成立すれば良いがな」

「ちょ……ちょっと待て、いや、お待ち下され。ディナティ王様は何を……」

 急激な展開に飲みこまれて、マラナエバが慌てた。持っていた酒にはむせるし狼狽ぶりをさらしてしまうし、散々である。まさか、ここまで話が進んでいようとは、と驚愕を禁じ得なかった。

 マラナエバの心中を、右大将シハムがきっぱりと形にした。

「戦をいたします」

「なっ」

 絶句した。

 念頭のかけらにもなかった言葉を聞くと、人の理解力は凍りつくらしい。

 マラナエバは再び必死で、頭を回転させた。

 ネロウェン国軍が武器を買いつけていた相手は、フセクシェルではない。街の鍛冶屋などを取り仕切る大きな組合ではあったが、くもりのない商売をしていた者だ。フセクシェルよりは。

 フセクシェルの商売には影がありすぎる。子供の売買だってしているほどである。だが裏事情に詳しい分、他国の情勢や技術もがっちり持っている。ディナティ王としては飼い慣らして損のない相手ではあるのだ。手負いの獣を飼おうとしているがごとく、いつ手を噛まれてもおかしくないが。

 そのフセクシェルから、武器を買う。

 これは相当の大戦を意味している。

 フセクシェルは商売の性質上、北のソラムレアや西の島国ヤフリナともつながっている。特にヤフリナの豪商テネッサ・ホフムとは懇意だ。マラナエバとて、その恩恵に預かったことが何度もあった。例え戦争が始まったとしても、彼らが敵対はしないだろう。戦争が長引くよう、金が儲かるよう、全世界に向けて次々と武器を売り出すだけだ。

 少年王の決断にしては、思いきったものである。

 彼はぎりぎりまで小国ジェナルムですら属国にしたがらず、ソラムレア国に対しても迎撃しかしなかった甘い坊やだった。それが急に汚い大人の仲間入りを果たしていたのだ、苦笑の一つもしたくなる。

 マラナエバは顔を引き締め、それらの思いを一言に凝縮させた。

「勝算は?」

「ある」

 微笑みながら、ディナティが即答した。呑みこみのいい弟の返答に満足しているような笑みである。もしくは悪知恵に関しては鋭敏だと思われたのかも知れない。

「民の貧窮は目に余る惨状である。土地そのものに終結が来ているのだ、このままでは国が民を殺す」

「戦は民を殺さぬと?」

「砂を耕す徒労の末に全滅するか、剣を振った金で家族を生かすかを選べと申すか。お前が」

 ディナティが“お前が”の部分を強調したため、マラナエバは歯がみした。まさかガキ王に諭されると思わなかった。第3の道はないのかと問う胸中の甘ったるさが、まるで自分のものでないようだ。

「ソラムレア国を引き込む。協議に勝てれば、戦争にも勝てる」

 どうやってソラムレアを、と思案したが、それを声には出さなかった。それどころではない。

 些事にかまけるより自分の首が危ない、話の雲行きが怪しいことに、後のセリフでようやく気付いたのだ。

「忠言しかと受けとめよう。他にあるか?」

 返答を求められている、という駆け引きだった。

 今この一連の問答は、すべてディナティが王弟の挙動を探るためのものだったのだ。王とフセクシェルが手を結んだのを見せつけて、戦を始めると聞かせて、『さあ、お前はどう出る?』と試されている。

 この場に呼ばれた時点から計略は始まっていたというのに、意外な光景と意外な言葉に飲みこまれていた。マラナエバはそっと息を整えた。

 我ながら遅すぎたが、まだ猶予が与えられている。あるかと聞かれた、ここが正念場と思っていいだろう。返答を間違えたら斬られるに違いない。この面子に自分が呼びだされている現状だ。ひょっとすると以後、マラナエバだけでなく親族や私軍も皆、危険な立場に追いこまれる。

 ガキだと油断していたら、いつの間に……とマラナエバは冷や汗を隠した。マラナエバのことは泳がすというより、殺す度胸がないだけだと思っていたのだ。知らぬ間に王の目は、人を殺せる鋭いものになっていた。

 マラナエバは平伏するわずかな時間に自問自答を100度くり返した。ないと答えて屈服し、少年王を誉め称えるべきか、刺し違える覚悟で異議を唱えるべきなのか。今の今まで敵対し続けていたのに、手の平を返すのもわざとらしいし屈辱だ。

 返答に遅れるマラナエバを救うように、フセクシェルの老人が口をはさんだ。

「マラナエバ様のご深慮は当然ですな。根拠なく勝てると聞かされましても、見えぬものが見えると押しとおされているようなもの」

 エブーダは長老の名にふさわしい、どっしりとした声を出してから、フシュシュと息を抜いて笑った。彼も「根拠」を知らないのか、それとも……『フセクシェルが助力する軍備を疑うのか』という牽制なのか。ディナティを否定することがエブーダの顔を潰すことになるかも知れない、かといって全面的に支持しても怪しいとされ斬られるのかも知れない。

 マラナエバは再度、軽く礼をしてから深呼吸しつつ顔をあげた。余裕の笑みが顔に貼りついている。

「では申し上げましょう」

 萎縮してはいけない。マラナエバは背筋を伸ばして、目にかかった髪をはらった。視界の隅でシハムの体がわずかに揺れた。

「この戦、大義がございませぬ」

「ほう」

 意外な切りかえしだったのだろう、ディナティは興味深げな目をした。一言目は助かったようだ。そこにアナカダが首を突っこんだ。

「民が貧困にあえいでおり、土地に寿命が来た。国を移す理由ではないと?」

「左大将殿らしくもない」

 マラナエバは嘲笑寸前の際どい声音で、アナカダを制した。

「どこの国も同じこと。ロマラールからの返答はまだですが、ソラムレアとは協議の準備が進んでおりますし、クラーヴァ国もヤフリナ国も援助そのものは拒絶しましたが誠意を見せてきた。これらの誠意が足らないと言って進軍したい言い訳が必要なのですから、」

 一旦そこで言葉を切って深呼吸する。マラナエバは皆が自分を見る目を確認して、安堵した。

「これが聖なる戦争であるとぐらいは言わねばなりますまい」

「聖なる、とは」

「ネロウェン王は神だとでも?」

 そう言ったのはエブーダだった。和解したといっても、完全に頭を下げたわけではないようだ。王家に金を貸す、支援するという優位を感じているらしい。

 これはと思ったので、マラナエバは意を決してエブーダに非難の目を向けた。黙れ、という目。王に向かって軽口を叩くことは罰しなければならない。

 敵対はまずいが、増長されるのは厄介だ。

「神でございましょう」

 マラナエバは言いきった。ディナティに向きなおり、手を突く。少年王は笑いだしそうなほど愉快げな反応を示していた。

「王は死の淵を何度も越えられた。王を支える幸運の神ナティが、豊穣の神ライニを従えて民を導くのだとおっしゃればよろしい」

「なるほど。さすがに弁が立つ」

 かたわらのグールを撫でながら、少年王はとうとう漏れた笑みを噛み含んだ。が、浮かんだ笑みはマラナエバの望んだものよりも暗く見えた。反論するふりをしてディナティを持ちあげたマラナエバだったが、これが失敗だったのだろうかと内心慌てた。

 しかし、さほど失敗でもなかったようだ。

 ディナティの表情はすぐに戻った。気のせいだったのかと思えるほどに一瞬だった。

「だが目に見えぬ神の力では、かえって胡散臭くなろうな。民を率いるならば確かなものが良かろう」

「確かなもの、とは……」

 言いよどんだ王弟に、ディナティは一つ息をついた。何かをふっきったような仕草だった。手を挙げ、王座の後ろに向かって「入れ」と声をかけたディナティは、強い目をした。皆も体を固くした。ディナティが言った。

「少年王は死の神を率いて、民を導く。神話をくり返し、我らは生き残った民として新天地で平和を築くべき者となる。黒のグール王として、これ以上の大義名分もあるまい。どうだ?」

 歌うような言葉と共に入室してきたのは、紫髪の男だった。アナカダとシハムはすでに顔を合わせてある。しかし見た瞬間には、否応のない戦慄が体を駆けぬけた。エブーダとマラナエバとて例外ではなく、両大将以上の震えを感じた。

 魔力は感じない。

 マラナエバにも少しだが『力』がある。かつてディナティを毒殺しかけた時に魔法で彼を救った娘がいた、あの時の魔力をマラナエバも感じている。オーラも見えていた。だが今、目前に立つ男には魔の気も何も感じなかった。

 感じなかったが、怖かった。

 それほど目の放せない男だった。

 男は一礼して「オルセイ・コマーラと申します」と名乗った後、つけ加えた。

「もしくはダナとお呼びいただいても結構」

 ディナティがオルセイを表舞台に立たせる決意をしたと同時に、オルセイもまた何かを決意したようだった。などということは、マラナエバが知るよしもなかったが。だが自分の発言が少年王に最後の鍵を開けさせたらしいことぐらいは、分かった。

 少年王は試すふりをしながら、まだ迷っていた。

 王弟の返答次第で身の振り方を考えることも思案していたのだ。マラナエバが強く反対していれば、戦の内容も変わったのかも知れない。敵対しているのに、憎みあっているはずなのに、ガキ王の中で俺はまだ家族らしいのだ。それがきっと、先ほど見えた一抹の苦笑の正体だったのだ……。

 けれど死をまぬがれたという気がする、この感覚も間違っていないように思う。マラナエバは何とも言えない心をもてあましたまま名乗り、ダナとやらに礼をした。

 愚かな男は誰なのだろう。

 複雑な思惑が交錯する裏読みの駆け引きが、戦の幕開けと入れ替わって終了した。

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