外伝ノーマ夜曲後編(期待)
夜の方が饒舌になるのは、なぜだろう。
それから2人は色々なことを話した。
昔話が多かったが、そこに登場するオルセイの名には、もう抵抗がなかった。いつか皆で帰れる。あいつもすぐそこにいるんだという意識に変わったせいかも知れない。
クリフは両親が元気そうだったことも告げた。老けたようだったとは言わなかった。
「そう」
ラウリーは安堵しながらも寂しさを隠しきれない、複雑な顔をした。ラウリーの頬にクリフが手をそえる。ラウリーは一瞬だけ逃げたくなったが、すぐに硬直を解いて指先の熱に身をゆだねた。いつも身近にこの熱を感じていたいと願うのは我が侭だろう。せめて今は熱さを忘れないように、ゆっくりと味わっておくしかできない。
クリフが突然「ごめん」と言った。クリフは時々、文脈の見えないことを言う。ラウリーは首を傾げて、クリフの手を持った。
「何が?」
「コマーラ家に帰れないばかりか、俺はラウリーをコマーラから奪おうと思ってるから」
「……え?」
まばたき2つ分考えてから、やっと意味を飲みこんだ。クリフにしては回りくどい、上出来なプロポーズだ。ラウリーは両手でクリフの手を包んだ。
「ラウリー・ノーマになったって、私は私です」
豊かな微笑みで、肯定の意を返す。同じ笑みをたたえてクリフが立ちあがり、ラウリーに顔を寄せた。至近距離に迫った時、邪魔が入った。
「フンして来るわ、オレ」
夜空の中にケディが飛び去った。夜に飛ぶケーディなど聞いたことがない。だが飛んでいってしまったのだから、ケディは大丈夫らしい。クリフは苦虫を噛みつぶしたが、ラウリーは笑ってしまった。ケディなりに気を遣ってくれたらしいと思えば、腹も立たない。
窓を半分だけ閉めて「二度と帰ってくるなっ」と夜空に向かって毒づくクリフだったが、半分という辺りも微笑ましい。存外、気があっているのではなかろうかと思える。などと言えばクリフはもっと怒るだろうが。
「お前、笑いすぎ」
クリフが側に立ったラウリーの頭に手を置いた。思ったより強い力で、ラウリーは肩を竦めた。一度くしゃりと髪をかきあげられて顎が上がったところに、クリフのキスが降りてきた。
経験を持っているクリフの唇は、時々妙に慣れている。彼の手が頭から首へと移動し、もう片方の手に背を掴まれて絡めとられ、気づくと抱きすくめられていた。
なすがままにされている気がして、ちょっと悔しい。ラウリーは自分から頬を寄せてみた。だが、それを察したかのようにクリフが顔をずらす。首筋に熱い息とざらつく髭が触り、くすぐったさに思わず声を上げてしまった。
声を上げるのが面白いのだろうか。腰をまさぐられた。妙な感覚が全身を貫き、ラウリーは小さく悲鳴を上げた。
「こら、止めてよ」
と言うものの、しっかり掴まれて逃げられない。退いても追われて引きよせられる。離れられない。いざとなるとリュセスのような対応ができない自分は、まだまだ子供なのだなぁと情けなくなる。クリフに翻弄されるなんて。文句を言う口を塞がれて、ラウリーは息まで詰まりそうになった。胸が詰まる。ふいに泣きそうになった。
「ん」
殺した声がクリフを挑発したことを、ラウリーは分かっていない。鎖骨を這う唇や腰を押さえる大きな手が彼女の体温を上げていく。2人の温度が上がっていく。息が荒くなる。汗が滲んでくる。暑いのは、窓を半分閉めたせいだけじゃないだろう。
もう少しでベッドに押したおされそうになったところで、我に返ったラウリーが慌てた。
「ちょ、ちょっと待って、そんな、まだ……っ」
心の準備ができていないながらも体のどこかが期待している。芯に熱いものを感じながらも身を固くしたラウリーに、クリフもはっとして彼女から身を退いた。
「悪ぃ」
真っ赤になって口に手を当てている。
「すまん、その……あんまり色っぽかったんで、つい」
「色っぽい? 私が?」
思ってもみなかった返答にラウリーが目をぱちくりさせた。力が抜けて、すとんとベッドに座りこむ。座った目線の先にクリフの下半身があったので、思わず目をそらしてしまった。あんまり露骨に目をそらしたので気づかれてしまい、クリフが体を反転させた。腰に手を当てる。
「自覚してくれ。生殺しだ」
がっくりと気落ちしている辺り、本当に彼も半ば夢中だったらしい。自分にそんな魅力があると思っていなかったラウリーは、呑気にも嬉しくなってしまった。手玉に取られていると思っていたのに、向こうはラウリーにもてあそばれていると思っていたのだから。
とはいえ、そうと知っても続きなどできない。触られて冷静でいることなどできないので、そうなると、とどのつまりは……と考えが行きおよぶ。想像して緊張してしまったラウリーを、クリフが「耳年増」と言ってからかった。
「失礼ねっ。私だって18なんだから、それぐらいは覚悟してるってことよ」
威勢が良くなってしまうのは照れを隠すためである。クリフはいつもの調子に戻ったラウリーに安心とちょっとした残念を感じながら、隣りに腰を落ちつけた。ベッドである。スプリングがはねて、ラウリーがまた固まった。
「しないって」
クリフはもう笑いをこらえられないでいる。ラウリーはぶうっと膨れた。そんなラウリーを、クリフが頬杖をついて覗きこむ。
「しない。そのうち……めどがついたら一緒になりたいけど」
笑みを消して呟いた本音には、兄の影があった。だからラウリーも頷いた。「めど」が何を意味しているのか、分からないわけがない。それこそ一年後か10年後かも分からない「めど」だったが、明日すらも見えない今は、その約束が何より嬉しかった。
「でもこれぐらいは嫌がるなよ、俺の立つ瀬がない」
言いながらクリフは突然ラウリーを引っぱってベッドに転がった。仰向けになったクリフの胸にラウリーが落ちる。クリフは片手だけで腕枕をして、もう片方の腕でラウリーの肩を抱いた。ラウリーは暴れかけたが、ただ抱きすくめられてるだけと知って落ちつき、大人しくコテンと彼の胸に頭を乗せた。嫌がるわけがない。小さく「意地悪」と文句を言ったが、聞こえたのかどうかは分からない。
耳をつけると鼓動が聞こえた。眠れそうなほど暖かな音だった。
周囲にはエノアの『気』が満ちている。いつの間にやらクリフの呼吸も長く深いものになっていた。ほんの一時だけ何もかも忘れて眠っても、ばちは当たらないだろう。クリフの顎を見あげていたラウリーも目を閉じた。
「何だよ、まだイチャついてたのか、お前ら」
2人揃って飛びおきて、クリフがケディに枕を投げた。避けられたが。
◇
ほどなくクリフは、エノアと共に大広間から旅立った。いつもの“転移”と違い、それを補佐できる魔法師たちに囲まれての出発だった。魔法師たちは疲れながらも、初めて目にした大きな魔法に驚愕と賞賛の声を上げたものだった。自分のことではないのに、何やら少しばかり得意な気分になってしまう。
「よし」
そんな気分を払拭して修行に精を出すべく、ラウリーは勢いよく大広間を後にした。大きな扉を開けると、夏の風が彼女を外へ誘った。誘われるままに庭に出て空を見あげる。次に会う時、互いがどれほど成長しているかが目下の楽しみになった。
「負けないわ」
かつてにも言った言葉を呟いて、ラウリーは城内に戻る。
彼女へ笑いかけるように、太陽が強い光を降りそそいでいた。
~fin~