第4話 悪役令嬢は耐え忍ぶ
早朝であることに気付いたわたくしは、部屋に控えていた侍女にシリルを呼ばせる。身分的にわたくしから出向くのだがこの体である。そのためわたくしも寝室に入ることを許容することになった。
シリルは直ぐにわたくしを訪ねてくる。
「わたくしをどうするおつもりですか」
「どうするとは? 何について指しているんだい?」
「惚けないでください。―――もう時刻は昼です。わたくしを返さないつもりですか。それにあの侍女、王宮に勤めるものでしょう」
時刻は窓から入ってくる光の量を見て、侍女に直接聞いてもいた。そして侍女の服装は王宮の制服で、何度も見たことがあった。
「そうだね。じゃあこの場所についても何か気付かなかった?」
「……まさか」
学園の一室内で気付いたことではないだろう。シリルにとって何もうまみがない。そしてシリルは学園というワードを出さなかった。
「王家が所有するどこかですか」
「そう。夜会会場から運ばせたんだ。セザールたちも大勢の人もいたから、エルザが安心して療養できるようにね。だから、帰らずともここにいていいんだよ」
「そんなことできるわけないでしょうッ!」
猫と戯れていた相手に安心なんかできないわよッ!
「なんで?」
シリルは余裕を持って言う。
本気でそう思っているのかしら。
「そういえば、言っていませんでしたね。わたくし、今回の件でシリル様には愛想をつかしましたの。セザール・オルコックには突き落とされたことと合わせて家族に話し、厳格なる処罰を問わせていただきますわ」
「うん」
「……わたくしの言葉を理解されましたか? シリル様には愛想をつかし、ご友人と一緒に処罰を問うと言ったのですよ」
なのに、なぜそうにこにこ笑っているのよ。
「……ああ、笑みかい? エルザが私を見てくれることがうれしくてね」
「マゾだったの? こほん。口が滑りましたわ」
いつから目覚めていたのかしら。気持ち悪いわね。
どうりでわたくしが惚れていた頃は、シリル様とは両想いにならなかったはずだ。だが、猫はマゾを喜ばせるような性格をしていたかと思い返すも、今となってはどうでもいいことだと考えを放棄する。
「ということですから、わたくしを家に帰してください。まさか公爵家を相手どるつもりはありませんよね?」
「さあ、どうだろう。エルザの家族は兄上だけだろう?」
顔が強張る前に、無表情にする。
両親はどちらも同じ事故により死去している。兄はそのため若くして当主になった。長男のため次期領主となることは決まっていたため教育は受けていたが、経験は乏しい。隠居状態の父方の祖父母を引っ張り出してきたはいいが、孫への情より自身の悠々自適な生活の方が大切らしく、最低限のことのみ教えて元の住まいまで直ぐに引っ込んでいた。
未熟な領主であったから、公爵家の財産や血筋、名誉を狙い目として、たくさんの貴族は謀略を巡らした。兄に助力しわたくしもそんな貴族と戦い、不安定な公爵家を立て直した。それができたのも、幼き頃にシリルと婚約していたことから王家の力添えがあったためである。
そんな王家が牙をむくというの?
現公爵家には抗う力はあるが、王家とまともに戦えば負けるのはわたくしたちである。手のひらに汗をかくのを感じ、意識してゆっくりと呼吸をして言う。
「……もう、兄と呼ばないでください」
「冗談だよ。兄と呼んだことは違うけどね」
気は抜けない。シリルは必要があれば、本気で公爵家を相手どるつもりだ。
「私はエルザと公爵家と敵対するつもりはない。だからこそ責任をとるんだよ。アリスとは仲を断ち、傷物にしてしまったエルザを次期王妃として迎える」
「もうわたくしには妻としてくれる相手がいないと予想しているのですか?」
なんて勝手で、見くびったことを。
「そうなると思うよ。私が牽制するし」
「……」
「それにここは王宮でも次期王妃の寝室なんだよ。既成事実、できてしまったね」
できてしまったね、じゃないわよッ!
どれほどわたくしを見くびっているのだろう、と怒りで体が震える。全身の痛覚を今だけ忘れられた。
「わたくし、絶対に抗ってみせますから」
「そう。体は大切にね」
動けないわたくしを王宮内と手出しできない場所に閉じ込めて監禁してみせたシリルは、抗うことはできないと思っている。
事実、その通りだ。だが、それが何だ。そのさきの、シリルの妻とならないよう抗うことはまだできる。
……助けを待つなんて、弱気なことだけど。わたくしはわたくしにできる最大限のことをするわ。
助けが来るまで耐えきってみせる。シリルが言っていた既成事実は内容的に誰しもが認めるものではない。汚れなき体とされてないならば、それ以外のことはどうとでもできる。
動けぬ相手を襲ってくるような鬼畜にはなってないことを信じるわ。
自らの身を守り、口説きに頷かず言質を取られぬようにする。
シリルには絶対的な嫌悪感を持っているので、精神的に参ることがないからその点は安心できる。
シリルはわたくしを妻にするために動いているのか、ずっと部屋を共にすることはなかった。実家の公爵家が動いてくれていることを信じつつ、朝と夜に訪れるシリルが籠絡しようとするのに抗う。
「はい、エルザ。口を開けて」
「シリル様。わたくしを労わってのことでしょうが、このようなふしだらな食べ方はできません」
シリル自ら食事を食べさせようとしたのには、本気で抗った。メイドも食事をのせた盆だけ部屋に持ち込んで去るのだから、相手側の本気具合が窺える。
わたくしといえばシリル様に食べさせられることは生理的に拒絶し譲れなかったので、食事を抜きにしようとすればメイドの手で食べることができた。わたくしはどちらにせよ全身の激痛のため、一人で食べるのは難しい。
シリルが毎回食べさせようとするのにはうんざりとしたが、そうやって対応していく。
「エルザ。愛しているよ」
「そうですか。わたくしは嫌悪していますよ」
言葉も表情も取り繕わなくなるぐらいに、シリルと応酬するようになった。
わたくしは露骨に眉を潜ませて、待つまで耐える以外にも追及する。
「アリスとの仲をわたくしは納得していませんから。親しいだけでなく愛人で、それも情婦として関係を持っていたでしょう。お認めにならない以上、嫌悪以外の想いを持つことはできません」
お認めになっても、嫌悪以外の想いは持つはずないけれど。
やられっぱなしは性に合わない。 時間がかかっても、シリルに恥をかかせてみせる。
そのようにして、夜会から二日経った。王家お抱えであった医者は経過を診ているだけなので、全身の痛みは引いてくれない。
大人しくベッドで過ごしていると、部屋の外から口論が聞こえてくる。
「やっとね。……遅いわよ」
部屋内で控えていたメイドが緊張感を持って身構える。
あの動揺していない感じ、ただの侍女ではないわね。素人臭さがないから、王家の暗部が扮していたのかしら。
監禁している令嬢の侍女と役目が役目である。「様子を見て参ります」と言って、侍女は廊下に出る。
次期王妃の部屋付近ならば、口論どころかどこぞの知らない人の気配もないような空間に配置しているはずだ。この口論は予想していないはずで、わたくしに関わっている可能性が高い。
口論の声は次第に大きくなっていく。
ここでわたくしは囚われの姫のごとく、懸命に助けを呼ぶべきかしら。それとも具合の悪さを押し出すために、ベッドで眠りについているべき? ああ、迷うわね。
「エルザっ!」
結局ベッドの上で身を起こしているうちに、助けは来た。護衛の装いをした肌褐色の男は、わたくしを見つけて明らかに瞳を輝かせる。全く、分かりやすいわね。
「―――お嬢、無事ですか」
「無事ではないから待っていたのよ。ヨト、遅いわよ」
わたくしの呼び方を言い直したのには、一番乗りで助けにきたことで目を瞑る。
ヨトにとっては最速だと思うので反論すると思っていたが、ヨトが顔を強張らせて叫ぶ。
「どこが悪いんですか! あの野郎に何をされて―――まさか、手を出されてですか」
「幸い、妻にならないといけないようなことはされてないわ。ただ突き落とされた痛みが酷いのよ」
「こんな忌々しいところにいては具合はより悪化するだけです。今すぐに帰りましょう」
ヨトはわたくしの意見も聞かず、聞かずとも同意するのだが、わたくしを軽々と抱え上げてしまう。
「なっ」
あまりに突然で、ヨトと良く知った相手であっても密着すれば免疫なく顔に熱が集まる。
が、すぐに痛みを思い出して、体を振るわせて呻く。
「すみません、お嬢。暫く辛抱してください。……あの野郎に対しても」
「エルザ。その体であるのに、もう帰ってしまうのかい?」
嫌悪の声は反射的に痛みを隠し取り繕わせた。わたくしはヨトに抱えられた状態で、シリルを見る。
シリルを引き留めていたのか、側には兄のリュガーがいた。わたくしの顔を見て珍しく素直に感情を表現して、顔を綻ばせている。
「帰ります。シリル様、覚悟していてくださいね」
わたくしは耐え忍んだわ。今度は攻勢に出る番よ。
シリルから解放されて緊張が切れ、馬車に揺さぶられることで走る体の痛みにより、わたくしは気絶する。
次に起きたときは見慣れた寝室の天井で、安心して療養に努めることができた。