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第2話 王子は追い求める

 婚約者のエルザとは、最初からうまくいっていなかったと思う。


 エルザは公爵家と王子である私と釣り合う家格で、能力も申し分なかった。貴族の中でも貴族らしい合理的な性格から冷たい雰囲気を感じさせるが、初対面のときには見惚れたほどに容姿端麗でもある。幼女から妙齢に成長した現在は、女性らしい曲線を形作る体付きと、艶やかな麗しさのある魅力を身に着けている。

 それでも私とエルザが上手くいかなかった、いいや、私がエルザを受け付けなかったのはその目が原因だ。私を見ているようで、見ていない。青藍(せいらん)の瞳には確かに私を映しているのに、物語に出てくる理想の王子様として認識しているようなのだ。


 本当の私を見てくれない。

 その事実が理想の王子様としてでないと受け入れられないのだと、幼き日からずっと苦しんできた。


 偶然似た王子然とした性格はそう簡単に変えられるものでなく、民を慈しみ導いていくためにもそのようにあるべきと教育された。

 そんなエルザにとって都合よく理想の王子様でいる私に、学園で一つの出会いがもたらされる。


「殿下はとても優しいんですね!」


 庶民出身のアリスは他意などなかっただろう。私としては床に散らばっているプリントを拾って渡しただけなのだが、無邪気で素直な笑顔がそれを証明している。


「優しくすることなんて、誰にでもできることだよ」


 そんなアリスだから心の内に留めていた感情が漏れた。貴族でないから、気が緩んでしまった。


 今となってはそれが良かった。


 アリスは本当の私を見てくれる。愚痴混じりに事情を話しても、王子にあるまじき弱さや甘さがあっても受け入れてくれる。

 共にいて肩肘を張らなくて済み、気が楽だった。なによりそのままの自分でいられた。


 アリスの容姿は栗色の髪と瞳から婚約者のエルザのように人目を引く麗しさはないが、親しみやすい愛らしさと別の魅力がある。

 プリントを落としていたようなそそっかしさもあって、私はついつい世話を焼くようになっていた。貴族が大多数を占める学園では庶民が過ごすには常識の違いや身分差の苦労があるらしいことも、それを助長させる。



 いけないとは分かっていた。婚約者がいる立場で、一人の女性に肩入れすべきではない。どのように貴族に見て取られてしまうか。

 言われるまでもなかった。それでも変わらず理想の王子様と見ながら、エルザに正論を突き付けられると到底受け入れられなくなる。エルザは私に話しても無駄だと思ったのか、アリスが自主的に学園から退学するように嫌がらせを始める。私はアリスを守るため共にいることが多くなって、その中で想いを通じ合えたことをきっかけに、より欲に従順になって抗えなくなる。





「エルザ。もう君とはやっていけない」


 だから、このようになってしまったのは自然なことだろう。


 学園の行事で開かれた夜会で、エルザをバルコニーに連れていって話を切り出す。幼い頃に交わした婚約の破棄を告げるつもりだった。



 言葉通り、エルザとはやっていけない。エルザはよくても、私には長い将来を共にすることはできないと判断した。

 エルザの嫌がらせは友人の協力や手近な学生を唆して行っており、自身の手は汚していない。とはいえその背景にエルザがいることは噂になるほどに明らかで、だが婚約破棄になるほど問題視されることではない。


 つまり私の勝手な都合となるのだが、婚約破棄の決心は揺るがなかった。王家の権力を使って一方的に、それでいて穏便に済ませる。私の傷を少なく、逆にエルザの傷を作る目論見さえあった。

 エルザは理想の王子である私に熱を上げているので、うまいこと騒ぎ立ててくれるかもしれない。その言動が王妃になる身として相応しくないと見られるよう、普通に話していれば聞こえない、騒ぎ立てれば気付いてもらえるバルコニーに連れ出した。


 だが、決心は揺るがなくても罪悪感や後悔はある。婚約破棄を告げる肝心の言葉が出てこない代わりに、王太子である自身の至らなさ、強硬手段を取らないで済んだ未来に思いを致す。

 そうしてただ時間が過ぎていくことが、もどかしかったらしい。


「アリー」

「シリル様……」


 親友の手を借りてやってきた、アリスことアリーが心配そうに名を呼ぶ。切なさも混じっていて、親友であるセザールが非難するように睨みつけてくる。

 私の代わりにエスコートを任せているセザールは、同じようにアリーを好ましく想っている。アリーが私を選んだのでその想いを秘して応援してくれるが、私には絶対に幸せにしろと手厳しかった。

 そんなことなど(つゆ)()らず、アリーはセザールの手を簡単に手放して身を寄せてくれる。


 ああ、やはり私には君が必要だ。

 罪悪感に勝る、婚約破棄を告げる勇気が出てくる。


 私はどうあっても王子で、アリーは庶民だ。セザールのいう幸せは、直ぐには難しいだろう。

 それでも最悪は全ての非難や罰を受け入れてでも、私を受け入れてくれた君を幸せにしてみせる。



 アリーの体に腕を回し、目と目を合わせて想いを確かめ合う。最後に腕に力を入れて更なる勇気を貰い、婚約破棄を告げる。その前に「ああ、そういうこと」と冷ややかな声を浴びせられた。


「エルザ……?」


 棘のある、鋭い雰囲気を纏っている。

 そんなエルザの態度は初めてで戸惑う。そういえばエルザは冷たい雰囲気を持っているにしても、私に向ける態度はいつも悪意なく(たお)やかだった。


「汚ならしい」


 ゾクリと肌が粟立つ。同時に、ドクンと心臓が飛び跳ねた。

 初めて向けられた不快という悪意。その強い感情に怖気立ち、それ以上に期待と喜びが心を占めた。



 ねえ、エルザ。もしかして………………やっと理想の王子様でない、本当の私を見てくれた?



「わたくしはお二人の行く末を祝福しますわ」


 エルザの態度が一変し、貴族らしい上品な笑顔を向けられる。


 あれ、違った?


 騒ぎ立てられることを想定していたこともあって、愕然として咄嗟に言葉が出ない。その隙にエルザが素早く去ってしまうのを、セザールがとめてくれた。


「お前、アリーにしてきたことを忘れたとでもいうのか!」


 アリー優先のセザールらしい言葉だった。まずはどういった心境の変化だ、と聞いてくれればいいのに。


 私はそんな呑気な思考でいつつも、エルザを引き留めるのに加わろうと一歩踏み出していた。

 だから激昂するセザールの影に隠れて、バルコニーの欄干を乗り越えて落ちようとするエルザに手を伸ばすことができた。


「エルザっ!」


 間に合うはずだった。エルザも助かるために手を伸ばしていて、私の手を振り払えるなら握ることもできた。


 それなのに、なぜ。


 鈍くも小さくない音が耳に届くも、遠い出来事のようだった。混乱する頭ではあるが落下したエルザを探すことはでき、だが、夜の暗さに紛れていてよく見えない。


「シリル、どこに行くんだ!」


 大声で叫ばれることで意識を揺さぶられ、ハッと現実的になる。私は下に落ちたエルザを無自覚に探しに行こうとしていたらしい。


「シリル様…………行かないで」


 連鎖的に手を取られていることも知る。行くなという言葉は掠れていた。


「ああ、アリー。セザールも…………ちょっとごめんね」


 縋る言葉は聞こえなかったことにする。

 弱弱しい手からそっと抜け出して、私は今度こそエルザを探しに行く。怒り余ってエルザを突き飛ばしてしまったらしいセザールは特に混乱していたため、力づくで止められることはなかった。



 夜会を楽しんでいた学園の生徒は、急ぐ私のために道を開けてくれる。どのように見られているかなんて、今はどうでもよかった。

 ふわふわとした夢の心地の中、手の痺れが現実だと教えてくれる。私が不快だと拒否された確かな証拠だ。


 そしてもう一つ、最後に見えたエルザの表情を思い出す。落ちてゆく身でありながら、恐怖もなく邪悪に嗤っていた。


「確認、しないと……」


 そんな記憶という不確かな証拠を、確かなものにと手繰り寄せるために走っていた。好ましかったアリーも、幸せにすると誓ったセザールも置いて、ようやく本当の私を見てくれたエルザを追い求める。


 ……生きているといいんだけど。


 生きてさえいれば、なんとしてでも助けてみせる。

 今度はきっと、私たちはうまくいくよ。君はどうだか分からないけど、こうなった責任はとらないといけないよね。



 そして、私は誰よりも先にエルザの元に辿り着く。後から聞いた話だが、エルザを想って走っていた私の表情は歪で、同じように嗤っていたらしかった。


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