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「何だあ、こりゃあ」
あきれるようなラウムの言葉につられて、私たちは目の前の扉を見あげる。
闇を貫く橋を渡りきると、そこには闇よりも暗き巨大な扉がそびえていた。試しに、とラウムが押してみるが、扉が開く気配はない。
「おい、鉄壁、手伝え」
ラウムに呼ばれて鉄壁も加わるが、二人がかりでも扉は微動だにせず──もしかすると私たち全員で押しても開かないのではないか、と私はいくらか不安に思い始める。
「おい! お前らも手伝え!」
「──それでは、私が」
さらなるラウムの呼びかけに答えたのは青だった。闇にとけるようにして私の傍らに控えていた青は、ぬるりと闇から抜け出したかと思うと、右手をそっと扉にあてて──力を込めた様子もないというのに、扉は音もなく開く。
「おっさん、いったい何もんだよ?」
「お嬢をお守りする騎士とでも思っていただければ」
ラウムの問いに、青は淡々と答える。おっさん呼ばわりされても怒らないのは、私の立場を慮ってのことであろうか、それとも主以外に何を言われようと興味がないのであろうか──後者かな、と想像しながら、私は扉を抜ける。
「──わあ!」
目の前を歩いていたロレッタが感嘆の声をあげる。
「どうしたの?」
と、彼女の後ろから先をのぞいて──私は言葉を失った。
眼前には、見渡すかぎりの空が広がっていた。天も、地も、世界は一面の空に包まれていて、私は鳥にでもなってしまったかのような錯覚を抱いてしまう。絶景に吸い寄せられるようにして空に足を踏み入れると、足もとでわずかに水が跳ねて──そうして私はようやく気づく。私たちは空を歩いているのではなく、鏡のごとく空を映した水の上を歩いているのだと。
「迷宮の中──なんだよな?」
見た目どおりに粗暴であろうラウムでさえも、目の前の光景には圧倒されたようで、ほう、と溜息をついて見惚れている。
歩き出してみると、水はそれほど深くないことがわかる。海を思わせるほど広大な割に、どうやら巨大な水たまりと表現する方が正しいようで、私はいくらか拍子抜けする──とはいえ、どこに深みがあるともかぎらないであろうから、と足先で水底を確かめながら、慎重に進む。
やがて、空の彼方に、蜃気楼のように揺らめく白亜の神殿が浮かびあがる。近づくにつれて、次第に神殿はその輪郭をあらわにして──間近に立って見あげて、ようやく幻ではないと確信するに至る。
「何という威容……」
呆然とつぶやく鉄壁の言葉に、思わず頷いてしまう。神殿はまるで巨人のためのものであるかのように巨大で、そしてその巨大さゆえの荘厳さに、私は押し潰されそうになる。
「こいつは──領主の話してた巨竜の住処じゃねえか?」
言って、ラウムは神殿の造形を確かめるように細部に目をやり、やがて間違いないというように頷く。
「そんなこと話してたっけ?」
「聞いてなかったのかよ」
尋ねる私に、ラウムはあきれ顔で返す。
「どうせ領主の話そっちのけで、べらべらしゃべってたんだろ」
言って、ラウムは冷笑しながら、鼻を鳴らす。まったくもってそのとおりであるのだが、ラウムに指摘されると無性に腹が立つ。ラウムの方が話を聞かなさそうな風貌だというのに。
「理不尽なことを考えているでしょう?」
歩き出したラウムの背中に向けて舌を出していると、胸もとの旅具は私の心のうちを見透かしたかのように溜息をつく。
「そんなことありません」
フィーリを指先で弾きながら返して、私は唇を尖らせて、前を行くラウムを追いかける。
神殿には、竜どころか、わずかな生者の気配すらない。まるで幽世に迷い込んでしまったかのような深い静寂の中、私たちの足音だけが異質に響く。天を支えるほどに高くそびえる列柱の間を抜けて、度外れて広い空間に出る。そこで私たちを出迎えたのは──断末魔のまま炭化したと思しき冒険者の焼死体と──見るも無残な巨竜の死骸だった。
「こんなことができるのは、英雄アルグスくらいのもんだろうよ」
ラウムは無精髭をさすりながら、あきれるようにつぶやく。
巨竜の骸には、数えきれないほどの傷がある──が、その致命傷は一目瞭然だった。千年を経た古木よりも太いであろうその首は見事な剣筋で両断されており、転がった巨竜の頭部は虚ろな瞳で私たちをみつめている。
「巨竜を倒した連中は、もう財宝までたどりついてるんじゃねえか?」
先を越されちまったな、とラウムは忌々しそうに続ける。
「──この竜は迷宮の主ではない」
巨竜の首を検分していた青が、ぽつりとつぶやく。
「この迷宮には、何ものかの意図を感じる。力あるものをとらえて、深層に誘い込まんとする、邪悪な意図を──この先に財宝などありはしない。待っているのは、竜よりもおそろしい何かだぞ」
それでも進むのか、と青は問う。
「──財宝がないなんて、俺は信じねえ」
しかし、青の諭告を、ラウムは頑なにはねつける。
「ここで退いたら、あいつら無駄死にじゃねえか」
つぶやくようなラウムの言葉は、しかし深い静寂に浸透して、皆の耳まで届く。
鉄壁が励ますようにラウムの背中を押して、それをラウムがわずらわしそうに振り払って──私たちは巨竜の屍を越えて、深層へと続くであろう階段を下りる。




