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5-8(閃光)

 狭い石の扉を壊す勢いで我も我もと侵入してきた兵たちの足は、室内を見た瞬間、戸口に縫いとめられてしまった。

「ラハウ様」

 兵士らは、偉大な宰相だった魔法使いに仕えながらも、日頃は石部屋に入ることが許されない。下男にいたってはラハウの姿を見たことすらなかった。それでも彼女に仕えてきたのは、彼女が宰相であった頃クラーヴァ国に尽くしていた大きな力を尊敬してのことと、彼女の魔法使いたる大いなる力に魅了されてのことだった。

 姿なく『力』で自分たちに指示を与えてくれるラハウは、神のごとき存在だったのだ。

 その彼らが部屋に飛びこんで、まっさきにラハウを見つけることができなかったのは、無理のないことだったのかも知れない。

 部屋の中央に座する黒い塊は、あまりに暗く小さかった。

 倒れているらしき者たちに混じって、闇に消え入りそうだった。

 ……そこから漂う、異常なまでに膨張した魔力を、感じなければ。

 側には別の者も立っている。だが座した塊から放たれる圧倒的な存在感が、戸口の者らを萎縮させた。強い光が去った後の石部屋には、まだ光が残っている。今までになかったランプが輝いているのだが、兵たちにはそれが何なのか分からない。

 密度の濃い、重い空気が兵らを拒絶している。

 兵士たちが扉を開けるのと、室内に爆音と閃光が駆けめぐったのと、その者たちが室内に出現するのは、どれが早かったのか。

 人数すら正確に把握できないほど目が潰れて耳を聞こえなくしてしまった兵らは、誰がどうという以前に『出現』なる現象そのものが飲みこめないでいる。そこに立つ者たちが見たことのない人種だろうことだけが分かるのみだ。

 かすかに緑がかった光を灯す、銀細工のランプ。それ一つだけが光る中で、黒いマントに身を包んでいるらしき者たちは、闇に溶けこんでいて判別しにくい。

 場は固まっていた。

 5人、倒れていた。

 ラハウはあぐらを掻いている。

 壁際には金髪の娘が縮こまっている。

 そして座したラハウの側には、2人の女性が立っていたのである。

 オルセイ様じゃない。と、兵の一人が呟いた。オルセイも倒れた5人の中にいた。

 女性といっても一人はラハウと同じ黒いマントを着ている。彼女がランプを手にしていた。緑がかった柔らかい光と同様、いきり立った心を解かしてくれるような優しい眼差しをしている。ラハウも老婆なのだが、この老婆は老婦人と言った方がふさわしい、その眼差しを納めるにふさわしい顔立ちを持っていた。

 老婦人の側には、少女が立っていた。

 およそ、この場にそぐわない。

 だが闇をたたえた瞳が兵らを見すえると、彼らは金縛りに遭ったような気持ちになった。ここへ入るなと少女が訴えている、無言の威圧感が体中に襲いかかる。

 何が起きたのか。

 立っている2人が5人の男たちを倒したような図になっているが、到底、信じられない。

「退きなさい」

 フードを取って紫の髪を露わにした老婦人は、兵らに向けて語りかけた。

「ここを閉めて去りなさい。かかわれば死にます」

 兵らは老婦人の言葉に、治まったかに見える室内がまだ終わっていないのだと悟った。固まっている、場。しかし硬直は一体どのくらいの時間だったのか。

 おそらく一瞬でしかなかった。

 次の瞬間には、老婦人と少女が2方に飛んでいた。彼女らを見ていた兵の額に、何かが当たった。当たったと思った時には、彼は白目を剥いていた。倒れる仲間に気づいて、隣りに立っていた者が息を飲んだ。声は上げられなかった。

 なぜなら隣りに立っていた男も、白目を剥いて倒れたから。

 目に見えない衝撃が、彼らを襲っていた。

「外したか」

 にわかに巻きおこった阿鼻叫喚が聞こえていないかのように呟いたのは、ラハウの向こう側に立ちあがった、黒いローブを着た男だった。エノアとラハウにしか察せられないほど微弱な変化だったが、彼は表面上の余裕をたもちながらも、まとう空気を硬くしていた。

「オルセイ様」

 侍女がぱあっと明るい顔になったが、彼女を眺める兵たちは誰もいなかった。下男は逃げだし、兵は思いきって入室し、わらわらと散っている。入った2人の兵は手近に倒れている男、ノイエ・ロズに斬りかかった。ラハウからの『声』が聞こえたのだ。殺せ、と。

 同じ時、2人の赤い男も立ちあがっていた。

 2人で一緒に剣を持ったことで『力』が暴走したらしいことは分かったものの、制御できず、吹き飛ばされてしまったのだ。オルセイにも打撃を与えたらしいことは理解できたが、これでは戦えない。力の暴発で、ひどく体が疲れてしまったのも分かる。

 魔力は、魔力同士で増幅もできるが相殺もするらしい。

「俺が行く」

 クリフがイアナザールの肩に手をかけて、立ちあがった。剣を握りしめる。オルセイは対戦相手を換えて、老婦人との力比べに入ったらしい。動かない。婦人の顔が苦悶に歪んだ。かたわらで少女が何か呟きながら手を差しのべているが、クリフの目からしても、それは微力にしか見えなかった。

 走りかけたクリフの後ろから、小さな呟きが聞こえた。

「ラハウだ」

 エノアだった。

「オルセイは彼女らに任せて、ラハウを斬れ」

 倒れた状態ながらもエノアから『力』の放出を感じるのは、今まさに彼が老婆と戦っているためだろう。動かない敵との、見えない戦い。

 そう思った時、また風が起こった。

 誰が誰と対峙しているのか、誰がどんな力を使っているのかも分からないほど、室内の『気』が乱れた。イアナ神剣の一撃に加え、老婦人と少女の出現が力の均衡を崩したのだ。

 乱れる『気』に翻弄されて、魔法に慣れない兵たちやノイエがうろたえた。いちはやく我に返ったノイエは、相手の喉に剣を突きたて、力任せに振りきった。一瞬遅れて噴き出た血が顔を染めた。正気に戻ったもう一人は、ラハウを斬ろうとしているクリフに剣を振っていた。

「どけ」

 クリフは静かな怒声で、自分に向かってきた兵を片手で止めた。疲れているのが分かるのに、嫌に気力が充実していた。イアナの剣が馴染んでいるのが分かる。イアナ神の心が自分に宿る。止まる気のないオルセイに、オルセイを利用する老婆に、怒りが満ちてくる。

 老婆が元凶だ。

「駄目よ!」

 だが老婦人ケイヤの声が、クリフの一手を邪魔した。

 恐れはしたものの退くわけに行かない兵が、クリフの胴を狙った。クリフはそれを受けながして、蹴飛ばした。再度ラハウに斬りかかろうとしたクリフだったが、次はラハウ自身にはばまれた。『力』に押しかえされて、たたらを踏んだ。白銀の鏡を持ったエノアの力でも、今のラハウは止められないのだ。

 足を止めたクリフに、兵が斬りこんで来る。

 だが、それはイアナザールが止めた。

 次に彼らの横をすり抜けて、戦い終えたノイエがダナを攻めた。が──足を、竦めた。いくら腕力があろうとも、普通の人間が普通の剣を持って戦える相手ではないのだ。というのは、対峙してみて初めて悟る。生きて地獄なる世界を目にできると思っていなかった……そう思えるような暗澹とした瞳が、五感を支配して動けなくさせる。ちっぽけな自分を感じる。

 塵ほども……存在すらも認められていないほどの小さな自分。

「あ……あ」

 硬直してしまったノイエが動きだす前に、オルセイが指先を弾いて、その果敢な勇士を昏倒させてしまった。

「駄目よ、ラハウの『力』が消失すれば、ダナが暴走してしまう。本当に人の世が滅ぼされるわ」

 紫の老婦人は輝くランプを掲げたまま、クリフに叫んだ。途端、気が散った彼女をオルセイの『力』が襲い、彼女は腰を折った。だが、まだ倒れない。力の差は明らかだったが、それでも彼女のまとう雰囲気は優しく、気迫を感じさせないものだった。

 彼女はこの場に、ダナを滅しに来たわけではないのだ。

 クリフと同じで。

 あまりにも強大な力を抱えた死の神が、再び暴走するのは……見たくない。戦いたくない。今のオルセイとだって戦いたくないのに。

 イアナの剣から、少し光が弱まった。

 けれどエノアがこれを否定した。

「ラウリーが近づいている。ラハウを滅してダナを封じれば、ことが治まる」

「うまく行けばね」

 魔道士同士の仲違いに、クリフが揺れた。

 しかもエノアから出た言葉。

 さらりと。

「クリフ!」

 クリフは呼ばれて、はっとした。侵入した兵らは地に伏していた。クリフの名を呼んだイアナザールは、クリフを見ずにオルセイに立ちむかっていた。ただの剣で。

 斬りかかるどころか、その顔を見るのも恐ろしいはずの相手である。イアナの剣を持っていてさえ完全に恐怖をぬぐい去ることはできないし、どんなに気を強く持ってもノイエ・ロズのように足が竦む。はずだった。

「あっ」

 呼べなかった。

 名が出てこなかったのだ。

 呼べなかったから、剣が止まらなかった。

 止まらなかったから。

 貫かれた。

「――あ……」

 剣の柄に伝わる感触をでも楽しんでいるのか、紫髪の男がゆるゆると微笑む。

「相応の死をお与えすると申し上げましたでしょう、イアナザール殿下」

 一言一句を噛みしめるような、緩慢なオルセイの口調が、やけに不快だった。そうなってからクリフは彼の名を憶えた。イアナザール。

 もう忘れられないだろう。こうなっては。

 クリフが迷ってしまったから。

 だがイアナザールは雄叫びを上げて、胸に剣を抱いたままオルセイに体当たりした。相当が吹き飛び、王子は床を滑ってエノアの側に倒れた。エノアがイアナザールに手をかける。

 奇しくも、それは……いや、計算したのだ。クリフがかつてオルセイを刺したと同じ位置に、剣が埋まっていた。

 すべてが真っ赤に染まった気がした。

 いや、暗闇に見る血は、黒く見える。何もかもを飲みこむような、ドロリとした漆黒の液体がクリフの視界を埋める。瞳が血の色に輝く。

「ラハウを!」

 エノアの声が引き金になった。

 クリフが爆発する。

 躊躇が、人を殺した。

 今のままでは、今の自分では全員を殺してしまうのだ。

 オルセイの──ダナの力は、あまりに大きい。例え暴走したとしても、ラウリーに術を使わせることになるとしても。

 オルセイが暴走するかも知れない。

 ラウリーが死ぬかも知れない。

 人の世が滅ぶかも知れない。

 失笑したくなる。

“かも知れない”だ。

 石橋を叩いて叩きわるのは趣味じゃない。

 橋があるなら、渡るまでだ。

 死なせるものか!

 クリフは吼えた。

 ラハウに、剣を振りおろした。

 風が吹き荒れたが、剣先の強さはラハウの『力』を超えた。迷いのない速さで振りおろされたイアナの剣は、老婆の肩にくいこむはずだった。

 邪魔が入らなければ。

「──!!」

“声”とすら認識できないほどの、絶叫。

 いや、ある意味では声という形を借りた、『力』の塊であったのかも知れない。

 彼女の声に弾かれて鈍った剣先に『力』の塊がぶつけられて、軌道がそれた。危うく叩き殺していたかも知れない者の足元へ落ちたイアナの剣が、石床を砕いた。破片の一片が見えそうなほど、クリフは目を見開いていた。耳に残ったのは、聞きたかった者の声だった。

 それでも軌道がそれたのは、奇跡と言って良かっただろう。座した老婆よりも少し背が高いだけの少女だったから助かったのだ。大人の身長なら間に合わなかっただろう、小指の先にも満たない、わずかな余裕だった。

 足元に落ちた剣先は、彼女の髪を切りそうな近さだったが、彼女は顔色を変えず微動だにしない。

 少女はラハウをかばって、静かにたたずんでいた。

 リン。という名がクリフの停止した脳に浮かんだ。

 頭を垂れたイアナの剣から急速に、冷えるように光がしぼんだ。

 躊躇のなさが、人を殺すところだった。

 まだ残る淡い明かりが、リンの顔を照らす。

 唇がわずかに動いた。

「殺さないで下さい」

 能面のように動かない表情の中で、かすかに瞳だけが揺れた。

「ラハウ様を、殺さないで下さい」

「リン!」

 女性らの声が重なった。次の瞬間、助力を失ったケイヤがオルセイに負けて床に伏した。死んではいない。ランプの明かりもまだ、ある。だが微弱になった。

 同時にエノアも倒れた。

「エノア……」

 ケイヤは床を這ってエノアに向かい手を伸ばしたが、その手はオルセイに踏まれた。

「兄さんっ」

 哭声と粉砕音が同時に響き、ケイヤがうめいた。骨が砕けるにしては、やけに脆弱な音に聞こえた。だがオルセイはもう、このダナの魔道士に興味をなくしている。彼は一踏みで老婦人から離れた。

 オルセイが力を加減したのは、わざとでなく心が揺れたためだったが、それを表情から読みとることはできない。変わらない冷笑で、彼は意気消沈したクリフを素手で殴る。

 黒いローブがふわりと宙に舞う。

 一発でクリフは床に沈んだ。

 けれど、とどめはまだだ。

 ラウリーが来てしまったから。

「止めてっ」

 紫髪の娘が駆けこんできた。

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