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第18話 親友は傷を負う

「えへへ、貰っちゃいました」


 にこにこと笑みを浮かべるアリスの手には、これまた不気味なうさぎのぬいぐるみがある。ぬいぐるみについてとやかく言うのは省略するとして、アリスが嬉しそうならば、まあいいだろう。


 アリスの家の付近まで帰ってきた頃には夕暮れだった。アリスはほうと息を吐き、肩の力を抜いている。


「ここまででいいですよ」

「いい。家まで送っていく」

「直ぐ近くなのに」

「家に入るまでは安心できない」


 思いやりの心を持つことは大切だが、学園では少し目を離しているうちに虐めが行われることだってあるのだ。ここは学園ではないが、家を特定し待ち伏せしている可能性は否めない。少しでも可能性がある以上、少しの間も油断できない。


 アリスの身の危険は全て取り除きたい。

 虐めとそれが完全にできていないにしろ、その心掛けは魔の手からアリスを守ることに繋がった。

 横道から伸びてきた手に、アリスの腕が掴まれる。


「きゃ!?」

「アリスに何をするッ!」


 すぐさま手を引き離し、アリスとの間に割り込む。


「お前…………叔父貴、か?」

「俺の顔も忘れたのかあ、セザールぅ?」


 まさか本当に叔父貴、いやカミッロなのか。


 見違えてしまう程の変わりようだった。元々伯爵邸に来たときも頓着せぬ身なりだったが、そのときとは比べようにならない、見るに堪えない姿だ。

 髪の毛は整えられた様子なくぼさぼさで、それどころか洗ってもいないのか汚れている。衣服は襤褸を着ているようなものだ。


 絶縁されてから、行きつくところがなかったのだろう。ただ酒好きは変わらぬままのようで、とても酒臭い。


「セザール様の、叔父さん?」

「ああ、そうだぜえ」

「カミッロ、黙れ。アリスに気安く話しかけるな」


 アリスを俺の背で隠し、感情のまま怒気を顕にする。

 カミッロの異常さは分かりやすい。アリスは抵抗することなく庇われる。不安げに俺の背に手が触れられる感触があった。


 アリスは俺が絶対に守る。

 そのために害悪しかないカミッロから、アリスは離れておいてほしい。

 最善は安全だろうアリス自身の家に入ってもらいたいが。カミッロの身なりを気にすることのない異常さや濁った瞳からしても、迂闊に離れさせられるものではなかった。


「アリス。隙を見て逃げるんだ」

「……そのときは憲兵を呼びに行きます」


 俺の身を案じて憲兵を呼ぶのはありがたいが、アリスの身の安全を第一に行動してほしい。葛藤して直ぐに返答できない内に、カミッロが「俺を置いて内緒話かあ?」と警戒してくる。

 ちっ。アリスは逃がさないという眼だ。最初に腕を掴んできたことからして、目的はアリスなのか?



「何しに来たんだ」

「甥に会いに来るのは不思議か?」

「絶縁したからもう甥じゃない。赤の他人だ」

「そんな冷てえことを言うなよ。絶縁されたせいで、俺がどんな目に遭っているか! どいつもこいつも俺を拒絶して、助けてえくれねえ。なあ、セザールはちげえよなあ?」


 こいつ、脅しに来たのか?


 自分のことだけは頭が回るらしい。アリスの家に現れたことから、どこからかかぎつけて金の無心でもしに来たのだろう。

 とにかく、アリスは目的ではないらしい。金の無心という目的達成のための、手段としてアリスを狙ったのか。


 どう対処する。一時の安全を得るために金を渡してもいい。手持ちはカミッロが満足する程度にはある。

 だが、屈辱的だな……。アリスの目もあり、情けないと思われる。


「……分かった。今回だけだ」

「さすが! 甥はよく分かっているじゃねえか!」


 浮かれているカミッロを努めて冷静に観察しながら、俺は右手を後ろに回し、背中に触れたままでいるアリスの手を優しくほどく。


「セザール様……?」


 心細そうな小さな声に、俺は軽く振り向き、同じく小さくも頼りとなるような声で呟く。了承を確認することはしない。

 財布を取り出す。カミッロはへ、と性根の腐った声を漏らす。注目は財布に向いている。俺は大きく息を吸って、財布を投げる。


「今だ!」

「っ、無事でいてください!」


 アリスが躊躇う時間はごくわずかだった。合図をする、と呟きで伝えている。勝手に逃げるよう決めたのは申し訳ないが、何が何でもアリスの安全を確保したかった。

 俺がついていけないのが不安に残るが……。俺は、カミッロの相手をしないといけない。


 カミッロは俺が投げた財布とアリスを追いかけるという選択を迫られている。カミッロは目的が金の無心であるから、予想通り財布を選んだ。苦虫を嚙み潰しながらも、アリスが逃げる正反対の財布を奪おうと駆けだす。俺から見て、背中が丸見えだ。


 俺はアリスの一時の安全を得るために金を渡すことを決めた。それでいて、アリスの目から見て情けないと思われることを避けた。


 絶縁だけでは足りなかった。カミッロはここで仕留める。

 俺は貴族で、カミッロは庶民になっている。カミッロの害悪は見ても調べても分かるものなので、どれだけ乱暴を働いても俺に有利だ。


 殺意まで込めて、カミッロの背中を目がけて蹴り倒す。


「ぐっ、てめえ!? 分かってんのか、俺だけじゃ―――ぐうぅぅ」

「ここで沈んでいろ!」


 蹴り倒れたカミッロの首を腕で絞める。じたばた動いているが、もがいているだけだ。力は強くない。絶縁されたことでまともな生活ができず、力が衰えているのだろう。ただ体臭だけだ。どれだけ熟成させたのだろうか、とても臭い。鼻がねじ曲がりそうだ。


「うがああああああああああ!」


 声量に合わせて、もがく力も大きくなる。くそ、手ごわい!

 カミッロの体に乗っかって絞めていたが、体から落ちてしまう。そうなると手が負えなくなった。首に腕をかけることもできなくなる。


「こぉの、よくもやりやがったな!」


 足取りはふらついているが、振りかぶる拳は十分脅威だ。身をもって判明した。


「それは俺の台詞だ! 俺たち家族に散々やってくれたな! レンは特に、あれからどれだけ怯えていたか!」


 殴り合いに移るも、最終的に勝つのは俺だ。俺は傷つきながらも、カミッロは地の上で沈黙している。


「ちっ、生きているか」


 息だけはしていた。残念に思いながらも、加減をした当然の結果だ。最後に二度目の舌打ちだけで済ませておく。


「こちらです! こちらに、セザール様が!」


 アリスが憲兵を連れて、駆けつけてくる。全く、逃げずに戻ってくるところがアリスらしい。手段のためとはいえ、狙われていたのにな。


「アリス」

「セザール様! そんな……無茶をしすぎです! 無事でいてって、言ったのに!」


 心配と怒りと、安堵もあるか。アリスは複雑な感情を、そのまま顔に表している。

 初めて見る表情だ。新たな一面を知れて、憲兵が察しよくカミッロを捕縛していることもあって、悪いとは思うが頬が緩まる。殴られた甲斐があったな。

 俺は努めて頬を引き締めつつ、アリスを揶揄う。


「了承した覚えはないな」

「そうですけど、そうですけど! …………ありがとうございます。私を庇ってくださって、おかげで()()助かりました」

「嫌味か? 珍しいな」

「揶揄わないでください! もう、怒るつもりはなかったのに」


 かわいいな。いくらでも揶揄える。

 俺はもう頬を引き締めることをやめ、普段は温厚なアリスの、怒っているが恐くない表情を思う存分楽しむ。


 アリスはそれが面白くないようでふくれっ面をし、突然つんと腹をつついてくる。胴体と一番大きく外すことがないためか、なんども狙われ殴られたところだ。ぐ、と声が漏れる。


「手当、しましょうか。無理してへっちゃらなふりをしなくてもいいんですよ」


 アリスは慈愛に満ちた顔で提案する。勝った、という顔にも見えた。



「本音を言っちゃうと、こんなに頑張らなくていいんですよ。一緒に逃げてよかったぐらいです」


 直ぐ近くのアリスの家で、俺は手当を受ける。アリスの母が家にはいたのだが、俺が毎度送ってきていることは知っている。俺のアリスへの想いも分かっているようで、何かと理由をつけて出て行ってしまった。

 アリスは男と二人っきりということを意識せず、そんなことを言っている。純粋に俺のことを心配してくれている。俺はアリスの母がわざと二人っきりにしたということを分かっているので、どうしてもそちらの方に思考がいってしまう。


「セザール様、聞いてますか?」


 アリスの話に集中できないでいると、ぐいっと顔を近づけてくる。手当をしてくれていた関係上、距離が近い。無防備すぎる。


「すまない。何の話だったか」

「頑張りすぎなくていいって話です! なんで、そんなに頑張っちゃったんですか」

「それは……」


 後半は悲しそうに言われる。答えはある。それはもう端的に。


「好きだから」


 するりと言葉は出た。元々想いを告げてもいいんじゃないか、と思っていたが、俺自身躊躇いがなかったことに驚いた。


「私も好きですよ。セザール様のことはとてもよい友達と思っています」

「俺は友達以上の好きだが?」


 アリスは息を呑む。俺は偽りではないと、じっとアリスだけを見つめた。


「し、親友としてですよね」

「恋人になりたいという意味でだ」

「わ、私は」

「シリルのことが好きなんだろう? よく知っている。今となっては屑にまで成り下がっていても、それでもアリスは好きでい続けていることも。……俺だって、隣で見続けてきたからな」


 俺は一気に言ってしまう。ずっと塞き止めていたことが、ようやくだと溢れ出ていく。俺の感情としても、異はなかった。


「好きだ、アリス。ずっと好きだった」

「シリルとアリスが両思いだから我慢していたが、今となっては無理だ。アリスと同じように、俺だって諦めきれないんだ」

「どうか、シリルじゃなくて俺の手を取ってくれないか。絶対に幸せにしてみせる」


 アリスから目を離すことなく言い切った。今溢れ出てきたのはこれだけだ。勢いに任せて告白しているから、本来はもっと伝えたいこともあって、いい言葉もあったかもしれない。

 不安が湧いてくるが、情けないところを見せたくない一心と先ほどの親友としてかのように誤魔化されては敵わない。

 目は絶対に離さない。………………目が乾いてきたな。




「ごめんなさい!!!」


 アリスは深く頭を下げる。顔が見えず、声を大にして言っていることから、完全に拒否された気持ちになる。

 い、いや、まだ希望はある。なんせ、目が乾くほどの時間を考え込んでいたからな。


「シリルのことが気にかかるなら、俺はいつまでも待てるが」

「私、いつまで待ってもシリル様のことが好きだと思います! なんせ、こんなになっても、好きなままですし!」

「こ、これから何か起こって変わるかもしれない!」

「一生好きの気持ちは変わりません!」

「シリルが、俺のアリスを好きだと言う気持ちを分かっていて、アリスのことを任せてきてもか! 俺なら絶対に、絶っ対に幸せにできる!」

「シリル様じゃないと幸せになれません! あと私、陰口を言う人は嫌いです! 特にシリル様のことを悪く言う人とか!」


 ぜえぜえとお互いの激しい息の音が残る。

 俺の心はずたずたに傷ついており、もう倒れて夢にしてしまいたい。カミッロが殴ってきたのより痛い。アリス、シリルを固執しすぎだろう? 一生はないだろう。いや、俺もアリスが相手ならば一生好きでいられる自信はあるが。


「私、セザール様のことは信じていたのに」


 ぼそりと呟かれる。今ので完全に心が真っ二つにされた。好きな女から、嫌いと過去形で信じていたのにと言われて、堪えられる男なんていない。



「く、ふ、ふふふふふふっ」


 この場にいるはずのない女の嗤う声だ。敵だと本能に刻んでいることで、反射的に身構える。


「なぜここにいる、エルザ!」


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