番外編「謝肉祭」後編
大通りを抜けて広場に出ると、すでに見物客で賑わっていた。
「すみません、ちょっと通して」
人並みをかき分けて広場中央に出ると、もう競争が始まってしまっていた。
「えええええ、あ、兄さん!」
広場に仕切られたロープぎりぎりにまで出て兄の姿を見付けると、競技を終えた者たちがたむろしているらしい中に、兄オルセイもいるではないか。彼も気付いて、ロープ向かいにまで駆けよってくれた。オルセイは苦笑しながら、
「10位だった」
と2人に報告した。十数人で競争したらしい。
「字を知ってるらしい人に尋ねて、それから探しに行ったんだ。箒なんてすぐに見つかると思ったのに、今、この辺の人は皆、家を空けちゃってるからさ。貸してもらうのに時間がかかっちゃって」
オルセイからは「負けて悔しい」という空気は微塵も感じられなかった。けれど一位を取ったらしい貴族のおぼっちゃまは、広場中央で大きな白い布を掲げて大喜びしている。一位の印だ。
ラウリーがぶすくれているとオルセイが、
「あ、ほらクリフの番だ」
と広場中央を指さした。レースはグループに分かれていたのだ。後続の者がぞろぞろと広場の端に並ぶではないか。徹夜明けでハイになっていることもあって、思わずラウリーは声を出してしまった。
「クリフ頑張れー!」
顔は見えなかったが、赤茶色の頭が動いた。声に気付いたのだろう。
「じゃ、ここにいると怒られるから」
オルセイはそう言って所定の位置に戻っていった。視界が開け、競争者の顔が目に入る。振り分けられたように貴族が数人、余裕の笑みで混じっている。神聖な謝肉祭を愚弄して、と、ラウリーは別の意味でも憤った。
そして、銀のシンバルが放つ賑やかな金属音が、広場いっぱいに鳴り響いた。見物客が一斉に喚声を上げ、男たちが走りだす。石畳のしっかりとした広場なのに、十数人の足音と数十人の雄叫びは足元を揺らした。
クリフら競争者が小さな皮紙を受け取っているのが見える。するとクリフは、ラウリーが声を上げるよりも早くラウリーの前に走って来るではないか。
「え? え?」
確かにそうしろとは思ったが、あまりに素直に走って来るので、ラウリーの方が戸惑ってしまった。クリフは怒ったような顔に汗を浮かべて、
「何て読む?!」
ラウリーに皮紙を突きつけた。こういうところは文句なく信用しているらしい。と、明後日なことを思うラウリーの脳味噌に文字の意味が浸透して行かない。
「あ、えっと……えっと……花!」
叫んだ瞬間。
喚声の中に、嫌な音が混じった。
自分のすぐ後ろで。
いや、むしろ自分が。
自分のドレスが、音を立てた。
ラウリーの後ろで興奮した誰かが、ラウリーのドレスに引っかかって行ったのだ。
ラウリーは声を出すことも忘れて青ざめた。
破れた。
間違いなく、破れた音だ。今のは。
スカートの後ろ、太股の辺りに嫌な空気を感じる。朝から失敗したなと思っていた、糸の弱かった部分だ。ラウリーの耳に、喚声が遠くなった。やもすれば失神してしまいたいほど恥ずかしかったが、幸か不幸かラウリーの心臓はそれほど弱くない。
かと言って破れたドレスのままで、せっかくの謝肉祭を何ごともなかったように過ごせるほど、図太くもない。叫びはしたくなかったが、泣くのを我慢するのも限界だ。
という、そんな絶望と葛藤がラウリーを包んだのは、ほんの一瞬だっただろうか。次の瞬間には彼女の心に、びっくりマークが埋め尽くされたのだった。
「えっ?!」
叫んだのは隣りにいたセディエである。ラウリーは叫ぶことすらできなかった。
突然クリフに、抱え上げられたからだ。
クリフはドレスの破れ目が見えないようにスカートを絞って、ラウリーを横抱きにした。そして迷わずゴールに走るではないか。びっくりしてラウリーはクリフの首にしがみついた。
「ちょ、ちょっとクリフ?!」
「喋るな! 舌噛むっ」
クリフは全力疾走で、まだ誰もいないゴールに足を踏み入れていた。文句なく一位である。借り物の意味を間違えていなければ。
クリフはラウリーをお姫様抱っこしたまま、一位の布を持ってオロオロとする係員に「貸せ!」と大声を上げた。
「え、あ、あの、それは」
競技の進行係も驚いてすっ飛んでくる。クリフは係員から布を取りあげると、降ろしたラウリーに乱暴にそれを突きつけ、進行係には、文字の書かれた皮紙を突きつけた。
「花!」
と叫ぶクリフの顔は赤面している。自分でも言ってちょっと照れたらしい。
ラウリーも何と答えて良いか分からなくなったが、取りいそぎ布を借りることにした。腰に巻き、その下に破れ目を結んで隠す。
「で、ですが、あの、その」
花は、それは……とどもる進行係はおそらく、ラウリーのことを「花」ではないと言うとレディーを傷つけると思い迷っているのだろう。それに追い打ちをかけるように、一部始終を見ていたオルセイが加勢に入った。ドレスを隠すように後ろからラウリーの両肩に手を乗せて、ニヤリと笑う。
「ウチの可愛い妹を、花じゃないって言うつもりか?」
確かに、いつもは髪を縛って小汚いズボンで野山を駆け回る彼女も、今日だけは花のように着飾っているわけで。化粧もしていないし豪勢な髪飾りもしていない彼女だったが、オレンジ色のシンプルなドレスに、まだ長くない青紫の髪が映えていて、それは野生の花を思わせる可憐さと言って良かった。まだ咲ききらない、蕾のような花を。
ラウリーは赤面しながら俯いていたが、そんな彼女の頬にすっと手をかける者がいたため、驚いて顔を跳ね上げた。
見も知らぬ女性が、ラウリーの前に立っている。
幸運の女神ナティ神の守護が強い、水色の……髪。逆に瞳は少し色濃く、夜空のような輝きでラウリーを見つめていた。係りの誰かが彼女を様付けで呼んだ。
彼女はラウリーのほつれた髪を、手で梳いて直した。
「綺麗な髪ですね。大切になさい」
いくつだろうか。母親よりは若いが、お姉さんと呼べる年齢でもなさそうだ。クリフのゴールに対してブーイングを混じえて響いていた喚声が、女性の登場によって少し静かになった。
「私が認めます。『花』ですよ」
広場が沸いた。
芸人がラッパを鳴らし、色恋を騒ぎ立てる女たちが甲高い声を上げた。下世話な口笛も飛びかったが、ひとまずは賞金も手に入りラウリーもひとごこち着いて、大団円とあいなった。
◇
「でもさぁ」
セディエがオルセイと共に消えてしまったため、ラウリーは仕方なくクリフと歩いていた。賞金の一部で新しい服を買ってやると言われたため、王都の洋服店に向かっている。相変わらず通りは人で賑わっており、広場の騒動を見ていない者の方が多いぐらいなので2人が囃されることはなかった。
「あんな焦ってる状況で私を連れて行くなんて、よく思いついたわね」
デリカシーのカケラもないくせに、とつけ加えようとしてラウリーはぐっと堪えた。今日は助けてもらった立場だ、下手に出なければならない。
するとクリフは、
「いや、実は」
と、ラウリーの胸元を指さした。
「?」
「これ、花だろうと思ってさ」
大した技能の使えないラウリーが唯一ドレスにあしらった胸の飾りは、布の切れ端をクシュクシュと絞って花に見立てたものだ。そこにリボンもつけて、それなりの飾りには仕上げたが……花と呼ぶにはちょっと貧相である。
「でも、こんなトコだけ千切ったらお前、怒るだろ? だからお前ごと持ってくしかなかったからさ。それにしても見た目より密度高いなラウリー。もうちょっと柔らかい方が……あう」
ラウリーは思わず恥ずかしさと怒りでさっと顔を赤らめ、自分で思うよりも早く拳を突き出していた。ノーガードだったクリフの顎がのけぞった。もの凄く綺麗に入ってしまったアッパーカットに、通りすがりの者がうっかり拍手をして行った。
「お、お前なぁ! 服、買ってやらねーぞっ」
「何を威張ってんのよ! 私が字を読まなかったら賞金だって貰えなかったんでしょうがっ。それに私が『花』だって認めてもらえて貰ったお金なんだから、そんなの私のものに決まってるじゃない!」
無茶苦茶な論理だったが、もう逆らえない。
てなわけでクリフは上等の服を買わされ、祭りの余韻と共に賞金も消え去ったのだった。まさしくつかの間の夢であった。この時のクリフの説明も果たしてどこまでが真実だったのかも、もう忘れ去られるところとなった。
ちなみに後夜祭のダンスでは、オルセイが失敗をやらかしてセディエに振られるだとかいう後日談も付いているのだが、それはまたの機会に──。
~fin~
穂高あきら様の企画「その花の名前は」http://www.novelism.com/annex/first/ に、投稿させて頂いた作品でした。