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「こんなところに、こんな街があったかなあ」
つぶやきながら、ロレッタは首を傾げる。
「このあたりには、小さな村があったと思うんじゃがのう」
黒鉄も同意を示して──私たちは、眼前の外壁を見あげる。魔法の力ではなく、人力で積みあげたと思しき歪んだ外壁は、しかし古代のものに劣ることなく高くそびえたち、その威容は見るものを圧倒する。
街の入口の巨大な門に、衛兵はいない。門は開け放たれており、街道を行くものは、次々と街に呑み込まれていく。荒事を生業としているであろう冒険者の一行に、ゆったりとした長衣に身を包んだ魔法使いと思しき老爺、はては罪人ではあるまいかと勘ぐるほどに人相の悪い男たちまで、来るものは拒まず、誰もが自由に街に出入りしている。
「何とも物騒な街じゃのう」
黒鉄の言葉に頷きながら、私たちは門をくぐる。
エントマと呼ばれるその街は、何か祭事でもあるのであろうかと思うほどに賑やかだった。目抜き通りは人であふれて、建ち並ぶ露店からの呼び込みの声は引きも切らない。あちらこちらから、何とも食欲をそそる香りが漂ってきて──黒鉄の大きな腹の音を聞いて、私たちは苦笑しながら足を止める。
「何か買ってくるよ」
言って、ロレッタは焼けた肉の香りに吸い寄せられるように、近くの露店に足を向ける。
露店の店主と談笑しながら、ロレッタは人数分の串焼きを買って、鉄串から外した肉をフィーリから取り出した銀皿に移す。店主に鉄串を返して、笑顔で手を振って。
「わかったよ!」
振り向いて声をあげて、小走りで私たちの前に戻り、銀皿を差し出す。やけに肉が多いところを見るに、いくらかまけてもらったのであろう。美人は得であるなあ、とうらやましく思う。
「十年くらい前に、迷宮がみつかったんだって!」
フィーリから取り出した銀の突き匙で肉を口に運びながら、ロレッタは興奮気味に語る。
「なるほど、新たな迷宮に群がる冒険者で、街が賑わっとるというわけか」
納得じゃな、と頷きながら、黒鉄は手づかみで肉を頬ばる。つい先ほどまで焼いていた肉であるというのに、熱がる様子など微塵もなく、ドワーフの皮はさぞ厚いのであろうなあ、と私はその生態への見識を深める。
「迷宮かあ。また、挑戦してみてもいいかもね」
言って、私は疾風のブーツで、こつこつ、と足もとの石畳を打つ。今や私の相棒とも言えるブーツ──もしも同等のものが手に入るというのならば、再び迷宮に挑戦するのもわるくはない。
「いいなあ。あたしも迷宮踏破したいなあ」
「普通はできぬことなんじゃぞ」
迷宮踏破と、その先に眠るまだ見ぬ財宝を夢みて、ロレッタはうっとりとつぶやき、それを現実に引き戻さんと黒鉄は苦言を呈して──そんな二人をよそに、私も突き匙で肉を口に運ぶ。猪のものと思しき肉は、狩人の処理の腕がよかったものか、それとも露店の店主の下ごしらえの腕がよかったものか、思いのほか臭みもなく、値段の割にはおいしい。私は舌鼓を打ちながら、二人に負けじと肉を頬ばる。
「はて、このあたりに迷宮なんてありましたかねえ」
と、胸もとでフィーリがいぶかしげにつぶやく。
「ウェルダラムの迷宮のように、古代から存在する迷宮は、おおよそ把握していると自負しているのですが、このあたりに迷宮があるなど、聞いたことはありませんよ」
「今まで発見されていなかった迷宮ということではないか?」
「そうだったら、大発見だね!」
黒鉄とロレッタは口々に言って、フィーリにも知らないことくらいあるであろう、と特に疑問も抱かず、肉をむさぼり続ける。
「私の把握していない迷宮があるなんて──」
そんなはずはない、と異議を唱えるフィーリをなぐさめるようになでながら──ふと私は顔をあげる。
どこか奇妙である、と感じる。
目抜き通りの雑踏に、あやしい気配などないというのに──いや、違う。雑踏の一画に、あってしかるべきはずの気配がないという違和感に気づいて──私は呼びかけるように声をあげる。
「──青?」
そんな芸当を可能とする知り合いなど、一人しか思いあたらない。
「──さすがは、お嬢」
感服いたしました、と敬意を表しながら、幽鬼のごとき青白い男──真祖に仕える四騎士のうちの一人が、雑踏から姿を現す。
「おお、青殿」
「黒鉄殿も、ロレッタ殿も、お久しゅう」
親しげに呼びかける黒鉄と、肉を口いっぱいに頬ばって挨拶のできないロレッタに、青は等しく古風な辞儀をする。
「何でこんなところにいるの?」
よもや、また私についてきたのではあるまいな、と問い詰めると、青は笑ってしまうくらいに慌ててかぶりを振る。
「我が主より、迷宮の調査を命じられたのです」
断じて後をつけてきたわけではない、と青は弁明の言葉を重ねる。
「エントマの迷宮は、真祖様もご存じのない迷宮なのですか?」
それならば自らが知らなくても恥ではない、と思ったのであろうか、フィーリは明るい声音で青に尋ねる。
「まさか、そのようなこと、あろうはずもございません」
青は一笑に付して続ける。
「我が主に知らぬことなどございません。ゆえに、エントマの迷宮は、今まで発見されていなかったものではなく──我が主の眠っておられた数百年のうちにつくられた、新しき迷宮ということになりましょう」




