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6章・ロマラール婚礼曲-1(心気)

 気づくと、月はナティの半ばになっていた。

 長袖では暑いようになった。それでもクラーヴァ国の初夏はロマラールより過ごしやすいようで、空気には湿気がなく気持ち良い。長衣(ローブ)も毛布のように厚いものではなくなったので、歩くたびに袖も裾も軽やかに揺れる。

 花が咲きみだれ新緑の木々がしげる庭園では、一陣の風が柔らかく通りすぎて葉を揺らしている。揺れる裾や葉を楽しめる心の余裕が持てる自分が不思議に思えるほど、天気の良い朝だった。幸運の女神ナティの面影を感じずにいられない。

 事実、ナティに守ってもらえたのだと思う。

 幸運だった。

 敗北だったが。

 結果として、ダナ自身が手を下して殺した者はいなかった。……ミヌディラ以外は。

 庭園に咲くセスの花は白くたおやかで、それを飾られて土に沈んだ娘の顔を思いださずにいられない、はかない風情をしている。幸せそうにすら見えた一介の侍女は、かかわった皆の胸にしみついて離れなくなった。

 その花を一輪、つみ取らずに撫でてから、ケイヤは城外に出る門に足を向けたのだった。

「本当は、あなたを連れていくつもりでしたが……」

 そう言ってケイヤがふり返って微笑みかけた相手は、リンである。出立するケイヤを見送って並ぶ一行も同時に、不動のリンに目を向けた。エノアだけはフードに顔を隠したまま動いていないが、ケイヤの言わんとするところは分かるのだろう、まとう気配に硬さはない。

 硬くなったのは、リュセスだった。

 だが表面上はおだやかに微笑しているだけなので、一緒に立つラウリーとクリフには分からない。

「安心なさい」

 ケイヤは見すかしていた。

「彼女の心は決まったようです」

 言いのこして去ったケイヤの後ろ姿はさっそうとしていて、とてもマントの中身が老体だとは思えない歩き方だった。優しく強く、印象の薄い魔道士は、いつ消えたのかも分からないような風情で、ふうわりといなくなってしまった。本当に村へ戻って『気』を練らなければならない、治癒を必要とする体なのかと問いたくなる足取りだった。だがマントの影に見えた、砕かれた左手を包む白い包帯が、かすかに先の激戦を物語っていた。

 言葉だけが残った。

「心を、決めた?」

 ラウリーが反すうする。

 この黒髪の女性がリンの姉だという話は聞いている。リンがラハウの弟子だったということも思いだした。

 ケイヤについて行かなかったリンは、戦いの時、ラハウをかばった。

 これまでに見てきたリンの中で、一番素直で堅固な態度だった。本当の彼女だった、と思う。

 ラウリーはまさかと思った。

 まさかリンは、ラハウを探して旅に出るのではないか。

「リンちゃん」

 不安に思ったラウリーの口から、彼女の名が飛びだした。彼女はあいかわらず無表情である。

 けれど「いいえ」と言った声には、微弱ながら揺れが感じられた。

 リンは少し歩きすすんで距離を取ると、皆にふり返った。特に強く、リュセスを見たようだった。

「リニエス」

 はっきりとした声だった。

「私の名は、リニエス・ジェマと申します。イアナザール殿下およびリュセス様とネイサム様にお許しいただけますなら、この名で魔法の鍛錬に励み、魔法師の号を得たく存じます」

 少女はそう言うと目を伏せて、深く腰を折った。

 聞いていたリュセスが息を詰めて、口に手を当てた。

「……もちろんです!」

 喉につかえて出てこなかったセリフを吐きだすと、リュセスは膝をついてリン──リニエスを抱きしめた。リニエスは変わらず鉄仮面をかぶっていたが、姉の抱擁を拒みはしなかった。むしろ自分から少しばかり体を寄せているように見えるのは、自分のひいき目だろうか──とラウリーはくすりと笑いそうになってしまい、それを微笑に換えた。

 顔を歪めたら、涙がこぼれそうだった。

 たくさん辛いことが続いたが、このように思いがけない温もりをもらえる時もある。

 ラウリーは「良かったね」という思いをこめて、クリフを見た。今、彼は「イアナザールに似ているから」という理由で変装させられている。色粉で髪を黒くして、生やした髭も黒くしている徹底ぶりで、口元に浮かんだ笑みは分かりにくい。だがクリフも笑っていた……ただし、苦しい表情で。

 ラウリーから笑みが消えた。それを見て、クリフがさらに苦笑する。

「ごめん」

 ラウリーにだけ聞かせるための小声である。

 素直に笑っていない自分を見せてしまって申し訳ない、という意味だろう。けれどラウリーの耳には何か、違った意図も含まれているように聞こえてならなかった。

 というのも、戦い直後に抱きしめあった時から、クリフがラウリーに触れもしないからだ。ラウリーもクリフの態度に壁を感じて、近づけないでいる。あんなに……心が重なったとすら思えたのに、何の言葉もないままクリフはまた離れてしまったのだ。

 けれど、これで良いのかも──と思っている自分もいる。

 オルセイはラウリーの兄だ。

 このようなことになったが、兄だ。

 争いつづけているのに、その妹である自分が彼の周りにいるのは、もう止めた方が良い。姿も声も、神経を逆撫でする。そう気づいてからは、気を付けてきた。自分が彼を好きなだけなんだと、守りたいだけなんだと思うようにしてきたが……少し、疲れた。

「これから、どうなさいますか?」

 ラウリーのそれは誰にともなく、敷いて言えばエノアとリュセスを見て言った言葉だったが、本当に訊きたいのは隣りに立つ青年にである。だがクリフからの返答はない。

 エノアはケイヤと共に、つい先日まで魔法使いとしてイアナザールとライニック王に“治癒”を施していた。だが、あるていどまで本人の治癒力を高めることができるだけの魔法では、それ以上続けても効果を発揮しない。魔法も万能ではないし、魔道士も不死ではない。あとは本人の気力次第だと言いおいて彼らのベッドを離れたところである。城にとどまる理由はなくなった。

 クリフもまた、いつでも出発できる状態になった。

 治療が必要だったノイエ・ロズと共に離宮に寝かされていたのだが、先日、城内に移ったのである。看護人が、2人とも目を離すと起きたがるので怪我より先に性質をなおしたかったと文句を言っていたらしいと聞いて、ラウリーは笑ってしまったものだった。

 しかも黒髪、黒ひげだ。早くクラーヴァ国を離れたいことだろう。

「兄を……ダナを探しても意味はないと、エノアはおっしゃいましたが」

「そうだ」

 ラウリーの問いにエノアは間髪入れずに答えて、マントをひるがえした。歩く先は城である。まだ今少し滞在するらしいと悟って、ラウリーは安堵の息をついた。

 ラウリーにだけは、ここから旅立てない理由がある。

「新たな『力』を得なければ事態は進展しない。ラウリーにダナを移したとしても、今のお前ではダナに負ける。高めなければならない」

「新たな『力』?」

 首をかしげながら歩きだすラウリーの横で、クリフが声を上げた。

「ダナの盾か?」

 エノアがふり向いた。

 心なしか、立ち姿が柔らかい。

 だが答はない。クリフは腕を組み、リュセスは不可思議な問答が始まったことに興味深げな顔をしている。イアナザールが所有していたイアナの剣が『力』ある神剣だったことを、リュセスは魔力で感知していたのだ。ダナの盾という名称には思うところがあったらしい。

「他の奴らでも良いぞ。媒体を探すんじゃないか?」

 クリフの言い方に眉をひそめてから、思いあたった。「奴ら」とは神々のことだ。ラウリーは少し鼻白んだ。神を奴ら呼ばわりするとは。

 エノアの肩がピクリと動いたように見えた。「ほう」と言いたげである。いつになく鋭いクリフの意見に、ラウリーもほうと思った。もっとも、ダナの盾なる存在があるという話をラウリーも聞いていたなら、彼女とてそう思っただろうが。

「あの時オルセイが手前のことを食えん男だって言ったのは、こっそりイアナザールを治していたからじゃない。クーナの鏡を取られないように防御していたからだ。俺の剣も婆さんが持ってたランプも取られた。ヤフリナ国の港でもあいつ、青い石のブローチを持っていった。あれ全部、神石だろ。違うか?」

「訊くなら違うと答えるぞ」

「お前な」

 思わず娘2人が吹きだしてしまい、クリフがせき払いした。ラウリーも息を整えて居ずまいを正す。

 なるほど、自分が剣を取られたので思いいたったらしい。納得できる単純思考だ。それにしても「俺の剣」とは思いきったセリフである。本人が無意識のようなので、誰も聞きとがめなかったが。

「エノア様は神石を探して旅に出られるのですね」

 歩きながらリュセスが言い、エノアは答えずに先を行く。しかしリュセスも、この不思議な魔法使いの尊大な態度には慣れたらしく、後ろ姿から判断したのか「そうですか」と合点して頷いている。ラハウに鍛えられたのかも知れないが強者だ。さすがリニエスの姉というところか。

「リンは、あ、リニエスは……ここで魔法の鍛錬をするの?」

 少し後ろをついて歩くリニエスにふり返る。頷く彼女の意志は固いようだ。

 私も、と言いかけたラウリーの前に、クリフの声が重なった。

「俺も行く」

 皆が足を止めた。

 初夏のさらりとした風が、決意を秘めたクリフの顔を冷やすかのように吹いていく。クリフは長くなってきた髪をかき上げて、髭の下で小さく舌打ちした。

「イアナの剣を持ってない俺じゃ、役に立たんか?」

「分からん」

 てっきり一刀両断かと思ったら、エノアは反転して白銀の鏡を取りだすではないか。表情はフードに隠れて見えないが、エノアがクリフの申し出を嫌がっていないように感じられた。

「立つかも知れないし、立たないかも知れない」

「どっちだよ」

「持ってみろ」

 差しだされて、クリフは少し躊躇してから、思いきって手に取った。

「うわ!」

 途端に鏡から、白い光が広がった。エノアがなにがしかを囁きながら鏡に手を重ねると、鏡は大人しくなった。

「ラウリーも持ってみてもらえないか」

「私ですか?」

 思わず声がひっくり返った。柔らかい魔石なら彫刻したり収集したりで何個も触ったことがあったが、神石はこれが初めてである。

 ドキドキしながらも内心クリフより自分の魔力が強いはずだと自惚れていたラウリーは、鏡を手にしても何の反応もないことに失望した。いや、弱くは光を示している。だがクリフほどじゃない。

 明らかにガッカリしてしまったラウリーに、エノアが表情を緩めたようだった。

「潜在的なものと、活用できるかどうかの能力は違う。自分の守護神にしか反応しないのか、すべてを使いこなせるかどうかも人それぞれだ。この男はすべてに呼応する『力』を持っているようだが、おそらく使いこなせる日は来ないだろう」

 淡々と失礼なことを言ってのけている。

 しかも「この男」呼ばわりされて、クリフは口を尖らせた。

 だが、すぐに機嫌は直った。短くだが、

「共に」

 と、エノアが言ったからだ。

 実を言えばクリフは、魔法なる代物に頼るのは気に入らない。胡散臭い。けれど、何もできないよりは良いのだろう。そう思ったらしいクリフの顔が少し晴れた。

 なのに、うっかりラウリーが曇らせてしまった。

 たった一言で。

「お気を付けて」

 何げなく。あっさりと。明るく言ったつもりだった。

 きちんと気持ちの良い笑顔を作ったつもりだった。

 けれど残される者の寂しさがにじみ出てしまうのは、当たり前といえば当たり前だ。ラウリーは慌てて肩を竦めて手を振り、笑顔を上乗せしたのだった。

「え、だって、ほら。旅路に何があるか分からないもの。その代わり何かあったら、その頃には勉強して強くなった私が活躍させて頂きますから、ご心配なく」

 クリフのせいにして、挑戦的な顔を作った。実際、自分の魔力が──潜在的といえど──クリフより弱いと見せつけられたのは悔しかったのだ。ラウリーの中に、クリフに対する懐かしい感情がよみがえった。

「負けないわ」

 色々な意味を込めて、ラウリーはクリフに微笑む。クリフもつられて破顔した。

「そういう顔、久々に見た」

 クリフは言いながら手を上げかけて……すぐに下ろした。ラウリーは気づかなかった。

「吉報を、お待ちしています」

 ローブの裾を持ちあげて、おどけて挨拶し、城内に入る。

 入った広間の中央にはラウリーを守護し魔力を高めるための、エノアが描いておいた巨大な魔法陣が、彼女を出むかえていた。

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