95話 名前を呼んで
やっちまった。いや、ヤっちまった。
気が付けば夕暮れの時、俺はぼんやりした頭で時間帯を認識している。
部屋にいるのは俺一人。
雪乃は今、シャワーを浴びている。
――そっと、口づけを交わした。
……だけで済むわけがなかった。
ファーストキスの余韻も冷めぬ内に、もう何度もキスし合って、キスしまくっておかしくなったテンションのまま雪乃をベッドに招き入れて、思う存分愛し合った。
その直前でエロ本を一緒に読んでいたのも要因のひとつだろう、歯止めなんてものは無かった。
唯一の理性として、"事"を始める前に着けるものをちゃんと着けていたから、"デキちゃった"ってことは無いだろう。
……多分。
この数時間で一気に関係が進んでしまった気がする……
汗と涙と涎と、その他色んな体液で凄まじいことになったベッドのシーツは洗濯機に放り込み、別のシーツに張り替える。
後始末という後始末を済ませると、コンコンと控えめなノックが届く。
「はい」
返事をするとドアが開けられ、そーっと顔だけを覗かせるように雪乃が現れた。
「シャ、シャワー、ありがと……海石くんも、どうぞ……?」
「そ、そうさせてもらう」
のっそりと立ち上がった俺は、出来るだけ雪乃のことを意識しないようにすれ違いつつ、バスルームへ向かった。
俺もシャワーを済ませると、雪乃がリビングのソファでこぢんまりと座っていた。
「雪乃」
「ぴぃっ」
俺がそう声をかけると、雪乃は驚いたひよこみたいな鳴き声を上げて背筋を伸ばした。
「あ、う、海石く、ん……」
「隣、座っていいか?」
隣に座っていいかと訊ねると、雪乃はこくこくと頷いてくれる。
そうして隣り合って座ったわけだが。
「今更こんなことを訊くのもなんだが……嫌、だったか?」
あの数時間の出来事は、是非を問うような考えなどとうに捨てられていた。
思い返せば、随分手荒なことをしてしまっ、いや、シてしまったかもしれん……
「い、嫌じゃない。嫌じゃないし、海石くんすごく優しかったし、私もすごく、……よ、よかった、です」
「そ、そうか」
嫌々で付き合わせてしまったならどう謝ればいいのか困るところだったが、雪乃としても良い結果になったなら、まぁ、いいの、か……?
「そ、それよりも、私からひとつ、提案がありますっ」
ふと、"提案"を持ちかけてきた雪乃。
「提案ってなんだ、雪……」
「雫」
俺の訊ねに、雪乃はそう遮った。
「これからは、雪乃じゃなくて、「雫」って、名前で呼んで?私も、「椿くん」って呼ぶから……」
「ッ……」
雪乃……いや、雫の口から下の名前を呼ばれた瞬間、背筋に快感が駆け抜けた。
恋人に、下の名前で呼ばれるとか……ッ
「分かった。……雫」
「…………〜〜〜〜〜ッ」
望み通りにそう呼ぶと、雫は声にならない声を上げながら、首から上を爆発させた。
かわいいが過ぎるかよ、雫……!
キスしたくなる衝動をグッと抑える。
今はインターバルだ、間を置くべき時。
「さて、晩飯を作ろうと思うんだが……」
「あ、う、うんっ……椿くん先生、今晩は何を作るのでしょうか?」
「なんか料理番組が始まったな……今日はハンバーグにしようと思う」
「ハンバーグっ。私、ハンバーグ大好き♪」
ハンバーグと聞いて、雫が目を輝かせる。
こんなこともあろうかと、昨晩に買い物に行く前に夕莉から雫の好きなものを聞き出しておいたんだ。
「なら良かった。んじゃ、作るとしますか」
今日のハンバーグは、俺史上最高の一品にしてやるぜ。
現実には、付き合い始めたその日でヤっちゃうカップルもいるそうなので、これくらいはアリかなーと。




