第19話 悪役令嬢は猫を利用する
「汚らしいわね」
捕縛されてもカミッロは沈黙したままだ。セザールに徹底的に潰されたらしい。
「後は頼むわよ」
「はっ。ご協力、感謝いたします」
わたくしはつまらない男は憲兵に任せておく。憲兵は買収済みだ。メルデリューヒ公爵領でもないのに自らの騎士をぞろぞろ引き連れていては、何事かと疑われる。貴族という身分も使って、ただ命令だけを聞くようにさせた。
金と身分の力は偉大ね。
報復の計画を立てたときに、この二つに弱そうな者は調べ上げていた。貴族が通う学園のある町なので、治安には力を入れており憲兵の質もいい。念を入れて調べた他、命令内容が罪人の捕縛と逆らう理由がないことも関係しているだろう。これから逆らう様子もなく、従順さがある。
わたくしは満足しつつ、憲兵の仕事を見届ける。カミッロの前にも、三人の男が捕縛され運ばれていくのを見ていたので慣れがあった。猫は憲兵を呼びに行くまでに、その三人に乱暴を働かれそうになっていたのだ。カミッロも三人の男も、わたくしが誘導したのだけど。
けしかけたのではないのよ。だって、カミッロを含め三人の男は金欲しさに罪を犯していた。罪人の捕縛に貢献したのだから、わたくしは褒めそやされることをした。そこに少しだけ自分の都合を入れて誘導して、セザールと猫を対象にさせ襲わせただけ。
自分の身内だったものの後処理は当然でしょう? 猫もわたくしが詳しく話していないとはいえ、何か起こることは承知でセザールを連れて時間をかけて家に帰っている。今回のことで無関係な人は誰もいない。
わたくしは憲兵に声をかける。
「あ、そうそう。誰か一人は残ってくれる? あの二人に事情を聞かないといけないでしょう?」
あの二人とはセザールと猫のことだ。憲兵の一人が名乗り上げたので、わたくしの供とする。事情を聞くことは方便であると察しているので、後ろからついてくるのだ。
「貴方も一緒に行きましょうか」
「……そうですね」
不敬を犯さぬよう慎重に言葉を選ぶのは、猫の母だ。わたくしが公爵令嬢で、猫と違って何も知らせていないことから便宜上、猫の友達と伝えている。
「ふふ、そんなに緊張しなくてもいいわ。セザールだって伯爵令息なのよ」
「は、はい。ありがとうございます……」
「まあいいわ。二人っきりだからとアリスに不埒なことをしない内に急ぎましょう? セザールはアリスが関わると、理性がなくなるのよ」
嘘は何もついていない。セザールは猫を排除しようとしたわたくしを怒りのまま突き落としたし、わたくしは二人の仲が深まるようカミッロに襲わせたのだ。恋は障害があって盛り上がるもの。
突き落としたことをしらない猫の母はうまく勘違いし、「そうなんですね」と苦笑する。少しは親しみを植え付けられたわね。
わたくしは憲兵と猫の母、加えて連れていた護衛を供に、二人がいる家に向かう。
「ちょうど大事な話をしているようです」
耳のよい護衛が言う。わたくしたちは玄関前になって、ようやくその話が聞こえてきた。
「告白ね」
「まあ、直球だこと」
猫の母が頬を桃色にする。乙女心ね。
憲兵も微笑ましくしている。だが、事情を知っている護衛は無表情で務めを果たし、わたくしはひっそりと嗤う。
これからの展開は分かりきったことだ。猫はセザールと同類。作為か不作為かの差はあれど、相手を好く想う強さによって、わたくしを突き飛ばした。猫はそのとき、つらつらと回る口で愛を語っていたではないか。
『ごめんなさい!!!』
ふ、と嗤ったのを吐いた息にして誤魔化す。
ああ駄目。待ち遠しかった報復の時間だからか、嗤うのを抑えきれない。
それも猫はずばずばとセザールの好意を切り捨てている。これではわたくしが誘導する必要もないじゃないの。見直した。最高ね、猫。
わたくしは気付かれぬよう、そっと扉を開ける。
「シリル様じゃないと幸せになれません! あと私、陰口を言う人は嫌いです! 特にシリル様のことを悪く言う人とか!」
その後、聞こえない声量で猫が何事か言っているが、セザールは返す言葉はない。
もういいでしょう。
「く、ふ、ふふふふふふっ」
猫の母と憲兵の目がある? そんなの、どうにでも誤魔化せる。
感情をそのまま曝け出す。貴族として普段感情を包み込んでいるわたくしには珍しいことだ。気持ちが晴れ晴れとする。
「なぜここにいる、エルザ!」
「ふふ、ふふふ! なぜって、わたくしたちの仲じゃない。ねえ、アリス?」
嗤っていることで説得力はないだろうが、猫は「は、はい。その通りです!」と言ってくれる。いい子ね。
「セザール様もそうじゃないですかっ。私なんかより昔から付き合いはありますよね?」
「あ、ああ。そうだが……」
猫に言われてしまえば、セザールも頷かざるを得ない。ちらりと猫の母を見るのは余計だけれど。
わたくしは猫の母を一瞥する。二人の様子が気になったようだが、それよりも娘が告白を盛大に振ったことが頭を占めているのだろう。疑う様子はない。
「それでもエルザがここにいることは、作為的なことを感じてならない」
「そうでしょうね、作為的だもの」
「認めるのだな」
遠回しにカミッロはお前が誘導したのかと言われ、同意すると一変してぎらりと睨みつけられる。もうちょっと態度を取り繕い続けなさいよ。
「ええ。だって、セザールの元叔父のことは聞いていたもの。心配になって調べてあげたら、良からぬことを考えているようじゃない。憲兵の到着が早いとは思わなかった?」
「お前が憲兵を呼んだのか? ………………助かった。感謝、する」
「どういたしまして。手当を受けていた辺り、遅い到着ではあったみたいだけど」
わたくしが全て仕組んだことだろうと疑いが晴れないのだろう。歯ぎしりが聞こえてきそうな、苦々しい表情だ。心が晴れ晴れとして仕方ない。
「告白もきっぱり振られてしまったようだし?」
「盗み聞きとは性格の悪い……!」
「それではわたくしたち全員が性格が悪いことになってしまうわね」
「その、すみませんでした。セザール様」
猫の母が謝罪すると、セザールは「い、いや、わざとでなかったのならいいんだ」と直ぐに自らの言葉を撤回する。猫とその母がいる限り、形勢はセザールが圧倒的不利ね。どちらも味方側になるように動いていい判断だった。
「告白の途中で割り込まれるよりはよかったでしょう? それよりも振られるよりはマシだった?」
「人を嘲笑うことが好きだな……!」
「だってあんなにこっぴどく振られたのよ。嗤わずにはいられないわ。わたくし、アリスの恋を応援しているのだし」
猫はセザールが嫌なのならば、さっさと愚王子と元通りに仲睦まじくしてほしい。愚王子側がわたくしに想いを寄せるようになったから、難しいのだけれど。
「友達としてしか見られていなくて?」
「うっ」
「逆に殿下を好いていることを熱烈に言われて?」
「ぐっ」
「好いている相手のことを悪く言ったものだから嫌われて?」
「ぐぅううう」
「お可哀想とは思うけれどねえ」
告白に振られて真っ二つになった心を、わたくしは更に粉砕していく。
セザールを報復するにあたって、一番効果的なのは猫だと確信していた。そのために猫もカミッロも憲兵も丹念に準備をして、告白するのにいい雰囲気を作り出したのだ。
セザールは床に膝をつけて悶絶している。いい気味ね!
でもこれだけでは足りない。わたくしにした仕打ちを思えば、足りないばかりよ。
「お可哀想なのはアリスもよね。好きでもない男に自宅という逃げられない場所で告白されて、それも襲われた後でしょう?」
ここが見せ場よ。
猫に歩み寄り、そっと背中に両手を回す。
「よく頑張ったわね。もう大丈夫よ」
それぞれの位置取りは玄関前に猫の母と憲兵と護衛、部屋の真ん中にわたくしと猫、玄関とは反対側にセザールだ。わたくしは玄関から猫に歩み寄ったため、顔は玄関側に隠せてセザールに見せられる。
「……いい母ね」
そして、猫だけにそう囁く。本音だ。娘の猫想いで、素敵な家族愛だ。猫の幸せな将来を願って、愚王子よりもセザールを選んでほしかったようで複雑な心境でいる。
猫は猫でわたくしが両親に対して目をつけられないようにしたいのだろう。なぜなら同じように利用されるか、巻き添えで罪を被せられることになる。
猫はわたくしへの恐怖で、涙で瞳を潤わせ、体を震わせる。庇護欲を駆らせるうまい振る舞いだ。
襲われたことでなく、正しくわたくしへの恐怖心があるとセザールが激怒してくれる。わたくしは追加で猫を見て、セザールには微かに見えるように角度をつけて、ひっそりと嗤った。
「アリスから離れろ」
釣れた。わたくしの護衛が動いたのを、セザールに掴まれた反対の手で制する。
「突然何?」
「惚けるな。やはりお前の仕業だったのだろう! アリスも脅してくれたな! 思い返せば、今日のアリスは襲われる前から脅えていた!」
猫を想う力だけは強い。
腕がぎりぎりと締められる。骨が折れてしまいそうよ。わたくしはそれでも耐える。か弱い女だとして抵抗せず、悲愴な表情を作る。セザールとわたくしの関係を目に焼き付けさせる。
「これ以上の無礼は見逃せません」
護衛が機を見計らって、止めに入る。ただの喧嘩の仲裁ではない。護衛とはわたくしの身を守るためにおり、害する相手には武力でもって排除する。
セザールの咄嗟の判断は正しかった。わたくしは残念だと思うけれど。護衛は剣を抜いており、わたくしを掴んでくる腕に目がけていた。
セザールはあと少しで腕を切り落とされそうになって喚く。
「な、何をする!?」
「自らの言動を振り返ってから言ってちょうだい。わたくしの護衛は正しいことをしたわ。わたくしを害しているものから守ろうとしただけよ。何度も何度も同じように害すことを繰り返して、懲りないわね」
「っ、確かに俺がしたことは悪かったかもしれないが! やりすぎだろう!?」
「貴方ぐらいの身分なら、神官が元通りにしてくれるじゃない。それに、ねえ。本気ではなかったでしょう?」
「はい。エルザ様が穏便に解決なさりたいことは分かりましたので、避けることが間に合わなかったら寸止めをするつもりでした」
護衛は淀みなく答えてみせる。わたくしから見たら寸止めできる速度を超えていたと思うけれど……本職が言うのならそうなのでしょう。
「ですが、エルザ様のお心に反することをお許しください。このように傷を負われて、この者を不問にすることはできません。エルザ様の言葉を否定するどころか、肯定と捉えられることを言ったことで、余罪もあるそうですね」
『何度も何度も同じように害すことを繰り返して、懲りないわね』
『っ、確かに俺がしたことは悪かったかもしれないが!』
先程のやり取りで、わたくしは言質を取らせてもらった。セザールは今更否定しようとして、意味をなす言葉は言えずぱくぱくと口を喘いでいる。
セザールの告白から暴力事件、それも余罪の可能性ありという事態となり、猫とその母は顔を青ざめている。猫の母なんて、セザールの狂暴性を初めて見ることで、猫よりも衝撃は大きそうだ。猫の将来を任せられると信頼していたこともあってか、ふらりとよろめいている。
わたくしは憲兵に目を向ける。やっとの出番よ。憲兵は戸惑いながらもこくりと頷く。
「セザール・オルコック様。ご同行いただけますか。……失礼を承知ですが、護衛の方に手伝ってもらうことは可能でしょうか」
「私はエルザ様の護衛だ。だが、見張ることはできる。その内に人を呼んでこい」
てきぱきとやりとりはなされ、憲兵は家を出ていく。
「なんで……俺はただ、アリスを想って……」
セザールは縋りつくように猫を見るが、猫は黙って俯く。猫が望んでいた行動ではなかったのだと知ったセザールは絶望して項垂れる。憲兵が駆けつけるまで、暴れることも逃げることもなかった。
「好いた相手から見放された気分はどう?」
憲兵に囲まれて連れていかれるときに、その言葉を贈る。
大層気に入ってくれたらしい。セザールは最後の最後に、わたくしに向けて暴れてくれた。
「人って反省しても直ぐには変われないのね」
なんて馬鹿で可哀想なの。
同情の欠片はなく、嗤って見送る。それを指摘できる人なんて、この場には誰もいなかった。




