第9話 悪役令嬢は学園に通う
お友達であるメイジー・ランダナンテが公爵家から立ち去った。
「まるで嵐のような子ね」
認識すると、どっと疲労が襲いかかってくる。
何よあの子。あんな子だって知っていたら、もう少し人選を考えたわ。
メイジーを見舞わせたことには理由がある。ただ手紙―――お見舞い状を送ってきたためではないのだ。わたくしのお友達は数多い。誰でも良かったのなら、選り取り見取りだった。
メイジーは男爵令嬢と家格は低いが、交友関係は広く、噂好きで耳が早い。発言力は大きくないが、じわじわと噂を広げるにはうってつけの人物だったのだ。
あんなに酷い妄想癖とは聞いてないわよ。
わたくしという身でありながら、メイジーに振り回された。プライドを傷つけられたが、大まかにしろ話の流れは意図したものになった。メイジーが妄想癖を発揮しながらも、意外にも上辺に囚われずにわたくしの本質を掴んでいたようで、目的とする噂を広げてくれるだろう。
わたくしが不幸な事故と、その前の愚王子や、セザールの言葉により心身ともに弱っていることを。
本当は筋肉痛ほどには痛みがなくなっているので、わざわざ運動をして体温を上げた。演技と相まって、おいたわしいと思わせるまでに弱弱しく見えただろう。
メイジーとはこれまで挨拶を交わしただけの仲だったが、兄に愛嬌を振り撒かせ、わたくしから歩み寄った言葉をかければ簡単に陥落である。……親友と言われたことは、協力的に噂を流してもらうため許容しておく。
既に愚王子には出遅れているのだ。
これは情報戦である。報復のためには世論を味方につけなければならない。わたくしがセザールに突き落とされてから愚王子は動いてきた。愚王子は一応王太子なので、わたくしを妻にするならば次期王妃に迎え入れると同義である。
王妃に迎え入れるためには、貴族を味方させなければならない。反発されている女を王妃に迎えたって、それから先の政治がどうなるかは明白だ。
好評を保つよりも、悪評に落とす方が簡単で時間がかからない。わたくしの名誉に関わるので、悪評はよくよく選ばなければならないが。
つまり、わたくしが次期王妃になるか、ならないかの勝負であれば、ならない方を選ぶわたくしが有利である。それを王子は先んじて動くことで情報戦を有利に動いており、わたくしはこれから追い返さなければならない。
次期王妃になる阻止だけでなく、報復もしなくてはならないしね。
セザールの突き落としは不幸な事故にさせられたが、変えられない事実はある。バルコニーでわたくし一人に対して愚王子やセザール、猫が寄ってたかったことだ。流石に大勢の学生の目はなかったことにはできなかったらしい。
愚王子が猫と睦まじくしていたこともそうだろう。悔い改めたということで、王宮で手厚く看病したり、毎日公爵家に見舞いの品を届けたりして涙ぐましく努力しているが、変えられない事実として残る。
……見舞いの品である花束のためだけに、存在感大きく王族の徽章がある馬車で届けてくるのには嗤った。他者の目のために必死だ。それが毎日ともなると、うんざりすると共に、愚王子の本気さに嗤えなくなる。わたくし、こんなもので機嫌は直らないわよ。
愚王子がメルデリューヒ公爵家に来られないにしろ花の種類を選んで届けさせているので、気持ち悪さから見舞いの品の対応や処分はお兄様に押し付けた。花に罪はないが、あんなものを飾っていても体調が悪化するだけよ。お兄様がわたくしへの扱いに怒って、知らせずにいることにする。
とにもかくにも、わたくしも遅れながらもメイジーによって噂を広げ、情報戦を仕掛けていく。重症を負ったことは確かなので、徐々に明らかになるわたくしと愚王子との関係悪化には信憑性があるはずだ。遅れたことで大きな不利はない。噂好きにとっては愚王子の急転回なわたくしへの好意に飽きてきた頃であるので、ちょうどよさもあるだろう。
*
不幸な事故が起きてから、二十日が経った。
わたくしは制服に腕を通して、久しぶりの学園に通うことになる。体の痛みはとうになくなっていたが、メイジーによる噂が広まるのを待っていた。
「そつなくやれ」
お兄様が励ましの言葉を送る。年が四つ離れているので既に学園は卒業しているので、共に通うことはない。
「当然よ。報復は成し遂げるわ。必ずね」
わたくしの返答に満足しているお兄様に一時の別れを告げて、馬車に乗り込む。わざわざお見送りをしてくれたということは、多少の心配をしていたのだろう。
愚王子に会うのは憂鬱だけれど、報復したときの顔を想像すると耐えられるわ。お兄様は安心して待っていればいいのよ。
お兄様に報復を手伝ってもらうところはあるが、学園ではわたくしが全て行っていかなければならない。愚王子にセザール、猫と直接対決だ。せいぜい、いい声で鳴いてほしいわね。
学園を前にして、馬車から降りる。学生の多くが登校する時間帯である。ぱっとたくさんの衆目が一身に集まる。狙い通りね。
気を抜くことなく、儚さを醸し出しながら衆目の中を歩いていく。いつもは公爵令嬢に相応しく、わたくしの容姿に合うような気品と麗しさを出していた。化粧で肌を白めにはたかせてもいるので、以前との違いは分かりやすいものだろう。はあ、と変わらぬ美への感嘆と、おいたわしいという溜息が聞こえてくる。
「エルザ。またこうして会うことができて嬉しいよ」
どうせ愚王子はわたくしの到着を狙っていたのだろう。溢れ出る嫌悪を抑えつけながら、社交辞令として笑みをか弱く浮かべる。
「殿下。お久しぶりでございます」
「学園に来たということは、もう体はいいんだよね」
「はい。我が家にて療養したことで、随分とよくなりました」
我が家以外の、特に愚王子が手厚く看病してくれた王宮では全くよくならなかったのよ。
「それはよかった。王宮の、君のための部屋で看病したのがよかったのかな。私自身は行くことは叶わなかったが、見舞いの花を毎日届けさせたのもよかったんだよね」
わたくしの含んだ言葉を無視し、恩の押し付けをしてくる。なんという面の厚さかしら。
「……殿下。その、わたくし学園を休んでいたことで、先生方に呼ばれているのです。申し訳ございませんが、わたくし、お先に行かせてもらいますね」
言葉でなく、態度で示して対抗する。わたくしの弱弱しい演技に、反論していくのは合わない。ぐっと怒りを吞み込む。
「ならわたくしも付き合おう。体調がよくなったとはいえ、病み上がりだからね。私もエルザを一人で行かせるのは不安だ」
「そんな。殿下のお手を煩わせるなんて。……それに、お相手をしたいのはわたくしではないのでしょう?」
わたくしよりも、猫の相手をしていたら?
「……エルザ。私の不誠実についてはすまなかった。だが、あの不幸な事故をきっかけに、これまでの私自身を見つめ直し、改心したんだ。簡単に許してほしいとは言わないが、どうか他人行儀な話し方だけはやめてくれないだろうか?」
許してほしいと言わないなら、他人行儀の話し方でいいのではなくて?
わざわざ敬語を用い、名ではなく『殿下』と呼んでいる。敬意なんて欠片もないが、親密だと思われるならば他人行儀を選ぶ。
「せめて『殿下』でなく、シリルと呼んでほしい」
理屈なんて隅に追いやって、悲しく寂し気に懇願するのが愚王子のやり方だ。わたくしは少しも靡かないが、他は違う。周囲で名を呼ぶのぐらいいいだろうという、愚王子を味方にする気配が感じる。
まだまだ最初は愚王子の味方が多いわね。
「申し訳ございません、殿下。わたくしの心は、直ぐには変われないようです」
愚王子のように、浮気性ではないのよ。
顔の角度を下げて顔を伏せて、声を震わせる。まだ泣いてはいないが、泣きそうになっていると見せかける。
愚王子からわたくしに味方を引き込めた気配を感じた。
「あら、殿下、エルザ様。ご機嫌麗しゅう存じます。朝一番にお目にかかれて光栄です」
そこで、わたくしのお友達が乱入する。侯爵家のカルメリタ・オークランディ。わたくしのお友達の筆頭だ。
「カルメリタ。ご機嫌よう」
愚王子でなく、カルメリタにそっと手を寄せれば、意図を読んだとにこりとした笑みの返答をくれる。
「殿下、失礼します。エルザ様、見たところ少々お加減が良くないように思われます。病み上がりでしょうし、エルザ様をわたくしが休める場までお連れしてもよろしいですか」
「ええ、お願いしてもいいかしら」
「勿論です。御前を失礼します」
愚王子が口を挟む暇なく、テキパキと決めていく。カルメリタは目的が違うとはいえ、愚王子が先にわたくしと共に行こうとしたと知らないので、仕方ないわよね。わたくしは知った上で、感情的に愚王子を受け入れられなかったのだからいいもの。
「エルザ。また教室で話そう」
愚王子は表面上は笑みを浮かべて、行動を別にする。流石にわたくしたちについてくるほどの強行はしないらしい。
「カルメリタ。丁度いいときに来てくれたわね。もしかして、あの子も関係しているかしら」
「ええ、エルザ様。メイジーが知らせてくれたのです」
遠目にメイジーがよい笑顔をしている。妄想癖がなければ、使い勝手はいいわね。
「それではどうしましょう。身を休めるところまでお連れしましょうか」
「分かっているくせに。先生方のところまででいいわ。このまま付き合ってちょうだい」
「はい。勿論ですよ」




