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1-4(凶兆)

 報告はエノアの役目、交流はクリフの役目といった風である。

 宴の席にエノアが座ることはない。

 自身が若く部下も若いクラーヴァ国王は、ことのほか付き合いを大事にする。経験も実践も浅い自分がまず作りあげるべきは人脈なのだと、彼は知っている。

 特に、滅多にしか姿を見せない黒の魔法使いと剣士が重要かつ友好的な存在であると知らしめておくことは、王の政治が透明なものであるという一つの証明にもなる。胡散臭い者を前面に押しだして正統性を示すというのは子供騙しもいいところだが、効果はそれなりだ。イアナザール率いる新国は面白い国らしいと各国に認識させているし、クリフたちが旅で国境を渡らなければならない時の通行にも支障がない。

 世界的に情勢が悪いので、それは余計に印象づけられる。

 世界は5国だけではない。クラーヴァの西にも、南と同じような深い森が広がっていて、その向こうに国がある。越えることは可能だし国交もあるが、ヤフリナ国ほどではない。国同士の交流というのはさほどなく、あっても海路の方が貿易が容易なのである。

 そんな状況なのでクリフらが持ち帰る他国の様子というのは、それだけで価値あるものなのである。先ほど大臣が言ったような『娘を置いてやっている』というのは、ずいぶん高飛車な物言いなのだ。

 現に今、宴の席で非公式な噂話を耳にしただけで、イアナザールの見解は大きく広がっている。

「厄介だな」

 クリフの話を聞いたイアナザールは、麦酒のグラスを口に運びながら、うめいた。透明度のないグラスだが、グラスというだけでクラーヴァ国の文化が高いことを示している。陶器の食器に、銀の燭台。ラウリーは落ちついたものだが、クリフはいつも少し慣れない。慣れてしまわない彼の様子に、イアナザールは好感を持っている。

「すまないな、クリフォード。ずっと変装をさせたままで」

 イアナザールは黒髪の剣士に杯を掲げた。身綺麗にしたとは言っても、髭があるし髪も長い。かもし出す雰囲気はどう足掻いても上品なものにならない。騎士でなく剣士の称号に落ちついたゆえんでもある。格好など気にせずとも良いとイアナザール王が言ったのだが、他ならぬクリフ自身が申し出を断って今にいたる。王の体面を考えてのことでもあったようだが、クリフなりに騎士という称号に対して、思い入れがあるらしい。

 一応は、世が世ならクリフォード・ノーマ伯爵と呼ばれるべき男である。誰も……本人からして『寒気がするから、やめてくれ』と言って、はばからない呼び名だが。

 何年たっても、どこまで行っても中身は狩人クリフのままらしい。

 クリフは王に対して「構いません」と同じように杯を掲げた。

 イアナザール王とリュセス王妃、クリフにラウリー、それからリニエスの5人だけの会食だからこうした仕草が可能だが、朝に出会った大臣などが側にいた日には、こんな返答の仕方を王にするなどと、と叱られるどころで済まなくなる。

 ラウリーが小声で「ちょっとは学習してよ」とクリフの足をつねった。

「あて。いいじゃないか、今日は内輪なんだから」

 正式な議会と会食は明日だ。

「クリフはそれが公式の場になっても、やっちゃうでしょうが。使い分けなんて器用なことができると思えないけど」

 ああ言えば、こう言われる。憮然と口をつぐんだクリフに王と王妃が苦笑し、それを見てやっとラウリーが縮こまって矛を収めたのだった。リニエスは黙々と前菜を口に運んでいる。余計な会話に参加する気はないらしい。

 ふとクリフは少女に目をやった。

 角が取れてきたと感じるかたわら、別の壁が立ったかに思えたのは、なぜだろう。人を拒絶しながら愛を求めていた頃より、人を受けいれていながらどこかに諦めの空気を漂わせている今のリニエスの方が寂しそうに見える。

 彼女がラハウを慕っていた子だと自分が知っているせいかも知れない、とクリフは首を振った。

 ラハウの所在は掴めない。

 国々が荒れているせいで魔力が感知しにくいからだ。魔の気は、すさむ心に消される。

 荒れていると言っても、小競り合いで済んでいる。だが去年の夏から雨が少なくなっており、生活に窮する者が増えたため、暴動や略奪は勃発している。もっと激しくなれば国を揺るがす。先ほどイアナザールが「厄介だな」と言ったのは、クリフからこうした話を聞いたためだった。

 そして耳で聞くより、さらに事態は深刻だったのだ。

「今回はジェナルム国を旅していたんだが、相当悪かった。ダナの影が感じられなかったのは良かったんだが、ダナのせいじゃないのに森が死んでるのが腑に落ちなくて長旅になってしまった」

「クリフ」

 苦々しく呟くクリフをねぎらうように、ラウリーが名を呼んだ。ああと小さく言って、クリフはラウリーに苦笑する。

「悪いことを全部ダナのせいだと思う方が間違っているんだが……そう思いたくなるほど、ひどくてな」

 百聞しても一見に追いつかない。ラウリーにはクリフが見てきたものの悲惨さを想像しきれない。

 クラーヴァ国とて、さほど裕福ではない。目前に並ぶ料理は質が落ちたし、量も少ない。国の蓄えを国民に還元する動きもすでに始まっている。去年からあまり雨が降っておらず、裏山の湖も水位が低くなった。もちろん収穫も乏しい。

 だが、まだ日々の飲み水はあるし、食事の回数すら減っていない。さすがに毎日風呂に入ることはなくなったが、茶をいれるお湯はある。倹約と吝嗇(りんしょく)は違うというのが、イアナザールの方針である。

「飢えると、心がすさむ」

 イアナザールが言い、喉をうるおした。豊かな国の王なのに、その言葉には実感がこもっていた。前王のライニックが、大国の王らしからぬ大地信奉者だった影響である。食物の育つことを大事にする男だった。それを今、イアナザールも受け継いでいる。

「ライニの水瓶から、とめどなく水が溢れるなら良いのに」

 リュセスが軽い口調を心がけて、場を明るくしようとした。妻の言葉に「そうだな」と王が微笑む。リュセスは立ちあがり、ではと会釈した。

「ゆるりとご歓談下さいませ」

 ほとんど乾杯と前菜だけで、リュセスは退席した。それを見送りながら、

「そういや、生まれたんだな」

 とクリフがラウリーにこそっと訊いた。聞きつけて、イアナザールが答える。

「とっくの昔だ。透明なほど綺麗な空色さ」

 クリフとエノアが旅立った直後に生まれたのである。水色の瞳。幸運のナティは春と夏にまたいでいる。

 もう少し言い様があろうにとラウリーは内心で頭を抱えたが、これがクリフなのだから仕方がない。そうしたことに、とことん疎い男である。下手をすれば今が何の月か、自分の誕生日すら忘れるような者なのだ。ラウリーの誕生月に合わせて帰ってきたのだとも、はなから期待していない。

 リュセスは赤ん坊の面倒を看るために早々に退席したのだ。公式の場以外はなるだけ息子と接している。

 クリフはラウリーが放つ視線を無視したままリュセスを見送っている。イアナザールは微笑んだきり、それ以上は嫡男のことを言わない。内輪の世間話であっても周囲には侍女が控えており、言動が城中に知れ渡るのだ。ラウリーも下手な言動を避けてクリフに苦笑しつつ、立ってリュセスを扉まで見送るにとどめた。それで子供の話は終わりだ。

 誰も何も言わないが、ラウリーに気兼ねしてのことでもあった。ラウリー自身もそれが分かっているので、その気遣いを甘んじて受けている。別にお話して下さって構いませんよなどと言えば、それはそれで何かと陰口の材料になるだけなのである。

 言えばののしられ、言わずとも非難される。ラウリーの立場では、余すことなくすべての者から賞賛を受けることなどないのだ。王宮魔法師として城に居着いているロマラール人で、しかも広間の魔法陣はクラーヴァ王都だけでなく彼女を守るものであり、その相手はダナだという──。

 事情を知らぬ者から厄介扱いされても仕方がない状況にある。

 しかも女性陣からも結婚しないらしい、子を成さないらしいと噂される始末である。

 ラウリーとリュセスは変わらず仲が良いので、それが救いと言えば救いだった。下手にラウリーを誹謗中傷すれば王の耳に入るところとなる。それでも人の口に戸は立てられないものだが。

 ラウリーもまた、王都に移り住んで子を成しても良いかもと思うことがある。こうした背景もさることながら、リュセスの子が本当に可愛いからだ。自分もこんな子を持ちたいという欲にかられる。

 イアナザールの茶毛をリュセスの髪質で揃えた、さらりとまっすぐな髪。顔の真ん中でくりんと大きく光る瞳は明るくて活気に満ちていて、皆の笑みを誘う。育てば、さぞ気品ある王になるだろう。

 週ごとの勢いで元気に育っていく子を見守っていて、自分の子が欲しいと思わない女はいない。元々も、そういう倫理観で育てられた娘だ、いくら例外的にしていても、根付いている本能には勝てない。

『でも実際には色々と大変よ。いずれ授かるものなのですから、気楽に構えておいでなさい』

 リュセスはラウリーにそう言って微笑んだものだった。元々から落ちついた女性だったが、王妃となって王子を生んで、さらに穏和な人柄になった。一生勝てないなと思う。思ってから、勝てない相手の何と多いことかと苦笑してしまう。

 どんなに綺麗になったと言われても聞き流してしまうのは、リュセスやルイサがいるからだし、国一番の魔法師になったとおだてられても一笑に付してしまうのは、エノアや兄の力を知っているせいだ。

 いくら精進しても追いつけない目標が身近に何人もいて、おかげでラウリーの日々は充実している。だから陰口を言われていても子供が欲しいと思っても、城を離れられない。魔法陣の加護と修行に適した環境を手放す決心は、自分一人ではつけられない。

 リニエスが側にいてくれていることも大きい。

 宰相ラハウは皆に尊敬されながらも同時に畏怖され、孤独だったと聞く。想像するだに、あの老婆が甲斐甲斐しく人と接していたとは思えない。

 だがリュセスの父親であり魔法協会会長のネイサム・ジェマはラハウを敬愛していたらしく、それがために再婚した妻との間にもうけた2番目の娘、リニエスがダナの守護だったこともあり「国のために」と、差しだしたのだという。ネイサムは、ラハウがリニエスをどのように使うつもりだったのかは今でも知らないでいる。

 リンとあだ名で呼ばれ、彼女の存在は長く黙殺されてきた。

 ただ、ダナの器になるためだけに育てられた娘。

 そうラウリーは聞いている。

 20年前から成されていた計画の一端に、リニエスは生まれる前から組み込まれていたようなものだったのだ。

 ところがいざダナ神が降臨してみたら、憑いたのはオルセイだった。リンの失意はいかほどだったかと思う。なのに失意と感じる心も持たず、ラハウを追って旅立つという選択肢も知らないまま冷たい城に居続けていたのだ。

 今はもう正式な名を名乗り、王妃の妹という地位も得て安定しているかに見えているが……。

 ……側にいてやりたいと思うのは、ただの自己満足だろうか。

『この子を笑わせたい』

 ラウリーは、まだリニエスに対して作った目標を、達成していないのだ。

 時折そっと唇を引くことはあったが、彼女は声を出して笑いはしない。

「ラウリー?」

「え?」

「大丈夫か?」

 クリフからかけられた言葉の意味を察して、ラウリーは「大丈夫」とはにかんだ。思いにふけってしまったので上の空になり、気分でも悪いのかと心配されたのだ。

 話はちゃんと聞いている。

「世界的なもののようですね」

 ラウリーはイアナザールの話を受けて、そう返した。日照りがクラーヴァ国だけのものではない、という先ほどの話の続きである。むしろネロウェンの方がひどいようだとクリフが言った。

「ジェナルム国に、ずいぶんネロウェン人が混ざってた。逃げてきたようだったよ。ネロウェン国にも行きたかったんだが、あいつに止められた」

 クリフが不在のエノアを指して、顎をしゃくった。ラウリーはもう聞き咎めない。いちいち咎めるのが面倒になったからだ。

 約2年がたっても共に旅をしていても、態度に変わりはないらしい。だが抱く感情には変化が起きているようなので、ラウリーはそれだけで良しと思っている。初めて出会った頃の剣幕に比べれば、「エノアって奴」と呼んだ時より言葉に温度がある。

 晩餐に参加しないエノアは、城内にあてがわれた自室に籠もっている。今朝“転移”をして来たのだ、まだ食べる元気もないだろう。それはラウリーも同じだったが、飛んだ当人であるエノアの方がひどいのは決まっている。

 2~3日休養し、すぐに気を溜めて“遠見”をおこなうつもりだろう。

「媒体のことだけでなく、エノアは日照りで国々が衰退してることも気にしてた」

 クリフが言った。

「ダナの降臨が原因で、世界における『力』の均衡が狂ったんじゃないかって」

「ダナのせい?」

 ラウリーが青ざめた。人の目があるところではラウリーは兄と呼ばない。オルセイとは言ってもラウリーの兄だという情報は漏らさない。知っているのは実際に対峙したイアナザールと、それを聞いたリュセスだけだ。

 クリフは少し慌てたようにつけ加えた。

「オルセイ自身が手を下したんじゃない、と思う。降臨自体異常な事態だ、それだけで影響があるってことさ」

「可能性はありますね」

 ラウリーを慰めるように補足された言葉を、リニエスが初めて発言して肯定した。たまにしか喋らない少女が自発的に言葉を発すると、通常の何倍も説得力と重みを感じる。

 いるはずのない者、あるはずのない力が世にあるだけで及ぼす崩壊。たとえ何もせずともこうなるとダナが知っていたのなら、自分たちは『オルセイが見つからない』という理由だけで安心して日常を楽しんでいる場合ではなかったのだ。

 と言っても、決して本当に安穏と暮らしていたわけではない。

 日々の鍛錬、いとまのない旅。それに慣れて、逆にそれが“日常”になっていただけのことだ。張りつめた緊張を2年も持続させることはできない。精神的におかしくなる。おかしくならないように、出会えた時には互いの気持ちを確かめあい、癒されようとするかのように唇にふれる。抱きしめる。

 このつながりが何よりも強いのだと、自分に言い聞かせるかのごとく。

「何度か“遠見”をしてますが、ダナの『気』は見あたりません。これだけ大規模な変化をもたらしたのが彼なら、『力』の片鱗ぐらいは出るはずです。去年の時には感じたのですから」

 リニエスは淡々と言う。

 去年の時とは、オルセイがラウリーをさらった時、侍女ミヌディラが亡くなった時のことだ。2度の“転移”を繰り返し、クリフと剣を交えたオルセイの元へ、リニエスは魔道士ケイヤと共に飛んできた。

 けれど、魔法を使えば必ず感知するとは決まっていないのだ。

 少なくともラウリーの脳裏には懸念が走った。

『“遠見”でも分からないぐらい、完璧に魔の気を隠せているのだとしたら』と。

 こちらが力を蓄えているのと同様、向こうだって強くなっているかも知れない。ラウリーの力が必要だと言ったくせに一年以上も音沙汰なくいられるのにも、わけがあるのかも知れない。ただ身を隠しているだけだとは考えにくい。何かを待っているにせよ。

 待っていた“何か”が今この時だとしても。

「まずいな」

 イアナザールがうめいた。はっきりと声にした呟きは、聞かれて構わなかったらしい。クリフが「何がです?」と臆面もなく問いかけたのに対して、イアナザールは息をついてから白状した。

「先月、ネロウェン国から使者が来たのだ。夏の日照りが今年も続いていて収穫が見込めぬため、援助を求む、と」

「そうだったんですか」

 では、もう解決していたのですね。そう思ってラウリーは顔を明るくしたが、次の時には曇ってしまった。ラウリーは政治に関与していない。知らされていなかったことが、余計に悲しかった。

 イアナザールはとっくに、使者に返答していたのだ。

「断った」

 ──後の世に“世界大飢饉”と呼ばれる災害が起こったところであり、そして“東西大戦”の序章でもあった。

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