表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/192

2章•金の踊り子-1(疑念)

 通りは荷車が履行(りこう)できるほどに広く、その両側に並ぶ家屋も大きなものだった。海が近いためか建物は丸太だけではなく、しっくいのようなものも使って壁を塗りかためてあるものだ。

 その前には幾つもテントが張ってあって、様々なものを売る店が建ち並んでいる。港町サプサの朝市はこの地方でも有名なほど盛況なものだというのは、宿屋の主人が教えてくれたものだ。

 その声に送り出されて通りを散歩する二人は物珍しさも手伝って、田舎者丸出しの顔をして辺りを見回している。

「いや、そんなにきょろきょろするもんじゃないだろう、こういうところは」

 と、黒髪の男が赤毛の男があまりに落ちつきなさそうなのを見咎めた。そんなに首を動かしているつもりがなかったのだろう、赤毛の青年が横目で相棒を睨め付けた。

「こんなに南に飛ばされてると思わなかったんだ、土地勘がないんだからきょろきょろするのは仕方がないじゃねぇか」

 その顔からは髭がなくなり、すっきりとした面持ちになっている。それを見ながら黒髪が言った。

「土地勘のせいにするか、クリフ?」

「そういうオルセイだってせわしないと思うぞ」

 互いが互いの名を呼び、苦笑した。

 とにかく王都より南に降りたことのなかった二人が思いがけず来ることになってしまった地だ、帰宅への急く気持ちもあるが新天地への興味もないではない。金を手にして旅装束も整えた二人が一息ついても、それは許されないものではないだろう。

「まったく、グール様様だ」

 というのが先日仕事を終えた二人の合い言葉になっていた。

 彼らの仕事。

 グール狩人である。

『お礼は獣を捕らえて換金して払います。だから武器を貸して下さい』

 ──最初、行き倒れのような青年二人を拾った木こりは、彼らの申し出にいぶかしんだものだった。それも当然だろう。何しろ片方は寝間着だし、二人とも武器どころか金も旅道具もなく手ぶらと来たものだ。

 それに木こりが、世に言われるところの『グール狩人』を想像するだに彼らは小柄すぎた。いや、決して背が低いわけではない。筋肉も悪くない。引き締まった良い体をしていることは、木を相手に斧を振るう木こりでも判別できた。だがそれよりもずっと、グール相手には大きな体と太い筋肉が必要だと彼は思っていたのだ。

『いえ、グール相手だと力よりも速さと技が必要なんですってば』

 と説得し続けて斧と鉈を借り、森に分け入って討ち取った獲物だった。

 ただしクリフらが獲ったこのグールには、おまけが付いていた。

 ふとそれを思いだしたオルセイが歩きながらクリフに聞いた。

「あいつら、まだ寝てるのか?」

 一瞬考えてからそれに思いあたってクリフが、

「まだ寝てるのかってこたぁないだろう。冬眠中なんだし」

 と言う。

 宿に付属している、ゴーナという家畜が何頭かつながれている小屋の中へ、クリフらはある生き物を預かってもらっている。思いがけず一緒に旅をすることになってしまった仲間。それは先だって殺したグールの子供たちだった。

 その日は晴れていた。

 狩り日よりと言って良かった。

 慈悲の神ニユが守護する今の月は、寒いが雨や雪が少ない。本当に冬が本番になり厳しいのは、その次のクーナ神の月だ。一年を7神に分けて数える守護神は、その月ごとに、徐々に季節を変える。クーナ神が終わる頃には風が和らぎ、次の月には花が咲く。今の月はまだまだ暖かさとはほど遠く、動物たちも冬眠してすごす季節だった。

 そんな季節にクリフらは、狩りをおこなったのだ。

 雪の残る、しかしある程度溶けて土も見えている、山の低い位置に、巣穴があった。冬眠する動物を叩き起こして討ち取る、それしか狩りの方法はなかった。しかもその相手が、

「グールか?」

「だな」

 となれば、

「背に腹は……」

「変えられん」

 喋り声は草葉の陰から、あまり乗り気のしなさそうな調子で交わされた。

 足場はぬかるんでおり、枯れ草がさくさくと2人の足音を響かせる。正直、万全でない体と万全でない武器を持ってグールに臨むのは無謀だ。

「この獲物で行けると思うか?」

 クリフが不安そうに自分の斧をかざして見せた。しっかりと使い込まれており、いかにも切れ味が悪そうだ。

「これと交換するか?」

 対するオルセイが見せたのは、これまた年季の入った(なた)である。2人の顔が一気に暗くなった。

「しかし今の季節、冬眠している動物を見つけだすのも難だしなぁ」

「グール一頭捕れりゃ、当面金の心配はしなくて良いからな」

「やるか」

 そう話している間にも腹が減ったのか、クリフが足元にちょんと咲いていた草を引き抜き、茎の部分だけしがしがと噛んだ。一本をオルセイにも渡し、2人でかじりながら顔を見合わせる。

 まるで打ち合わせてあったかのように、2人は同時に飛んだ。

 走り出した2人はまっすぐ巣穴に向かったかと思うと、止まらずに駆け抜けて近くの木によじ登った。地上戦でグールを仕留められる者はそうざらにおらず、どちらかと言えば身軽さが要求されるのだ。もちろんクリフもオルセイも、いつかは個人戦でグールと真っ向勝負をしたいと思っているが、そのためには技量だけでなく良い武器も必要になる。2人にはまだ遠い夢だった。それでも、2人セットでだろうが「グールを捕らえられる」というのは、相当な腕前だと言えるのだが。

 グールは普通、もっと山奥深い森の中に生息しており、滅多に見つからない。

 だから、この幸運を逃すわけには行かない。

 例えその巣穴から飛び出してきたのが、手負いの母グールであったとしても。

「え?!」

「ためらうな、クリフ!」

 オルセイが木から飛び降り、グールの首に鉈を振り下ろした。

 咆吼が上がった。

 鉈を引き抜くことができず、オルセイは鉈から手を離し、すかさず逃げた。その後を追いかけようとするグールに、クリフが第2波を浴びせた。

「こっちだ!」

 だがクリフの斧はグールにめりこまず、手からも離れてしまい地に落ちた。とっさに飛び退き、グールの手から逃れるクリフ。だが身を起こした途端、グールの振り回した前足が肩を襲った。

「うわ!」

「クリフ!」

 オルセイが身をひるがえし、手近にあった大振り木の枝を掴んだ。グールが気付いて振り向く前に、枝を背中に突き立てて飛び上がって走り抜けた。グールの悲痛な叫び声が上がった。

 クリフはオルセイのそんな行為に一瞬ひるんだが、肩の痛みをおして斧を拾い、狂うグールに向かった。

 グールが自分に近い方に立つクリフに向かって吼えた。走り出した足に躊躇はない。鉈と枝を体に突き立てて、血をまき散らしながら、グールの目は白く濁り、血走っていた。もはや何も見えていない。しかしどこを狙おうだとか、どう動けば良いかなどと迷っている暇などない。グールがせまった。

「うおお!」

 クリフも吼え、斧を両手で持ち横に振った。があっと口を開いた、その上あごと下あごの間に斧がめり込んでいった。口を裂き、頬骨が砕け、目玉が飛び出す。その時クリフは、俺はオルセイよりひどいな、とポツンと思った。母グールは見るも無惨な肉塊になって、地に落ちた。

 いっそ上手く首に当たっていれば、頸動脈が切れてすぐに死ぬし、その方が死体も綺麗だし楽だ。頭のつぶれたこんな状態では、買い取る方とて閉口する。再度、ちゃんと首を切り落とした方が良いだろう。それでもあまり良い商品とは言えないが。

 今しがた命を落としたばかりのグールに対して、そんな考え方をしてしまう自分が、ちょっと情けない。しかし死を哀れんで涙する感情は、嘘臭い気がして嫌だった。悲しむなら、殺さなければ良いのだ。グールを殺して生活の糧を得る、それがクリフらの仕事である。殺す以上は、綺麗な殺し方をして商品価値を上げてやるのが、せめてものグールへの礼儀だと思っている。その礼儀が、クリフはまだまだできていない。悲しい等の感情より、申し訳ない、と思うのだ。こんな殺し方になってしまって、申し訳なかった。

 クリフとオルセイは、動かなくなったグールに黙祷をした。

 森にシン、とした静寂が訪れた。

 その静寂の中、かすかに聞こえた声があり、2人は顔を上げた。

 さきほど母グールの出てきた、巣穴からである。風が枯れ葉をもてあそぶ音ではない。それは明らかに動物の鳴き声であり、しかも細く小さく、高い声だった。成獣のグールの声ではない。

 オルセイはクリフをうながすように見て、クリフは、情けなさそうな嫌そうな顔をした。オルセイが言った。

「聞かなかったことにして、気付かなかったふりをして、行くか?」

 行くか? という聞き方がすでに姑息だ。クリフはオルセイを軽く睨んだ。

 母グールを失った子供たち(声からして、おそらく複数)は、いくら森の王であっても狙われ殺される率が高い。他にも肉食の凶暴な動物は沢山いるし、何より母親の体温に守られて眠らないと寒さに耐えられないだろう。

 クリフは肩でため息をつくと、巣穴に近づき、潜り込んだ。

 オルセイが後ろから、巣穴にかかっている木の枝や根、葉といった邪魔なものを取り除く。暗い巣の中に少し光が入ったそこに、二人は子グールを見つけたのだった。

 普通、春に生まれ、冬が来る前に独り立ちするものなのだが、このグールはまだ生まれたばかりなのか、とても小さかった。とは言え、両手でなくば抱えられないだろう程度には大きさがあったが。とりあえず分かるのは、この大きさでは母グールなしに冬を越すことはできないだろうことだ。

 子グールは2頭だった。かすかな光の中で彼らはもぞもぞと動き、クリフに近づいた。クリフはさきほどの母グールの血をしこたま浴びている。その匂いやぬくもりが子グールに母親を思わせているのか、単に寒いので熱を求めて近づいてくるのか。気付いたら2頭は、しゃがんだクリフに寄り添うように丸くなって、くんくんと鳴いていた。

「……」

「クリフ? どうした?」

「どうしよう」

 クリフはそっと、自分の膝にしがみつく黒い生き物の頭を撫でた。逃げない。それどころか前足をふにふにと動かしてクリフの手を抱き、指先に吸い付いてくるではないか。クリフは一瞬指をかじられるのかと思い、身を固くして覚悟したのだが、子グールはそうしなかった。母親の死を理解しておらず、クリフが“人間”という天敵であることも分かっていないらしい。

 もう一頭はまだ体毛がそんなに黒くなく、赤っぽい茶色をしている。グールにも、生まれ月による毛の色の違いがあるのかな、などとクリフは思った。クリフの髪は赤茶色。赤色を守護色とする闘いの神イアナの色だ。

 子グールはお腹が空いているのか、せわしなくクリフの指先を舐めている。クリフは思わず笑ってしまい、子グールの顎を下から撫でた。くるくると気持ちよさそうな、眠そうな声を出している。

 母グールを殺すことにためらわなかった自分が、子グールのことを助けるのは自然でない。人間も自然の摂理の一環として、子グールのことも自然にしておくべきだろう。しかし……。

 クリフは言葉にして考えてもどうしようもない感情に理論付けしようとしながら、子グールらを胸に抱き上げた。

 そうして現在に至る。

 木こりへの謝礼をして旅を続け、二人は街に入った。幸い王都近くに位置するクリフらの住む村のことを知っている者がいて、その者がこの港町が相当南であることを教えてくれた。まだ続くらしい長旅の合間に二人が設けた、息抜きの朝だった。

「どこかで子グールを引き取ってくれないかなぁ」

 ボヤいたクリフに、呆れたようにオルセイが言う。

「肉塊ならいつでも良いだろうよ」

「俺に拾わせておいて、そういうこと言うかね、お前」

「俺は何も言ってない。クリフが拾ったんだ」

 意地の悪い顔をしてオルセイが笑った。からかわれている。クリフは答えず、顔をそむけた。

 クリフはふと、物思いにふけった。

 先日の“飛んで”きた時。

「オルセイ」でないオルセイに掴まって、爆発のような衝撃を感じた時、クリフの視界は真っ白のような真っ黒のような、何もない状態になった。その中にチカチカと誰かが見えた気がした。紫色のイメージがある。死の神とも異名を取る、オルセイの守護月、ダナ神ではないかと思えた。

 彼、ダナが離れていくような近づいてくるような、不思議な感覚が全身を突き抜けた後、固く閉じていた目を開けると、枯れ草の風景が目前に広がっていたのだ。

 クリフはオルセイがオルセイでなかった時の様子が、オルセイの二重人格だったのか、誰かがオルセイに取り憑いていたのか、そうした事情を何も知らない。しかし人間離れした怪力や嵐、現実離れした現実には、さすがに心中穏やかでないものを感じる。

 オルセイを眠らせた“何か”。

 魔道士の謎の行為。

 オルセイでなかったオルセイ。

 今のオルセイには、そんな影が少しもない。……ように見える。

 そんな彼はクリフの視線に気付いていないのか、よそ見をしている。その横顔に、クリフが言った。

「あの子グールを連れかえって食うとか言ったら、一生口を聞いてくれないだろうな、ラウリーは」

「まったくだ」

 ふり返ったオルセイは弾かれたように、くったくなく笑った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ