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5-7(狼狽)

「止めろ、お前が殺したいのは俺だろ。そいつは関係ない。無駄に殺すな」

 怒りと哀願が入りまじったような複雑な声音で、クリフはオルセイに訴えた。彼も首を絞められて苦しいだろうに、しかし、声は石部屋に響いた。

「無駄でない殺しなら、良いと?」

 言葉尻を捕らえて、オルセイが揶揄する。クリフは詰まったが、すぐに彼を睨んで言った。

「少なくとも、お前が俺を殺すのは、お前にとって無駄じゃないんだろ」

「無駄だよ。俺の気が済むだけだ」

 オルセイはこともなげに言った。楽しそうな口調は、本当に楽しいのだろう。クリフはふと、オルセイとはどんな話もどんなケンカもしてきたと思っていたが、こうした感情をぶつけられることはなかったかも知れないと思いあたった。

 クリフは彼を睨む目に力をこめる。

 でないと恐怖に負けるから。

「でも、お前は俺を殺して気を済ませないと生きていられないぐらい、苦しいんじゃないのか?」

 クリフの喉に、オルセイの指がピクリと動いたのが、感じられた。

 殺意は、クリフとて狩人である以上、持ったことがある。グールなどの動物たちに対してだけじゃない。この2ヶ月ほどで、あまたの人間を殺してしまった。殺意をもって、殺した。

 相手を殺すのは、そうしないと生きていられない時だ。

 そうクリフは感じた。

 心の弱い時ほど生きることへの力が欲しくて、許して欲しくて、許してくれない相手を憎む。排除したくなる。命なる言葉の意味が、軽くなる。

 遠のきそうになる意識ながらも。いや、遠のきそうになっている今だからこそ、だろうか。クリフはぼんやりと、そんなことを考えた。

 自分が思ってきたよりもずっと、オルセイは弱かったんじゃないだろうか、と。弱さを隠して強くあるために、強くなるために、必要以上に自分を追いこんでいたのだろうか……などということが、今さらオルセイに言えるわけがなかったが。

 けれど、だからといって許されて良い行為ではない。

 相手が神であろうとも。

 滅ぼして良い理由など、クリフは知らない。

 オルセイの左手がゆるんだ。

「今のお前では楽しくないな」

 けれど、ゆるんだのは一瞬で、再度ぐっと力が込められた。クリフが目を抜く。

 だが、まだ気絶はしない。クリフが気絶しない加減をたもって、オルセイは彼をじわじわと痛めつけた。クリフに肉体の痛みが痛みとならないことを、承知の上で。

 クリフが痛みを感じるのは、心の方だ。

 しかも自分でない誰かが傷ついた時だ。

 自分が傷つけた誰かがいる時だ。

「痛かったなぁ、イアナの剣は」

 オルセイはクリフの位置を下げて、彼の耳に唇を寄せて笑った。隠しきれないほど露骨に、クリフは動揺した。床に落ちたイアナの剣がクリフに反応するように震えたが、その震えはむしろ怯えかと思えるほど脆弱で小さな揺れだった。

「ラウリーもずいぶんと、お前のことを気にかけている」

「?」

 クリフはオルセイを横顔で睨んだが、目に力はなかった。

「知らなかったよ、俺が死んで相思相愛になっていたとはなぁ」

「お前……何、言ってんだ?」

「気持ちの良い鈍感っぷりだ」

 オルセイは声を殺して、くつくつと笑った。左手でクリフを締めあげたまま、右手の拳で口元を隠して肩を揺らしている。クリフはカッとなって暴れようとしたが、全身どこも動かせなかった。

 笑みの止んだオルセイは瞳を薄くして、クリフを蔑視した。

「ラウリーは以前からお前のことが好きだったようだが、お前は、どうなんだろうな」

「どう……って」

 息が苦しい。オルセイの腕にしがみつくこともできないまま蹂躙されていることに、クリフは恥辱と後ろめたさを感じた。他人に己のこんな感情を口にされて、良い気分のわけがない。

「知ってるか?」

 オルセイの目は、クリフを軽蔑したり挑むようになってみたりと忙しい。まるで今まで我慢していた分をすべて、彼に吐きだしているかのようだった。死の神ダナに捕らわれたがための変貌だ……と、思いたい。

「危険な吊り橋の上で出会った男女は、まず間違いなく恋に落ちるんだそうだ」

「何?」

 クリフは素直に眉を寄せた。

 オルセイの言いたいことが分からない。

 予想通りの反応をしてしまったらしいクリフに、オルセイは微笑した。

「俺を殺した罪悪感から逃れたいだけの、戦いにあけくれた神経を癒したいだけの対象ってことさ」

「……っ」

 ──頭が白くなった。

 言葉が出ない。言葉の意味すら……いや、理解はできる。できるのだ。

 吐きそうなほど。

「ずっと一緒に暮らしてきたのに何とも思わなかった者を、どうして今になって好きになる? ラウリーが俺の妹だからだ。特別な存在になった。特別になって、俺のように死なせるわけに行かなくなって、守り、惚れた。一時的な感情にすぎない」

 ギリと噛みしめた奥歯の音が、部屋中に響いたような気がした。

 オルセイの快弁につけいる余地が、クリフには見つけられなかった。図星で、顔が赤くなるのが分かった。自分で分析したことのなかった心をこのように突きつけられると、下手に反論しても無駄なあがきでしかないように思えた。

「結構」

 オルセイはクリフの表情に満足して、ゆったりと目を細めた。だが、すぐに見開かれた。

 クリフを掴む手に、ナイフが突き刺さったのである。

 続いてオルセイの魔力に邪魔が入り、四散した。

「貴様!」

 オルセイがすぐにまた『気』を練ったが、クリフを拘束することはできなかった。クリフは床を転がった。攻撃を仕掛けた翠の魔道士は、反撃されて口から血を流したが。

 ラハウがエノアの気絶に油断する、オルセイが演説に酔う、その隙を狙ったのだ。

 以前よりも力を強くしたラハウとオルセイに、前回と力のほどが変わらないままの、しかも闘争心が薄れてしまっているクリフの心で勝てるとは思っていなかった。

 エノアは最初から、相打ちを狙っていたのだ。

「クリフ、行け。ラウリーを」

 言いながらエノアが走り、老婆の魔法をかわしながらオルセイにナイフを投げた。オルセイは怒りを込めて、拳でそれを殴りおとした。動くエノアをオルセイが追い、『力』で打ち伏した。さらにラハウが追い打ちをかけてエノアを締めあげる。

「容赦せんぞ」

 だが、それと同時にイアナザールとノイエも動いていた。

 どちらに味方するのか。

 もう、明確だった。

「これを!」

 イアナザールは走りながら自分の剣をクリフに受けとらせて盾を投げすて、すかさず拾ったイアナの剣でオルセイに斬りかかった。

 赤い光が室内に充満した。クリフのそれよりは弱い光だったが、それでも剣が光るということ自体が奇異な現象である。オルセイは体をひねってイアナザールの剣を腰の鞘で受けたが、少なからず驚愕した。

 王子がオルセイを睨みあげた。

「私を見くびった代償は高いぞ」

「これは失礼を致しました」

 オルセイは優雅に微笑んだ。

「!!」

 左手でイアナザールの胸を突き、『魔力』で吹き飛ばす。オルセイの手からナイフが落ちて血が舞い、イアナザールは床を舐めた。彼が立ちあがるのを待ちながら、オルセイは微笑したまま言った。

「相応の戦いと死をお与え致しましょう」

 イアナザールの肌が一気に粟立ったが、彼はそれを隠しとおして立った。

 ノイエは、今にも開きそうな石部屋の扉を押さえていたが、クリフのために手をはなしかけていた。

「私が防ぐ、通りなさいっ」

 彼は背後のクリフに叫んだ。イアナザールの剣を手渡されたクリフは、戸口に走っていた。扉の向こうにラハウの手下がいるらしい音は理解できている。ここの者らしき2人の男が自分に味方してくれる理由も分かる。行けと言ってくれているのは、自分とオルセイのやり取りを聞いて察したことだろう。

 エノアも「行け」と言った。「ラウリーを」と。

 だがクリフは行くのを止めた。

「馬鹿か、手前っ」

 クリフは反転して、オルセイとイアナザールの間に割りこんだのである。オルセイはイアナザールを踏みつけようとしていたが、クリフに体当たりされて床を滑った。ランプの一つに当たり、油が床に広がって大きな炎を生みだした。

 オルセイの肩にも油と火が着いてしまって、少し髪を焦がした。いまいましげに肩を揺らすと、火が霧散した。生ものの焦げた臭いが辺りに漂った。

「こいつは普通の力じゃない、殺されるぞ。それに、」

 オルセイに向けて剣を構えながら、クリフは斜め後ろの壁際で倒れている翠の魔道士をちらりと見た。

「それに手前が死んだら、どうやって逃げるってんだよ、この馬鹿!」

 2人ともが馬鹿呼ばわりされたのか、翠の男だけなのか。秀麗な顔に遠慮なく罵倒を投げつけるクリフという男に、イアナザールは好感を持った。助けなければならない者が目前にいると、無条件で元気になり、立ちむかう。この気迫が心地よい。

 同じ、イアナ神を冠する者だからか。

 剣の発光が強くなり、赤い輝きが黄色みを帯びた白に変わった。

「幸か不幸か、どうやら私にも普通じゃない力があるようだ」

 イアナザールはクリフに微笑むと、立ちあがったオルセイに突進した。

 それと同時に石の扉が爆発するように開き、ノイエが弾かれて倒れた。

「きゃあっ!」

 ミヌディラの悲鳴が響く。

 舌打ちしてクリフも走った。イアナザールと平行になり、イアナの剣に手を添える。

「?!」

 光が一層、強くなった。

 負けないように握りしめた。

 遅れないように足踏みが揃った。

 2人が共に、吼えていた。

 全員の五感から一瞬、すべてが消えた。

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