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6-5(郷愁)

 エノアがたつ先は、ロマラール国の南だと言う。何でも南の森にちょっとしたものがあり、ラウリーを守るのに役立つだろうと言うのである。

「神石の場所は、すぐに感知できるものではない。魔の気を練って“遠見”で探せるかどうかという危うさだ」

 ただ闇雲にあてもなく探すわけではないらしい。

 エノアはクリフに、今後の旅はクラーヴァ城を拠点とした、1~2ヶ月ごとの小刻みなものになるだろうと説明した。出かけては戻ってきて、広間の魔法陣で『気』を溜める、それが一番効率が良いのだそうだ。本当に一番良い環境は魔道士の村なのだが、あそこの助力は望めなくなった、とエノアは言った。

「ダナがすぐに行動を起こさなかったからだ。自滅を望むという最後の言葉が含む意味は、魔道士の達観姿勢に通じるものがある。死の神がしでかすことを見極めた上で動くのでなければ、時期尚早になりかねないというのが村の意見だ」

 と話を切ってからエノアは一言、「おおむね」とつけ加えた。その一言にはケイヤの影が見えた気がした。

 エノアのことはクリフにとって『得体が知れないものの、魔道士どもの中では一番、人間のために奔走してくれている奴』という風に見える。ケイヤもこちら側の人間になってくれた感じだが、エノアほどじゃない。

 そのように欲を持ってダナと対立する彼なのに、仲間と袂を分けても、なおエノアは『魔道士』である。それがクリフには今ひとつ分からない。魔道士のままでいることと、その任を降りて魔法使いになった者の違いが見えない。

 エノアが言う。

「神を信じているかどうかだろう」

 本気とも冗談ともつかない一言を残して、エノアは黙してしまった。元来から無口で思考回路の読めない男が発する言葉は、異国語に等しい。

 強すぎる魔法使いも魔道士も、庶民にとって違いはない。クリフはふぅんと言葉を濁して、その話題を打ちきったものだった。例えエノアが明日「魔法使いになった」と言いだしても、この性格は変わらなさそうである。

 クリフはそんなエノアと別行動になり、一人で草原を歩いていた。

 すでにクラーヴァ国は離れている。

“転移”でロマラール国に帰ってきたのである。だが戻るのは船らしい。近い港町はサプサだった。マシャが、“ピニッツ”もサプサに戻った頃なので上手くすれば会うかもね、と教えてくれた。エノアはクリフが近づけばその魔力を感知するらしい。それらがあって、サプサで待ち合わせということになった。いつの間にか、あまたの戦いを経てずいぶんと魔力が強くなってしまったようだ。

 てっきり戻りも“転移”かと思ったクリフがそう言うと、エノアはあいかわらずの態度で、

「私を殺す気か」

 と言ったものだった。戻りはサプサから船に乗ると言う。

 何度も“転移”を重ねてすぐにダナと戦い、イアナザールに“治癒”まで施してしまった男だったので、今ではもう長距離の“転移”とて2度3度、雑作もないものになったのかと思っていたら、そうでもないらしい。確かに戦闘後エノアもケイヤも、力の使いすぎで倒れたことはあった。

 疲れるものは疲れるのだ。

 限度を超えることはないらしい。

 あるとすれば、ダナと戦う時だけか。

 クラーヴァ城からこっち、エノアは気配も『魔の気』も極力消している。いないかのように影の薄いエノア。多分、彼が人の世にいないことが平和なんだろうな、などと思う。魔道士は人世に知られないように生きる者たちなのだから。

 エノアと離れて一人で村を点々としながら草原を駆けていると、余計にそう思う。魔法やダナといったものが、すべて夢だったのではないかと思えてくる。まして、ここはもうクリフが走りなれた草原だ。そこの木の影で眠りこけたこともあった。自分を見おろして腰に手を当てるラウリーの顔はまだ幼く、はきはきとしたものだった。草原の向こうからオルセイが手を振って近づいてくるのではないかと錯覚する。

 コマーラ家の扉が開き、いつもと変わらない義母の笑顔がクリフを迎える……という幻想。

「おかえりなさい」

「ただいま」

 目前でくり広げられる何げないやり取りを、クリフは歯を食いしばって見つめた。自分もただいまと言って駆けよってしまいたかった。帰るのではないにしろ、ほんの一時でも2人に顔を見せることができたら、どんなに良いだろうかと思う。

 だがクリフは隠れた草葉から飛びださず、息を殺してコマーラ家の様子を見守るにとどめたのだった。

 目頭を押さえ、頬を撫でる。そこには無精髭がある。クリフはまだ黒髪のままだった。見つかっても自分と分からないようにである。村を歩いていれば、知った顔に会う可能性もある。この姿なら、少しはごまかせる。

 変装してでも、両親の元気な姿を見ておきたかったのだ。会ってしまうと2人の記憶が戻るかも知れないとエノアに言われているので、こうして遠くから見ることしかできない。

 玄関先で義父ジザリーを迎えた義母シィレアは、くったくのない優しい笑みをしていた。あの笑みを悲痛な現実で曇らせることが、ひどく罪に感じられた。クリフには言うことができなかった。

 2人はすぐに、家の中に消えてしまった。

 ジザリーが若干こちらを見たようだったが、気のせいと思ったのか、すぐに視線が外れた。義父さん勘が鈍ったなぁと思い、クリフは苦笑した。遠目に見る半年ぶりの2人は、やけに老けて見えた。

 親子が生きて再び会えるのかどうか。

 そう思うと、クリフが両親に真実を告げずにコソコソと隠れているのは間違いではないかという気もしてくる。自分がジザリーなら記憶が戻った時に「教えて欲しかった」と激怒するだろう。ラウリーが2度と記憶を消すなと言って泣きじゃくったのと同様に。

 だが思いださないうちは、忘れたままだ。

 2人はクリフたち3人が一緒に、何らかの旅に出ているものと思っているらしい。激しい戦闘も散り散りになったことも、魔道士の存在も覚えていないのだそうだ。眺めた限りでは2人とも、まだそのように思いこまされているようである。

 クリフは息を殺して家屋に近づき、中の様子に耳をそばだてた。玄関を入ってすぐがリビング兼ダイニングなので、扉に顔を近づけると温かい匂いが鼻をくすぐる。今日は豆のスープかな、とクリフは思った。ソラムレア国でカーティンの母親がくれたスープの味を思いだした。ノックしたくなった。

 けれどクリフはぐっと我慢して、裏に回った。ラウリーの部屋についている窓なら大きさもあるし外し方を聞いてきたので、侵入できる。足音を立てないようにしながら、クリフはラウリーの部屋に侵入した。何度か脱走したらしき跡が窓にあり、思わずクリフを微笑ませた。

 その部屋から中には入らない。ラウリーから頼まれたものを取りに来たのだ。状態としては「盗みに来た」という感じだが。

 部屋には埃が積もっていなかった。シィレアが掃除しているのだろう。

 数冊の本と、ラタティー。それから魔石。

 本に関しては、分からなければ良いと言われている。文字が読めないクリフを気遣って言われたのだ。苦笑しながらクリフは、ラウリーから預かったメモと本の背表紙を見比べながら3冊を手にした。あまり長居はできない。動きまわっていれば、気配が伝わってしまう。

 クリフは石とラタティーの瓶を腰袋に入れて、本を小脇に抱えて窓から出ようとした。

 だが机上の箱に、ふと目が止まった。アクセサリー箱だった。といっても指輪やブレスレットは少なくて、自分で彫刻したペンダントやら髪をしばる組み(ひも)ばかりである。クリフは去り際に紐の一本を選び取り、そっと口にくわえた。

 両親は気づかなかった。

 窓をゆっくり閉めて家を離れたクリフは、林の中にくくりつけておいたゴーナの荷袋に本と腰袋を放りこむと、後ろ髪を束ねた。まったく切っていなかったので、紐でくくれるぐらいには長くなっていた。紐で結わえると、首筋に風が通った。

 そういえば何やら昔、神の色濃い髪を伸ばすと魔力が強くなるとか聞いたことがある。落ちついたら切るかと思っていた髪だったが、ラウリーの組み紐を借りたこともあり、クリフは切るのを止めることにした。黒髪の中で青い紐が微笑むように、ゆるく揺れた。

 再度、コマーラ家を見る。

 帰宅を誓って、村を後にした。


          ◇


 やっぱりサプサは活気のある賑やかな町だ。通りを行きかう人の波は途切れず、人の声も静まらない。常に誰かが何かをしていて、町のすべてが動いている。

 エノアがクリフのことはこちらから見つけると約束してくれた以上、クリフの方からエノアを探すのは不可能である。黒マントで顔を隠した怪しげな男だと吹聴したら見つけられるかも知れないと思ったが、エノアのことだ、“忘却”で皆の前から自分を消しているかも知れない。そういう意味からすれば、クリフがエノアを覚えていることも良しとしなければならないのかも知れない。よほどラウリーの涙が効いたのだろうか。あの飄々とした男は、いつ風のようにいなくなってしまうか分からない。

 クリフはサプサの町に入って2日間、家に閉じこもっているのも性に合わないので狩りをして路銀を作ったり、町の噂話に耳を傾けたりなどしていた。イアナザール王子から貰いうけた金があったものの、それを使う気にはなれない。一人でグールを捕る気にもならないので、クリフは小動物を捕らえて地味な旅をしていた。

 3日目の朝は、ふと思いついて大通りの朝市に出かけた。

「いらっしゃいっ」

「安いよー」

 と、あちこちから威勢の良い声が飛びかっている。かつてオルセイと2人でここを歩いた時は冬のさなかだったので食べ物の類が少なかったが、今は初夏も近い。野菜も生魚もあって、見目にも賑やかだ。クラーヴァを離れたとたん暑さも増した。港ではもう子供たちが裸になって、海に飛びこんでいるだろう。自分たちもこの季節になると、よく川で遊んだものだった。

「あ」

 しばらく歩くと、見覚えのある店が建っていた。

 ルイサと出会った、いわく付きの雑貨屋だ。あの時に並べられていた地図は当然もうなかったが、クリフが最初に目をつけた陶器とか何とかいう白い人形は陳列棚に鎮座ましましている。膝を立てて天を仰ぎ、祈っているかのような姿をしている。髪だけがほんのり黄色がかっていて、今になってよく見るとミヌディラに似ているかも知れないと思えた。

「何だい、買うの?」

 質素な格好と顔を覆う髭が、胡散臭かったらしい。久方ぶりに見た店主は、クリフをかつて会った赤毛の男だとは気づかず、怪訝な顔を向けてきた。まぁ一度しか会わなかったので、髭のない赤毛のままでも分からなかったかも知れないが。

 あの時さっそうと現れたルイサの方が、よほど印象的だった。

「あ、いや、ええと……この近くに“シェラ・ベルネ”って店があったと思ったんだがね」

「ああ、“光の踊り”ね」

 クリフのごまかしに対して、店主は露骨に嫌な顔をした。

「何かあったのか?」

「悪いこたぁ言わねぇよ、旦那。あそこは止めときな」

 ずいぶん痛い目に遭ったのだろうか。クリフも心当たりがあるが、そこまで嫌悪するほどの目ではなかったように思う。……というのは今だから、そう思えるのかも知れないが。

「何でだ? すごい美人がいて、そこらの見せ物小屋よりも良い舞台が見られるって聞いたけど」

「ペテン師だがね」

 店主が吐きすてた。変だなとクリフは首をひねった。ニユの月に出会った時この店主は、地図をルイサに渡す代わりに、ただで飲み食いできると約束されたはずだ。それが守られなかったのだろうか?

 するとクリフが何も訊かないうちに、店主の方から説明してくれた。いわく、ルイサが不在だったものの話が通っていたので無料で飲み食いできた。その後、先日ルイサが戻ったので酌を頼もうとしたところ、その約束はしていないと断られたと言うのである。

「だって考えてもみろよ、ルイサが酌をしてくれるんでなきゃ、地図分の飲み食いなんて割に合わないじゃないか。こっちは大損だ。すっかり、その気だったのに。騙されたよ」

 だがルイサ不在の時に散々、飲み食いをしたんだろ? とクリフは内心でツッコミを入れたものの、下手なことを言うのは止めた。たてつかれて、わめかれても面倒だ。それに、このていどの悪態なら店の看板に傷はつかないだろう。

 と思ってから、ルイサの心配をしている自分だなんて、ずいぶん余裕があるものだと自嘲した。何にせよマシャが言った通り、船は例の崖にいるのかも知れない。行ってみるかとクリフは思った。

「分かったよ。“シェラ・ベルネ”に行くのは考えるとしよう」

 言いながら去ろうとしたクリフを、店主が呼びとめて何か買えと詰め寄った。

「わざわざ教えてやったんだ。少しぐらい貢献してってくれよ」

 と来たものだ。鼻白みながら、クリフは「それじゃあ」と人形を指した。

「これ、貰うよ」

 以前に50カインと聞いている。安くない買い物だったが、他に思いつかなかった。最初に目についてから紆余曲折を経て今またこうして目前にあるのも、何かの縁かという気がしてくる。

「旦那、目が高いねぇ」

 店主は大袈裟なほどにクリフを誉めた。何だか嫌な予感がする。

「今ヤフリナ国との貿易が止まってるからね、手に入りにくい逸品だよ。仕事も良い」

 言いながら早々に、梱包を始めている。うやうやしげな手つきだ。朝市の埃っぽい陳列棚に並んでいただけの商品だとは思えない扱いである。

「幾らだ?」

 クリフが50カインを用意しながら尋ねると、店主は言った。

「70カインでさぁ」

「おい、ちょっと待て」

 さすがのクリフも交渉術に目覚めないわけに行かなかった。

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