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2-3(疎隔)

「しっくいの人形?」

 クリフが店頭に飾ってある、固く白い人形の置物を見て呟いた。

 港町サプサの朝市を見て歩く二人がふと目を留めたのは、雑貨らしき様々なものがテーブルに並べられている店だった。通常の生活には関係なさそうな飾り物や豪華そうな壺が置いてある。王都にでも行かなければ目にしないような品が、ここではそこらの野菜と同じように扱われているのだ。町の裕福さが忍ばれるような店だった。

 オルセイがクリフの隣りに立って覗きこんだ。

「いや、陶器だな。しっくいより固い、土を焼いて作った人形だよ」

「お前よく知ってるな」

「ラウリーの雑学に付き合ってるからな」

 クリフがほうと言いながら、眉を片方動かした。まったく博識なことだ。ラウリーの知識欲はこんなところに及んでいたらしい、と感心する。もしくは彼女も女の子だ、綺麗な人形だから欲しいなと思ったがための知識だったのかも知れないが。

「オルセイ、この人形って高いのか?」

「欲しいのか?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど」

 台の向かいに座っていた中年の男性が、身を乗り出した。

「お客さん、この人形はヤフリナ国からの輸入品だからね。ちょっと値は張るが、滅多にない品だよ」

 ヤフリナ国と聞いて興味が沸いたのは、オルセイの方だった。

「ほう。で、幾らだい?」

「50カインでさぁ」

「え?!」

 思わずクリフが叫び、口を押さえた。あまりに法外な値段だった。通常は1カインコインやその下の単位、10デインコインでの買い物が主だ。50カインとは、2人が家に帰るだけの旅なら充分足る金額だった。それだけの高値をむざむざ人形に費やすような、そんな散財はできない。

 2人の顔が曇り、店主はつまらなさそうな顔をした。

「まぁ他にも色々あるから、見てくれよ」

 大通りにはこうした輸入品の店だけでなく、野菜や干した果物、魚などの店も立ち並んでいる。朝市なので昼には終わるだろうし、町の様子ももっと見たいので、一つの店にこだわっている場合ではない。冷やかし客だとばれてしまったのに、引き留められてしまうと立ち去りづらく、2人は台の上をもう少し眺めてみた。

 オルセイが、他の商品に埋もれた、巻いてある皮紙に目をとめた。

「これは?」

 腕の長さほどで、巻いた太さも腕くらいある。紙の厚みも結構なもので、年月に耐えられるように、表面にも油か何かが塗っているようだ。

「これは“地図”ですよ」

 ひもをほどいて広げた紙は大きく、見たこともない絵が描いてあった。2人は、地図と言えば山の様子を描いたものをチラリと見たことがあるだけだったし、それもいつも使わずに土地勘で狩りをしている。

 それには山にも見えない、ぐちゃぐちゃとした形状が記してあった。

「お客さんから見て左下の辺りが、このロマラール国なわけです。陸続きに、上にクラーヴァ国というのがあって、その右隣にはまた違う国があるわけです。真ん中の辺りの濃く塗ってあるのが全部海ですね」

「これが全部、海」

「空から国全体を見下ろすと、こういう形なんですよ」

 地図というものの意味や形を知らないわけではなかったので、理屈は分かる。しかしその初めて見る染みのような形状の上に自分たちが今立っているのだと聞いても、いまいちピンと来なかった。

「この町は、どの辺なんだい?」

 と聞いてからクリフは、店主が地図を両手で広げていて、場所を指さすことができないのに気付いた。

 店主がどう説明したものかと戸惑っているのを見て、

「すまん、別にいい」

 と片手を上げた。

 すると横からにゅっと手が伸びて、

「サプサはここよ」

 と、ほっそりした白い指が、大陸と海の境目を指さすではないか。クリフとオルセイ、店主の3人は手の主を見て、ポカンと口を開けた。綺麗なのは、手だけではなかった。

 誰かが話しかけるより早く、彼女が喋った。

「こんなにしっかりした地図は久しぶりに見たわ。相当正確だし、大きくて見やすいし。でも説明や印が何も入ってないのは、難だわね」

 サラリとした豊かな金髪を腰までなびかせた女性は、地図を眺めながら腕を組んだ。二重の瞳は深い藍色で、吸い込まれそうに魅力的だ。落ち着いた様子がとても年上のように思えたが、ふっくらとした白い頬が、幼い少女のようにも見える。クリフたちよりは背が低かった。冬服に覆われているにも関わらず、体の線がやけになまめかしかった。腰の部分がきゅっと細くしてある服の形のせいと、首の細さが際だつためだろう、胸元が豊かに見える。多分、本当に豊かなのだろう。

「ちょっと。ジロジロと見ないでちょうだい」

「あ、」

「ああ、すまない」

 クリフより先に謝ったのは、店主だった。彼女はクリフを見て言ったのではなかったのだ。しかし自分にも言われたように思えて、クリフは目をそらして顔を赤らめた。ふと隣を見ると、オルセイもさりげなく俯いていた。

 彼女は、クリフらに向き直った。

「あなたたち、この地図を欲しいの?」

「あ、いや、俺たちは……」

 クリフがどもった。

「じゃあ、私が買っても良いかしら?」

「あ、ちょっと待って」

 何を思ったか、オルセイが手を挙げた。

「あんた……いや、君、この向かいの国が何て名前か知ってるかい?」

「え、国?」

 女性が振り返って地図を眺め、指をさそうとしたその時、店主が地図を閉じた。

「これ以上は、買ってからやっとくれよ」

「そんな固いこと、言わないで」

 女性がしなを作って、店主に微笑んだ。凍てついた冬に早い春が来たかのような、可憐な笑みだ。おそらく町中で一番、彼女が美人なのではないだろうか。とまで言っても過言ではない色香をまとっている彼女に、店主は一瞬デレッとした。が、すぐに顔を引き締める。

「思い出した、あんた“シェラ・ベルネ”のルイサだろ」

「あら、ご存じなの? 嬉しいわ。ねえ、今度店に来てくれた時まけるからさ、この地図ちょうだいな」

 あっけらかんと言ってのけた彼女に、店主だけでなくクリフらも鼻白んだ。まけろという交渉でなく、ただでくれと言うとは。

「それはちょっと、いくらお前さんでもなぁ」

 さすがに店主も渋り顔が隠せなかった。

 オルセイの質問はただの思いつきだったので、蚊帳の外になってしまった以上立ち去っても良かったのだが、この女性に惹かれて2人は立ち止まっていた。こうしたやり取りは、村ではあまり見かけないためもあった。変わった商品は出回らないし、食べ物なら大抵相場が決まっているので、値下げ交渉はほとんどない。王都が近いので、時々出かけるとこうした会話もあったが、この女性ほど歯切れ良く行ったことはない。

 女の口調は、聞いていて気持ちが良かった。

「じゃあこうしましょ。一晩、ただで飲み食いさせてあげる。この地図分の元を取るかどうかは、あなたの食欲に任せるわ」

 飲みもできるということは、夜の店らしい。しかも食事もできる。

 外食しようと思えば、クリフたちの相場で言えば、高くても5カインだ。浴びるように高い酒を飲めば20カインは行くかも知れないが、果たしてそれが店主の気に入るのだろうか、とクリフは思った。何せ、人形を50カインだと言ってのけた男だ。

 しかしそんなクリフの意に反して、店主はそれで手を打った。今日は用事があるから駄目だが、近日中に必ず行くから憶えておいてくれよと念を押して、地図が手渡された。

 ルイサは、じゃあねと言ってすぐに歩き出した。店主の気が変わらないうちに退散しようというところだろう。クリフは店主に地図の値段を聞いてみたい気になったが、彼女の姿が人波に消えそうだったので、慌てて後を追った。オルセイも一緒に小走りになる。

 大通りを曲がって人がまばらになったところで、女性が振り向いた。絹のような金髪が揺れる。前髪は少し下ろしているだけで、後はふわりと後ろに流れており、すっきりした額が知的さを演出していた。

「来たわね」

「あの、」

「ルイサって呼んでくれれば良いわよ」

 ルイサは華やかに笑って、地図でクリフの肩をポンポンと叩いた。

「あなたたち、この町の人じゃないわね。もしこの地図を買ってたなら、あのおやじに相当ふっかけられていたでしょうよ」

 ルイサがそこで言葉を切って2人の返事を待ったので、オルセイが察して、

「ありがとう」

 と言った。

「じゃあルイサは、この地図をいらなかったのかい?」

 クリフが尋ねた。

「いいえ。これが欲しかったのは本当だけどね。欲しいの?」

 逆に聞き返され、クリフは少し身を引いた。いや、とモゴモゴ言いながら、オルセイを見る。

「買うほどじゃないが、もう少し見てみたいなとは思ったんだけど」

 とオルセイが言うと、ルイサはぷっと吹き出した。

「それは“欲しい”って言うのよ」

 オルセイは複雑な面持ちで鼻を掻いた。そんなオルセイとクリフの様子を見比べて、ルイサは言った。

「旅の人なの? もし今夜予定が開いてるなら、食事に来なさいよ。地図を見せてあげるし、さっき言いかけた向かいの国も教えてあげるわよ」

 知らない町の知らない店なので2人は一瞬ひるんだが、承諾することにした。本当にまったく何も知らない店よりは良いだろうと思ったのだ。今泊まっている宿の食事より良いものが出るなら、めっけものである。

“シェラ・ベルネ”という名の店の場所を聞くと、ルイサと別れた。

「村にはいないな、あんな美人は」

 オルセイがルイサの後ろ姿を見送りながら呟いた。だがすぐに、

「俺の妹なら、あと5年もすりゃあなるか」

 と付け加えたが、クリフは聞かなかったことにした。

「なあオルセイ。さっき向かいの国の名前を聞いてたが、何か意味があるのか?」

「ああ? いや……」

 オルセイは言いよどんだ。

 おもむろに歩き出し、遠くを見る。クリフが追い、横に並んで歩いた。

「黙ってても、しょうがないな」

「何だよ」

 オルセイの顔は、海の方角に向いていた。

「あっちの方に行かなきゃいけないって、声のようなものがするんだよ」

「え?」

 身を固くして、クリフは立ち止まってしまった。そんなクリフに振り向き、オルセイも立ち止まって苦笑した。腰に手を当てる。

「声と言っても、何かを喋っているわけじゃない。言葉にはなってないんだ。けれど、このまま家には帰れない。行かなくては、という気持ちがあるんだ」

 ずいぶん漠然としている。しかしオルセイの告白は、すぐにクリフに、先日の件を思い出させた。

 終わっていなかった。まったく、終わってなどいないのだ。

「何だよ、それ」

 クリフはわざとおどけて笑った。

「国の向こうって、海を越えて行くってか? 何しに行くのかも分からないんだろ?」

「でも、行かなきゃいけないんだ」

「ふざけんなよ!」

 クリフは自分の中の不安を吹き飛ばしたくて、大声を出した。

「帰らなきゃどうするんだよ! 父さんも母さんも心配してる! ラウリーだって! お前がどんな状態だったか、言っただろ?」

 このまま帰らなければ、本当にオルセイが死んでしまったのではないかと思い、皆、心配するだろう。得体の知れないものに振り回されている場合ではない。クリフは祈るような気持ちでオルセイを説得した。もうあんな騒動は、まっぴらだ。

 通りを歩く人々がクリフらを見ていたので、クリフはオルセイを引っ張って道の端に行き、家の壁に彼を押しつけた。胸ぐらを掴む。

「しっかりしろよ、オルセイ。どうしてお前が、海の向こうになんて用事があるんだよ?」

 オルセイは黙っていた。自分の胸元を握りしめているクリフの拳に手を乗せると、クリフの手は、少し震えていた。クリフは怖かったのだ。オルセイがまた、あのような別人になってしまうのではないかと思えて。

 オルセイもそのことに気付いて、クリフに笑って見せた。

「大丈夫さ。俺は俺だよ。ただ……」

「ただ? ただ、何だよ」

「クリフは認めたくないだろうな。俺の中に、何か別の意識があるように感じるってのは」

 硬直したクリフの手を、オルセイがそっと外した。クリフは立ちつくし、自分に言い聞かせるかのようにゆっくりと言った。

「お前の気のせいさ」

「すまん」

 オルセイの謝罪は、クリフの言葉を否定するものだ。オルセイを変えた“何か”は、まだオルセイの中にあるのだ。クリフは泣きたいような気持ちになって拳を握りしめ、唇を噛んだ。

「それに村にまだ魔道士がいたら、俺はそいつに殺される。そう思わないか?」

 クリフははっと顔を上げた。あり得る話だ。しかし今オルセイの口から聞くまで、そんなことは思いつかなかった。クリフはまだまだ自分の思慮が浅いことを恥じ、言葉をなくしてしまった。

「元に戻ったんだって言えば良いかも知れないが、俺でさえ俺の中の“何か”に気付くくらいなんだから、魔道士とやらがそれに気付かないわけがないと思ってな」

「言われてみれば、そうかも知れない」

「俺は“声”に従って、海を渡るつもりだ。それが解決法だと思う。クリフ、お前は村に戻って、俺が無事だってことを父さんやお袋に伝えてくれないか?」

 そう言われて、クリフは返事ができなかった。

  オルセイを異国に見送って一人だけ村に戻るというのが、どうも納得できなかったからだ。

「ちょっと、考えさせてくれ」

 クリフは呟くようにそう言うと、足を動かし始めた。オルセイも、捕まれて歪んだ襟元を正して、クリフの横に並んで歩く。

 しかし先ほどまでの弾んだ会話は、途切れてしまった。

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