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「エントマに集いし英雄たちよ!」
街の広場に面した居館の露台から身を乗り出すようにして、領主はその小さな身体に似合わぬ大音声をあげる。領主の見下ろす広場には、ゆうに百人を超える戦士が集っており、彼らは──わずかながら彼女らも──応えるように野太い声をあげる。
「時はきたれり! 今こそ邪悪なる竜を打ち倒し、迷宮を踏破するのだ!」
続く領主の鼓舞に、彼らはさらなる歓声で応える。
街の賑わいは、迷宮に群がる冒険者によるもの──だけではなかった。
街のものの話すところによると、迷宮の深層までたどりついた冒険者によって、巨大な竜の存在が確認されたのだという。その竜さえ打倒すれば、迷宮に眠る財宝のすべてを手にすることができると考えた領主は、広く触れを出して、名だたる英雄を呼び集めた。集う英雄に、その英雄を一目見んとさらに集う物見高い連中であふれて、街は空前の賑わいを見せている──ということのようである。
「しかし、ぬしらも物好きよのう」
言って、黒鉄は何度目かになる溜息をつく。
「だって、マリオンも黒鉄も、迷宮で財宝を手に入れたんでしょ?」
あたしもほしい、とロレッタは赤裸々に自らの欲望をさらけ出す
「ま、いいじゃない。私たち三人だけで挑戦するわけでなし」
言って、私はぐるりと周囲を見渡す。
私たちは、百を超える英雄とともに、広場の真ん中に立っていた。
ロレッタの欲望に背中を押されて、竜討伐に名乗りをあげたところ、どうやら黒鉄は西方ではそれなりに名の知れた戦士であったらしく、すんなりと参加が認められたというわけである。
英雄とともに、迷宮に挑み、竜を打ち倒し、財宝を手に入れる。もしかしたら、彼らの後ろをついていくだけで、財宝にありつけるかもしれないのだから、参加しないという手はない。
「ほう、知っておる顔も、ちらほらとあるのう」
「どれどれ」
陽ざしを遮るように手庇をして、私は背伸びをする。
「ほれ、あの巨人」
と、黒鉄が指す方に視線を向けると、群衆から頭一つ──どころか、肩まで抜きん出た巨躯の姿が目に入る。
「北方より、中原に訪れた戦士。その名を剛腕のアルグス──数々の魔物を屠っておる、真の英雄と呼ぶにふさわしき男、と聞いておる」
「巨人──っていう割には、そこまで大きくないみたいだけど」
今まで出会ったことのある誰よりも大きいことは間違いないのであるが、巨人というのはもっと大きな──それこそ天を衝くような威容であると想像していただけに、期待外れの感は否めない。
「愚かもの。おぬしの想像する巨人は伝説に謳われるものぞ。そうそうお目にかかれるもんではないわい──とはいえ、北方には巨人の伝承も多いからの。アルグスにはどこかで巨人の血が混じっておるのかもしれん──というのが、もっぱらの噂よ」
「隣にいるのはエルフかな?」
我々にくらべると長身のロレッタは、背伸びをすることなくアルグスを眺めながら、興味深そうに声をあげる。どれ、と群衆の頭を越えて、さらに飛びあがって、アルグスの傍らに目をやる──と、黄金のごとくきらめく髪からのぞく長い耳が目に入って──その顔を一目見ようと、私は何度も飛びあがる。
「アルグスには、冒険をともにするエルフの相棒がおると聞いたことがあるから、おそらくそやつじゃろう」
こちらの話し声が聞こえたのであろうか──そうだとすれば、おそるべき聴力の持ち主である──エルフはアルグスとの会話を止めて、私たちに目を向ける。
その神々しき美しさといったら! ハーフエルフであるロレッタの美しさも目を見張るものがあるとは思っていたのであるが、エルフのそれは、もはやこの世のものではないような神性をともなっており、見るものを忘我の境地に誘う。ほう、と見惚れる私とは裏腹に、エルフはこちらへの興味を失ったようで、ふいと視線をそらして、再び傍らのアルグスに話しかける。
「たちの悪そうな連中もおるのう」
黒鉄の声に現実に引き戻された私は、飛びあがるのをやめて、その視線の先に向き直る。見れば、エントマの門をくぐる際に見かけたものたちであろう、罪人と見紛うほど人相の悪い男たちがたむろしている。
「ラウム傭兵団──中堅どころの傭兵団で、荒事を生業にしておると聞く。戦場では頼りになるらしいが、盗賊まがいの狼藉を働くこともあるというからの、ぬしらは近づかん方が無難じゃぞ」
黒鉄はそう言って締めくくる。傭兵団のうちの数人が、ロレッタを眺めながら下卑た笑みを浮かべているあたり、噂はそれほど間違っていないのであろうな、と思う。
「黒鉄って、冒険者に詳しいんだねえ」
他には、と続きをねだると、黒鉄もまんざらではないようで、そうじゃのう、と周囲を見渡して、知った顔を探す──と。
「おう、鉄壁ではないか!」
思わぬところで知己をみつけて、黒鉄は呼びかけるように声をあげる。黒鉄の声に振り向いた鉄壁は、やわらかい笑顔を浮かべて──そして、やはりその白い歯をきらめかせて──人混みをかきわけるようにして、私たちのところまでたどりつく。
「やあ、こんなところで、また出会えるとはね」
言って、鉄壁は黒鉄に再会の抱擁を求めて。
「ウェルダラムの迷宮の踏破を目指しておったのではなかったのか?」
返す黒鉄に押しとどめられて、鉄壁は渋々その身を離して、その代わりというように二人で拳を打ちあわせる。
「あのときの仲間たちが怖気づいちゃってね。さすがに一人では迷宮に挑戦することもできなくて、世直しの旅に出ていたんだよ。そんなときにエントマの迷宮の噂を聞いて、大勢でなら迷宮に挑戦できるかなって思ったわけさ」
「なるほどのう。おぬしも苦労しておったんじゃのう」
「そうだね──旅先で出会った美しき女性たちとの別れは、何度経験しても慣れないものだったよ」
言って、その女性たちとやらを思い出しているのであろうか、鉄壁は遠い目をして──次いで、あきれる黒鉄をよそに、私に向き直る。
「やあ、お嬢さん」
また会ったね、と鉄壁は器用に片目をつぶって、私に微笑みかける。
「マリオンだよ」
お嬢さんと呼ばれるのがむずがゆくて──そういえば以前は名乗っていなかったな、と思い至って、今さらながらに名乗る。
「マリオン──旅の空に吹く風のような、君にぴったりの名前──」
その歯の浮くような台詞を、しかし鉄壁は言い終えることはできなかった。私の隣であくびをもらすロレッタを認めるや否や、鉄壁は跪いて彼女の手を取り、その甲にうやうやしく唇で触れる。
「僕はあなたに出会うために旅を続けてきたのかもしれない」
「長髭、この人なんなの?」
ロレッタは鉄壁の手を振り払い、彼の口づけたあたりを外套でぬぐいながら、黒鉄に物申す。
「病気みたいなもんじゃ。気にせんでやってくれい」
「深層の竜を打ち倒したものには、望むままの褒美をとらせよう!」
領主の演説は、私たちが戯れている間も続いていた。
「褒美も何も、財宝は竜を倒した冒険者のものになるんじゃないの?」
「王や領主の管理する迷宮では、そうはならんこともある」
税のようなもんじゃな、と黒鉄は鼻を鳴らしながら、私の疑問に答える。
「諸君らの健闘を祈って、私から贈りたい言葉がある!」
ますます熱を帯びる領主の演説とは対照的に、戦士たちの関心は薄れ始めていた。私語程度ならまだしも、次第に周囲をはばからず不平をもらし始め、ロレッタに至ってはその美貌を台なしにするほどの大あくびを隠そうともしない。
「まだ、終わらないの?」
ロレッタが気だるそうにつぶやく──と、そのときだった。
不意に、ほとばしるような力の奔流を感じたような気がして、私は天を仰ぐ。
「──地震か?」
誰がつぶやいたものか、ぐらり、と大地が揺れる。
「──お嬢、お手を」
言って、傍らに控えていた青が私の手を取って──次の瞬間、世界はぐにゃりと歪んで、そして消えた。




