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1-2(終末)

 白のダナは立ちつくしていた。何が起きたのか、自分が何をしたのかも分からなかった。

 彼の前に、少女が伏せっている。ぴくりとも動かない。

「起きろよ、手前」

 ダナは紫髪の少女を足蹴にした。

 つい先ほどまで、彼は少女の首を絞めていた。少女の顔を殴っていた。少女の腹を蹴飛ばした。自分と同じ名を持ってマラナとイアナに愛される少女がうっとおしくて苛立って煩わしくて許せなかったのだ。

 ――あれ以来、イアナとマラナには会っていなかった。

 しかしダナは時々イアナの国を訪れて、様子を眺めていた。何しろ腐るほど長く生きている。彼らの新生活を見るのは、新しい娯楽だった。見つかるかも知れない緊張を味わうのも楽しかったし、見るたび暗い感情が湧きあがることさえ快感だった。

 暗い感情に心を埋めて、辺りにぶつけて気を晴らす。

 暴力を使うために、憎しみを掘り起こしているのかも知れない。心おきない破壊は爽快だ。充足感があった。少しずつ、ちまちまと積みあげてきたものを一瞬で崩して悦に入る。

 穏やかに生きてきた500年に比べて、堕ちる方は驚くほど早かった。

 連鎖的にしろ同時にしろ、結果には変わりない。

 マラナが愛を示し、イアナが向上を欲した。ライニが食に溺れて、ダナは不満を破壊に変えて、それでもナティは「何とかなるわ」と自己の楽しみを追求する。利己と不満の果てに『死』が生まれたのは、言うなれば最後の仕上げだった。

 人類史上、最初に人を殺した男。

 そして最初に死んだ少女。

 少女を仰向かせると、彼女は目をひんむいていた。半開きの口からは血を流していた。口から血を流したことのないダナは、彼女を気持ち悪いと思った。なぜ、この小娘は目を開けたまま寝ている?

 まばたき一つせず。寝返りもなく。呼びかけても起きず。

 どれくらいの間、ダナは紫髪の少女を眺めていただろうか。

 ダナは、この少女がイアナの娘だと知っていた。ずっと見てきたのだ。イアナのこと、国のこと、マラナのことだって、すべてイアナ以上に知っているだろう。少女がいつも決まった時間に泉へ遊びに来ることも知っていた。森の泉で彼女が一人になったところを捕まえて話しかけた。

 最初はただの興味だった。どんな風に彼女が育ったのか、会って話したくなっただけだった。彼女の口で語られる両親がどんな像を結ぶのかを見てみたくなった。

 ところが話しているうちに腹が立ってきた。少女ダナが両親への愛を語るからだけではない。この子自身に、むかむかした。堅固で人の言うことを聞かず、自分の見たものと感じたものしか信じないくせに、ダナに対しては諭すのだ。

 しかも彼女は正しかった。両親に愛され守られながらも視界を閉ざされた者ではなかった。イアナは彼女にすべてを見せていた。隠さず、誰にとっての良し悪しかを、しかと見極めていけと教えたのである。

 苛立ったダナが少女に手を出して、結果、彼女が動かなくなった。

 少女のそれが死であると気付いたのは、ようやく日の落ちる頃だった。ふと殺した動物と同じ姿だと思ったのがきっかけだった。人もしょせん動物だとまで思ったかどうかは定かではない。

 ダナは逃げた。

 少女ダナを弔うどころか、目を閉じてやることさえしなかった。光を失った紫の目が、いつまでも自分を見ていた。屍体にふれたら自分も死んでしまうのではないかという恐怖しかなかった。哀れな少女は夕暮れ時が終わるまで、誰にも見つけられなかった。

 思えば気配の消えてしまった娘のことをイアナが気付かなかったこと自体、ずいぶんと力が衰えてしまった証だった。雑念が増えすぎて、『気』が乱れたままの毎日だった。

 娘を初めに見つけたマラナは呆然としてから、死に気が付いて泣き叫んだ。イアナも民もが集まり、イアナの家へダナを運んだ。イアナの家はクーナの国で暮らしていた城より、はるかに小さい。切り出した石と木を組んだ粗末な家である。

「こんなに質素に暮らしているのに」

 3日3晩の祈りを続けた後、イアナがうめいた。死んだダナはどんなに治癒の力を与えても、動きだすことはなかった。国中の者が『死』におののき祈ったが、少女が目覚めることはなかった。

 絶望の淵で、イアナは娘を殺した人間のことを考えた。ある者の姿が浮かんでいた。悪いことがあると、すぐにあの男を思い出す。すべて彼のせいだ。何かといちいち心に引っかかってきたものが、ここに来て爆発した。

 私のダナが死んだのに、なぜ、あいつが生きている。

 イアナは怒りのままに国を飛びだして走り、クーナの国へと押し入った。そしてダナを見つけると、問答無用で斬りかかったのである。王宮の誰もが悲鳴を上げた。

 剣を振りながら、イアナは「お前のせいだ」と叫んだ。

「お前の憎しみが災いを呼んだ。お前がダナを殺したのだ」

「俺が娘を殺したのでないとしても、俺のせいと言うか」

 戦いながら、白のダナが吐きすてる。だが雄々しい口調には、どこか嬉しそうな響きが含まれていた。

「嫌われたものだ」

「お前が俺を憎み、マラナを憎んだのだ。それだけではない、お前はすべてに無気力だった。本当は蔑んでいたのではないか。懸命に生きる我らを、鼻で笑っていたのではないか」

 イアナは怒りをまき散らしながら、ダナに訴える。ダナはわずかに動きを止めたが、すぐに思いあたったらしく、笑みを浮かべた。憎しみに彩られた、歪んだ笑みである。

「そうとも」

 応えてダナが剣を振った。ガチンと2人の剣が悲鳴を上げた。皆がおののいた。クーナらが喉を枯らして2人を諫めたが、感情に支配された彼らの耳には届かなかった。

「欲しいままに食い散らす怠惰な人間どもと俺が同じなのかと思うとヘドが出る。人にも死が与えられていたとは幸いだ。すべての人間が死んでしまえばいい。澱んだ空気も少しは通りが良くなろう」

「貴様」

 剣を合わせながら、イアナは確信を持った。娘を殺したのは、この男だ。

「愚かで哀れな兄弟よ。お前が蔑むすべての者から、お前は蔑まれているというのに」

 イアナの剣が、あざ笑うかのように荒れ狂う。2人の戦いと『力』の暴走が、すでに宮殿内はおろか城下の町をも崩壊させていた。風が嵐になり、火が炎となった。

「イアナも俺を蔑んでいるのか」

 ダナの問いに、イアナは答えなかった。言葉になっていなかったが、彼の心と表情は口ほどにものを言っている。

 2人の怒りがぶつかった。

 怒りながら、蔑みながらイアナの心には、ダナに対する哀れみが根付いている。それが分かるだけにダナはさらに苛立ち、憎しみをつのらせる。

 創始者の戦いは国を揺らした。地面が裂け、海がうねった。人々は逃げまどい、つまづき、怯えた。助けを請い、余裕のない者が手を払いのけ、のけられた者は悲しみ、怒った。イアナらの感情は力に乗って伝染し、国を荒らした。

「お願いです。戦いをやめて下さい」

 マラナが泣いて頼むものの、彼らは聞く耳を持たない。

 人々が荒廃していく。

 戦いは終わらない。

 住める土地と食べられるものを奪いあって、人々は戦い続ける。沢山の血が大地を染めあげ、もはやクーナらに言葉もなかった。彼らにも迷いがあったせいだ。欲に溺れて他人を思いやらなかった。

 涙にくれながらも、マラナは目をそらさなかった。2人が戦う理由はマラナだから。死んだ娘、ダナだから。大地が震えて立てなくなり、倒れても、それでも2人を見つめ続けた。王宮が崩れてなくなるまで見守った。

 王宮は海の側に建っている。波がうねり津波となるさまが、よく見える。

 すべてを呑みこむ海の怒りは、もはやイアナらだけのものではない。多くの死が人々を狂わせ、荒れた『気』がファザの地を穢したのだと……心では思えても頭は納得できない。納得できないが、起こっていることは現実だ。戦う人々、逃げる人々を大津波が次々に呑みこんだ。

 あるいは、それは海をつかさどるマラナの涙だったのかも知れない。

「イアナ」

 マラナの声が響いた。宮殿の入り口に立って太陽を背にして、血みどろになりながら剣を振る2人に影を落としてふり向かせた。彼女の背後には、もう波がせまっていた。風が吹き荒れ、地がうなり、戦火がともる中でマラナだけが静かに立っていた。

「ダナ」

 呼びかけながら、マラナはナイフを手にした。2人の剣が止まった。

「やまぬ怒りに、私自身を捧げましょう」

 ゆっくりとした口調に、ささやくような小声。にも関わらず、国中の誰もに聞こえた。同時にマラナの心も言葉以上に皆、受けとった。己の死が2人を生かすことになればと願ったマラナ。

 喉を切り裂く行為には、何のためらいもなかった。

 血が輝きをもってほとばしり、マラナのドレスは見る間に赤く染まった。つぶれた喉で、それでもマラナは微笑んで、言葉をつむいだ。

「誰も悪くないもの」

 まるで子供のケンカを親が諭すように優しく言って、マラナはこときれた。イアナとダナが手を伸ばして走るより早く、マラナは段の下に落ちて波に呑まれた。その光景に、2人の男が絶叫した。

 マラナの願いは届かなかった。

 互いが「お前のせいだ」と叫び、とうとうイアナがダナの心臓を貫いたのである。ダナの剣は一歩及ばなかった。

「お前さえ……」

 ダナが口から血を流しながら、イアナに顔を向ける。

「お前さえ、もっとマラナを愛していたなら止められただろうに。マラナに死を選ばせたのは、イアナ。お前だ」

 言いながら、ダナの髪がザワリと逆立った。背後では波が荒れ、王宮が崩れ続けている。2人の側にも砕けた天井が落ちてくる。だが、どちらも動けなかった。ダナが吼えた。

「お前がマラナを殺したのだ」

 呪いの言葉を吐きながら落ちかかるダナの髪が、徐々に色を変えた。

 白から紫へ。

 色が映すのは、少女ダナの心をか、2人の『気』をか。

 彼の目が開いた。鮮やかな紫色をしていた。

 ダナはその目で自分の髪を見て、ふっと笑った。

「憑いたか」

 完全に紫に染まると、ダナは膝を折った。イアナはダナの言葉を胸に抱き、ダナを睨んだまま動きを止めていた。違うと自問自答していた。イアナはもっともマラナを愛した。娘を愛していた。だから怒った。

「ダナは、お前を許さぬ」

 イアナの赤とマラナの青を内に秘めたダナは、紫の瞳でイアナを射た。その輝きが消えぬ間に2人は波に呑まれた。

 クーナの国は3人の創始者を海に戻して、滅んだ。

 その遺体はニユが見つけて葬り、以後、4人は生き残った人々と共にイアナの国で暮らしたという。

 ナティが人々を導き、ライニが土を耕した。ニユは死した皆を悼み、クーナは皆に死を説いて聞かせた。

 やがて4人も消え去り、後には細々と暮らす人々だけが残され、彼らの寿命は短くなり、世代交代を繰り返し……人々は、創始者を神と呼んで崇めるようになった。

 彼らが消えると同時に生まれた色鮮やかな石が彼らの形であると気付いた力ある者は国の山に籠もり、彼らの意志を守って『力』を維持するようになった。欲に呑まれぬよう、正しく力を使うよう。

 生まれかわるたびに彼らの『力』は弱くなった。髪の色もほとんどなくなり、瞳にその跡が残るのみとなった。神々の血筋が濃く残っている一派が王族を名乗って国を作り、分裂し、増えていった。殺すことを覚えた人々は、殺すことで富を得て命をつないだ。

 始めから生に背を向けていたダナの白はクーナが引きうけた。

 老うていく人々も、死の足音と共に髪の色が抜けていった。

 何もかもを呑みこむ黒と何もかもに呑みこまれる白を持って、クーナは人々に伝えたのだ。

 死ぬからこそ生きるのだと。

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