6-7(慶祝)
ロマラール国からの使者だという者がクラーヴァ城を訪れたのは、その翌日だった。2日後に婚儀を控えたイアナザール殿下に謹んでお祝い申しあげます、というものである。
むろん献上品にお粗末なものを揃えるわけがない。この謁見によってロマラールは、クラーヴァの大臣諸侯にあんぐりと口を開けさせるぐらいの成果は手に入れた。
3週間前マシャがイアナザールに渡した情報については、何もやり取りがされなかった。公にしては都合が悪い話だと認識されているのだ。ロマラールの使者なる者も“ピニッツ”の一員だったので、それについて何もふれなかった。
「本来ならハイアナ5世自らが国王様及び殿下のご尊顔を拝しにお伺いしたいところだったのですが」
と、使者は言葉を濁したものだった。
「構わぬ。迅速な祝辞の呈上がすでに敬意に値する。先だって顔を合わせたマシャ・キャロウなる使者にも謝辞を伝え願いたい」
「勿体ないお言葉」
イアナザールの口上に、使者なる男が深く礼をした。
短い謁見の終了後に門前へ呼びだされたラウリーは、「あれ?」と思ってしまった。“ピニッツ”の中で見たことのある顔ではなかったのだ。ずいぶん年老いており、船旅など向かなさそうな老紳士である。この国の王やネロウェン国にいた左大将アナカダよりも老いているかも知れない。
だが“ピニッツ”から来た者のはずだ。でなければ間に合わない。
ルイサが来るのかなぁという予想を裏切られたラウリーは少し足を止めてしまい、老紳士と門前に止まる馬車を見比べた。すると。
「あ」
「よう、ラウリー」
馬車の手綱を握っていたのは“ピニッツ”の一人、キフセだった。どこぞの召使いらしき整った身なりをしているが、海に当てられた日焼けは隠しきれていない。その違和感にラウリーはくすりと笑ってから、キフセに手を伸ばした。
「久しぶり! 皆、無事だったのね」
「無事な奴はな」
やもすれば皮肉になりそうな返答だったが、キフセの笑みが明るいものだったので、嫌味には感じなかった。キフセは力強く、ラウリーの手を握りしめた。
「ラウリー・コマーラ様ですな」
紳士がラウリーに向いて、腰を折った。ラウリーも老紳士に向かい、ロマラールの女性がおこなう一番丁寧な挨拶を彼に披露した。ローブの裾をつまみ、膝を折る。
「はい。はじめまして」
紳士がにこやかに握手を求めてきたので、ラウリーも応じた。
「私はドゥーファス・アンニエサと申します。エヴェン様の使いでございます」
エヴェン様という発音が実に流暢で、敬意あふれる物言いだった。長く仕えている者なのだろう。
「紫髪のラウリー様。お噂は拝聴しております」
彼は握手をした手をほどかず、もう片方の手を馬車に示した。
「お乗り下さい。皆、待っておりますよ」
そのために呼ばれたらしい。そのように言われると、行きたい心が動いてしまう。だが城の誰にも何も言ってないラウリーは、このまま“ピニッツ”に行ってしまって良いものかと躊躇した。部屋で待ってくれているはずのリニエスや、夕食を用意してくれているはずの侍女たちに申し訳ない。
そう思ってラウリーが門をふり返ると、黒髪女性がこっそり立っていた。
「リュセス」
行ってらっしゃいと言いたげに手を振ってくれている。ほくそ笑んでいる顔が何を考えているのだかは分からないが、どうやら行ってきて良いらしい。
「さあ」
と急かされたこともあってラウリーは慌てながら馬車に乗り、窓の中からリュセスに手を振りかえしたのだった。キフセは何かに追われているかのように、馬車の速度を上げた。
「こらこらキフセ、年寄りを大事に扱え」
老紳士は困りながらも楽しげに御者を叱咤する。やはり“ピニッツ”の一員らしい。叱咤を受けたキフセが馬車の外から、大声で返事をしてきた。
「悪いな、バトラー。明日、腰を揉んでやるよ。早く帰らないと夜が更けちまう!」
キフセも有頂天になっている。ラウリーを連れ帰ることがそんなに嬉しいらしいとは分かるものの、心中複雑だ。クリフが嫌な顔をしないだろうか。だがラウリーは、ヤフリナでの戦争以来ずっと会えなかった皆に会えるのが嬉しいことには違いないので、開きなおることにした。呼ばれたのだ。それに応じただけなのだから。
マシャともまた会えるし、ルイサにも今は会いたいと思える。過酷な海上戦を乗りきった仲間だ。無事な姿を見たい。
そう思ってからドゥーファスなる老紳士がキフセに「バトラー」と呼ばれたことに気づき、ラウリーは、
「執事?」
と首を傾げた。
「はい」
ドゥーファスは落ちついた笑みを浮かべてラウリーの手を取り、甲に軽く唇を寄せた。
「私、ルイサ・エヴェン様にお仕えしておった執事でございまして。“ピニッツ”に乗ることができてクラーヴァ国に謁見しても恥ずかしくない使者として、急きょ船に放りこまれましての」
すっと通った鼻筋と上品なグレーの髪を持つ老紳士は、そう言って笑ったのだった。ルイサや“ピニッツ”の団員はクラーヴァへ顔を見せたくないが、下手な大臣貴族を黒船に乗せるわけには行かない苦肉の策か──とラウリーは納得した。自分の執事までこき使うとは、手駒のすべてを余すところなく動かす人である。
ラウリーはくすくすと笑ってしまった。
会うのが楽しみだ。
だが行ってみると、ルイサは不在だと言われた。
「ロマラール国に残ったの?」
と訊くと、それはそうでもないらしい。ルイサ得意の方法で、情報集めや人脈作りに勤しんでいるそうだ。
「なぁんだ」
ラウリーは拍子抜けして、肩を落とした。会いたいという気持ちにしては、いささか肩に力が入りすぎてないか? というツッコミは皆が胸の内に隠して、口に出さなかったが。
そうこうしているうちに、甲板へ出されたテーブルに酒やら料理やらが並んでしまった。用意は万全だったらしい。そう訊くとマシャは「そうだよ」と言って笑った。首に縄を付けてでもラウリーを引っぱってこいとバトラーに命令してあったのだそうだ。
「明後日、結婚式だろ? 今日あたり、いよいよクリフを説得しないとやばいだろうからと思ってさ。昨日エノアと一緒に来るかと思ったら、ラウリー来ないんだもん」
読まれていたらしい。甲板にぞろぞろと出てくる面子の中には、トートに引きずられるクリフもいた。さすがにエノアはこうした騒ぎには参加しないらしく、姿が見あたらない。「眠ってるって」と誰かが言った。束の間の休息というところか。
クリフはラウリーと目が合うと、気まずそうにしながらも「よう」と片手を挙げてくれた。変装を解く気はないらしく、黒髪黒髭のままである。
「断った手前、城に行きづらくてな。イアナザール王子も不愉快だろうし」
イアナザールのせいにしたクリフに、ラウリーは憤った。
「殿下はそんな器量の狭い方じゃないわ。本当にクリフを利用したいなら、私を人質にして脅すとか軟禁するとか、何でも手が打てたと思わない?」
「どうせ俺は狭量だよ、悪かったな」
子供のケンカ状態である。「まぁまぁ」とマシャが茶々と入れて、2人に麦酒の入ったジョッキを手渡した。
「細かい話は、また後で。取りあえず乾杯しようよ。皆、待ってるんだからさ」
言われて、ふと周りを見回すと、全員が2人を囲んで見つめている。2人はあたふたしながら離れて、ジョッキを掲げた。皆が少し鼻白んだようだったが、すかさずマシャが叫んだので、場はなし崩しに宴会へ突入した。
口々に乾杯と叫び、浴びるように酒がなくなっていく。
港の一角へ正式に停泊しているのに、ふんだんにランプをつけてお祭り騒ぎなんかして良いのかしら……とラウリーが思っていると、何とナザリまでが甲板に出て飲んでいるではないか。ラウリーが驚いていると、ナザリが「ほら」と港を示した。
「明後日には王子様とリュセス様の、待望の婚礼だ。今騒がなければ、いつ騒ぐ?」
“ピニッツ”など目ではないほど、盛りあがっていた。
夕暮れの西日が紺色に変わる頃には港中にランプが灯り、たいまつが灯されて、パレードまで起こっている。きっと明日も明後日もこの調子だろうと言ってナザリが笑った。
「戦争がなく平穏に暮らしていたとて、日々は辛い。もたらされた朗報をさかなに飲んだくれるぐらいのことは、国王様だって許すだろう」
「むしろご自分も一緒にお飲みになりそうな、そんな方でした」
ラウリーが言い、ナザリは口の端をふっと上げた。2人でジョッキを重ねる。すぐに他の者たちがわらわらと集まってきて、たちまちラウリーの周りは大騒ぎになった。もみくちゃなまでに歓迎されて、笑いが止まらない。肩を組んだり歌ったりで、騒ぎはとどまるところを知らない。
海戦の顛末やユノライニ王女の経過も詳しく聞けて、ほっとした。王女がクリフを所望したという話にはぎょっとしたが、結果的にクリフは今ここにいる。オルセイの件が優先だからというのは分かっていながらも、悪いとは思いながらも、ラウリーはわずかながらユノライニ王女に対して優越感を抱いてしまった。
「相手は13歳だってば」
思わず呟いてしまった。額を押さえて落ちこむラウリーを「どしたの?」とマシャが覗きこむ。
「何でもない」
ラウリーは苦笑した。クリフの中での自分はユノライニと同じくらいの扱いだろうに、どこか期待している。熱い胸の感触が忘れられないせいだ。
「そういやラウリー、クリフに影武者のこと、頼んだ?」
「え。あ。……ううん。まだ」
ラウリーはもじもじしながら、手近にあったスティックサラダを一本かじった。この雰囲気だし、また断りの言葉を吐かせるのも悪いかと思うと切りだせないでいる。押しきれば引きうけてくれるかも知れないが、今はまだ、そんな気分になれない。
「これが終わってから、もうちょっと後で良いかと思って」
「うん、まぁ、後でも良いけど……」
マシャが語尾を濁してクリフを見る。甲板の反対側にいるクリフは、仲間と爆笑しながら一気飲み勝負を楽しんでいるところだった。正直ラウリーは、顎が外れそうになった。あそこまで酔っぱらっているクリフは見たことがない。
「あいつ筋金入りの馬鹿だからさ。惚れた女に惚れたの一言も、どう言って良いか分かってないんだよね」
「は?」
「ついでに言うけどラウリーも馬鹿だよ」
「はー?」
などと、とんちんかんな会話をしているうちに、2人の視界からクリフが消えた。幾つかの叫声が上がっている。酔いつぶれて倒れたらしいと分かった。
「……馬鹿には賛同するわ」
「そりゃどうも」
娘2人は呆れながら、ジョッキの酒を口にした。
そして船室へ運ばれていくクリフを見ていたラウリーの背を、唐突にマシャがばんと叩いくではないか。ラウリーがむせた。
「何してんのさ、ラウリー。追いかけてって、言わなきゃ」
「言わなきゃって何を、」
「婚礼のこと頼むんだろ」
マシャは筋金入りの意地悪だった。一瞬どぎまぎしたラウリーは、それを聞いて「あ、そうか」と素面に戻り、ジョッキを置いて船室に向かった。話ができる状態かどうかは怪しいが、話す機会は今しかない。
甲板の喧噪を避けて階段を降りていったラウリーを見届けたマシャは、
「うらぁ、騒ぐぞ! 皆、声が小さーいっ」
と、キフセらを焚きつけて、満面の笑みではしゃいだ。