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2-2(経過)

 その、少し前の話である。

 魔道士とラウリーの2人は、2頭のゴーナと共に大きな河にさしかかっていた。

 ゴーナはコマーラ家で飼っていたものを拝借してきたものだ。用がなくなれば無事に家に戻せると魔道士が約束したので連れてきた。代わりに魔道士は眠る母親の側に美しく磨かれた石を3個、置いた。

 魔石だった。

 魔力を持っており、その色が鮮やかなほど、硬いほど強いとされているその石はラウリーもいくつか持っている。だが魔道士がその時差しだした石ほど美しいものは持っていない。ラウリーは瞬時にその石が金になることを悟った。

 魔道士はさらに言う。

「彼らの記憶を多少いじった。両親はお前たちが揃って旅に出たものと思い、大人しく待ち続けるだろう」

「魔道士様……」

 稼ぎ手が減る生活への潤いと家族が消える悲しみを和らげる配慮を、冷酷に見える魔道士が見せてくれたのだ。記憶を触られるという恐怖より今のラウリーには、魔道士のそれはありがたいものでしかなかった。そのことでラウリーは一層、この男に付いて行くことにためらいがなくなった。

 ラウリーもまた両親に残してきたものがある。クリフに預けた時に効果を発揮した7角形のペンダントを、母の首にかけてきたのだ。

「母さん……父さん、ごめんね」

 そうして二人はゴーナを駆って、常に右手に海を見ながら北上し、この河へとさしかかったのだった。

「エノア」

 と、ラウリーが呼びかけた。魔道士の名前である。

 魔道士様にも名前があるのですか? と尋ねてみたところ、教えてくれたのだ。エノア様と呼びかけたら、「エノアでいい」と短く返答されたために、こうなった。

 目前に広がる河は国境だ、とエノアは言った。

「これを越えると、向こうはクラーヴァ国だ」

 エノアは強い風に緑の髪を遊ばせている。フードをかぶっても、すぐ風に取られてしまうためもあるが、村を出て人目がなくなるともう、彼はフードを取っていた。人前で姿をさらさないというだけで、マントを常時着用しているものではないらしい。ということは、ラウリーのことを身内扱いしてくれているということだろうか、と思ったが、最初は慣れなくて、目のやり場に困ってどぎまぎしてしまった。ようやく慣れてきて、そんなエノアを見ることができるようになったのは、つい先日だった。

 目指すは東の大陸。海の向こうの大陸に渡るには、2通りの道があった。

 一つは、クリフたちのいる南方の港から船に乗るか、もう一つは、今ラウリーたちがいる北の道から陸づたいに回って行くか、だ。当然陸路の方が時間がかかるし、今は寒いので、毎日テントで寝るのも辛い。北上している以上、これより先はロマラール国よりさらに寒さが厳しいだろうことも予測されるため、ラウリーは内心、少し不安だった。しかし魔道士のすることだからと思い、黙ってついて来たのだ。

 エノアはテントでも平気なのか、少ない眠りであっても、いつも変わらない涼しい顔をしていた。やはり魔道士は、普通の人間とは違うらしい。このペースがこれ以上続くなら、目的地以前に体を壊して倒れるかも知れないな、とラウリーは思った。

 しかしそう思っても、口には出せない。

 エノアがラウリーの体調を気遣っていないわけではない。ラウリーが、気を張っているのだ。いつも笑みを絶やさない。近頃には暗い顔が出てしまっているが、それでもエノアと目を合わせる時には笑う、といった調子だった。過酷な旅であることを承知の上でついてきたのだ、文句を言ってはいけないと思っていた。

 とはいえ、この時ばかりはラウリーも、声を上げずにいられなかった。

「どうやって越えるんですか?!」

 海さながらに広い土色の河は、何をどうあがいても越えられるものではない。ゴーナは人を背に乗せたまま泳ぐこともできるが、ここまで広いと、きっと途中で力尽きてしまう。それでなくともゴーナとて、連日の早駆けで疲れ切っているはずなのだ。

 向こう岸ははるかであり、どこにも渡る場所などない。深い森の果てに行き着いた国境の川は、まるですべての人間を拒絶するかのように轟々と流れていた。どうしてロマラール王都に、クラーヴァ国との国交があまりないのかを物語るかのようだ。

「河をさかのぼって山に行けば、狭くなっているんじゃないでしょうか?」

 流れは速くなるが、狭ければ橋だってあるかも知れないと思って言ったのだが、

「一緒だ」

 一蹴されてしまった。

「山に登ること自体が、大変な作業になる」

 言われてみれば確かに。ラウリーは俯いた。

 エノアは、手早くゴーナから荷を下ろしていた。とは言え、2人が寝るための小さなテントと干し肉ぐらいしかないのだが。ラウリーも慌てて、自分のゴーナから武器や荷物を下ろしにかかった。

「魔法で河を越える。ゴーナは連れて行けないので、ここで放す」

「魔法で?」

「準備ができたら、私に掴まりなさい」

「はい。……え?!」

 惰性で返事をしてから、改めてその意味を理解し、ラウリーはまたもや声を上げてしまった。

 エノアに掴まる!

 その言葉だけで、ラウリーの顔は爆発しそうなほどに上気した。

 兄やクリフですらも、そう易々と触れたりすることはない。年頃の娘が恋人でもない男性に寄り添うというのは、はしたない行為だからだ。オルセイなら兄だから少しはこうゆうこともあったが、クリフになると、もうそんな記憶は子供の頃で止まっている。まして今回掴まる相手は、魔道士だ。

 エノアが老人ならここまで動揺しないだろうに、とラウリーは思った。端正で繊細な顔が示す年齢は、どう多く見積もっても30までだろう。もしかすると越えているのかも知れないが、もしそうなら、年齢通りの顔をしていて欲しいものだ。

「腕でいい。しっかりと、掴んでいなさい」

「は、はい」

 ラウリーは目をぎゅっと閉じて、エノアの腕にしがみついた。頭の隅で、意外と筋肉質な堅い腕をしているんだなぁなどと、明後日なことを考えた。一瞬チラリと目を開けて、エノアの横顔を間近で見たい衝動にかられたが、とてもではないが恐れ多くて目が開けられなかった。

 ゴーナの鳴き声がして、2つの足音が遠のいて行った。前方からは、河が轟音を響かせている。

 やがてその音に紛れるようにして、エノアが不可解な言葉を紡ぎ出した。その音の感じは、オルセイと対立していた時のラウリーも唱えたあの言葉によく似ていて、ラウリーはすぐに「これは呪文だ」と分かった。

 相当の時間そのままだったが、そのうち、呪文を唱え続けるエノアの体から熱が放出されているように感じられて、ラウリーは改めてよそ事を考えず集中した。抱き締める腕の体温が、ぶわりと上がった気がして、手放してしまわないようにするのが精一杯になった。

 その瞬間。

「?!」

 体が持ち上げられるかのような浮遊感を感じた。つむった目をさらにぎゅっと閉じ、体を突き抜けるような衝撃に耐えた。まぶたの裏に、チカチカと光が走った。

 一瞬だった。

 まるで飛んでいたかのように、いきなり足がトンと地に着いた。次いで膝が落ちる。実際、飛んでいたのだろう。

 全速力で駆けた後のように鼓動が速くなり、気持ちが高揚していた。それが徐々に治まってくると、ラウリーは先ほどまで自分の前方に聞こえていた川の音が静まっていることに気が付いた。

 いや、後方だ!

 ラウリーはぎょっとして目を開け、振り向いた。

 川が、遠い。

 その川の向こう岸が、今まで自分たちがいた場所だ。川を越えたこちら側は、森でなく林のようなまばらな木が林立しているだけになっている。

「あの……え?」

 信じられない光景に、ラウリーの膝が笑った。顎もガクガクと震え、エノアの腕を持つ手に力が入った。そんなラウリーの脳裏に、一つの用語が思い浮かんだ。

 転移の法。

 本で見たことがあって微かに記憶にあったのだが、実際は幻と言われる魔法だった。相当力を持った魔法師でなければ使えず、距離は遠ければ遠いほど難しい。それを思い出した時、ラウリーはもう一人、転移の法を使った人物がいたことに気が付いた。

 どうして今まで、気付かなかったんだろう。

「兄さん」

「?」

「いえ、あの。兄さんが消えたもの、この“転移の法”だったんですね」

「知っていたか」

「昔、本で読んだことが。今思い出しました」

 ラウリーは話しているうちに落ち着いてきて、改めてエノアにしがみついている自分に赤面した。

「す、すいません!」

 慌てて手を放し、立ち上がろうとする。しかしカクンと足が折れてしまい、力が入らなかった。体もだるく、頭が重い。ラウリーは土に尻をつけて座り込み、頭に手を当てた。

「疲れただろう?」

「はい、何だか……あ、いえ!」

 素直に答えてしまってから、ラウリーはぶんぶんと首を振った。

「大丈夫です、ちょっとよろけただけで!」

「無理をせずとも良い。私も疲れた」

 そう言ってエノアの横顔は、微笑みを浮かべた。またもラウリーの頭に血が上った。まったく忙しいことである。それにしても「疲れた」と言うエノアの風貌には、まったく疲れた素振りなど見当たらないが。

「“転移の法”は、体力の消耗が著しい。転移に限らない。他のどんな魔法もそうだ、魔力が大きければ大きいほど、その反動も大きい」

「はい」

 ラウリーは教義を受ける生徒の気分で、頷いた。そうだ、と改めて思った。この旅には、魔道士から得ることが沢山詰まっているのだ。ただついて行って、最後に兄を助けるだけではない。自分が魔道士になれるかも知れない、そのチャンスも含まれているのだ。

「疲れた時は、疲れたと言って欲しい。聞きたいことがあれば、聞いてもらった方が良い。ただし、教えられないことはあるがな」

 エノアはいつになく雄弁だった。ラウリーは、彼もまた疲れによって気が緩んでいるのだろうかと思った。しかし、

「長旅だ。過酷だとは言ったが、緊張しすぎて体を壊しては元も子もない」

 という台詞を聞いて、気が緩んだのは自分の方だけだということに気が付いた。エノアは最初から変わらないのだ。

「あ……。すみません」

 ラウリーの方に余裕がなくて、話しかけたり答えたりすることができていなかったのである。まだまだたった数日で、父親やオルセイなどに接するように自然にとは行かないが、なるだけリラックスを心がけるようにしようと誓った。自分が一緒にいるこの人が、魔道士などではなく普通の人間と思うようにしてみよう。

 ラウリーはそんなことを思いながら、横で姿勢を崩して休憩する翠髪(りょくはつ)の人物を盗み見た。

 あぐらを掻いて空を眺め、目を細めてため息をついているエノア。ざっくりと切ってある髪が、風に遊んでさわさわと揺れた。ただそれだけの何気ない動作が心に残り、動揺してしまう。

「無理だわ」

 ラウリーはげっそりして呟いた。

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