5-6(苦闘)
最初は王子なる男と、興じるつもりでいた。
「入ってきたか」
石部屋に座るラハウの思念はどこか諦めに似た、重い調子だった。どんな人間をも物ともしない、ソラムレア皇帝でさえ鼻であしらっていた影の暗躍者とは思えない、感情ある声である。
「寂しそうだな」
そばに立つオルセイがラハウをからかった。石部屋にはこの2人しかいない。
彼は最初から、ラハウが地下への入り口に施していた“封印”を手伝っていなかった。その気になれば一生開かない扉も、扉そのものの存在感を消すことも、まして城のすべてを破壊することすら可能な『力』を持ちながら、そうしていなかった。
ラハウがいないと魔力と自我を維持できない不安定な体だから、という理由もある。
だが本当のところは、地上から彼らが攻めこんでくることを楽しみにしていたのだ。
マラナ神石のブローチと、ラウリー。
2つの『魔力』を得たオルセイには、力試しをしたい気分もあった。
からかわれたラハウが言った。
「ライニック王がご存命のうちは大人しくしていたい気持ちが、少々あったのでね」
そっけない返事。
ラハウが──ダナ降臨を準備する隠れみのにしていたという理由以外に──20年もの間クラーヴァ国宰相として働いてきた、これが本音なのだろう。
人々の間に『魔』を普及させたかった。
人々に『魔』を忘れて欲しくなかった。
神話を伝えて欲しかった。
その想いに同調してくれた、最初の王。
「では、さっさとライニック王が亡くなれば、お前は働きやすくなるのだろうか?」
ラハウの想いなど綺麗事にすぎないと言わんばかりに、オルセイは嫌なことを言ってみせる。ラハウは挑発に乗らず、嘲笑のイメージをオルセイに送った。
「過去形さ」
元から音のない空間だったが、ラハウの言葉を最後に空気の揺れが治まった。2人はしばらく外の様子に気を配った。
よどみなく歩いてくるイアナ神の王子様へ、こちらへ来いと誘うように。
地下で働く侍女たちを眠らせ、男たちには待機を命じた。ラハウの“封印”は強力で、2人しか通れなかったのだ。雑魚の相手をさせるよりは、手ずからもてなしたいものである。
ところが、そう行かなくなってしまった。
本命の出現で。
「!?」
オルセイは飛びのいたが、ラハウは動けない。だが相手をはねのける力は持っている。
瞬時にオルセイが手をかざし、ラハウからは魔力が立ちのぼった。
落ちてきた2人は、オルセイたちの『魔力』に吹き飛ばされた。飛ばされたが、それも計算のうちだったのだろう。2人はあらかじめ防御を整えていて、さほどの打撃をともなわずに床に着地した。『魔力』のぶつかり合いが大きく空気を動かした。
オルセイの口元に、笑みが浮かんだ。
「よく来た」
立ちあがったクリフは早くも剣を抜き、同じくエノアも、なにがしかを唱えはじめている。
イアナの剣が輝いた。
「ラウリーはどこだ」
クリフは感情をむき出しにして、低い声でオルセイに凄んだ。オルセイは動じず、茶でもふるまいそうな笑みで親友を見つめた。
「急くな。昨日はゆっくり話している暇じゃなかったからな」
「お前と話すことはない。……今のお前とは」
「俺はオルセイだ」
「分かってる」
「拒むのか?」
「そんな問題じゃないだろ!」
クリフは苛立ちを振りきるように叫び、神剣を構えなおした。話すたびに弱まってしまった光が、持ちなおした。
詠唱を終えたエノアが呟いた。
「お前はダナだ」
手をかざし、魔力を発する。
風が巻きおこった。
かつて、一番最初にコマーラ家で彼がおこなったと同じ現象である。
魔道士たちのフードが外れた。翠髪を乗せており切れ長の瞳が凛と冴えている顔と、閉じたまぶたが皺を折りかさねている白髪の顔が、露わになった。
けれどエノアが起こしている術は2人に……少なくともオルセイに、まったく効いていないようである。オルセイの表情からすると、効いていない。やはり自分も戦って何かしらの隙を作らないことには、ラウリーを助けに行けないのだ。
“転移”にかかる直前、エノアには「戦いの中、どちらかが完全に2人の気をそらすことができたら、ラウリーを救いだしてダナの浄化にかかる」と言われた。後半には賛同していないが、それしかないだろうというのは分かる。
クリフは心を決めて、オルセイに斬りかかった。
オルセイが腰の剣を抜いた。
だが金属音は響かず、オルセイは体を避けていた。剣で受けるまでもないということか、とクリフは舌打ちした。
「積もる話はなしか。残念だ」
あくまで余裕たっぷりな声音が、耳障りである。クリフは間髪入れずに剣技を叩きつけ、オルセイは、目を輝かせながら技を受けながした。
そこへラハウが『力』を発した。
手を放しはしなかったもののクリフは剣をはじかれてしまい、たたらを踏んだ。クーナの鏡をかばったエノアも体勢を崩した。踏みとどまったが、風が止んだ。
めげずに剣を振りかざす。
けれどクリフへの一撃を避けたオルセイは、奇妙な行動を取った。
扉へ手をかざしたのだ。
石の扉が少しだけ開いた。
開いたそこに気配を感じたが、クリフは意識を移さなかった。
むしろ移しておくべきだった。気配の主が誰かを見ておいた方が良かった。
「きゃあぁ!」
部屋の中に、女性の悲鳴が響きわたった。
当然クリフはふり向いて、女性を凝視してしまった。
オルセイの前での無防備が何を意味するのか、知っていたはずなのに。
クリフは腕を斬られた。だが、浅かった。胸まで斬られていただろう太刀筋だったが、今日のクリフは皮の胸当てを着けている。それに、エノアが風を起こして、オルセイが放つ魔法の威力を弱めてくれた。加えて──オルセイの剣が“遊び”だったことに救われた。
畜生!
クリフは歯軋りした。いつまでも優位に立たれ、蔑まれていることが悔しかった。オルセイに、今のダナたるオルセイに憐憫を受けることなど一つもない。あるとしても、許せない。
再びオルセイに立ちむかった。
オルセイの方はそのわずかな間に、外の男たちに声なき声で命じているところだった。王子と側近を殺せ、と。
やはりクリフが良い。
他の誰を手にかけても、気が済みそうにない。
◇
悲鳴の女性は、ラウリーではなかった。
眠らされていた侍女である。大きな『魔力』に飛びおきて、何ごとかと思い石部屋を訪れたのだ。他の侍女たちは『力』の恐ろしさから逃げることを選んだのに、ただ一人そこへ向かった者がいた。
「止めて、オルセイ様を傷つけないでっ」
扉をくぐったイアナザールのすぐ側で、金髪の娘が壁にしがみついたまま泣きさけんでいた。イアナザールが見たことのある顔だった。城内に勤めていた侍女である。
「これは一体」
呟いたイアナザールに、興奮しきった娘は気づいていなかった。
その間にも廊下の叫声が大きくなっている。兵らが迫ってきている。イアナザールはノイエと2人で石の扉に背をつけると、力いっぱい押した。ドスンと扉が閉まってから、彼らはようやく室内を見回した。
剣対剣と、魔法対魔法。
そんな2対2の戦いが目前でくり広げられていたのだ。
赤い男と、黒い男。美しい若者と、みにくい老婆。
一言で言うなら、そんな印象だった。
自分に似た赤い男がイアナの剣を振りかざしながら、黒い男に向かって叫んでいる。
「教えろ、ラウリーは無事なのか?」
「死んだと言ったら剣を退くか?」
黒い男の口調はあくまで一定だ。こころもち、喜びながら。
「手前っ」
彼が叫ぶたび、怒るたびに剣が発光して風が舞いあがる。とても割って入れるような戦いではなかった。4人ともがイアナザールたちの存在に気づいてないようだった。ピリピリとした空気を感じる。全身に鳥肌が立つ。恐怖に顔が引きつる。
何という一騎打ちだ。
戦闘経験が薄いイアナザールだったが、それでも齢24である。人生上で、この目前でおこなわれている戦いより気迫のまさるものを、見たことがなかった。
だが赤い男が黒に押されていた。
ギン! と噛みあった剣が嫌な音を響かせた。
「いやあぁっ」
金髪の娘が叫ぶ。彼女の悲鳴に反応して声を上げたのは、みにくい老婆……ラハウだった。
「これはイアナザール王子様」
イアナザールは首を竦めた。
気持ちの悪い声だと思ってから、それが声でないことに気づいた。頭に直接、響いてきたのだ。
額に手を当てて驚愕するイアナザールに、「殿下?」とノイエが怪訝な声を出した。彼には聞こえなかったらしい。イアナザールは再びラハウを見て、彼女が部屋の中央に座ったきり微動だにしていないことに気づいた。風でマントがあおられているし、剣の光が邪魔をして分からなかったのだ。
ラハウと同じ黒いマントを着た男は、手に数本のナイフを持って動きつづけている。
「ラハウ」
声で男と分かった。
だが今度は彼が人間かどうかが分からなくなってしまった。そんな音色だった。
言ったと同時に男がナイフを放った。ラハウは動かない。瞳すら開けない。しかしナイフは、ラハウに届く寸前に失墜して落ちた。
イアナザールの脳裏に、何かが浮かんだ。翠髪の麗人は、彼に何かを思いださせる。けれど像は形をなさず、目前の光に邪魔をされて消えてしまった。
「殿下……我々は、」
扉に背をつけたまま、ノイエが隣のイアナザールへ顔を寄せた。
「我々はどちらの味方をすれば?」
そこだ。
イアナザールも思った。
地下の奥にはラハウがいる。その勘は当たった。だが地下の存在を隠したり、入り口を塞いでいたのがラハウだったのかどうかが、分からなくなってしまった。あの男かも知れないのだ。
翠髪の男のしわざかも知れないと思えるほど、彼の魔力は強い。それが分かるイアナザールだけに、うろたえた。
消えたと思っていたイアナの剣。見たことがある気がする赤い男に、誰が剣を渡したのだ?
「殿下!」
金髪の侍女が、よろけながらイアナザールにしがみついてきた。通常なら触れるなど、侍女にあるまじき無礼である。だが今は事態が通常でないので、誰も気にかけない。
見覚えはあっても名前を知らない娘に、イアナザールが名を求めて詰まった。
「お前は……」
「ミヌディラ。ミヌディラ・マイエスです。お慈悲を、どうか、あの方々を助けて下さい!」
ミヌディラは子供のように泣きさけぶ。「あの方々」という呼び方に、イアナザールはさらに戸惑った。
「どちらの2人だ」
見た感じ、赤い男と翠の男が力を合わせているようである。黒いローブの男は斬りあう片手間に、翠の男に向けて手を伸ばしている。伸ばした先からは『力』が感じられた。マントの男が、それを避ける。
黒い男の『気』は──いや、男だけではない。解放されたラハウの『魔の気』も、今までイアナザールが経験したことのない強さと暗さを持っていた。男は紫の瞳を輝かせており、薄い微笑は残忍さを感じさせた。
「何をおっしゃるのですか、ラハウ様とオルセイ様です」
信じられないと言いたげに目を見開いて、ミヌディラはイアナザールが生理的嫌悪を持った方を支持した。オルセイという名は知らないが、ラハウなら分かる。自国の元宰相なのだから。
元宰相であるのに……彼女を見る目にかげりが生じる。
「説明しろ、ラハウ。どういうことだ」
「これが片付きましたら」
ラハウの声が、うやうやしくお辞儀をするようなイメージをともなって、イアナザールの脳にくい込んできた。風と光と『魔の気』がうずまく盛大な戦いをしているようには見えない、余裕を感じる声音だった。
事実、余裕があったのだろう。
一度だけ大きく部屋がゆれ動いたように思えた後、形勢が決まってしまったのだ。
ミヌディラが歓喜の声を上げながら膝をつき、胸に手を当てた。イアナザールたちは、どうにも動けない。
赤い男と翠の男が壁に叩きつけられた。翠の男は床に沈んで黒い塊と化し、赤い男の方は──黒いローブを着たオルセイとかいう男に首を掴まれ、持ちあげられてしまった。壁にガンと押しつけられた頭から、血がつたって壁を流れた。黒い男は自分の持っていた剣を、腰の鞘にカチンと収めた。
「クリフ」
赤い男の名前らしい。イアナザールは他人と思えない赤い男を、まじまじと凝視した。凝視して、やっと見えた。
クリフの顔には覇気がなく、むしろ悲痛さを浮かべていたのだ。
対するオルセイの冷笑が、一層クリフの消沈を引き立たせていた。
イアナの剣がガランと音を立てて落ち、部屋が暗くなった。
だが、すぐにまた明るくなった。
床に落ちていた3つのランプに、急に光が生まれたのだ。
天井に吊す形のランプは横倒しに転がっていたのだろうに、きちんと立って炎を保っている。風が止んで静かになった部屋の中で、やはりラハウは中央に座ったきりである。乱れた白い髪が顔を隠し、表情が見えない。翠の男は伏せったまま気絶したのか、魔力に縛りつけられたのか、ピクリとも動かない。
かすかに廊下から、扉を叩く音や叫び声が入ってきた。だが王子とノイエが抑えていることもあり、重い扉に開く気配はない。
「お前は魔法を使えないから、明かりがいるだろう。俺の顔がよく見えるように」
オルセイはクリフに言ってから、イアナザールに顔を向けた。微笑に射すくめられて、イアナザールが凍った。
「世の中に似た顔は3つあるなどというが……鏡のようだ。その『気』までも」
王子の容姿を堪能してから再びクリフを見て、オルセイはくすりと笑った。
「それともお前は遠縁なのかな? クリフォード様」
苦痛に歪むクリフの顔が違う感情をともなって、さらに歪んだ。クリフが言われたくない言葉を知っているというのは逆に、どう言えば効果的に相手を苦しめることができるかを知っているということだ。
伯爵たるクリフの地位なぞ、両親が亡くなった時になくなった。親戚をたらいまわしにされてコマーラ家に落ちついた、その時から自分は狩人の子になったのだとクリフが思っていることは、一番オルセイが熟知している。
オルセイはクリフから視線を外さず、空いている右手をゆうるりとイアナザールにさし向けた。同時に、イアナザールの息が詰まった。
「!?」
この感覚は憶えている。以前にも、こうして押さえつけられたことがある。
「殿下!?」
イアナザールの異変に、ノイエが顔色を変えた。ミヌディラも驚いているようだったが、それを視界の端に映すイアナザールの目は、早くもかすんでいた。
「お前を殺してしまう前に、似ているこの男でまずは溜飲を下ろすとしようか」
「があっ!?」
首だけではない。胸が苦しくなり、腹がよじれ、骨がきしんだ。体が細かく芯から飛びちってバラバラになろうとしているような激痛が全身を襲う。
イアナザールの視界は真っ赤に染まった。染まった視界の中に一瞬、リュセスの曇った顔が浮かんで消えた。そんなになりながらもイアナザールは、どうせなら笑顔が見たかったと内心で苦笑した。
「よせ!」
──寸前だった。
『力』が飛びちった。まだ体中がしびれていたが、イアナザールから脅威が去った。いつの間にかイアナザールは、地に膝をついていた。体に力が入らない。イアナザールは声を上げた男、クリフを見あげた。
クリフはまるで自分がそうされたかのように苦しい顔をして、それでも目をそらさずにオルセイを睨みつけた。