第5話 悪役令嬢は愚王子と罵る
「お嬢が帰ってこないので、最初はお嬢の方から仕掛けたんだって思ったのですよ。あの野郎―――第一王子が庶民と睦まじくしていたのは知っていましたから。でも調べてみれば、夜会会場のバルコニーから行方不明になっているじゃないですか」
護衛のヨトから見た監禁について、わたくしはベッドで身を起こして聞く。救出されてから二日経っており、丸一日寝込んだ後は処方された薬が効いたのか、ベッドから離れられないものの楽に過ごせている。
「立ち入りも情報も制限されてた中、神殿から神官を呼んだことは掴んだんですよね。後はリュガー様が王家側に詰めよって、第一王子の行動から推測して強行突破でお嬢を救出しに行ったんです」
「ということは、推測が外れていたらわたくしはまだ監禁されていたかもしれないのね」
救出に失敗していたら、王家の警戒が強まるもの。
「そのときは俺が手当たり次第に、探すことになっていましたよ。リュガー様が騎士を全員倒す勢いでやれって……」
「あら、お兄様ったら、随分と大胆なことね」
「時間が経てば経つほど、お嬢の身が危険だと考えていましたから。俺も覚悟を決めましたよ、初日に手を出されていれば終わりでしたけど。間に合ってよかったです」
ヨトは情けなく泣きそうな表情だった。
頼りないと思う反面、わたくしを想ってのことだからとかわいらしく見える。
「お前はよくやってくれたわ」
ヨトの手を引いて床に座らせると、届くようになった頭を撫でる。思わぬことに目を丸くしているのは面白い。
「頑張ってくれたのだから褒美は必要よね」
「はい……」
借りてきた猫になってもいて、とうとうくすりと笑ってしまう。気分よく頭から頬に変えて撫でると、ヨト自らもすり寄せてくる。
幼き頃、身も心も薄汚くした浮浪者がいた。その子どもは肌褐色とこの地ヴェネフォスの王国にはない異国の特徴と、黒檀色の瞳と髪を持っていた。
獰猛さを孕んだ、生きてやるという鋭い瞳が一目見て気に入った。拾った後の使い道はわたくしの身の回りの世話をする使用人にすればいいと考えるが、思わぬことにその才はなかった。使用人と違って直ぐには使えないが、長期的に見通して護衛として育て、今では我が家の騎士団では敵う者がいない随一の実力となってくれた。
獰猛さは鳴りを潜めてしまったのが惜しいところよね。
衣食住が保障されたため、生きてやるという欲望に忠実となって喰らいつくことがなくなってしまった。
「ねえ、ヨト。わたくし、もうすぐ婚約者はいなくなるのよ」
「……なんとなく察してはいたんですけど、第一王子はもういいんですか」
「他の女と仲睦まじくした男は汚らしいからいやよ」
「そうですか。へえ、そうなんですね……ふーん」
ヨトは隠しもせず、口をゆるゆるに緩ませており、役立たずに成り果てた。せめて兄を呼ばせるぐらいはできるだろうと、わたくしはそう命令する。
「ヨトから話は聞いたようだな」
「あら、早いわね。もっと時間がかかると思っていたわ」
「エルザから経緯を把握することが、なによりも喫緊だからな」
兄は怜悧な美貌を持っており、冷酷と人に抱かせるような威圧感がある。両親が逝去してから若くして公爵家を回してきた敏腕と、謀略で図ろうとしてきた相手へあらゆる手段でしてきた報復も、冷酷さを手伝っているだろう。
家族と信頼できる唯一の兄妹であっても、その評価通りの冷酷さがある威圧感は感じる。救出してくれたときの人間味のある柔らかな笑みは、そのときだけだったらしい。社交界でも金と名誉と美貌だけの輩を引き寄せないよう、偽りの笑顔も振り撒くことがないので、勿体無く思う。
「とっとと話せ。ただでさえ出遅れているのだからな」
「あのねえ、病人なんだから労ってくれる?」
「散々労ってやった。丸一日は休ませてやっただろう」
「ずっと寝ていたのだから、その労りは全く感じなかったわね。薬は効いていても、まだ痛みはあるし」
「愚王子の妻にさせられたくないのだろう?」
「分かったわよ」
墜落させられてからシリルに情報制限をされ、わたくしが寝ていたことで情報戦では完全に負けていることは分かっている。
でもわたくし、一人で頑張ったのよ。吐き気もするような嫌悪感の中、堪え忍んでみせたのよ。兄に甘えたっていいじゃない。
ちょっと意地悪してみようかしら。もしかしたら、あのときの笑顔のように珍しい表情が見られるかもしれない。
「でも、少しぐらい慰めてくれてもいいのに」
瞳をうるりと滲ませて、寂しげに言う。苦労なく、潤ませる量の涙が出てきた。
「…………はあ、我が儘な妹だな」
兄の怯んだ様子は見られなかったが、頭に手を置かれて雑に撫でられる。
髪がぐちゃぐちゃに乱れるわ。それにわたくしがヨトにしたことと同じだし。
でも気分は悪くなく、素直な言葉が出てくる。
「ふふ。お兄様、愛してるわ」
「言う相手を間違えているんじゃないか?」
「まだまだ情けない相手だもの。立派になってくれたら、考えてあげるわ」
「褒美は後の方が頑張れるか。なら、その気持ちはありがたく受け取っておこう」
お互い素直ではないが、親愛の心は持っている。唯一の家族はだてではない。
「今回の件だけど、愚王子に夜会でバルコニーまで連れられて『もう君とはやっていけない』なんて言われたの」
お兄様がシリルを愚王子と表現したのはとても気に入ったので即採用し、本題の経緯を話していく。
「それで伯爵家長男のセザール・オルコックと庶民のアリスがやってきたら、愚王子はアリスとの親密さを披露して、大層お似合いだったから二人の仲を祝福すると、激昂してきたセザールに思いっきり突き飛ばされて墜落したのよね」
「夜会後の様子から予想していたが、セザールがか。親は宰相として優秀だが、その息子は馬鹿だな。……で、愚王子か。あんなに好いていたのに、随分嫌っているな」
「わたくしというものがありながら、アリスと睦まじくしていたからよ。汚ならしい。早く婚約破棄して、縁を完全に切ってしまいたい」
「愚王子が嫌いなことは十分に分かったから、先のことを話せ」
目が覚めたら救出された部屋にいた、と続きも話していく。わたくし自身、頭の中を整理する利点があり、愚王子への嫌悪がより深まっていった。
「お兄様。わたくしが完治したら愚王子を徹底的に痛め付けましょう」
勿論わたくしはセザールのような暴力的な輩ではないので、物理的でなく精神的にだ。
「妹よ、落ち着け。気持ちは分かるが、加減が必要だ」
「加減? 愚王子が王太子として生き残れるように? お兄様ったら、王の顔色を窺っているの?」
「そうだ」
見栄を張らず、偽りなく肯定する。
む、とつい捻くれてしまうが、わたくしとて勢いづいていただけで、王と敵対は避けるべきと分かっている。
「夜会があった翌々日、つまりエルザを救出した日だな。俺は王と面会した」
「愚王子ではなく?」
「面会謝絶だったからな。王は愚王子が暴走していることを、王自身が認めた。その上で交渉してきたんだ」
「……その様子じゃ、もう交渉はしたのよね。どういう内容で了承したのよ」
「愚王子がしたことではないが居合わせており、エルザを差し置いて他の庶民の女と仲睦まじくしたことで醜聞となりえることから、突き落とされた事実はなかったことになる。エルザは不慮の事故で墜落したことになった」
「はああ? お兄様、それは冗談よね。ものすごくたちが悪いわよ」
「冗談は言っていない。事実はなかったことにされ、代わりに損害賠償はとれた」
「わたくしではなく、お金をとったというの!? 前言撤回よ、お兄様なんて大っ嫌い!」
「ほう……? 兄は妹のために尽くしたというのにか。詳しく聞く前からそう判断するとは見損なったぞ」
お兄様なら誤解なく説明できたはずなのに、なんてわざとらしい。
「安心しろ。金は大量にぶんどった。持参金に持っていけ」
「お兄様のばかあッ!」
兄妹喧嘩となり、壮大な言い合いが始まる。
騒ぎにより駆け付けたヨトをわたくしの味方としぶん殴る直前まで、喧嘩は収まることがなかった。