3
次の瞬間、私は闇の中にいた。
黴臭く、湿りを帯びた重い空気が、肌にまとわりつく。
「フィーリ」
呼ぶと、フィーリの灯りが、ぼう、と周囲を照らし出す。
気づけば、私は数人が並んで歩けるような、整然とした石造りの通路に立っていた。通路は私にさえ先が見通せないほどに延びていて、あたりには誰の気配もない。
「──迷宮?」
ウェルダラムの迷宮を彷彿とさせるその光景に、私は思わずつぶやく。
「地震で大地が割れて迷宮に呑み込まれた、なんてことはないよね?」
誰にともなく言いながら、頭上を見あげてみるが、迷宮の天井にはひび割れ一つない。
「転移の魔法でしょう」
と──気配も感じさせずに背後から現れたのは青だった。皆とはぐれてしまったものと思っていたので、私はその存在にいくらか安堵する。
「転移の魔法って、どういうこと?」
「何ものかの転移の魔法によって、我々は迷宮に引きずり込まれてしまったようです」
「我々って、黒鉄とロレッタも?」
「展開した魔力の大きさからして──広場にいたもの全員でしょうな」
青は淡々と語る──が、広場には百を超える英雄がいたのである。それらすべてを転移させるとは、いったいどれほどの膨大な魔力をもってすれば可能なのであろうか、と私は言葉を失う。
「とっさに手を取りましたので、私もお嬢と同じ場所に転移することができましたが──」
許可なくお手に触れたご無礼をお許しください、と青は古風な辞儀をして。
「──おそらく、他のものはそれぞれに迷宮に散じているものと思います」
「広場にいたものは、みんなばらばらに迷宮に転移させられたってこと?」
「然り」
青は首肯する。
「みんなばらばらになったとなると──黒鉄はともかく、ロレッタの方は心配だなあ」
赤毛の勇者の神剣を持つとはいえ、ロレッタは荒事の苦手な魔法使いなのである。他の戦士たちと一緒であるならばまだしも、転移した先で一人きりということになると不安は否めない。急ぎ黒鉄とロレッタに合流すべく、私と青は迷宮を歩み始める。
通路は緩やかに曲がりながら延びている。迷宮という割に、途中に分岐はなく、迷いようのないその構造に、私はいくらか拍子抜けする。
「結局、この扉しかないじゃない」
青とともに長い時間をかけてこの階層を探索したというのに、結局のところ通路は円環のように閉じており、目の前の扉以外のどこにもつながってはいなかった。
「お嬢」
「わかってる」
注意をうながす青に、過保護だなあ、と溜息をつきながら返す。
扉の向こうには、何かがいる。私たちの転移した先が迷宮である以上、魔物である可能性が高い。扉の向こうに気づかれぬよう、私は気配を殺す。音もなく扉を開き、するりと忍び込む。扉の先は部屋になっており、その中央に数匹の巨人がたむろして、何かを喰らっている。
「──オーガ?」
ウェルダラムの迷宮で目にした大鬼を思わせる巨躯に、私はその名をつぶやく。しかしながら、奴らはいつぞやのオーガよりも醜悪な姿をしており、知性を感じさせぬ粗暴さで、私たちの侵入に気づいても食事をやめる気配はない。食い意地の張った連中であるなあ、とあきれながら、何を喰らっているものかと見れば、どうやらそれは私たちよりも先に部屋にたどりついた冒険者のようで──彼らの無残な最期に、ぶるり、と震える。
「トロールです」
青が告げて、私をかばうように前に出る。
「お守りいたします」
「私はそんなにかよわくないよ」
返して、私は青と肩を並べる。
「それでは、ご無理だけはなさらぬよう」
私の負けず嫌いに苦笑しながら、青は続ける。
「ただ──トロールは、吸血鬼ほどではないにせよ、再生能力を持ちます」
青の言葉を裏打ちするように、トロールのうちの一匹が、床に転がった腕を拾いあげる。先に挑んだ冒険者に切り落とされたと思しきその腕を無造作に切り口にあてると、腕は見る間につながり──トロールは具合を確かめるように拳を握る。
「私が止めを刺しますゆえ、お嬢には足止めをお願いしたく」
私の応えを待たずに、青はトロールに向かって、ゆるりと歩き出す。
再生能力のあるトロールを相手に、いったいどのように止めを刺すというのであろうか。お手並み拝見、と私は援護に徹するべく、旅神の弓を構える。
『穿て!』
命じて、私はトロールどもの足の甲めがけて矢を放つ。古代語の命に従って歪に姿を変じた矢がトロールの足を穿ち、石床に縫い留める。
逃れようともがくトロールに、青は剣を抜いて近づく。トロールは青を遠ざけようと腕を振りまわすのであるが、その暴風のごとき剛腕は、決して青にあたることはない。青は暴風の中を平然と歩き、無造作に、しかし精妙にトロールどもの心臓を穿つ。
心臓を穿たれたトロールは、自らの再生能力を頼りに、腕を振りまわし続ける──が、どういう理屈かは判然としないのであるが、奴らの再生能力は機能せず、トロールどもは、まるで溺れるようにあえぎながら、次々と息絶える。
青は血振るいをして、剣を鞘におさめて──再生能力さえ無効化するとは、さすがは真祖直属の騎士であるなあ、と感心する。
「──お待ちを」
労いの言葉をかけようと近づこうとした私を、青は鋭く制止する。見れば、青の眼前がぐにゃりと歪んで、すわ強制転移か、と身構える──と、歪んだ空間から現れたのは、まごうことなき──宝箱であった。
「わ、宝箱だ!」
「お待ちください!」
と、胸もとでフィーリが声をあげて、今にも駆け出そうとしていた私を青が制する。
「何で止めるの?」
青の力強い腕に抱きとめられて、私は不平をもらす。
「迷宮に宝箱があるなんて、不自然だとは思いませんか?」
「そういうものなんじゃないの?」
諭すように語るフィーリに、私は疑問を返す。物語を読んだかぎりでは、迷宮には宝箱があって、冒険者はそこから財宝を得るものと相場が決まっている──決まっているのだが。
「どこからともなく宝箱がわいて出るなんて、そんなことあると思いますか?」
フィーリにそう指摘されると、確かにどこかおかしいようにも思えてくる。
「例えば、ウェルダラムのように、侵入者を拒む要塞としての迷宮であれば、財宝は迷宮を踏破した先にあるものです。もしも迷宮内で手に入るものがあるとすれば、侵入者を排除する側の用いる備蓄品くらいのものでしょう。財宝は理由のある場所に存在するのであって、決してこれ見よがしにわいて出てくるようなものではないはずです」
こんこんと諭してくる旅具に頷きながら、もう駆け出さないから、と青の手から抜け出す。
「私にお任せを」
言って、青は歩み出て、無造作に宝箱を開ける。どれどれ、と後ろからのぞき込んでみると、箱の中は見たこともないような紋様の金貨であふれており──フィーリの話を聞いていなければ歓喜しているところであるが、今となっては、あやしいこと、この上ない。
「これは餌です」
青はぽつりとつぶやいて。
「我々は財宝という餌につられた獲物なのでしょう」
金貨を捨ておいて続ける。
「私の想像が正しいとすれば──黒鉄殿、ロレッタ殿が危ないかもしれません。合流を急ぎましょう」
言って、青は私に先を急ぐよううながす。
数百年のうちにつくられた、新しき迷宮──青は確かにそう言っていた。つくられたというのならば、誰かがつくったのであろうが、青は黙して語らず──私たちは部屋の奥の階段を下りる。




