第3話 悪役令嬢は追及する
目覚めは穏やかにぼんやりとした思考でいられた。暫く天井を視界に収めて徐々に思考が働いてくると、わたくしの寝室でないと気付く。天蓋でなく天井が見えていて、内装も異なる。
ここはどこかしら。
警戒を最大限に高め、現状を把握しようと身を起こす。そのとき体を激痛に襲われ、声にならない叫びを上げる。
「~~!?」
瞳が涙で潤うのを感じながら耐え忍ぶ。なんとか体を起こしたが少しでも動けば激痛が走り、ベッドから下りることさえ叶わない。
そんなわたくしに寄り添う者がいて、そっと背を手で触れる。
「落ち着いて。ゆっくり体を横にするんだ」
声を聞いた途端、考えるよりも先に拒絶した。ぱしりと手ではたき、その動作で走る激痛に苦しむ。
拒絶したにも関わらず寄り添い続ける無礼な相手に、わたくしはきっと睨みつける。
「どうしてシリル様がいらっしゃるの?」
淑女が寝ている場に、許可なく入るなんて配慮が足りないのではなくて?
嫌悪が溢れ出たその理由は直ぐに思い出す。夜会で猫とただならぬ関係を見せつけられたことで、王子様でなく愚かな男と判明したのだ。
シリルはわたくしが拒絶したことに構うことなく、王子の外面を被った顔で柔らかく表情を綻ばせる。
「エリザ。目覚めてくれて嬉しいよ」
シリルの手がわたくしの崩れていた前髪を横に流し、困った顔で「ただその体で無理はいけないよ」と続ける。
相手を想う変わらぬ優しさに、夜会での出来事が夢ではないかと考えるが、痛む体が夢ではないと証明している。
触れられた箇所を拭いたい気持ちに駆られながら、強く追及する。
「はぐらかさないでくださる? わたくし、なぜシリル様がここにいるのかと尋ねましたのよ」
「そんなつれない態度でいないでくれ。私たちは婚約を結んだ仲だろう?」
「ええ、そうね。わたくしという婚約者がいながら愛人を作って傾倒された仲だもの」
婚約者を愛しいと思うような甘さは吐き気を催す。夜会での出来事に対して、許しを乞うために媚びているしか思えない。
だが、眉を下げたシリルが発した言葉は、予想に反していた。
「……その通りだ。全面的に私に非がある。今回の件、不安にさせるような行動をし、重症を負わせたことを謝罪しよう。エルザ、すまなかった」
言い訳をすると予想していた。なのに、シリルはあっさりと非を認め、王族であるのに人目がないとはいえ謝罪をしている。
何が目的なのかしら。
メルデリューヒ公爵家を敵にしないため、穏便に事を済ませたいため?
被害者であるわたくしを謝罪や謝礼でも納得させ、世には誤解があったと流布し、王家の名誉を保つため?
「シリル様、非があった内容について、より詳しく教えてくださいますか。わたくし、記憶が覚束なくて……」
気丈に振舞っていたことから体の不調を前面に出し、さも謝罪を受け入れたような態度で、決して謝罪を受け入れた言質を与えず惚ける。
体の痛みが酷いとはいえ、頭の回転が鈍りシリルの謝罪を額面通りに受け取ることはしない。裏を読むことは貴族として必須の能力だ。しかも今回の件は当事者同士で済む話でなく、王家の威信がかかっている。
シリルはどこまで非を認めるのか、何が目的なのか、見極めながらわたくしと家の有利になるように。王家とは無駄に大きく事を争いたくないため、折衷しながら話を進めたい。
「説明はしよう。でも今はエルザの体を優先させてくれ」
よりよい状態で話ができるなら拒否する理由はない。シリル様が自ら医者を呼び、わたくしは診察される。
「二階のバルコニーから墜落していますが、土が緩衝材となったこと、神官様により迅速な治癒にあたっていることで命は救われました。ですが重傷だったことで、痛覚までは治癒できなかったのでしょう」
コーディレイク神を信仰するラセス教の神官は、神から力を授かり行使することができる。その力は日照りによる凶作時に恵の雨を降らせた、海からやってきた侵略者を台風で遠ざけた、啓示により王は素晴らしき治世を敷いたなどと伝え継がれている。
それが事実かどうか疑わしいが、現代では名立たる神官により瞬きほどの時間で怪我や病を治癒できる。治癒以外の力は耳にしないが、その力があるからこそ他の力をでたらめだと言えない。
治癒ができる神官は少なく多忙だ。痛覚はいずれ引くというので、神官でなくともよいことから医者が診ていた。
医者は安静にして過ごすよう告げると部屋から退出する。私はさっそく話を切り出す。
「それではシリル様の仰る、非を教えてくださる?」
自身の非を、自身で説明することは耐え難いことでしょうね。
内心嫌悪するシリルを嗤う。当の本人は表情を暗くして、だが淀みなく非を説明する。
「私の非はエリザという婚約者がいながら、他の女性と親しくなりすぎたこと。故意ではなかったにしろ、友セザールと加担してエルザを墜落させ重症を負わせたことだ」
「親しくなりすぎた、とは随分と表現が曖昧ですね。アリスとはアリーと愛称で呼ぶほどの仲で、学園の中でも憚らず逢瀬を楽しんでいたでしょう。それとわたくしを墜落させたのはセザール・オルコックだけで、シリル様はアリスと共にその場に居合わせただけでしょう」
非を問うのは事実だけで十分よ。
お優しいから友を庇っているのだろうが、偽りを事実としたら国が荒れる。セザールは伯爵家であり宰相の息子であるが、第一王子と比べれば身分は低い。個人的には悔しいことだが、シリルは猫と逢瀬を楽しんだ不誠実さ、加えるならばわたくしという女一人に対して三人で詰め寄ったことのみを責に問うべきだ。
「シリル様、正直にお答えください。わたくしよりも、アリスのことを選びましたのでしょう。彼女のためにも正直になられては?」
夜会時にはあんなに堂々と、二人の仲を見せつけていたでしょう? もうわたくしとはやっていけないと言っていたじゃない。
「私は正直に話しているよ。自身がしたことの責任を取りたいんだ。エルザ、誰よりも君にね」
「わたくしに……?」
手を包み込むように握られる。熱のある瞳に射貫かれて、わたくしはようやく気付く。
「責任はきちんと取るよ。これまでの行いを悔い改め清算して、エルザだけを愛して妻にする」
シリルは嘘偽りない笑顔で、猫ではなくわたくしに愛を誓う。どうにも自信があるような様子なので、気が立ったわたくしは「手を離してくださる?」と握られっぱなしだったのを解かせる。
感情のままに汚れたものとして手を拭うが、シリルの表情は変わったところはない。
わたくしをいつの間にか愛していたにも関わらず、悲しまないことに疑問を覚える。
「わたくしを本当に愛していますの?」
「そうだよ。愛を語ろうか」
「結構です」
肌が粟立つほどに、気持ち悪く感じるでしょうから。
「死に瀕し、苦痛に苛まれているにも関わらず、冷静に気高くあろうとする姿は好ましいよ」
「結構と言ったでしょう」
ぴしゃりと言い放つと、「たくさん語れるのにね」と言ってからようやく口を閉ざす。
シリルってこんなに厄介な相手だったかしら。嫌悪しているからそう思うだけ?
なかったはずの頭痛が起こり始め、わたくしは諦めてベッドに身を預ける。大丈夫かと顔を窺うシリルを追い払うのも辛く、そのままにしておく。
「辛いなら寝ていてもいいよ」
「……でしたら、迎えを待つ間はそうしましょう」
見慣れない部屋であるが、学園の敷地内にある一室と予想する。豪奢な内室であるから医務室ではないだろう。夜会は学園主催で、バルコニーから墜落したことからそれほど移動はできなかったはずだ。
学園には寮があるが、わたくしは公爵家所有である領内の邸宅から通っている。おそらくお兄様自ら迎えにきてくれるだろう。お兄様とは六歳しか年は離れていないが、既に公爵当主として領地を治めている。忙しい身の上だが、事が事だけに他の者には任せないはずだ。
「そう。時間はまだまだあるから、ゆっくりここで休むといいよ」
言い方に含みを感じるが、問いただすほどの気力も余力も、ベッドに身を預けていてはなくなっていた。
「…………迎えまでと言わず、いつまでもいてくれてもいいからね」
意識をぎりぎりのところで手放さないでいたところ、シリルがぼそりと呟く。
部屋から出て行ったのを扉の音で聞きつけてから、わたくしはようやく意識を落とした。
*
体の痛みにより、わたくしは目覚める。
「いたい……」
呻きながらも、朝の弱さから暫くぼんやりと過ごす。その後に窓から日が差し込んでいることから、迎えもなく早朝となっていることに気付いた。