第7話 悪役令嬢は追い込む
誤字報告、ありがとうございます。
昨日の分、いっぱい間違えてました。すみません。
「損害賠償って、何よ。確かにお金はある方がいいわ。資金難とまでは言わないまでも、これまでお金をばらまいてきてないものね。でも、その対価としてかわいい妹の身を差し出すってどういうことよッ!?」
両親が死んでからというもの、侮ってきた貴族を報復するのと公爵家を新たにまとめ上げるのに、お金は消費してきた。他の公爵家と比べると、金銭だけに限ってみれば劣っているのは間違いない。
が、妹の身を差し出すほどに困っていない金のため、わたくしが突き落とされた事実をなかったことにして醜聞を掻き消すことにお兄様は同意したなんて。残るはわたくしが、愚王子に手厚く甘々に看病されたことになる。こんな不名誉とわたくしの将来を潰すようなことに、怒りは数日たっても燻り続けている。
「ま、まあまあ。損害賠償も持参金のためでしょう? リュガー様がきちんとお嬢のためを想って行ったことですよ」
「お前、本気で、言っている、の!」
わたくしはヨトに蹴りを入れる。ぽす、と間抜けな音に終わる。これまでヨトが持つ枕に拳を振るっていたところからの不意打ちであるが、なんなくヨトは枕で塞ぎきってみせた。
「お嬢、蹴りは危ないです。転びますよ?」
「うるさい口ね。お前は、黙って、わたくしに付き合っていれば、いいのよ!」
「うーん。リュガー様と同程度の威力かあ。男女差を考えれば、お嬢の方が運動能力は上……? 病人であることも考えると、ふむ。リュガー様、相当運動音痴だな……」
「ぶつくさ、言わない! も……、みすぼらしく倒れなさい!」
「それが命令とならば従いますけど……お嬢、まずはなぜこのようなことをしているのか聞きたいです。リハビリですか?」
飄々とした態度を崩してやりたいが、護衛として随一の腕を持つヨトは動じることはない。全く、憎々しいわね。
「……リハビリも兼ねているけど、鍛え上げる必要があると実感したからよ。今後、再び突き落とされないとは言えないでしょう? これまでは必要ないと無視してきたけど、急な危険に対処できる最低限の自衛ぐらいはできるようにしておきたいわ」
「俺がお守りします、と言えたらいいんですけどね。……どこにでも、俺が付いていくことは難しいですから」
寂し気に、自らの無力さを感じるような弱弱しい声だ。ヨトは異国の血が流れていることから、その小麦色の肌は目立つ。わたくしはそんなヨトを、表舞台には出すことはしなかった。連れて出歩くときは、肌をあますことなく隠させた服装をさせた。
無用な悩みね。わたくしがそうさせたのよ。
そう言って、悩みを払拭させるのは容易い。いつもならそうしていた。
だが、今回に限ってはその悩みをそのままにしておく。なによりもわたくしのために。
「ふう」
ヨトがびくりと体を揺らす。拳を振るい続けて疲れただけなのだが、溜息と勘違いしたのか。くす、確信犯だけれどね。
わたくしはベッドに背中から勢いよく倒れこむ。お兄様と喧嘩をして、ヨトを通じて完全にお互いの情報を共有してから二日経った。墜落して重傷を負った夜会からは七日経っている。寝室内を自由に動くことができるほどに、過保護もなくなっていた。
本日から始めたリハビリを兼ねた鍛錬により、お兄様に対して燻っていた怒りがやっと発散することができた。冷静になった頭で、お兄様の立場を理解することが素直にできるようになる。
「兄だけでなく、公爵家の当主だものね。どうしようもないことなのだから、わたくしが寛大になってあげないと」
王家に敵対することを避けるため、逆らわないようにすることは理に適っている。
その結果、愚王子とセザール・オルコック、猫に三対一の人数差で囲まれ、セザールに突き落とされた事実が、わたくしが一人勝手に不慮の事故で墜落した事実に変わった。
愚王子は婚約者がいる身でありながら愛人に傾倒したにも関わらず、公爵家との婚約は続行するため監禁に走り囲い込んだという、不誠実で愚の骨頂が本来の評価だった。
それが不慮の事故で重傷を負った婚約者を、次代の子を残せる体か王妃になる身として重要視されるのに、変わらず婚約者として大切にして王宮と最高の環境で看病に費やした愛溢れる評価となる。愛人に傾倒していたのも改心したのだから、となかったことのようにして過去より話題性のある現在の王子について語られることになる。
かわいく美しい妹がそのようになることを、王家に敵対することを避けるために、お兄様は承知せざるを得なかった。
わたくし、分かっているのよ。きっと身を切るような痛みだったでしょうね。そうでしょう?
…………まあ、実際のところ、一割がそのためかしら。残り九割は、わたくしが愚王子に報復すると信じていたためでしょう。
やられたら黙ったままではいない。報復し、手を出したことを後悔させる。兄妹二人の、もうわたくしたちしかいないのだから、公爵家の座右の銘なものよ。
報復するのに手段は選ばない。両親がいなくなった後なんて、幼い子どもだった頃だから、手段を選ぶこともできなかった。
今回の愚王子に対しても、それは違わない。徹底して報復してやるわ。わたくしの名誉と幸せを懸けて。
「ヨト。神殿から返答はどう?」
「やっと来ましたよ。お嬢を治癒したのは、フィリプ様でした」
「聞いたことがある名ね」
「名の知れた神官ですからね。コーディレイク神から今最も愛される寵児らしいです。神の代弁者を務めていて、ぶっちゃけシャムニの王よりも大きな影響力を持っています」
シャムニはこの地ヴェネフォスからほど近い位置にある島国である。コーディレイク神という神官に人ならざる力を授けることができる存在がおり、ヴァネフォス内でも多くの民が信仰している。ヴェネフォスでも近隣の国でも他に神の存在は確認されていないため、分かりやすく恩恵を与えてくれる神がいるこのラセス教は絶大で、他の宗教を信仰させようにも難しい。
シャムニの国の手が入っているラセス教は介入される前に拒絶したいが、今回のわたくしのように治癒で助からぬ身も助けてしまう力があるので、拒絶できず自国で信仰が広がっていくのを指を咥えてみすみす見過ごすことになっている。
ヨトからの情報にわたくしは既知であったため驚くことはないが、疑問を抱いて寝転がっていた身を起こしてヨトを見る。
「そのような人がなぜヴァネフォスにいて、わたくしの治癒を引き受けたのよ」
神の代弁者ともなる人ならば、それだけの危険をもっている。安全上、他国に出向くなんてよっぽどの用がない限りないのに、なぜ?
そして、神から授かった力の中でも治癒はありふれたものだ。神の代弁者として啓示を受け取るよりも、治癒の力を授かっている神官はいる。神官でも名だたる者しか力は授からないとはいえ、王都にある神殿には治癒が可能な神官は在中していたはずだ。そのように取引をしている。その在住していた神官に治癒は任せればいいものを、フィリプ様は自ら、なぜ?
「神殿の返答としては、神の思し召しということしか。フィリプ様は既に王都から発ったそうです」
「足取りは?」
「不明です。治癒した直ぐに発っていますから」
「そう。なら本人に直接聞くことはできないわね。……ああ、本命はどうだったの?」
本命。一番聞きたかったことを、疑問を解消するのを優先していたためまだだった。
「通常の力であっても、重症の身を完全に治癒できるそうです。フィリプ様であれば、当然可能だと」
「そこは神殿は隠さないのね」
「王家からの指示だったそうなので。恨むなら王家、ということでしょうね」
「そう……あんの愚王子、ほんと自分勝手ね」
完全に治癒できるなら、痛みも治癒できたということだ。わたくしを王城に留まらせるために、痛みに苛ませたのだろう。
じわじわと怒りが湧いてくるのを抑え込む。お兄様のように簡単に怒りを発散してはもったいない。楽しみはとっておかないとね。
「これからはどうするのですか?」
ヨトからの質問。
計画を立てているのを邪魔されたのでじろりと見遣るが、長い付き合いなので怯む様子はない。
「第一王子にばっかり報復を考えているようですが、セザール・オルコックはどうするのですか。庶民のアリスだっていますよね」
「報復するわよ。アリスについてはもうどうでもよくなってしまったけど、これまでのことがあるし利用するわ」
「そうですか」
「はあ。愚王子とはその正体が分かったときに、とっとと婚約破棄の言質を取っておけばよかったわ。『もう君とはやっていけない』なんて、はっきりとしていないもの。お兄様ったら、わたくしを信じてくれるのはいいけど、報復するのは大変なのよ」
「そうですねえ」
「ちょっと。適当になっていない?」
来なさい、と命令して座らせる。ベッドの近くということで胸を弾ませているのか、ほんのりと耳が赤くなっていた。わたくしは湧き上がる愉悦に従い、口を弧にする。そのまま右足でヨトの胴体を蹴飛ばした。
「うわっ」
「わたくし、怠惰は嫌いよ。臆病も嫌い」
「うぐ………………加減、してくださいよぉ」
「このことに関しては妥協はしないわ。分かっているでしょう?」
「第一王子を理想の王子様として見るのを、嫌がっていてもやめませんでしたもんね」
「お口だけは達者なこと」
ぐり、と鳩尾を足で抉る。似たもの兄妹がぁ、と呻いているあたり、まだまだ元気ね。
もう一撃しておくべきかしら。
と、右足を上げて、不意に重心が取れなくなる。
倒れる。痛みへの恐怖はなかった。ヨトが側にいるのだから、恐怖なんて訪れない。だからわたくしがすることといえば、倒れこむ体の調整。
「っと……だいじょーぶ、ですか?」
顔と顔が間近な距離。目も、鼻も、唇も、あと少しで触れられる。
なんて、近い。
「もう一度言うわ。怠惰は嫌いよ。臆病も嫌い」
近い。近い。近い。慣れなくて、恥ずかしい。
愚王子にわたくしへの肉欲は許さなかった。せめてエスコートやダンスで密着する程度。自らが妖艶な体と分かっていて、貞淑さを売りにしていた。理想の王子様で、愚王子の性格上、また、王妃として求められる純潔を守るためにそうしていた。
顔が赤くなりそうなのを、必死に取り繕う。
わたくしは理想の王子様を諦めていない。わたくしから相手を求めることはしない。理想の王子様の方から求めさせる。それがわたくしの理想だから。
わたくしは愛よりも理想を追求している。
だから簡単に愚王子からヨトに乗り換えることができる。ヨトが好きだから顔を赤くなりそうなのでは決してない。ヨトはそうでも、わたくしは違う。
「……俺は、これまで怠惰で、臆病でした。でもお嬢。今は違いますよ。貴方を手に入れることができるなら、なんだってしてみせる。今ここで、奪ってしまうこともできるんですよ」
「……………………お兄様に殺されるわよ」
「ははっ。そーですねっと!」
ヨトごと、共に体を起こされる。ヨトに抱えられていて、わたくし自身ではあまりの近さを解決できなかったのができるようになり、離れる。あくまでそっと、何も感じていなかったと取り繕って。
「今のお前はただの護衛よ。なすべきことをなさい」
「お嬢、他の野郎に余所見をしないでくださいね」
「いい人がいれば見るわよ」
「俺のことですか?」
「自意識過剰!」
「ぐ……」
予想以上のダメージを受けているヨトに、わたくしはあまりに追い込んでも駄目だと口が勝手に言葉を紡ぐ。
「できたらご褒美をあげるわ。……だから、頑張ってくるのよ」
わたくしだけでなく、お兄様もヨトを追い込んでいたらしい。ヨトは事前に準備をし終えていて、その日の内に公爵家を発つ。覚悟を決めて、なすべきことをなしに行った。
「わたくしも、わたくしのなすべきことをしないとね」
大量の手紙を前にして、一つを選び取る。
「わたくし、お友達との仲はいいのよ」
愚王子への報復の一手として、わたくしはペンを取った。