第六十六話 春まででいい。
今は昔。
男がいました。男はさる貴族の御曹司でした。しかし、下々のものが貧しく苦しい生活を強いられていることに心を痛めていました。これも、政をしているものたち責があるのではないか。君側の奸を取り除かねばならないと考えるようになりました。同志を語らって計画を練っていました。
そんな折、男は病を得てしまいました。心配する両親に薬師はしばらく、転地療養をするように勧めました。
都から程遠くない田舎に男は療養のために訪れました。その土地の長者が男を引き受けてくれました。男の
看護には若く美しい娘があたってくれました。娘の甲斐甲斐しい看護のおかげもあり、男は健康を取り戻してゆきました。そして、いつしか、男と娘は恋に落ちました。
都からは同志たちが計画の実現のため、帰ってくるよう促す手紙が届きました。男は都に帰る決心をしました。娘には、きっと迎えに来るからと約束をしました。でも、娘は言いました。
「この春まででいいのです。あなたと夫婦としてこの地で暮らしたい」
「聞き分けのないことを言わないでくれ。きっと迎えに来るから」
男は娘を振り切るように都に帰りました。
同志たちと事をおこした男でしたが企みは破れ、捕縛されてしまいました。男と同志たちは大貴族の子息ということもあり、仏門に入ることを条件に許されました。ただ、男たちの行動のおかげか、君側の奸と言われた貴族たちが政界を去ることになったのは、僅かな慰めでした。
仏門に入って、勤行に明け暮れていた男でしたが、ふと、娘に会いたくなり、尋ねることにしました。
長者の家にいくとあの娘は自分が去ったあと、間もなく世を去ったと聞かされてました。
「そんな、どうして・・」
「私も、あの娘の父親があまりに熱心に頼むものですから、あなた様の世話をさせたのですが」
男は長者から聞いた、女の家を尋ねました。女の家は質素な農家でした。家から、初老の男が出てきました。
「あなた様は・・」
「私はすぐる年、この家の娘に世話になったものだ。亡くなったときいて線香の一本でもとやってきたのだが」
男は、長者の家で厄介になっていたこと。この家の娘に手厚い看護をうけたことなどを話しました。
「そうですか。あなた様が・・私は、その娘の父です」
男は家に招き入れられました。仏壇に手をあわしていると娘の父が語り始めました。
「娘は、都に出たおり、あなた様の凛々しい姿に心惹かれてしまったのです。普通なら、身分違いの恋など、成就するはずがないと諭して諦めさせるのでしょうが。あのとき、娘は次の春まで命は持たないだろうと薬師に言われていました。思いがけなくも、長者様の屋敷に貴方様がいらっしゃると聞いて、娘可愛さのあまり、頼み込んだのです」
そこまで聞いて男の目には涙が流れました。
「泣いてくださるのですか。娘も浮かばれます」
娘の家を辞したあと、男は思いました。
私は、なぜ、あのときの春まででいい。夫婦として暮らしたいというあの娘の願いを叶えてやらなかったのか。到底、叶うはずもない計画であったものを・・
その後、男は娘を弔うとともに勤行に明け暮れ一生を終えました。




