6-2(憂慮)
本音を言うなら。
あの時に「私も」と言いかけたのは、「私も残り組。宜しくね」という言葉を躊躇してのものだった。クリフのように、私も行くと言おうとしたものではない。心は決まっている。今の自分じゃ同行できない。
けれど言葉の意味がとても後ろ向きなことには違いがない。行きたい気持ちを殺しているから「残り組」なんて言葉になる。リニエスは自分のことを「残る」と思っていない。ここが彼女の進む道だ。
ラウリーはそんなことを思いながら、今後自分が生活していく環境──クラーヴァ王都の街並みを眺めつつ、ぶらぶらと散歩していた。
城からまったく出られないというわけではない。
エノアの魔法陣が発する力は、もちろん城内が一番強いとはいえ王都一帯に及んでいる。王都に住む魔法師、魔法使いも多い。集会所もある大きな組織だ。自分はそこに所属し、守られる。兄がまた来ても、そう簡単には良いようにされない……だろう。
次に会う時は死ぬ時かも知れない。
ラウリーは通りを歩きながら兄の顔を思いだし、ふいに背中を震わせた。
「お加減でも?」
一緒に歩くリュセスから声をかけられ、ラウリーは「いえ」と首を振った。兄のことを思いだすたびに恐れを感じる自分なぞ、早く払拭してしまいたいものだ。
ラウリーは城の一室を滞在用にあてがわれ、リニエスと共にリュセスの下で魔法修行をすることになった。元凶たるオルセイの妹ということで、ラウリーが滞在することに反発意見もあったと聞く。決して平穏な生活ではなさそうである。だがエノアの旅立ちや自分の状態を思うに、魔法への理解が強く魔力に溢れたこの地での修行が自分に適していることは、譲れなかった。ダナの『力』を知り得たクラーヴァ魔法協会がエノアの魔法陣を歓迎して、全面的にラウリーの滞在を認めてくれたので、ことが治まった次第である。
ロマラール国には戻れない。
何度、心身の疲れや悲しみを癒すのに帰りたいと思ったか知れなかった。
けれど今は帰れない。
両親に、本当のことは話せない。
兄の言った「しばらく」が一ヶ月なのか一年か10年か、分からないが。
そんな風に気落ちするラウリーを、リュセスが外に連れだしたのだった。一緒にリニエスも歩いている。男性陣にはイアナザール王子の方から何やら話があるとかで、彼らは王子の自室に呼びだされている。
その機会を狙い、息抜きをしようと言ってリュセスがラウリーを誘って散歩をしている。
「実はね」
リュセスが教えてくれた事情は、ラウリーを吹きださせるものだった。
「魔法陣の存在もあるけど、エノア様、イアナザール王子様を救った一件を盾にしてラウリーの滞在を認めさせたんですって。ご存じでしたか?」
「いいえ、まさか」
「想像できないわよね、エノア様が大臣諸侯らを脅すところ」
「エノアが!」
吹きだすと同時に驚いた。あのエノアがラウリーのことに関して、そのように心を砕いてくれるとは思わなかったから。
おそらくはエノアの都合としてそれが最適だからという理由なのだろうが、子供のようだが、構ってもらえたということが純粋に嬉しかった。
「クリフォードさんの存在も、この一件に王子様が無関係でない証拠になって、皆様を納得させたようでした。それを知る者はわずかですけど」
「似てますもんねぇ」
ラウリーはしみじみと応えたが、これに対してリュセスは少しばかり複雑な顔をして、ラウリーに詰め寄った。ラウリーはリュセスの見せる真剣な表情に弱い。逃げたくなるからだ。
「ラウリー、クリフォードさんを放してはいけませんよ」
「……まずは捕まえる方法を教えて下さい」
明後日を向いて泣きたくなるラウリーだった。リュセスの応援は嬉しいが、何とかなるものなら何とかしている。リュセスもそれは心得ているようで「ごめんなさいね」とは言ってくれる。くれるのだが、押しが強いことには代わりがない。
「ちょっと気になることがあって。あなたの気持ちは分かっているつもりなのですが」
「気になること? イアナザール様のお話ですか?」
「ええ、多分……でも、そうとは限りませんが」
煮えきらない口調で、目をさまよわせている。リュセスにしては珍しい態度だと、ラウリーはもう知っている。彼女はたおやかな外見に似合わず案外きびきびとしていて、言葉にも嘘がない。直情的な部分もあるが、日頃は気遣いを忘れない人である。
戦いから10日がたっている。
2人は妙に意気投合し、呼び捨ての仲になっていた。
リュセスがラウリーの気持ちを分かっているつもりだと言ったのは真実だ。陰に陽に、何かと良くしてくれている。互いの好きな者らが同じ顔をしているためかも知れない。
『とっても、お会いしたかったんです。胸のつかえが取れました』
と言った理由について聞いたことは、ないのだが。
2人がそんな調子で一緒にいるので、リニエスも居心地が悪くないらしく、こうした散歩にも同行してくれる。ラハウをかばった一件から、彼女の何かがはがれたのが分かる。そういう意味では、悪くない第2の人生になりそうだ。
「それにしてもエノアはとにかくクリフを呼ぶなんて、何なんでしょうか。イアナザール様のお役に立つことがあるんですか? 彼に」
「ラウリー……」
ラウリーの素朴な疑問に何を思ったのか、リュセスがはぁと小さく息を吐いた。リニエスまで無表情ながら、微妙に視線が遠くへ向いている。
「エノア様には素直に感情が出せるのに、クリフォードさんのことになると意固地になってしまうのね。彼からの応えが期待できないと仕方がないのかも知れないけれど」
苦笑しながら言われて、ラウリーの脳天が噴火した。
一瞬にして真っ赤になったラウリーはリュセスに詰め寄りそうになったが、
「ラウリーさん」
リニエスの一言に冷やされて、踏みとどまった。
リュセスは庶民にも人気があるらしく、歩いていると「リュセス様だ」とどこからともなく聞こえてきたり、声をかけられたりする。加えて自分の紫髪だ。人目をひくことは間違いない。人通りは多くないが、ラウリーは心持ち縮こまった。
「たたみかけるようで可哀相だけど、ラウリー、クリフォードさんに好きだって言ったことある?」
「ありませんよ!」
叫んでから、慌てて自分の口を押さえる。
「お互い、そんな精神状態じゃなかったし、ううん、クリフの方は今でもそうです。まして兄が……。ここで別れるのが、ちょうど良いんです」
真面目に説明しながら、最後には自嘲的な笑みが混じってしまった。別れるのをちょうど良いとするのがクリフのためだと言っている自分だが、本当のところは自分がそうしたいだけではないかと思うからだ。
怖くて。
拒絶されることが、だけではない。
兄のことを抱えながら、魔力の不思議を身の内に抱えながら、クリフへの想いだけに捕らわれつづけている自分が怖いのである。想いがもっと育つ前に、殺してしまいたいのだ。生きていてさえくれれば、それ以上は望まない。
返してはいらない。
伝えることも望まない。
消極的な想い。
「臆病ね」
リュセスの口調はやや強く、怒っているようにすら聞こえた。
「言っても言わなくても後悔するなら、私は言いますよ。どちらが相手を傷つけずに済むのかなんて、自分が判断できることではありません。相手次第。判断することこそが傲慢だわ」
強い女性だ。ラウリーは内心で苦笑してから、リュセスの言い分がどこかで聞いたもののような気がして、立ち止まってしまった。
「あっ」
「?」
すぐに思いだした。
自分だった。
しない後悔より、する後悔を選ぶと言ったのは、自分だ。なのに、こんなところで「しない後悔」を選んでいる。
ラウリーは再度、自嘲の笑みを浮かべた。
「全部を実行できるほど、強くありません」
「……私も言いすぎました」
リュセスは素直に、再び謝ってくれた。どうやら、ラウリーに対しては自分のタガがゆるんでしまって、つい言いすぎてしまうらしい。同じところで行きづまりを感じている、一歩が踏みだせないでいることへの、同属嫌悪なのだ。
「他人事だと思えなくて」
と、リュセスが頬を押さえてうつむく。ラウリーはそのように親身になってくれるリュセスに、感謝の念を持っただけだった。
その時、背後から第三者に声をかけられた。
「リュセス様」
男性だ。
肩を震わせて2人が顔を向けると、貴族らしきいでたちの青年が立っていた。リュセスと青年の間に立つ形になったリニエスが、すいと身を退いた。青年がうやうやしく膝を折った。
庶民に人気のあるリュセスだが、王宮魔法師の肩書きが貴族をも吸いよせるらしい。だが彼女が庶民に人気のあるのは、民がおこなう活動に参加しているためもある。それを疎ましく思う者とて、いないわけではない。
「イドゥロワ子爵様」
今リュセスに話しかけてきた貴族は、果たして味方なのかどうか。友好的な、にこやかな顔はしている。リュセスも丁寧な挨拶を返している。
「このような場所でお会いできるとは。お忙しいのでは?」
「?」
首を傾げたのはラウリーだった。“このような”という語調にトゲを感じたのだ。だがリュセスの笑顔は崩れない。
「息抜きを兼ねて、王都をご案内しておりました。紹介いたしますわ。ラウリー・コマーラ様と、この子は私の妹リニエス・ジェマ。どちらも魔法使いですが、来期には魔法師の称号をお取りになられる方々です」
「これはこれは」
身に余る紹介だ。
慌ててラウリーは姿勢を正し、自分に向かって深く腰を折ってくれた子爵に膝を突こうとした。するとラウリーの後ろで、リニエスが「頭を下げるだけで結構です」と耳打ちした。どういった状況で挨拶方法が変わるのか分からなかったが、ラウリーがそうすると、イドゥロワ子爵なる人物は若干「ほう」と呟いた。
「先の楽しみな方ですな。魔法師なるお力も楽しみだが、女性としても磨いてみたくなる」
「お戯れを」
ほほほと上品に笑ってリュセスがかわしてくれた。ラウリーが田舎育ちで、こうした会話に慣れていないことを熟知してくれているのだ。ラウリーは内心で冷や汗をぬぐいながら、リュセスの笑みを真似てみた。なるほど、この子爵がリュセスに好意的なのは、すこぶる女性を慈しむ方だかららしい。彼のラウリーへの視線も、柔らかくなった。
30歳前後かと思われる、少し整った顔を持ったイドゥロワ子爵は、
「時に」
と声色を変えた。
眉をひそめて顎を引く様子は、内緒話を思わせる。けれど実際はすでに知れわたっている、おふれも招待状も出ている話題だった。だからリュセスは顔色を変えない。
声を上げたのはラウリーだった。
「結婚!?」
奇しくもその言葉は、少し離れた城内でクリフが叫んだのと、同じものだった。