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6-4(再会)

 という、そうしたイアナザールの急いた結婚に疑問を持つ者は、当然いるわけで。

 リュセスは親密げな笑みの裏で「この男、早くどこかに行ってくれないかしら」と思いながら、イドゥロワ子爵の言い分に耳を傾けているところだった。何と切りかえそうと思いながら。

「一ヶ月もないうちに婚礼とは、ずいぶんとお急ぎになられている。正式にクラーヴァ内外の賓客を集めてお披露目するのは日を改めてとのことですが、その合間は不自然です。これは近頃、公務へお出になられないライニック王のご容体にかかわりがあるのではと思いましてな。そういえば殿下もここ2週間ほどご尊顔を拝しておりませんが、何かおありになったのでしょうか?」

「それは、」

 言いかけて、リュセスは辺りに耳を澄ました。変わらぬ笑みのままなので見た目には分からなかったが、気配が読めるラウリーには、リュセスがふっと身を硬くしたのが察知できた。リニエスも分かったことだろう。

 今はリュセスを知る者がいないらしく、通りの端に寄って話す自分たちを注目する者はいない。子爵の格好やラウリーの髪などによって一旦は人目がこちらに向くが、すぐに離れる。さらに人通りが減った時分を見はからって、リュセスがゆったりと返した。

「それはイドゥロワ様、あまりに過ぎたご想像でらっしゃいますわ。御方(おんかた)のお耳に入れば、あなたのお立場が変わられてしまわないとも限りません。お慎みあそばされることが賢明かと存じあげます」

 流暢な拒絶に、イドゥロワが詰まった。彼は王の容体を教えられるほど近い存在ではないようだ。噂の真偽を確かめたいのだろう子爵は懲りずに、リュセスに迫った。

「では婚礼を早められる理由は何なのでしょう? よもや、リュセス様がご懐妊なさったとか」

 イドゥロワの笑みが歪んだ。あまり気分の良くない視線だ。ラウリーは、リュセスは本当にしたたかだなぁと内心で感嘆した。よく、ここまで優美な態度が続けられるものだ。

 イドゥロワ子爵は味方じゃない。敵とまでは言えないかも知れないが、リュセスへの接し方にどこか侮蔑を感じる。でなければ、妊娠したのかなどと聞かないだろう。

「それも素晴らしいご推察ですね」

 リュセスが肩を竦めたが、イドゥロワは退かない。

「いえ、そもそも上洛できる者だけで挙式をおこなうということ自体、我々を試してらっしゃると受けとれますぞ、リュセス様。何を置いても王の下にはせ参じるかどうか、忠誠心があるのかどうかと王家の方々は懸念しておられるのではないですか?」

「まあ! 感動すら覚えるご意見ですわ、子爵様。そういう考えもあったのですね」

 とは切りかえすものの、リュセスの笑みもはがれかけている。余裕のない返答だったと自己反省するものの、出した言葉は戻せない。雲行きが怪しい。リニエスが助け船を出すべく体を動かしたが、リュセスがそれを察して制した。身内が口を出しては、ややこしくなる。

 イドゥロワがさらに何かを言いかけた時、救いの手が現れたのだった。

「リュセス様ーっ」

 どこから沸いてでた子供だったのか。

 いつの間にか、4人の近くに少年が一人、近寄ってきていたのだ。気配はともかく、視線も感じなかった。リニエスは気づいていたかも知れないが、ラウリーには不意打ちだった。凝視すると、少年はラウリーに横顔を見せて斜め前に立った。

 子供といってもリニエスより年上だ。14~5歳か。小柄で、バンダナからサンダルまで、体もすべてが汚れた子供だった。だが爛々とした瞳と、はきはきした口調が気持ち良い。

 その声を聞いて、ラウリーは跳びあがりそうなほど驚いた。

 少年は子爵に向かって、畳みかけるような早口で言った。

「お貴族様、今リュセス様にカイニンって言ったよな。それって赤ちゃんができたってことだよな。俺、知ってる。そういうのは好きあった男と女が作るんだろ。リュセス様は好きでもない人の赤ちゃんができたのかい? なんで悪いことみたいな言い方するんだ?」

 少年に詰め寄られてイドゥロワが退いたのは、セリフの内容にではない。何日も風呂に入ってないらしい彼が臭かったのと、服を掴まれそうになったためだ。それに気づいてないかのように子供は「ねぇ、お貴族様」と近づき、イドゥロワを追いはらってしまった。リュセスが子供を制しようとしたのだが、先にイドゥロワが退いたのだ。

「また改めてお話しましょう、リュセス様」

「もちろんですわ。今度はゆっくり話せるように、ぜひ王宮内でお会いして下さいませ」

 リュセスは満面の笑みで子爵を見送った。イドゥロワは引きつったようだったが、反論はなかった。できないだろう。城内に招待されるのは普通、最高のもてなしだ。

 きらびやかな格好が遠くなったところで、リュセスが見知らぬ少年に礼を言った。

「ごめんなさいね、お会いしたことがあるのかも知れないのだけど」

 少年はカラリと笑う。

「構わないよ、王都中の子供を全員覚えてるんじゃないんだろ?」

 堂々たるものだ。初めて会ったのに知りあいのような顔をして話しかけ、貴族を追いはらってしまった手腕もさすがと言えるだろう。孤児と信じて疑わない汚れ方も、堂に入っている。

 女の子だと分からないほど。

 感きわまったラウリーは彼女と目が合った瞬間、しがみついていた。汚れなど気にならない。この守護月の明るさを示す水色の瞳を納めるまぶたや、頬にも、キスをしたいくらいだ。

「……マシャ!」

 どうしてここにと思うよりも、マシャがここにいるということの方が先に立って、気持ちを抑えることができなかった。まさか会えると思っていなかったラウリーは驚きの方が大きくて、ひたすら喜びだけを噛みしめている。

 マシャは、ラウリーが生きていた安心感が心を占めてしまったらしく、固く抱きあったまま「うわぁん」と泣きだしてしまった。先ほどまで少年らしく低い調子で、はすっぱな声音を出していたのに、泣き声が一気に少女になった。

「良かったよう」

 と、マシャが鼻をすすった。

 抱きしめながら、ラウリーはふとクリフに抱きしめられた時のことを思いだした。彼は何も言わなかったし、ミヌディラが死んだ時だったので言葉に出さなかったが、彼もラウリーが生きていたことに安堵し、ラウリーの悲しみを緩和させようと抱きしめてくれたのではなかろうか、と思う。

 必死で。……それこそ言葉通りに必死で、ラウリーを生かしてくれてきた。

 ラウリーは改めて、マシャを固く抱いた。

「ありがとう」

 心配してくれて。喜んでくれて。生かしてくれて。

 体を離したラウリーはリュセスにマシャを紹介し、リンはリニエスになったのだと説明した。ネロウェン国で少しの間、2人は会っているはずだ。その頃に2人がどういった間柄にあったのかラウリーは見ていなかったが、マシャは、リニエスに対して懐かしげな顔をした。

「リニエスね。了解」

 マシャがそう言って差しだした右手を、しかしリニエスは握らない。ロマラール流の挨拶を知らないわけではないだろう。その証拠にマシャは笑っている。

「わははは、あいかわらず可愛くないねぇ、リニエス」

 と言いながら、リニエスの両頬をつまんで、ぶにーと引っぱるではないか。びっくりしながらも思わずラウリーともどもリュセスまで「ぶっ」と笑ってしまった。そんなことをしながらも、すぐにきちんとリンの名を呼びかえているのは、さすがである。

「おやへくあさい」

 お止め下さい、と言っているらしい。そんな扱いを受けながらも能面のまま敬語を崩さない辺りが素晴らしい。

「ごめんよう。だって、ぷにぷにしてて、すべすべで、あんたの頬っぺた気持ち良いんだもん」

 マシャはまったく悪びれていない。

 こういう間柄らしい。

 そんなにすべすべなのかなぁとかマシャの頬だって気持ち良さそうだけど……などと思いつつも触る勇気のないラウリーは、ちょっと羨ましそうにマシャを見るのだった。

 それから、やっと「そういえば」と気が付いた。

「マシャ……ぴ、ええ、他の人たちは?」

「ああ、そうそう」

 マシャはリュセスに向きなおると急に背を正し、右拳を左胸に当てる、ロマラール騎士の敬礼をおこなった。知らず、リュセスもラウリーも背筋が伸びた。突然2歳ほど成長したような目つきで、マシャはリュセスをまっすぐ見あげて微笑んだ。

「魔法師の長衣(ローブ)と黒髪の女性、加えて先ほどの(こう)が名を呼んでらっしゃったことから、リュセス・ジェマ様に違いないとお見受けしました。初めてお目にかかります。私はマシャ・キャロウ。ロマラール国騎士団長エヴェン侯爵の命により、第一王位継承者イアナザール王太子に申しあげたき議を言づかって参った者にございます。お取り次ぎを願います」

 言いながらマシャは、うやうやしくブローチを掲げて見せた。見覚えがある。ロマラール王都の城や旗などにちょくちょく描かれていた、王家の紋章だ。

 少女の口から出たと思えない口上に、リュセスは目を丸くしてしまった。それはそうだ。カイニンなどと、たどたどしい言葉を吐いていた汚い少年が、いきなり隣国騎士団長の使いに変身してしまったのだ。騙されたような気持ちになるのも、無理はない。

 実際、少し騙してるし。

 などと思いながらラウリーは、他人のふりはできないけど、かと言って口を挟むのもはばかられるマシャの立場を無言で見守った。ラウリーが名前を呼んでいなければ名の全部を偽名にするつもりだったのかも知れないが、あとのまつりだ。

 リュセスが真偽を求めてラウリーを見たが、ラウリーは頷くだけにとどめてみた。迂闊なことは言えない。

 後を、マシャが続けた。

「急ぐ用件ですので、私だけが別の船でこちらに来ました。ラウリー・コマーラとはネロウェン国から帰航の際に知りあって同乗した仲でございます。尋常でない消え方でしたので、安否を懸念しておりました」

 さらに一言、つけ加える。

「クリフォード・ノーマも同乗の者でした」

 すべて真実だ。この辺りはリュセスも知っている。ラウリーが日々の会話の中で話して聞かせている。

 知っていることを出されれば、真実味が増す。

「分かりました」

 リュセスが頷いた。リニエスもマシャのことを知っているというのも評価を高くしたらしい。まさかマシャがそこまで計算してリュセスの前でリニエスをからかったとは考えにくいが、ひょっとしたら、そうなのかも知れない。

「ただ、今すぐにというわけには参りません。殿下のご予定に謁見を組みこめるかどうか、調整をしてから改めて伝令を出すことになると思います。お急ぎとのことですが……」

「結構です。世界が滅亡するなんて話じゃないですから」

 マシャは軽く言った。

 だが軽いがゆえに変な迫力があって、先の戦いで疲労しきったものだったリュセスは、身を固くしたのだった。荒唐無稽に思える言葉が急に現実味を帯びる、そんな瞬間もあることを彼女は知ってしまったのだ。

「なるだけ早く会って頂けるように話を通します」

「恐縮です」

 リュセスの顔色には気づいていないかのように、マシャは改めて敬礼をした。

 じゃあと言って去りかけたマシャを、ラウリーが引き止めた。マシャの格好はあまりにも汚い。王城にあるラウリーの部屋はベッドも広く、泊めることが可能だ。ラウリーはマシャを誘った。

 募る話はマシャもあるだろうに、しかし、マシャはこれを断った。表向きは、使者ごときが城に滞在するわけにいかないというものだ。ラウリーの立場にも影響が出てしまう。リュセスにも。

 それに、この変相は必要からしているものだとマシャは説明した。

「これでも女だからね。ギムが一緒だけど、今みたいに単独行動も多い。だから、さ」

 マシャは具体的な理由をぼかしたが、そのように言われれば分かる。安全な土地と良心的な者ばかりでないことは、ラウリーも知っている。

 そんなマシャが、

「本当はね」

 と言いだしたのは、リュセスらと別れた後だった。

 城内が無理だからといって簡単に別れてしまうのは勿体ない。マシャは果実水を口に含む。昼間のパブは明るくて、酒の匂いがあまりない。

「あたしはラウリーに会うためだけに、ここへ来たんだ……って言ったら信じる?」

 マシャはにこりと微笑む。素直な、可愛らしい笑みだった。

「ラウリーとオルセイはクラーヴァ王都へ行ったんだって聞いたから。適当に理由つけて、偵察って名目にして」

「そんなことして良いの?」

「半分ほどは説明したからね。それに“ピニッツ”はあの時点でもう帰るだけだったから、あたしらがいないぐらいは何とかなるしさ」

 呆れるラウリーに、マシャはコップを掲げて見せた。店の反対側には舞台があって踊り子が跳びはねている多少下卑た店だったが、そうした店の中では小綺麗な方である。汚いままのマシャが入店できるギリギリの格なのだ。逆にラウリーがローブのままでは目立つのでないかという懸念が生まれるものの、そこはきちんと用心棒がいる。

 ギムも果実水を飲んでいる。

“ピニッツ”には、仕事中は酒を飲まないという鉄則がある。2人は今、常に仕事をしている状態だ。

「しかし来てみたら王子様がもうすぐ結婚と来たもんだ。極上のネタだったよ」

 ギムが言い、マシャが続けた。

「知って早々に伝書鳥を飛ばしたから、下手するとロマラール使者も誰か、王子の結婚に間に合うかも知れないよ。クラーヴァ使者がハイアナ5世に謁見するより、うちのが早いし。急ぎはせ参じましたなんて言ったら、クラーヴァのド肝を抜くだろうね。ロマラールの格付けが相当上がるよ」

「なるほどねぇ」

 ラウリーは呆れながらも、“ピニッツ”たるマシャの行動力と判断力を尊敬した。マシャだけの手腕で可能なことではないが、同じ人材を使ってもラウリーにはできないだろう。

 愚問かなとは思いつつも気になって、ラウリーはもう一つ質問してみた。

「じゃあ、申しあげたき議っていうのは?」

「手駒のいくつか。ソラムレア戦艦に使われた鉄技術とか、重油と魔法の戦略とか。それとも国家事情にしようか。ソラムレアの我が侭王女とネロウェンの坊ちゃん国王、どっちが良い?」

 愚問だった。

 おそらくはラウリーが外出した今日に示し合わせたように出会えたのも、なぜと聞くのは愚問なのだろう。

「こら、マシャ」

 調子に乗ったマシャを、ギムが諫めた。周囲に誰がいるとも分からない、しかも言葉が似ていて聞きとられやすいのに、下手なことを言うなと言いたげだ。だがマシャは、ちょっと肩を竦めて舌を出しただけだった。その時には少し離れた席にいた見知らぬ男が、すうっと店を出ていっていた。

「噂は庶民の中から、さりげなく広げなきゃ。王族にネタを潰されて、気が付いたら街一つ燃えてましたなんて嫌だからね」

 わざとの発言だったのだ。

 確かに国家事情と言っても重要なことは何も言っていない。先ほど席を離れた男は、ギムが声を上げたので気取られないうちに去ったというところらしい。

「さて、改めて」

 マシャがコップを持ちあげた。

「後日クリフにも会うとして、まずはラウリー。再会を祝って」

「無事を祝って」

 ギムもコップを持ちあげ、ラウリーも真似た。

「ありがとう」

 異国のコップが、カチンと涼しげな音を立てた。

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